人間界の夕2
「ジロウさん…い、今すぐ傷を…!」
血溜まりの中に倒れるジロウにハルミナが駆け寄ろうとしたが、
「おっと。別に来てもいいけど…君が死ぬよ?」
テンマはジロウから奪った英雄の剣を握り、ちらつかせた。
「!…貴様は、人間なのか?」
それにネヴェルが聞く。
英雄の剣は魔族と天使に対抗する為に造られた、人間にしか触れない剣だからだ。
「ふふ…」
しかし、テンマは答えずに、含み笑いをする。
「て、テンマさん…あなたが…ジロウさんを…?」
カトウが瞳を震わせ、恐る恐る聞けば、
「結果的にはそんな感じかな。と言うより、商人さん、無事だったんだね。てっきりあの黒い奴等に飲み込まれたと思ってたよ」
そう、声を上げて笑うテンマに、カトウは絶句した。
「さて。英雄の剣も手に入った。後は、その石を嵌め込むだけ…」
テンマが壁に埋め込まれた紅い石に視線を向けようとすれば、
「こちらです」
そう言って、いつの間にかスケルが紅い石を手にし、その場に片膝を着いてテンマに手渡そうとするので、
「どういった心境かな?……死体荒しくん」
テンマは皮肉を込めてそう呼んだ。
ジロウと共に、テンマも昨日、山道でスケルと会っている。
「ハハ。死体荒しなんて、そんな陳腐なご冗談を…。…いえ、ね」
スケルは瞳をギラギラと輝かせてテンマを見て、
「昨日会った時から、貴方の知識には興味があった。そして、先程の貴方の発言の数々も大変に愉快だ。ですから…」
「僕に協力したいって?」
「…ええ」
そのスケルの返事をテンマは鼻で笑い、スケルの手から紅い石を取り上げる。
「構わないが、僕はね…ネクロマンサーが反吐が出るくらい嫌いなんだ、少しでも…」
「はい、気に食わないことがあれば、殺して下さって構いません。せめて、世界の終わりを見せて頂いた後だと有難いのですけれどね」
「…ふん」
そんな二人のやり取り。
しかし、そのやり取りの間にも、二人には全く隙がなかった。
テンマの手には英雄の剣、魔術も使える。
スケルはコートの中に恐らく武器を隠している。
ハルミナも…ネヴェルですら、警戒して動けなかった。
なぜなら、テンマとスケルの足元にジロウが倒れているから。
「…スケルよ」
そこで、レーツが声を出す。
「いやはや、なんだか愉快な話になってきましたね。まあ、レーツさん。そう言うことなので…私はネクロマンサーらしく裏の道を歩みますよ」
「……」
しばらく、スケルとレーツが睨み合い、
「貴様。英雄の剣が目当てだったんだろう?だったら、そこに転がっているジロウをこちらに渡せ」
次に、ネヴェルがテンマに言った。
「昔にも大活躍した悪魔ネヴェルともあろう人が、自分達の棲みかを奪った人間の心配かい?」
「そいつは、関係ない」
「どうだろうねぇ」
引っ掛かる言い方をするテンマだが、ネヴェルは、
「そいつは、ただの馬鹿だ。しかし、真っ直ぐな……魔族の俺にはわからないが、そいつはそいつなりに俺とハルミナの為に動いた……俺は、そんな綺麗事の塊は嫌いなはずなんだがな…」
ネヴェルはそう言い、うつ伏せに倒れたままのジロウに目を遣る。
「ネヴェルさん…」
ハルミナはネヴェルの背中をじっと見た。
酷い言い回しをする、そして、容易く同族の命を奪った男。
しかし、たった僅か一緒に行動して、ネヴェルの全部が全部、悪いようには見えなかった。
「…ふふ、ははは……」
静かにテンマは笑い、
「ほんと、不思議な奴だね、新米くんは」
そう、ジロウに視線を落とし…
「ただ、もう間に合わないよ。これだけ血を流して時間が経ったんだ。悪魔と天使の力であろうと、命までは取り戻せない。せいぜい、別れを惜しんだら?まあ、世界が滅べば、君達もすぐに同じ場所に行くことになるだろうけどね」
テンマのその言葉に、
「ジロウさんは死なせない……私の命の全てを振り絞っても、絶対に助けます!だから、ジロウさんの側から早く離れて!」
