呪術廻戦 | ナノ

奇譚-虚実



雪花石膏の様な雪が降り積もっている。
しんしんと。そう形容される事が多いけれど、夜の雪に音は無い。音の無い静かな雪が辺りにも、私にも同じ様に積もって行く。

牡丹の雪片が、黒い天蓋から零れ落ちる。きっと翌朝には私の身長程も降り積もり、住民達は早朝から雪かきに奮闘する羽目になるだろう。朝日に綺羅めく銀世界に埋もれて白い息を吐き出しながら、赤い顔をして雪と対峙する住民達は小さな黒い点みたいだ。地吹雪けば、地形の起伏も境界も全て識別不能になる。時折、幻想の様に語られるそれは白い闇に過ぎない。一面の雪景色は縮尺を狂わせる。

夜明けまで、私の命が尽きなければ。

もう、どれ位ここに立ち尽くして居るだろうか。背後の扉が開く様子は無い。こちらの様子を窺う気配すらない。死んでも良いと思われたものか、それともまだ死ぬ程までは時間が経過していないと高を括っているのだろうか。どちらにしても、こんな仕打ちには憤りを覚える。

何時だって、原因は些細な事だ。むしろ原因らしい原因なんて無い。祖母は、虫の居所が悪いとまるでひきつけでも起こしたかの様になって、その矛先が私に向くだけの事なのだ。だから、こんなのはただの理不尽でしかない。

鼻の奥と耳が痛い程に冷えていた。

「お前は絶対に謝らない子だね」

烈火の勢いで祖母が言う。どうして謝らないといけないのだろう。臍を曲げた祖母のご機嫌を取る為に私が謝る謂れがない。ご近所との確執を不機嫌な顔で語っている内に、祖父が生活費を博打に注ぎ込む事への愚痴、私の母が私を預けたまま一年間も帰らない事への不満に逸れて行き、攻撃の矛先が私にすり替わった。お前が居るから金が掛かる、お前は可愛げが無い。いつだって最後はそれに収斂する。それに対して私が詫びてご機嫌取りをしろ、と言うのが透けて見えるのだからこんなにお粗末な事はない。

だから私は絶対に謝ったりはしない。卑屈なのは祖父母だけで十分だし、可愛げが無いのは自分で承知している。

祖父母が入れ替わり立ち替わり恫喝しても、暴行しても私が謝らないとなると最後の手段とばかりにいきり立って「お前が謝らないからこういう事になるんだ」と最後までご丁寧に責任逃れをしてから私を外まで引き摺っていくのだ。祖父が私の上半身を羽交い締めにするので、我を忘れて足をばたつかせて抵抗を試みる。祖父は現役の大工職人である。老人とはいえ肉体は屈強で力は強い。単純に力の差で敵わない事を悔しく思った。

「紐持って来るわ」

私が激しく暴れるので祖母が部屋に紐を取りに行くと提案する。紐、とは着物の腰紐の事である。いつも、私の折檻で手足を縛り上げる際に使用するのだ。荷造り紐や縄と違って家の箪笥に何時でも入っているから重宝するのだろう。馬鹿馬鹿しいと思う。

「いい、おめえが抑えてろ」

玄関がすぐそこまで迫っているのだ。祖父の協力要請に応じた祖母が掴みかかってくる。一、二発位は蹴りを入れたかもしれないが、祖母もまた日々の百姓仕事で鍛えられており年の割りに健脚で丈夫な老人であった。

「全く、年々手に負えなくなってくよ」

その言葉と共に放り出されて、玄関の鍵が閉まる音がした。それ以来、私は玄関先に立ち尽くしている。
夜の雪は音が無い。暗い天蓋から溢れて辺りを埋め尽くす有様はまるで墓場の様だ。今は青い月さえも厚い雲に覆われている。薄暗い視界で見る雪は骨みたいな白さだ。このままあと数時間もここに立っていれば、私は夥しい骨に埋もれて、命を終える事が出来るだろう。そうすれば骨の雪は文字通り墓場となる。

しおらしい態度で反省の弁でも述べれば、家に入れて貰えた事だろう。でも、理不尽な暴力にどうしても屈する事が出来ない性分だった。一度はあまりに腹を立てて、二重玄関の外側の硝子戸を素足で蹴り割って家に入って行った事がある。その時は私の余りの剣幕に祖父母も気圧されて閉口していたのを思い出す。余程驚いたのだろう、玄関扉が大破したというのに咎められる事も無かった。冷静になって思い返せば、割れ硝子で大怪我をしてもおかしくなかったというのに、火事場の馬鹿力だろうか、脛を擦りむいた程度で怪我もしなかったのは自分でも驚いたものである。

