夜が明けたら離してやらない


※現パロ、社会人設定
※「*」で視点が変わります




「もう!だから俺飲み会やだって言ったのに!」

善逸がおおきな声を出している。頭がすごくふわふわするし、なんだか耳も遠い気がして、彼の声がよくきこえない。なんでこんなことになったんだろう。なんでわたしは、善逸に抱きしめられているの?



わたしは、お酒が飲めない。下戸なのだ。

社会人として世に出て働くようになって、どうやら会社という組織は飲み会が必要不可欠らしく、さまざまな機会にかこつけて開催される。歓迎会や送別会はもちろん、決算お疲れ様会、特定の人のお誕生日のお祝い、人数が集まりそうな金曜の夜にゲリラ開催される飲み会…まだ入社して2年目のわたしは、ほとんどに強制参加させられていた。けれど、冒頭で話したとおり下戸なので、参加しても飲むのは烏龍茶かジンジャーエール、もしくはノンアルコールの梅酒。もちろんずっと素面のまま。どんどんと声が大きく饒舌になり、見るからに上機嫌になっていく上司や同僚を、いつもなんとなく傍観するだけだった。

正面に座る人の声を聞き取るのもやっとなほどにがやがやと賑わう居酒屋の店内に、今日集まったのは同じ部署の10人ほどのメンバー。会社自体もそんなに大きくはないけれど、少人数で集まる機会のほうが、まだ気疲れしなくて済むな、とちょっと安堵しながら、周囲に注文を聞いてまわる。2年目はこういう場では忙しいのだ。

わたし以外が全員ビールを頼む中、わたしだけはカルピスソーダを注文した。「一口くらい飲めばいいのにぃ」と野次が飛んでくるが、苦笑して交わす。飲めたら飲んで、あなたたちと同じくらいのテンションになれたほうが、楽しいんですけどね、とちょっと棘のある感情はそっと隠して。

わたしが下戸を自称するのには、二つ理由があった。20歳になって初めて、ほんの一口、二口のお酒を嗜んだとき、心臓が驚くほどのスピードで脈を刻み始め、頭のなかまでが激しく音を立て、これ以上飲んではいけないと危険信号を出されたから。けれど、そりゃあ初めての飲酒なので、今思えば別に特異なことでもなかったはず。ただ、それからは自らアルコールを欲することがあまりなかったので、もともとそんなに好きではないのだと思う。

もう一つ、これが飲酒を避ける理由の大半を占める。わたしには、とんでもなく心配性な彼氏がいる。その彼に、「飲み会は付き合いとして仕方ないけど、本当にお酒だけは飲まないで」と縋るようにお願いされているからだ。多分、わたしが酒豪だったら、彼は飲み会自体を禁止していたと思う。そのくらい心配性で、でも優しくて、大好きな彼の渾身のお願いを、わたしだって破るつもりはさらさらない。

「「「かんぱーい!」」」

複数のグラス同士がぶつかって、カチンと音を立てる。次々と運ばれてくるおつまみを皿の上にバランスよく並べながら、わたしもカルピスソーダを口にした。最近突然暑くなったので、強炭酸が五臓六腑に染み渡る。おいしい。思わずごくごくと喉を鳴らしながら、グラスの半分くらいまで飲み干してしまった。

上司の熱い仕事への思いに相槌を打ちながら、カルピスソーダをさらに飲み下す。お酒のペースが早い上司は、お手洗いの回数も多い。空になったグラスを置いて席を外したので、店員を呼んで追加のハイボールを注文した。

上司がお手洗いに消えた束の間の時間、掘りごたつ式のテーブルの下に隠れた太腿の上、置かれたスマホを覗き込むと、『迎えにいくから時間わかったら連絡してね』『絶対飲んじゃだめだからね!』という彼からのメッセージが表示されている。今日は金曜なので彼だって仕事のはずなのに、優しさと申し訳なさで眉尻が下がる。

