はーとまーくの証 彼の手をそっと離して、私はスケッチブックに精一杯の思いを二行にまとめた。 何故か不思議そうに見つめてくる彼の目を見れず、俯きつつも"お別れをするなら、目を見なきゃ…"と心の中で呟いて真っ直ぐ彼を見つめ返した。 −本当に、ありがとうございました− −この御恩、一生忘れません− 涙が、我慢していたのに止まらない。 視界はとっくに歪んで、泣きたくなんかない、笑顔でさよならしたいのに、どんどん溢れ出てくる。 本当は、さよならなんてしたくないのに、もっとずっと一緒にいたいのに。 でも、そんな事が許されるはずないのは知っていて、我儘なんて言える立場ではなくて、そして何よりも皆に迷惑をかけたくなかった。 スケッチブックで顔を隠して、必死に涙を見られまいと抵抗する。 ロ「……セラ」 名前を呼ばれ、ビクッと肩が震えた。その声はいつになく鋭くて低くて、どうしてそんな声色なのかわからなかった。 怖い、彼を見るのがとても怖い。ギュッとスケッチブックを握る手に力がこもり、少し紙がクシャリとよれてしまった。 ロ「…たった今、お前はこの船を降りた」 心のどこかで、愚かにも期待をしていた自分に嫌悪を感じた。 皆が、この人が、私を必要としてくれているんじゃないかと、引き止めてくれるんじゃないかと…そう願っていたのだ。 だけどそれを突き放すかのように告げた彼の声は融和に感じたのはきっと、気のせいなんかじゃない。 彼は、正しい判断を下してくれた。私を諭してくれているのだ。 そう頭で理解しても、涙の量が変わらない自分が本当に嫌になる。 涙を拭おうと利き手を顔へ持っていこうとした次の瞬間、急に体が浮遊感に襲われた。 その衝撃に私は驚いて目を開く。視界は高く、目の前の彼がいない。その代わりに彼の背中が視界の下に微かに映り、彼が私を肩に担いでいたのだと気がついた。 ロ「−−だかな、俺は海賊だ。欲しいもんはどんな手を使ってでも奪う」 気がついたら私は彼に担がれたまま船の甲板にいて、夕暮れ時の日差しが顔に当たって眩しさから目を閉じた。 閉じている間に甲板の床に降ろされ、ついでにリュックを奪われてしまった。 慌てて目を開けば、彼は不敵な笑みを浮かべ夕日に照らされたその姿に思わず涙が引っ込んだ。 ロ「お前を攫うぜ」 『さ 、ら う … ?』 ロ「どんなに嫌がっても、この船から勝手に降りられると思うなよ」 『… ど う し て』 ロ「…泣くくらい降りたくねェんなら、大人しく捕まっとけ」 腕を引かれ、そのまま私は彼の腕に閉じ込められてしまった。 ギュッと苦しいくらいの抱擁に胸が痛い。止まっていたはずの涙が決壊して、否定する頭と願わずにはいられない心とが葛藤している。 ロ「逃げたって、捕まえるけどな。だが、お前の気持ちを聞かせろ」 優しく語りかけるその声に、するりと背中を撫でたその優しい手に、涙が止まらない。 何もできない、弱い私が嫌だ。必要とされたい。私がいてもいい証が欲しい。 こんな欲深い私を、彼は幻滅しないでいてくれるだろうか… 『…っ……』 背伸びをして、ギュッと縋るように彼の背中に手を回して、背中の服を掴んで力の限り抱きしめ返した。 それが私の答えだとわかった彼はくつり、と喉を鳴らして腕に力を込めるとそのまま抱き上げた。 完全に私の足は地面から離れ、気がつけば彼と同じ目線まで抱き上げられている。 彼の首に腕を回して、彼の耳に口を近づけて、音のない空気に乗せて言葉を紡いだ。 『そばに、いたい』 クシャリと後頭部を軽く握るように撫でられ、彼の唇が私の耳に軽く触れる。吐息混じりのその声が紡いだ言葉に、私は涙の量を増やすこととなる。 ロ「いてやるよ、お前が望まなくてもな」 彼の肩に顔を埋めて大泣きしていると、何処からともなく雄叫びにも近い声達が湧き上がり、驚いて顔を上げた。 