目に涙を溜めながらハルミナがテンマとスケルに強い口調で言うので、
「やれやれ…」
テンマが呆れるような仕草を取り、
「好きにしなよ、今だけは、もうすぐ死に行く君たちの自由……ぐっ…!?」
――…ズブッ……
と、生温い音と共に、テンマは苦しそうに呻き、それにスケルが気付く。
――ガラン…
と、テンマはその手から英雄の剣と紅い石を地面に落としてしまった。
「い、今の内だ!!その剣と、ジロウを!!」
そう叫んだのはユウタである。
先程、テンマがジロウの腹部から抜き、投げ捨てたナイフ。
それをユウタは拾い、背後からテンマの背を刺した。
「あはは、残念だけど、そんな一刺しじゃ、少し驚くだけ…」
テンマはすぐに何事も無かったように笑うが、ユウタはすかさず英雄の剣をネヴェル達の方へ蹴り上げ、そして…
「速い?!」
スケルが気付き、そう叫んだ時には、
「誰かは知らんがよくやった!」
ネヴェルが倒れたジロウを抱え、そのまま反対の腕にユウタを抱えて後退した。
「カトウさん!私はあの剣に触れれません、どうかあの剣をこちらに…!」
「え、あ、は、はいー!」
ユウタが蹴り上げてくれた剣を、ハルミナに言われてカトウが拾う。
「…チッ!小賢しいな…」
テンマは舌打ちし、
「どうします?」
スケルが冷静に言えば、
「まあ、所詮は協力しなければ動けない生き物だ。新米くんは瀕死状態。あっちで英雄の剣を触れるのは、商人さんと、今、僕を刺した小賢しい少年だけ。簡単すぎるね」
テンマは笑い、英雄の剣を持つカトウに目を向けた。
それに、カトウはビクッと大きく肩を揺らす。
しかし、すぐに恐怖を圧し殺すようにテンマを見つめ、
「テンマさん、あなたは私を助けてくれました。そして、ジロウさんと一緒に居たあなたは、確かに優しい目をしていた…私は、あなたの真実を知りたい」
そう、テンマに訴え掛けた。
「それは全部、君の自己解釈だよ、商人さん。僕はただ、その剣が欲しいだけ。わからないようなら、君を殺して剣を奪ってもいいんだよ?あ、それより先に、死に掛けている新米くんにトドメをさそうか?」
テンマは、治癒魔術を必死に掛けるハルミナと、その魔術を掛けられている、意識を失っているジロウを見た。
「テンマさんっ!!」
テンマの発言に、カトウは言葉が見付からず、それでも名を叫ぶ。
「ああもう、うるさいな。気安く呼ぶなよ…」
テンマは片手を前に突き出し、その手をカトウの方に向け、それに気付いたレーツがカトウの前に立った。
「…君も、リョウタロウと同じで可哀想にね。でも、君もそろそろ成仏しなよ、亡霊さん」
そう言って、テンマは天井に両手を向ける。
すると、頭上には無数の黒い光が生み出された。
「こんな狭い場所に…っ!」
レーツは宙を見上げ、大きく目を見開かせる。
(自分は護り切れるが……クソッ!!一体なんなんだ、この男は……?!)
ネヴェルは他の者は護り切れないと感じ…
それでもハルミナはジロウに治癒術を掛け続ける…
「貴方は一体、何者なのですか?」
強大な力を目の当たりに、それに歓喜するようにスケルが聞けば、
「さてね」
それだけ言い、テンマは掲げた手を一気に振り下ろした。
そして頭上に生み出された無数の黒い光が降り注ぎ……
それは、ネヴェル、ハルミナ、カトウ、レーツ、ユウタ……
そしてジロウを呑み込むはずだった。
しかし、黒い光が六人の元に到達しようとした瞬間に、カトウが握り締めていた英雄の剣が眩く輝き出す…
そして、剣から溢れ出た光は、何事も無かったかのように、テンマの放った魔術を消し去ってしまった。
その光景に、テンマは驚くも、
「ああもう、くそ。しぶとい亡霊だなぁ。剣の中に魂を逃げ込ませていたのか?」
そう言いながら、先程までこの場に居なかった人物に視線を向ける。
「貴様…」
ネヴェルはその人物を驚くように見つめ、
「…リョウタロウ!!」
そう名を呼んだのは、レーツであった。
「テンマと言ったか、貴様はここで終わりだ」