「
奏でて?」
01
開店準備中の暗い半地下のジャズバーに満ちている静寂に、間接照明が照らすピアノからぽろぽろとメロディの欠片がこぼれ落ちている。
断片的なメロディは聞き覚えがあるのに、曲名を思い出せない。
鍵盤に指を落とす彼の、最近のお気に入りらしい。
きっとつまらなそうな顔で座っているんだろう。
背中を向けたまま彼の様子を思い浮かべる。
整った顔立ちに浮かぶどこか拗ねた様な表情が脳裏に浮かんで、ふっと笑いが漏れる。
「……なに?」
気配に気づいたらしい洋二の声が背後から聞こえた。
「ん? ろうかした?」
秀和は口に咥えたリードをもごもごさせて惚ける。
わざとらしく手にしたクロスでアルトサックスを磨いていると、鈍く輝く曲線に背後の人影が写りこんだ。
カウンターチェアを回転させると、上背のある洋二が真正面から秀和を見下ろしていた。
その距離にドキリと鼓動が跳ねる。
──洋二が好きだ。
恋は盲目。
顔も、声も、仕種も、雰囲気も、何から何まで愛しくて堪らない。
5歳も年下で、恩人の弟である彼に恋するなんて、馬鹿げている。
そもそも、ノーマル相手。
自分の性癖を受け入れてもらえるはずがない。
やめてしまえ。
そう考えている時点ですっかり落っこちているモノなんだ、恋なんて。
I can't help falling in love with you.を口ずさんで独り布団の中で悶えた事もある。
挨拶を交わしただけで浮かれたり、会えない日は落ち込んだり。
少し体が触れただけで、かあっと体の内側が熱くなる。
我ながらキモイ。
心の中で自嘲するものの、胸の高鳴りを止める事は出来ない。
「ヒデさんさ、兄貴と付き合ってたの?」
洋二の薄い唇が動くのに見とれていて、言葉の意味を理解するのが遅れた。
「…………ふ、へ?」
洋二が兄貴と言うのは、このバーのマスターの太一だ。
秀和が大学時代入っていた管弦サークルの先輩で、ものすごく可愛がってもらった。
太一が卒業しても付き合いは続き、このバーを開店してからは仕事帰りに毎日のように入り浸っている。