心の花


※学パロ、高校生。キメ学ではないです。名前はありませんが、モブキャラが出てきます。



当たって砕けろ、とはよく言うけれども。それで長年の片想いがまさか成就するだなんて、3年前の俺が知ったら、もっと早く教えろよって喚いたことだろうと思うよ。

高校に入学してなんとなく入った軽音部で、なんとなく耳のよかった俺はバンドを組んでボーカルをやったりして、たまに屋上でさぼりつつも毎日の授業もなんとなく受けて、そんなに苦労することもなく、なんとなく行きたい大学も合格圏内。全部なんとなく。我ながら、もうちょいなんかないのかよ、とは常々思っていた。


でもなんとなく過ごした3年間、たった一つだけ、なんとなくじゃない気持ちもあったよ。


クラスは違ったけれど誰もが振り返る絶世の美女が、同じ学年にいた。みょうじなまえちゃん。名前まで可愛いんだよなあ。

いわゆる高嶺の花的な存在で、俺のようなへっぽこじゃ声をかけることすらままならないような、燦然たるオーラを纏った女の子。まず、髪の毛がすごく綺麗なんだ。細くて柔くて、まるで花弁の葉脈のように透き通る栗色の髪の毛。もちろん瞳もぱっちりと大きくて、睫毛もいつもくるりと上向いている。男の俺でもほとんど化粧っ気がないことがわかるくらいに、いつ見かけてもナチュラルメイクだった。素材が良いので、きっと何もしなくてもとびきり可憐なんだろう。肌にあまり色を乗せない代わりか、彼女の唇はいつも色んな色で縁取られていた。白桃のようにほんのりと薄く色づいた色白な肌にはそれがすごく印象的で、広く目映い雪景色の中にぽっと咲く、力強い花のようだなって、俺はいつも思っていた。

細かく見すぎだろ、気持ち悪いよって? 悪うござんしたね!

俺は、彼女が好きだったんだ。3年間ずっと。理由はそりゃ、一目惚れだよ。でも彼女は先述の通りマドンナ的な存在だったから、ずっと彼氏がいた。いた、というのは実際に姿を見かけたとかではなく、風の噂で聞くところによると、相手は年上で、大学生の男らしいという話だった。

ふうん、なんだ、そっか。そうなると俺みたいな腰抜けが入る隙はどこにもないよな。俺なんて、彼女の視界に映ることができればラッキーくらいの、どうしたってなんでもない存在だからさ。


本当に、そう思ってたんだけどね。



高校3年の秋頃、彼女に関してこれまでとは違う噂が流れるようになった。学年で彼女のことを知らないやつはいなかったから、移動教室へ向かう廊下でも、同じクラスのやつらの昼休みの雑談でも、1日に1回はその話題を耳にする。

「ねえ聞いたー?なんかやばめの男と付き合ってたらしいじゃんか」
「聞いた聞いた!かわいいけど意外とそういうとこあんのかな?」
「ちょっと幻滅っていうか…やっぱさ、生きてる次元違うしうちらにはわかんないよ」

「あいつ、実はビッチなんじゃん」
「えー俺らでも押したらいけるのかな?」
「バカやめとけって!相手大学生だったんだろ?大人の男が好きなんだよ」

正直、胸糞悪くて耳を塞ぎたかった。誰がどこから聞いてきた話か知らないが、彼女が付き合っていた男が実はものすごく女癖が悪いやつで、もつれてひどい別れ方をしたとか。その噂に、彼女自身がとばっちりを受けていた。そんな男と付き合うなんて、じゃあ彼女も意外とそういう子なんじゃ?という短絡的な思考にまず腹が立つが、その前にこういう噂を持ってくるやつ、どこから聞いてくるんだよ。そんで、なんで全部鵜呑みにするわけ?彼女見てたらわかんないのか、そういう子じゃないってことくらい。

俺には聞こえていた。彼女の、澄んだ音。いつもその愛らしい唇を縁取っていた色と同じように、はっきりと、凛としている。音に色はないはずなのに、色をつけるのなら薔薇の花のような赤かな。真っ直ぐで迷いのないその音は、それだけで彼女が純真無垢なことを示すには十分だった。



人の噂もなんとやらで、しばらく経てば彼女に関する目に角を立てたくなるような噂も、耳にする機会は減っていた。一度は胸を撫で下ろしたけど、あれから校内でたまに見かける彼女は、明らかに元気がない。

ある日、体育の授業に向かう途中、彼女とすれ違ったときにいつもの澄んだ音がしなくて、代わりに頭から水をかぶったような悲しい音が聞こえた。表情もやっぱり、元気がない。どうしても気になった俺は、隣にいた友人に「ごめん、腹痛いからトイレ」と告げて、こっそり彼女の後を追いかけた。