今回も、そうしてやっても良かったのだけれど一切身を案じられていないと言うのが酷く癪に障って外に居てやろうと意地になっていた。

音が聞こえる。静寂を裂くのはどうやら話し声の様だった。俯いていた顔を上げると、道路には疎らな人影が見て取れた。玄関先から道路までは数メートルだ。こちらが気付いた様に、向こうもこちらに気付いた。防寒着で着膨れした子供と一瞬だけ視線が交わった。

子供は手に鯣を持っていた。そして、頻りに母親にさいのかみ、さいのかみと言っている。

ああ。今日は歳の神なのか。小正月に神棚の飾りや供え物をお焚き上げして五穀豊穣や無病息災を願うのだと言う。歳の神の火に当たると、病気にならないのだと聞かされた。そして、その火で鯣や餅を炙って食べるのだ。

私もちょうどあの子供位の頃――まだ家族が壊れて居なかった頃――に連れられて行った記憶が蘇って来た。その時は、私も鯣を持っていた。

鯣を持った子供は母親の袖を掴んでからこちらを指差して「あの人寒そうだね」と言った。母親はこちらを見て僅かに驚いた顔をしたので私は曖昧な表情で見返す他無かった。

いつまでも根を張っていたのでは本当に凍えてしまう。私は自分に積もった雪を払い落してから、疎らな人影の後に付いて行く事にした。お焚き上げをするならば、暖が取れると思ったからだ。

牡丹雪が降り積もる道を暫く歩いて行くと、赤々と燃え盛る火焔が目に飛び込んで来た。燃え盛る炎を黒い影の様な人々が囲んでいる。近付くと、火が爆ぜるぱちぱちとした音が耳に心地良い。ごうごうと燃え盛る様子は荘厳で、清浄な心持ちにさせる。

冷え切った手を暖めようと、火に手のひらを近付けてみた。火花が爆ぜて、灰が私の手の甲に舞い落ちて来た。真っ白な雪、影の様に黒い人々、赤々と燃える炎。そして、燃え尽くした後の灰。

何だか酷く儚い気持ちになった。

――千年後に、またな。

「え?」

辺りを見回してみるが誰もいない。空耳か幻聴か思案して僅かばかり放心していた。

「ねえ君、寒くないかい?」

振り返ると、男が立っていた。気配も無く忍び寄られて脈が乱れた。突然の声掛けに口篭っていると、私が訝しんでいると受け取ったのか、男は名を名乗り、身分を明かした。

「左近哉(ハジメ)。私はそこの神社の宮司をしている者です」

左近と名乗る男は牡丹雪が溢れる冬天の下、私が防寒着も無く薄着であったことを見咎めた様だ。だから私は鍵をかけられて家に入れてもらえない事を正直に述べた。

「とにかく、社務所で温かい飲み物でも如何です?」

それから彼は私が警戒心を剥き出しにする前に「君も私の事を見掛けた事あるでしょう?家も結構近所だし」と先回りをする。交流は無いものの、確かに見覚えは有る。私は取り敢えず警戒心を解いた。

神社の社務所には常夜灯が点っていた。

学窓会の紫星宮という所で、君みたいな家庭事情の子を保護しているんだ」

檸檬茶が揺蕩う螺鈿細工のカップを弄んでいると、左近さんが本題を切り出した。

「左近さんが助けてくれるんですか」
「私は仲介するだけなんだ。すまないね。君を保護してくれるのは橘右近と言う人物だ」

冷める前にお上がり、と言われて一口嚥下すると、檸檬の香の後に蜂蜜生姜の風味が残る。私が絢爛な螺鈿から、檸檬茶の湯気越しに左近さんの背後に置かれた昆虫標本に視線を移した所で「もし君が望むならだけれど」と左近さんは判断を委ねて来た。ピンで刺し留められて二度と動かない烏揚羽が一際目を引いた。

「お願いします」

私は間髪を入れずに提案を聞き入れた。思案するまでもない。近所の大人達は何が起こっているか知っているか、知らずとも察しては居る筈である。それを見て見ぬ振りをする傍らで、祖母が言い触らす私が瘋癲だと言う戯言を真に受けているのだろう。もう、うんざりだ。

――私はそれから暫くして橘右近と言う人物の手引きで故郷を離れ下北半島の恐山へと渡る。


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