何もない


一行はラタシャ王国で宿を取った。食堂で食事を終え、ぼんやりと剣を見つめたままの少女に、

「‥‥大丈夫?」

と、ハトネが聞く。少女は疲れたように微笑んで頷いた。

「まあ、大丈夫ではないんだろうな。なんの為に、私は剣を手にしたんだろう。レイラも守れず、不死鳥の力も使えず‥‥剣を握らなければいけない場面で何も出来なかった」

先刻、シュイアとサジャエルと対峙した時を思い、少女は悔しそうに言う。

「それは仕方ないよ!信じていた人に剣を向けるなんて‥‥簡単には出来ないよ」

ラズはそう言って少女を励まし、

「それに、あなたは強い人だよ。初めて会った時に僕を助けてくれた。レイラ様を一人で救おうとした。不死鳥の試練に挑んだ。そんなこと、普通の人には出来ないよ、リオさんだからこそ‥‥あっ」

つい名前を呼んでしまったことに、ラズは「しまった」と俯いた。

「別にそのままでいいんじゃないか?お前らが不便だろ」

カシルに言われ、

「そっ、それはそうだけど‥‥」

ラズは困ったような表情をする。

「それに、あの女の名前はリオラだ。似てるだけで、別だろ。まあ‥‥シュイアはあの女をリオと愛称で呼んでたらしいが」

そのカシルの言葉に、

「そうだね。皆に気を遣わせてしまうし‥‥リオのままで、いいかな。こんな名前でも‥‥シュイアさんが付けてくれたんだから‥‥」

少女は、リオは苦笑いして言った。
そんな彼女の言葉に、一同はなんともいたたまれない気持ちになる。

「そういえばさ、なんでハトネさんはカシルといたの?」

疑問に思っていたことをラズが聞くと、

「えっとね、リオ君を捜して色んな場所をうろうろしてた時に、偶然カシルさんに会っただけだよ!」

ハトネは無邪気に笑いながら答え、

「それでね、リオ君が‥‥その‥‥器って話はカシルさんから聞いてなかったから、今も本当に驚いてるんだけど‥‥シュイアさんの目的と、カシルさんの目的は聞いてたんだ」
「そうなの。でもなんでハトネちゃんに教えたの?」

フィレアが聞けば、

「その小娘がうるさく聞いてきたからだ。俺が小僧を傷つけただのレイラを殺しただの目的はなんだの‥‥」

カシルは面倒臭そうに言った。
しかし、リオもラズもフィレアも、その光景を容易に想像出来てしまう。

「でも、サジャエルさんはリオ君をすぐに迎えに来るとか言ってたよね。大丈夫なのかな」

不安げにハトネが言うと、

「奴のことはまだよくわからないけど、宣言通りに来そうだな」

と、リオは頷いた。色々と考えたいこと、話し合いたいことがあったが‥‥

「‥‥なんだか、少し疲れちゃった。ちょっと、夜風にあたってきてもいいかしら?」

話の途中で、それまで黙っていたフィレアがそう言った。

「えっ‥‥あ、うん‥‥」

フィレアの隣に座っていたラズが頷く。
彼女が宿から出たのを見送り、

「フィレアさん‥‥やっぱりシュイアさんのこと、落ち込んでるんだね‥‥」

ぽつりとラズが心配そうに言えば、

「そりゃ、そうだよな。どうせシュイアさんの話なら‥‥私が見てくるよ」

と、リオはラズの肩をぽんと叩きながら席を立ち、彼女の後を追った。

「えっ、リオ君、待ってよ!もうっ!!今、リオ君が一番辛いのに!」

怒るようにハトネが言えば、

「ごっ、ごめんね、僕が余計なこと言っちゃったから。でも‥‥フィレアさんだって、辛いんだよ、本当に‥‥」

ラズにとっては、幼馴染のような、家族のようなフィレアのことも心配だった。


◆◆◆◆◆

砂漠地帯の夜は、どこか肌寒く思える。空には満天の美しい星空が広がっていた。

(まだ信じられないわ。シュイア様が世界を、人間を、リオちゃんを‥‥そんな風に見ていたなんて)