彼女が向かった先は女子トイレだった。あ、そうか、お腹痛かったのかな、ていうかよく考えたら俺ストーカーまがいのことしてる!?と自分の行動にショックを受けていると、トイレ内から声が聞こえてくる。それは、彼女の柔らかい声ではなかった。

「あんたさあ、どういうつもりで付き合ってたの?あたしが好きなの知ってたよね」

それは、派手好きで気が強いことで、彼女と同じくらい学年では有名な、俗に言う金髪ギャルの声だった。お前も金髪だろというのは今話すことではなくて、どう考えても棘のあるその台詞に、俺はいつも以上に耳に全神経を集中させる。

「…ごめんなさい。わたし、なにも知らなくて」
「は?そんなわけなくない?しらばっくれるのやめてもらっていい?」
「でも、本当に、なにも…」
「ちょっとかわいいからって調子乗んなよ」

ギャルの舌打ちが聞こえた。ガシャン、とバケツがひっくり返るような音も。彼女から聞こえていた悲しみの音は、恐怖の音に変わってどんどん大きくなる。そして、「っ…」という息を飲むような声が聞こえてくるのとほぼ同時に、俺は騒音を立てて女子トイレの扉を勢いよく開けた。

「…は?なにやってんの?ここ女子トイレなんだけど」

そう言って、長い付け睫毛で囲われた目で俺を睨むギャルの手は、彼女の柔らかな髪を1束掴んでいた。俯いたまま抵抗する素振りも見せない彼女の姿に胸がつかえるような感覚になる。同時にふつふつと確実に湧いてくる怒り。ここが女子トイレだからなんだよ、それより大事なことが今はあるだろ。自分にもギャルにもそう投げかけながら、彼女の髪を引っ張る細っこい手首をぐっと掴んだ。

「…離せよ」
「ちょっと痛いんだけど。てか誰?あんたに関係なくない?」

尚も強気なギャルの手首を、さらにぎゅっと強い力で握る。俺がいくら何でもない男とはいえ、力は女の子より確実に強い。低い声で言葉を紡ぎながらぎろりとギャルを睨むと、ほんの一瞬だが瞳に怯んだ色を映したので、「離さないなら俺ずっとここにいるけど」と告げる。ギャルはまた舌打ちをした。よくわからないけれど暴言を吐きながら彼女の髪から乱暴に手を離し、踵がぺたんこになった上履きを引きずって、トイレから姿を消した。

自分の心音が、うるさい。めちゃくちゃ強いやつみたいに凄んでみたけど、こんなことをしたのはもちろん初めてで、ギャルの手首を掴んでいた手はぷるぷると小刻みに震えていた。本当、俺って格好わるい。

でも今は、自己嫌悪の沼に陥っている場合ではない。目の前の彼女の肩は、もっとかたかたと震えていた。またぎゅっと胸が締め付けられて、「…だい、じょうぶ?」とひ弱な声でしか問いかけられない。

「あ、あり、がとう…」

そう言って彼女は俯いていた顔を持ち上げた。大きくて丸い、髪と同じ柔らかな栗色の瞳がこちらを見ている。どきんと心臓が音を立て、思わず「あ」と声が出てしまったのは、その瞳が透明な涙でいっぱいだったからだ。
一度瞼が降ろされたと思ったら、長い睫毛までしっとりと濡れていて、化粧っ気のない瞳から涙が止めどなく溢れ出す。我慢していたものをすべて流して吐き出すように、彼女はわんわんと声を上げて泣いた。俺は、彼女に優しくしたい気持ちだけはおさえきれないほどあるのに、触れることがどうしても憚られて。ただ彼女を見つめて眉尻を下げるだけの、やっぱり格好悪い男にしかなれなかった。


彼女の泣く声を聞きつけた近くの教室の教師たちが、何事かとわらわらとトイレへと駆け寄り始める。お前授業はどうした、何で女子トイレにいるんだ、というか泣かせたのかと疑われ、こっぴどく叱られたのは、もちろん俺だよ。



翌日から学年中、いや学校中に流れる噂は、また形を変えていった。我妻はさながら正義のヒーローだったらしい、金髪ギャルへの生徒指導がやばいらしい、女同士の戦い怖い。別に俺のことならなんとでもどうぞという感じだし、彼女に関する悪い噂が耳に入ってこなくなって、俺は満足していた。


満足していたから、ほんのちょっとだけ心に芽生えた新しい感情には、蓋をしていた。

満足していたから、噂がまたすぐに形を変えるとは、思っていなかった。


それから数ヶ月経って、なんとなくの軽音部の活動を終え、他のメンバーと一緒に下駄箱で靴を履き替えていたときのこと。突然、愛しい彼女の声が聞こえた気がした。
空耳かと思って辺りを見渡すと、そこには両手を胸の前できゅっと握りしめた彼女の姿。そしてなんと「我妻くん」と俺の名前を呼んだのだ。突然のことに動揺しすぎて顔から火が出そうになる俺に、もちろん俺からの話も噂も毎日耳にしている友人たちは「やべっ俺用事思い出した!」「あ!俺も!」と口々に溢しながら、あっという間に姿を消していった。

放課後、人影の少ない下駄箱で、彼女と2人きり。俺の心臓はこれまで生きてきて確実に一番大きな音を立てていた。うるさすぎて彼女の音が聞こえない。ちょっと静まれ、ていうか何か喋れよぉ!情けなすぎだろ俺!

「この間は本当にありがとう」

ひとりで馬鹿みたいな葛藤を繰り広げる俺に、彼女は深々と頭を下げた。揺れる茶髪はやっぱり絹のように美しい。旋毛までかわいいな、ともはや意味不明なことを考えながら「あれからはもう大丈夫?」と聞いた。

彼女は笑って頷いた。ああ、よかった、いつもの愛らしい笑顔だ。本当にかわいい。こんなに近くで彼女の笑顔を見られるだけで、今日まで生きていてよかった。だから、「よかったら一緒に帰らない?」と言われたときには、あ、明日あたり俺多分死ぬわ、と結構本気で思った。



帰り道、彼女は色んな話を聞かせてくれた。やっぱり聞こえていた音の通り、全然飾らなくて無垢な子だった。ひどい別れ方をしたらしい相手の大学生の男は、彼女のそういうところにつけ込んだんだろうか。腹が立つ。箪笥の角に小指をぶつけて転んだ挙句、背中にダンベルでも打ち付けてしまえ、くそが。

心の中で悪態を吐いていると、ぽつぽつと雨が地面を叩く音が聞こえ、鼠色のアスファルトに黒い色が落ちていく。なんてタイミングの悪い雨だろう。そしてどんどんと雨足は強くなる。もちろん傘なんて持ち合わせていないので、俺は慌ててブレザーを脱いで隣の彼女ごと覆うようにして雨を避ける。

突然近くなった距離に、また心臓は驚くほど騒ぎ立てていたけど、とにかく雨宿りをしなければ。急ぎ足で、雨を凌げそうな場所を探した。



「急に降ってきちゃったね…」
「うん…寒くない?大丈夫?」

寂れた商店街で見つけたお店のシャッターの下で、彼女と言葉を交わす。いつも羽のようにふわりと揺れている柔らかな髪は、雨に打たれて艶っぽくなっていた。これは、まさに、水も滴るなんとやら。中に着ているYシャツも、濡れてほんのりと透けている。目のやり場に困った俺は、雨を凌ぐために脱いでいたブレザーを、胸元を隠すようにして彼女の肩にそっとかけた。次々と湧き上がる雑念を振り払うように頭をぶんぶんと振ると、俺の髪についていた水滴が顔にかかったのか、彼女が「わっ」と声を上げた。

「わ、ご、ごめん!」
「…ふふ。だいじょうぶだよ、我妻くんわんちゃんみたい」

髪だけではなくその白い肌にも水滴が落ちて、やっぱり妙に色っぽい。すっと細められたおおきな瞳は確実に俺のことを見つめていて、いつもみたいに綺麗な色で縁取られた唇はゆるく弧を描いて。彼女の瞳に映ることを許されるだけではなく、こんなにも優しい顔で俺を見つめてくれる日が訪れるなんて、誰が想像できただろう。信じられる?あの日、トイレまで彼女を尾行した気持ち悪い俺に、めちゃくちゃご褒美を与えたい。

そして迫り上がってくる、好きだと言ってしまいたい気持ち。もう半分くらいばれてるだろうし。もうすぐ高校生活終わるし。ほら、当たって砕けろ的な?

俺は彼女が本当に好きだから、彼女が幸せならそれでよかったんだ。だから彼氏がいるなら俺なんかよりそいつが幸せにしてくれればいいと思っていたし、想いを伝える気は三年間ずっとなかった。でも彼女のことを幸せにするはずだったそいつが最低な奴だと知って、そしてそのせいで嫌な思いをする彼女の姿を見て、少しずつ、本当に少しずつだけど、欲が顔を出してしまっていた。

さっきの下駄箱での心音を余裕で超えてくる、全身が心臓になったかのような俺の音。いつもなら聞こえる彼女の澄んだ音も、やっぱり何も聞こえない。
もちろん彼女の気持ちなんて、少しもわからない。


それでもいいやと思った。


俺は知らない。

愛の伝え方も、好きと伝えたあとのじょうずな愛し方も。
でも変わりたい。
彼女を守れる存在に、俺がなりたい。
きみのそのまなざしに、刺さりたい。



「好き」



びっくりするほど熱い吐息とともに口から溢れた言葉は、雨音に遮られながらも彼女の耳には届いたようだった。細められていた彼女の瞳がまるく大きく見開かれたと思ったら、またすぐ三日月のような形を描く。きれいな朱色の唇は、「わたしも」と、俺の葛藤などすべてぶっ壊すような信じられない言葉を紡いだ。

だめだ。意味がわからない。ここはきっと夢の中だ。そう思ってほっぺをパン!と大きな音を立てて叩いてみた。力を入れすぎていて、結構痛かった。──ということは、夢じゃないってこと?

ふと我に返って目の前の彼女を見遣ると、頬をほんのり桃色に染めていた。え、いや、かわいい死ぬ。それだけでは飽き足らず、俺の一連の情けない行動を、それはそれは柔らかな表情で見ているときた。幸せすぎて天にも昇る心地だったが、その想いをどう昇華していいかわからず、大きく息を吐きながら、へなへなとその場にしゃがみ込むことしかできなかった。

「…ほんとうに?」
「うん、本当に…」
「……なんで、って聞いてもいい?」

しゃがみ込んだ俺に目線をあわせるように隣にしゃがんだ彼女。

そもそも見た目だけで学年中の有名人みたいに扱われることに、居心地の悪さを感じていたらしい。さらに、もともと流れていた噂が、悪い方向へ形を変えていった。あることないこと言われてつらい時期、金髪ギャルに呼び出され、もう終わったと思って、学校に行くのも、やめようと思っていた。

「でも我妻くんがまもってくれたの」

かわいいよ、かわいすぎる、なにその顔。なにその言葉。

語彙力のない俺では形容できないほど、とにかく嬉しそうな顔をして彼女は笑う。彼女のつらい話を聞くのはものすごく心が痛くて、やっぱり根も葉もない噂を流すやつには黒板を引っ掻く音を永遠に聞かせてやりたいと思ったけど、それがなければこの結末は訪れなかったのかもしれないな、とも思った。

「…わたしね、本当は彼氏なんていないよ」
「は?」

言ったあと、慌てて口を塞いだ。驚きすぎて、男友達と話すときのような、雑な言葉が出てきたからだ。いや、だって、大学生の彼氏は?と眉を顰める俺をよそに、彼女は俺が肩にかけたブレザーを大事そうにきゅっと握りながら、小さな口を動かした。
俺のブレザー、握ってるの、かわいい。

「確かに、ずっと言い寄ってくる年上の男のひとはいたよ。でもなんか怖かったし、付き合ってはないんだけど、噂がどんどん広まってね…もう否定するのも面倒だったんだ」
「…はあー……」

根も葉もない噂を立てるやつを呪ってやりたいと思っていたのに、彼女が幸せならと勝手に思い込んで、結局俺も、噂に踊らされていたということらしい。悔しかった。

でも、俺ごときが入る隙はないって本当に思ってたから、仕方ないよね。
その分これから、足りないことが決してないくらいにたくさん好きと伝えて、いっぱい大事にしていけばいい、よね?

「みょうじさん、…俺、本当にめちゃくちゃ好きだよ」
「…ありがとう、」
「引かれちゃうかもしれないくらい好き」
「引かないよ……わたしもすきだよ、我妻くん」
「………やっぱ俺死ぬのかな?」
「、やだ、やめてよ」
「……ほんとうに好き。ずっと大好きだったよ」

まだ苗字で名前を呼び合う俺たちの、ぎこちない会話。俺のブレザーを大事そうに握りしめている彼女の手を、そっと解く。小さくて白いその手と俺の手とを、壊さないように、大事に大事に繋いで。ブレザーを2人で頭からかぶって人目から隠れるようにしながら、一度だけ、キスをした。

雨がやんでも、雨に濡れたお互いの髪がかわいても、俺たちは一緒にしゃがみ込んで、内緒話みたいに色んな話をした。といっても、ほとんど俺が、堰を切ったように彼女に好きだと伝えつづけるばかりだったけど。


俺のなんとなくだらけの高校生活のなかで、まぎれもなく彼女への想いだけは、クリアで、そして手放しで真っ向から向き合えた、大切な気持ちだった。


翌日からまた、学校中の噂は形を変えた。なんとあの我妻がマドンナのハートを射止めたらしい、というものに。そして彼女のボディガードのように毎日ひっついて回る俺の姿が、そこら中で見かけられるようになるのだ。


ていうか、もうさ、噂とかじゃないよ。

俺たちは、学校中の誰もが知る、それはそれは仲睦まじい恋人同士になったんだから。



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