気がつけば船員皆に囲まれていて、私の視界の先にはベポさんとシャチさんが飛び跳ねて手を振っていた。 大泣きした事が恥ずかしくて、真っ赤になったであろう顔をそのまま船長さんの肩に埋めなおした。 ロ「お前ら、煩ェ」 シ「良かった、セラ今生の別れみたいな顔で降りるんだもんよ、焦ったぜ」 べ「セラ、ずっとここにいてくれるんだよね?嬉しい!」 ぺ「俺達の船長が、簡単に手放すとは思えないけどな」 ロ「当たり前だろ」 「「「さっすが船長!/キャプテン!」」」 嬉しくて、肩を震わせて笑ってしまった。胸がいっぱいで、もう何もいらないと思えてしまうほど。 ゆっくりと降ろされ、涙の跡を船長さんの指が拭う。 リュックの代わりに渡された紙袋に首を傾げながら、彼が"見てみろ"と言うので素直に取り出した。 私は再び涙のダムを決壊させることとなる。 白い、皆と同じツナギ。 色違いでベポさんと同じオレンジのツナギ。 その二着は私の体のサイズで、それを見ただけで、ここにいて良いという証として十分だった。 ギュッとツナギを胸に抱き締め、涙でグシャグシャになりながらも精一杯の笑顔で答えた。 ロ「今日から、ハートの海賊団の一員だ」 『は い !!』 木霊する船員達の声に船長さんは笑うと、一言大きな声で"出港するぞ!"と声をかける。それに従って皆一様に返事をすると船は島を後にしたのだった。 −−−−−−−− 少し落ち着きを取り戻した船内の、船長室に小さなノックが響く。 部屋の主人は短く返事をすると、ガチャリと控えめに扉が開かれた。 現れたのは、白いツナギに身を包むセラの姿だった。 恐る恐る船長(さんは要らねェと言われてしまった)の反応を見ると、口端を持ち上げて手招きをされた。 素直に歩み寄ると、回って見せてみろと言われて素直にゆっくり一回転。 ロ「様になってるな」 −ありがとうございます− 照れ臭さを押し殺しつつ丁寧にお礼を言うと、船長はさらに手招きをしてきた。 首を傾げながら歩み寄ると、手のひらを出される。 『…?』 ロ「笛、見せろ」 ……っ…恥ずかしいんですがそれは。 カァッと真っ赤になって首を横に振るにも、彼の目から逃れられない気がして、おずおずと首元のボタンを外して、チェーンで通され首から下げていた笛を取って船長の手のひらに乗せた。 ロ「…ほぉ、そうか」 ニヤッと笑う彼の視線に耐え兼ね、ふいっ!と顔を横にそらす。それさえもおかしいらしい船長はくつくつと喉を鳴らして笑っている。 ロ「このマーク、何処かで見た気がするが…何処で見たんだ?」 わ、わかってるくせに!! カカカァッと更に沸騰するんじゃないかと思うくらいの熱量のまま彼の顔を見て、一瞬彼の腕を見る。 それを見逃さなかった船長は更に笑みを深めて、自分の腕を指でつついてこちらを見た。 それが答えだと知っていての行動に、もう熱量で溶けそうだ。慌てて手で顔を覆い、視線から逃れる。 ロ「別れを告げるつもりだったが、この笛にはハートのマーク。しかもご丁寧に俺の刺青と同じモノ…なァ?」 ううぅっ!改めて言われると本当に恥ずかしい!あの時の私は寂しさが優って羞恥心なんてなかったのが、今こうして苦しめられる結果となっていた。 ロ「万が一の時は、これを吹け。何処にいても駆けつけてやる」 額から頭にかけてをクシャリと撫でられ、覆っていた手を退けてしっかりと頷いた。 笛に刻まれたハートマークが灯りに反射しきらりと煌くと、改めて"ここ"にいて良いのだ。そう言ってくれた気がした。 Since:20/3/30 海の愛子 心を奪うその瞳 第一章 完 [*prev] [Back] [next#] [しおりを挟む] [感想を送る] |