フィレアは星空を見上げながら思う。

「フィレアさん」

後ろから声を掛けられて、フィレアはリオの姿を確認し、困ったように微笑んだ。
リオはゆっくりとフィレアに近付き、彼女の隣に並ぶ。

「あまり詳しくは聞いていなかったよね。良かったら聞かせてくれないかな?シュイアさんと初めて会った時のこと」

リオにそんなことを聞かれ、フィレアはリオを見ることなく、ただ夜空に視線を向けた。

「私が生まれたのは小さな村で、両親と幸せに生きていたわ」

フィレアは口を開く。

「十二歳の頃、真夜中に突然、村が盗賊に襲われた。村の皆も、両親も、その時に‥‥私も本当は死ぬ運命だった。でも、本当にあれは偶然だったの。盗賊の一人が私に短剣を向けた時、シュイア様が現れた」

悲しげなフィレアの声が、徐々に柔らかいものになっていくのを、リオは静かに聞いていた。

「シュイア様はなんなく盗賊を斬り捨てていった。夢みたいな光景だった。本当に、偶然。シュイア様が来てくれたのも、村で私だけが生き残ったのも‥‥それからしばらくの間、シュイア様は私が暮らせる場所を探してくれたわ」
「なるほど。それが、フォード国の貧困街ーーアイムさんの家だったんだね」

リオの言葉にフィレアは頷き、

「ええ。シュイア様は凄い人だわ。アイムおばさんの事を瞬時に理解したの。『裕福な生活を送る者よりも、必死に生きて行く者の方が本当の優しさを知っている』って。その言葉は本当だったわ。だから私はアイムおばさんの元で、とても幸せに暮らしていけた」

そこまで聞いたリオは目を閉じ、

(フィレアさんも私と同じ。シュイアさんがいたから、フィレアさんは今‥‥ここにいる)

そう思い、ゆっくりと目を開けながら、

「私はシュイアさんの目的を知っても、あの人を憎むことはできない。たとえ理由すらわからず憎まれていても、シュイアさんがいたから今の私はここにいる。それは、あなたも同じだと思う」

その言葉に、フィレアの頬に涙が伝う。

「ねえ、リオちゃん。どうしたらいいの?私は‥‥シュイア様を好きでいていいの?」
「いいに決まってる」
「でも、シュイア様はリオラのことを‥‥」

俯いてしまったフィレアの体を、リオは小さな体で抱き締め、

「それでも、好きなら好きでいいんだ。あなたのその想いが、シュイアさんの気持ちを変えてくれたらいい。私はそう思ってるんだ。きっとそれは、私には出来ないことだから」
「リオ‥‥ちゃん」
「想いを伝えられないのは、辛いことだよ。たとえ、シュイアさんが誰を好きであろうとも。あなたの想いを伝えることは、決して無駄なことなんかじゃない」

リオはそう言った。言いながら、まるで自分のことのように思えた。
自分は、誰かに大切な想いを伝えたような気がする。
誰かに、遅すぎる言葉を伝えたような気がする。

そして、これはレイラに言ってやれなかった言葉でもあった。
カシルを想うレイラに、言ってあげられなかった、応援の言葉でもあった‥‥

そんな、むず痒い思いを感じていると、

「ありがとう、リオちゃん」

フィレアはリオの体を離し、もう、涙を流してはいなかった。

「私、これからもシュイア様を好きでいるわ。たとえ、叶わなくても‥‥」

満天の星空の下、フィレアの決意をリオは黙って聞いている。

それから、二人は宿に戻るまでの間、シュイアの話をした。お互いの思い出を話した。

ただひとつ。
リオにとっての初恋がシュイアだったことは話さなかった。話す必要はもうないだろう。

(きっと、この想いは今はもう、ないから。小さな憧れみたいなものだったから。私には大切な誰かがいる。そんな気がするから)