ぽちぽちとスマホに触れて返信を作っていると、手元に影が落ちて、「飲んでるー?」と隣に腰かけられた。それなりに仲の良い、同期の女の子だ。

「カルピスソーダだけど飲んでるよ」そう言おうと思って頭を上げた途端、ぐらりと視界が揺れた。あれ、そういえばとても顔が熱いような。ふと自分の手元に目をやると、腕の関節まで心なしか赤い。でも、わたしが頼んだのはカルピスソーダでは?眉間に皺を寄せながら考えた。わたしの異変に気づいた同期が言う、「もしかしてお酒飲んだ?」と。どくどくと音を立て始めた心臓に、異常なほどの焦燥に駆られながらなんとか首を傾げた。彼女の表情もまた、わたしと同じくらい怪訝そうなもので、気がついたときにはわたしが飲んでいたカルピスソーダに手を伸ばしていた。そしてわたしは、衝撃の事実を知ることになる。

「これアルコール入ってるよ」

その言葉をきっかけに、全身の血の巡りが濁流の如くスピードを上げていくのがわかる。まずい。目眩のようなものがする。やっぱりわたしはお酒に強くなんてない、下戸なんだ。ああ、それより善逸と約束したのに、お酒を飲んでしまった。さいあくな女だ。彼に返信をしようとしていたスマホを持ち上げ、表示されたメッセージのやりとり欄に、なんとか「のんじゃった」とだけ打ち込んで、そこでわたしの記憶は途絶えた。



*



今日は一日そわそわして仕事に集中できなかった。なんでかって、愛しの彼女が飲み会だから。こういう機会は別に少ないわけじゃないし、むしろ彼女の会社は飲み会の回数が多いように思う。つまり俺は、結構な頻度でそわそわしているということ。もう、こういう日に限って、もともとなかった雑務が発生する!この野郎!と、音を立ててキーボードを強く叩く。

与えられた雑務を、驚異の集中力で終えた。さっきまでのそわそわはどこへ行ったのやらというほどに、こういう時の俺はめちゃくちゃできるやつだ。

一息ついて、よし帰ろうとスマホの画面を覗くと、『のんじゃった』という文字列が目に入った。その上には"なまえ"と彼女の名前。思わずまだオフィスにいるにそれなりの声量で「はあ?」とはっきり言ってしまった。周囲の視線が痛すぎて、慌てて謝罪して会社を後にしながら、すぐなまえに電話をかけた。数コール鳴った後、電話が繋がる。がやがやと賑わう音が一気に耳へと入り込んでくる中、なまえの声を拾い上げようと「ねえ大丈夫!?」と問いかけると、『あ!彼氏さん!?』と彼女のものではない女性の声が聞こえた。

「そうですけど…あの、お酒飲んじゃったんですか?」
『そうなんです!体調悪い、とかじゃないんですけど大変なので!っ…わあ!迎えに来てあげてください!』
「た、大変?どう大変なの?大丈夫なの?」

冷や汗がどんどん出てくる。なまえはお酒が飲めないし、飲まないって約束もしていたのに。自ら進んで約束を破るようなことをする子じゃないから、不本意な結果なんだろうけど、心配すぎて思考がショートしそうだった。とりあえずお店の名前を聞いて、電話をしながらタクシーに乗り込む。運転手にお店の名前を告げると、電話口から愛しいなまえの声が聞こえた。

『ぜんいつ〜?』
「ちょっ…なまえ!善逸だよ、そうだけど!大丈夫なの!? なんでお酒飲んじゃったの…」
『わかんなぁい…ぜんいつ、迎えにきてくれるの?』
「うん、行くよ、すぐ行く、すぐ行くから待っててね」
『へへ、だいすきだよお』
「もう…嬉しいよ、嬉しいけどやな予感しかしないよ俺はあ…」

冷房の効いた車内なのに、汗をかきすぎてYシャツがじっとりと湿ってしまった。早く、早く店に着いてくれ。それだけを祈りながら、なおも電話口で甘い言葉を囁くなまえの声に耳を傾け続けた。



お店に着くと、なまえは見知らぬ女の子に抱きついていた。
その顔は今まで見たことないくらいに真っ赤で、顔だけじゃなくて、うなじや鎖骨、果ては腕まで赤く染まっている。そして、今まで見たことないほど、蕩けた顔をしていた。これは、かわいすぎて、これ以上は一瞬たりとも他の男に見せるべきではない。今すぐ連れて帰ろう。

