ぜろいの | ナノ


◆僕の望んだ未来の話  





 不破悠介にとって言葉遊こと櫛羅崎言祝という少年は、櫛羅崎言祝以外の何物でもないものだった。最初に出会ったときの彼は、まだ小さいだけの少年だった。周りに何も助けてくれる人がいない、そんな普通よりも幼く小さいだけの少年だった。だからこそ彼はその少年に手を差し伸べたのだった。
「もしもし、せんせぇ?」
 あのままあそこにいたら、冷たい風の中で死んでいたような少年からの電話に少しだけ不破悠介は微笑んだ。高校を卒業してからの彼は、こうして一週間に一度だけ連絡してくるようになってきた。
 電話の向こうでは何か薄いクラシックの曲がかかっている。いつも通りの電話だった。いつだって家で電話をかけてくる彼は、そうやって優しい音をさせていた。
「はい、先生です」
「元気にしてる?」
「してるよ」
 ぽにょたちも元気だよ、と微笑みながら答える。ふにん、と背中に預けたぽにょがもぞもぞと動く。その柔らかいからだに、自身の体を埋めながら携帯電話を放り投げた。イヤホンを差したまま少しだけ襲ってきた眠気、耳の向こうで聞こえてくる柔らかいクラシックの音に体を預ける。目を閉じれば、まるで目の前で彼が話しているようだった。
「そういえばさぁ、来週くらいに面白いことあるかもね」
「あ、そうなの?」
「うん。だから来週は会えないかも」
 高校を卒業して数年経っていた。
 卒業式の日に告白されて、そしてのんびりとした遠距離恋愛――遠距離とも言えないのだが、それでも会える時間は劇的に減っていた――が始まっていて、毎週一度だけ、電話をした次の日に会っていたのだった。
 来週は、会えないのか。
 少しだけ寂しくなりながら結んだ髪の毛をゆるゆると指先で弄ぶ。そんな少しだけの寂しさがあった。そういえば大学の専攻も何も聞いていなかったのだが、彼ならきっと文学系に進んだのだろうと思った。レポートもそつなくこなしているのかもしれない。
 そのあとの電話はただの雑談になった。そろそろ新学期、新学年に変わること。今年の新入生も可愛いこと。そんな、普通の先生らしい話題。
「ねえ、言葉くん」
「何?」
「楽しい?今、毎日」
「……楽しいよ」
 別れ際の会話は、そんなものだった。

 引っ越し作業があるから電話も出来ない。そんな話をした次の日のことだった。文字上の会話だけではやはり少し寂しいな、と思いながら、新しく入ってくる教員との顔合わせに出向く。
 そこに立っていた青年の姿に、彼は目をぱちくりと瞬かせた。
「……言葉、くん」
「面白いことがあるって言ったでしょ」
 黒い髪の毛を高い位置でポニーテールにして、似合わないスーツを着た青年。しかし、目を隠しているのは変わらない。新しい教員として赴任してきた彼の姿に、彼は目を見張った。

 その日の夜。
 久しぶりに顔を合わせた彼は、くすくすと笑いながら彼の方を見つめる。
「びっくりした?」
「しないわけないでしょ」
「してくれてうれしいな。ねえ、先生」
 昔と同じように、彼は先生と呼んでいた。その言葉の少しの硬さに、なぜかずっと昔の、ひとりで震えていた彼の姿を思い出した。まだ小さな少年だった彼が、もうずっと大きくなってしまっているのだ。どうしようもなく、なぜだか泣きたくなった。
「先生、俺ね」
「なぁに?」
「先生と一緒に、歩いていきたいんだよね」
 だから、名前を教えてください、と。
 そういって真面目な顔になる彼を見て、ああ、そうかと思った。ずっと彼は、それだけを抱いて生きていたのかもしれないと。伸ばした長い黒髪も、その眼窩にはまる赤色の義眼も、ずっと自分の背中を見て歩いてきた少年は、いつの間にか自分に追いついてきていた。
 それがなぜか、たまらなくうれしかった。
「……俺の名前はね」
 舌の上に言葉を乗せる。
 並んで、手を繋いで歩いていくのだろうかとふと思った。きっと、長くはない時間なのかもしれないけれどと。それでも、それだけで、一瞬目の奥が熱くなった。


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