誰にも知られず、ようやく気付いた想いを消化して、浮かぶのはまた、エメラルド色のリボンだった。


◆◆◆◆◆

「あっ、お帰り!」

宿屋へ戻ってきたリオとフィレアをハトネが迎えたが、彼女は何か慌てるような表情をしていて、

「カシルさんを止めてよー!私達じゃ止められないよー!」

ハトネはそんなことを言っている。

「なんなんだ?カシル、何かあったのか?」

と、ハトネの後ろにいるカシルにリオが聞けば、

「俺はそろそろ行くと言っただけだ」

そう言うので、

「え!?そうなの?」

リオは驚いた。

「カシルはこれからどうするの?」

フィレアが聞くと、

「さあな。シュイアとサジャエルは目的を話した。たぶん、もう俺を追いはしないだろう。かと言って、俺はお前らと共に行動する気はないし、今まで通り俺のやり方で動く」

その返答に、

「そっか」

と、リオは頷く。そして、カシルを見ているとどうしても、脳裏に彼女の言葉が過ってしまう。

『私ね‥‥あの方の孤独な目を‥‥悲しい目を‥‥なくしてあげたかったの。あの方の笑顔が見たいと思ったの』

『カシル様がたった一度だけ‥‥私を抱き締めてくれたの。『大丈夫、俺がいる』‥‥そう言ってくれた』

『身勝手だけど‥‥私は、後悔しないわ‥‥この結末を。あなたに、会えた‥‥カシル様を、好きになれた‥‥それだけで、いい。それでいいの。だから、あなたも‥‥後悔しないで』

友が最期に遺した、言葉の数々だ。

(そうだな‥‥後悔、してないよ、レイラ)

そう思いながらカシルを真っ直ぐに見つめ、

「あのさ、しつこいだろうし、変なこと聞くけどさ、レイラから聞いたんだけど、どうして一度だけレイラを抱き締めたの?」

確かにいきなりの質問にカシルはため息を吐いたし、他の三人は驚いていた。今する話ではないだろうと。

「‥‥似ていたからだ」

と、カシルはリオから視線を外してぼそりと言う。リオは首を傾げ、

「俺‥‥の知ってる人間に似ていたからだ」

何か言いにくそうにしてしまった彼に、

「そっ、そうか」

と、リオは頷く。

(孤独な悲しい目、か。私にはまだよくわからないけど‥‥)

レイラの、親友の言葉一つ一つを胸に抱き、

「あなたに会ったら何か言わないとと思っていた。そうだな‥‥色々と、ありがとう。レイラがあなたを好きになった理由が、あなたの中に見ていたものが、なんとなくわかったような気がする。あなたはたぶん、優しい人だ」

そう言って、リオは彼に手を差し出した。

「ちょっとリオさんっ!それどういう意味!?」

ラズが慌てるようにリオとカシルの間に割って入り、

「びっくりした!どうしたんだラズ」

いきなり前に出てきたラズにリオは驚きを見せる。

「だっ‥‥だってカシルのこと好きって」
「それはレイラのことだよ」

ラズの聞き間違いにリオはおかしそうに笑った。ハトネも何か文句を言っているし、フィレアは呆れるように肩を竦めている。
そんなリオ達の様子を少し見た後で、

「じゃあな、今度こそ俺は行くぞ」

と、カシルが切り出したので、

「カシル、助けてくれて本当にありがとう」

リオの礼の言葉に振り向かないまま、

「あ、いなくなった」

一瞬にして、彼は転移魔術で姿を消してしまった。

「まったく!何もこんな夜に発たなくてもいいのにな」

と、ラズが目を細めながら言う。


ーーハトネもフィレアもラズも、あたたかい笑顔をしていた。
こんな自分を、本当に心配してくれている。
だからこそ、自分を本当に情けないと思う。
口先だけで何かを言っても、心がそれに追い付かない。
結局、何も出来はしない。

リオは静かに、息を吐いた。


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