眉間に皺を寄せる俺を視界に入れるなり、なまえが「あっ!」と目を輝かせたので、抱きつかれていた見知らぬ女の子は、助かった、というような表情を浮かべていた。彼女の声につられて、周囲にいた複数人の視線が俺に注がれる。
やめて、そんなに見ないで。
申し訳程度に会釈をして、もう今すぐにでも彼女を連れて帰りたかった俺は、しゃがみ込んでなまえと目線を合わせ、諭すようにして告げた。

「こら、なまえ離れなさい、困ってるでしょ」
「ぜんいつ、迎えにきてくれたの、好き」
「………」
「ねぇ、おさけ、飲んじゃったからきらいになる?」
「…ならないよ。ならないから、ほら、帰ろ」
「ぜんいつ…やだぁ…」
「な、なに!? やだ!? なんで!?」

なまえはあろうことか、俺のシャツを握り締めながらしくしくと泣き始めてしまった。
知らなかったなあ、飲んだら泣き上戸になるの?

そして俺たちのやり取りにはずっと、会社の人たちから、刺すような視線が注がれている。泣き出してしまったなまえを宥めようと頭に手を伸ばしたら、「だきしめてくれないとやだ」と言われた。その言葉に、俺もそうだけど周囲の空気が変わったのを、なんとなく感じる。
ほんとにやめて、そんなに見ないで。
相変わらず彼女は泣いている。仕方ない。仕方ないんだよ、だって泣かないでほしいから。脳内でめちゃくちゃ言い訳をしてから、俺に縋り付くなまえをぎゅっと抱きしめると、彼女の涙が止まった。

うしろから「ヒュー!」という声が聞こえる。この酔っ払いが、しかもお前男だろ、せめて冷やかすなら女の子にしてもらっていい!?

顔が熱くなりすぎて、気がついたら「もう!だから俺飲み会やだって言ったのに!」と叫んでしまっていた。背後の気配がちょっとだけ凍ったのを感じながら、抱きしめたなまえを視線から守るようにして、周囲の人々に頭を下げた。

「今日は帰らせていただきます」

それだけ告げて、なまえを立ち上がらせる。ふらふらでへにゃへにゃだけど、歩けないほどではないみたいなので、このままタクシーに乗り込んで家まで連れ帰ろう。優しく肩を抱くと、「ぜんいつ」と蕩けた声で名前を呼ばれたけど、家に帰ったらたっぷり構うから、ちょっと待っててね。

店を出る直前、なまえに抱きつかれていた女の子が教えてくれた。カルピスソーダを頼んだはずが、カルピスサワーが出てきてしまっていたことを。彼女は悪くないからと、わざわざ。まあ、そんなことだろうとは思っていたけど、ほっと胸を撫で下ろした。



タクシーに乗り込んで数十分ほどで、なまえと2人で暮らすマンションの前に到着した。車内でのなまえは、早く家に着いてくれと願わずにはいられないほど甘えたで可愛くて、俺までおかしくなりそうで。同時に、運転手さんごめんなさいという気持ちでいっぱいだった。

覚束ない足取りのなまえの手を優しく引いて、がちゃりと音を立てて部屋の扉を開ける。電気のスイッチを押して辺りが明るくなると眩しそうに目を細め、それから俺のほうを見て嬉しそうに笑って、首に腕を回して抱きついてきた。
今までなまえから嗅いだことのないアルコールの匂いに頭がくらくらする。このままずっといちゃいちゃしてたいよ、俺だって。でも靴もまだ脱いでない。一旦なまえを玄関マットの上にそっと座らせ、履いていたパンプスを脱がせてやる。
「だっこ」と両腕が伸びてきて、その破壊力は想像を絶するような凄まじいものだったけど、なんとか堪えた。そのまま姫抱きにしてベッドまで連れていき、優しく横たえさせる。サイドテーブルには、冷たい水を置いて。

きっと仕事着のままじゃ気持ち悪いだろうから、着替えさせられるところは着替えさせた。下着とか、まあその他もろもろはさすがに今手を出せないので、そのままだけど。

「なまえ、気持ち悪くない?」
「きもちわるくないよ…ぜんいつは寝ないの?」
「…寝ないよ。お前が寝るまで、こうしててあげる」

お酒で赤くなった顔と、とろんと蕩けたような瞳。まるで情事を思わせるその表情に、一緒にベッドには入れないなと思った。少しだけ汗をかいたなまえの前髪を優しく撫でながら、「ねんねしようね」と赤子にするように話しかける。すると、俺が前髪を撫でる手を彼女がきゅっと握ったので、「なあに」と優しく訊ねた。

「…ちゅーして」

小さく溢れた言葉。もう、しんどい。しんどすぎて俺泣いちゃう。
でもかわいいなまえのおねだりだから、叶えてあげるしかない。繋がれた手を、俺の頬に添えて、愛おしむように摺り寄せる。今度は顔を寄せて、なまえの瞳が閉じられたのを確認してから、柔らかくてあったかい唇に俺の唇を重ねた。
あ、カルピスの味がする。

ちゅ、と控えめなリップ音が部屋に響いて唇を離したけれど、すぐ近くにあるなまえの顔があんまりにもかわいいものだから、吸い寄せられるようにもう一度口づけてしまった。かわいい、すき、俺以外にこんな姿、一瞬も見せたくない。啄むようなキスを何度か繰り返して、ぺろりと唇を舐める。なんとか理性が勝って、それ以上は我慢した。

「ちゅー、したよ」
「…いっぱい、ありがと」

なんて嬉しそうな顔をするんだろう。彼女の体内のアルコールが俺にも注がれたのかと思うくらい、体の内側からぼっと熱くなり、思わずサイドテーブルの水に手を伸ばした。

「…善逸、ごめんね」

なまえは、今度は眉尻を下げて、申し訳なさそうな顔をした。アルコールが抜けてきたのか、意識が少しだけはっきりしてきたらしい。

「おさけ、のんじゃった…」
「…しょうがないけど、でもやっぱり心配だな」

だってお酒を飲んだなまえは、びっくりするくらいに可愛い。今回みたいなことがもし今後もあったとして、女の子じゃなくて男に抱きついたりでもしたら。想像するだけで、身の毛がよだつ思いだった。
だめだなあ俺はと思ったけど、でもどうしようもない。俺だけのものであってほしい。本当は、もうずーっとこの腕の中に閉じ込めておきたいくらい。

「もうこんなかわいい姿、俺以外に見せちゃダメだからね」
「…うん…ごめんね…」
「飲み会も本当は行ってほしくないけどさあ…それでなまえが付き合い悪いと思われたら、それはそれでやだから…」
「…やさしいね、ぜんいつは」
「いや優しくないよ!?本当は行ってほしくないって思ってますし…」

口籠る俺を横目で見ながら、なまえはゆっくりと目を閉じた。長い睫毛が伏せられて、幸せそうな寝顔に変わる。

何度も言うようだけど、初めて見る酔っぱらったなまえの姿は、それはそれは可愛かった。超がつくほど心配性の俺には、同時にまた一つ心労が増えてしまったけれど、もう子供じゃないから、わがまま言ってらんないよな。

ああ、そして、無自覚にしても散々煽られて放置される俺、可哀想。当然のことながら色々と悶々するよ。すやすや気持ちよさそうに寝ちゃってさ、かわいいから、なんだって許しちゃうんだけど。

明日の朝なまえが起きたとき、みんなの前で俺に甘えて抱きついて、タクシーの中でも所構わずキスをせがんで、家に帰ったらだっこを強請ってたよって、そういうの全部伝えたら、どんな顔するのかな。きっと顔を真っ赤にして、声にならない声を発するんだろう。本当にかわいくて、やっぱり誰にも見せたくない。

赤い顔をして眠るなまえの寝顔を見つめ、頬を優しく撫でてから、額にそっとキスを落とした。

早く、夜が明けないかな。



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