Lonley boy

「いらっしゃいませ」

胸に"我妻"のバッジをつけて、入店してきたお客様に笑いかけながら、聞き取りやすい声量を意識してひと言。その後も店内を回遊する様子を、威圧感がないようつかず離れず見守って、タイミングを見計らって声をかける。あくまでもフランクに、押し売りになるような言葉は避けて。そうして他愛もない話をしているうち、短時間でもおおよその人は俺に信頼を置いてくれ、欲しかったもの、そしてプラスアルファで数点の買い物をし、上機嫌で店を去っていくのだ。

「我妻くん、今日もありがとねえ」
「いーえ、俺のほうこそ、いつもありがとうございます」
「旅行に着て行くね、お土産買ってくるからね!」
「あーだめだめ、そんなのいいから! 楽しんできてくださいね。あ、お土産話は聞かせてくださいよ?」
「うん、そうね、また来るからね!」



大手アパレル企業に入社して、今年で3年目を迎えた。俺が働くのは、メンズとレディースの商品が同フロアに置かれた、ユニセックスを売りにしたブランド。ブランドのオリジナル商材はもちろん、海外からの卸しの商品も取り扱う、いわばセレクトショップの、都内の路面店。旗艦店ということになる。

学生時代から服が好きだった俺は、特に他にやりたいこともなかったので、とりあえず販売員として数年は働こうと決めていた。外から見ればきらびやかだろうし、まわりから羨望の眼差しを受けることも多々あるが、アパレル販売員というのは実際はかなりの体力仕事だし、個人の成績がすべてと言っても過言ではない。

ただ、俺はある程度そういうことも覚悟した上でこの仕事を選んだ。競争が好きだとかそういうわけじゃあない。人と話すことは嫌いじゃなかったし、なにより根底にあったのは、"服が好き"という気持ちだった。逆に、それ以外に、俺の気持ちを突き動かす要因というのは、てんで見当たらなかった。


入社してからの仕事の成績は、想像以上にすこぶる良かった。これはかなり狡いとは思うけど、俺は耳がいいので、音でなんとなく人の感情が読める。声をかけてほしい人、ほしくない人、それくらい判別するのは朝飯前だった。さらに、まだ何か欲しがっているとか、そうじゃないとか、それもわかってしまう。どう考えても他とは違うこの耳のことを、ともに働く仲間には、話したことがなかった。

入社二年目に突入する頃には、俺の個人売り上げの成績は全国の店舗で一位を取れるまでの数字になっていた。これは本当か知らないが、俺のファンクラブが存在しているらしいという話も風の噂でやってくる。もちろん顧客も大勢いた。その年齢層は幅広く、同世代くらいの若者から、いわゆるマダム世代、果てはシニア世代ですら、俺を信頼してくれて、俺から買い物をしたいと、望んでもらえるようになっていた。

その頃くらいから、自分でも様々な局面で箍が外れてきていることを薄々と感じていた。無論、仕事を蔑ろにしたりすることはなかったが、俗に言う天狗状態だったのだと思う。一人だけ飛び抜けて成績が伸びる俺を妬む同期ももちろんいたし、居心地の悪い思いも何度かした。ただそれ以上に俺を慕ってくれる存在が増えて、しばらく彼女は作らず、言い寄ってくる同業者や、美容関係の仕事をしている女の子と遊ぶことが増えた。

お互いに酒に酔ってそのままホテルへ持ち帰り、朝まで抱きつぶした挙句、抱いたのだから付き合ってほしいとせがまれ、その後連絡を絶ったり。彼氏とうまく行かないという女の子の相談を聞き、何なく言いくるめて家に連れ込んで、満更でもない様子を見て背徳感に包まれながらセックスをしたり。我ながらひどいことをしているなあとは思ったが、それらすべて、ただの天狗状態から来るものではないこともわかっていた。

俺は、なんとなく満たされなかったのだ。好調な仕事の成績をさらに伸ばすために、耳が良い以外にもちろん努力だってしていた。顧客ごとの購入履歴は細かく記録して、次回来店時に提案するアイテムだってきちんと計画を練っていたし、それは確りと成績にも反映される。それで、万事問題ないはずなのに。

仕事以外、何もうまく行かなかった。何となくこの耳に引け目を感じて、同僚とも深い関わりを持ちづらかった。もちろん、軽口を叩いたり、くだらない話で笑い合ったりはしたが、仕事の話となると、無意識に厚い壁を作ってしまっていたのだ。

恋愛もそうだ。言い寄ってきてくれる女の子はもちろん引く手数多だったが、みんな俺の立場や見てくれにしか、興味がない。


求められているのはどこでだって、いつだって、"我妻善逸"ではなく、"カリスマ販売員の俺"だった。ああ、そうか、満たされない原因はこれだったのか。それに気づいたとき、なんだか目の前が真っ暗になった気がして、そして同時に吹っ切れた。


──今のままじゃだめだ、立て直そう。

そう思って一念発起したのだが、癖づいた様々な性質が邪魔をして、進むべき道は、前途多難としか言いようがなかった。

< BACK >
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -