マグロとマシュリ

「はっ!」

オレは黒い影に向かって短剣を振るう。
ハルミナさんが人間界へ降り、カーラさんが牢屋に入り、それから数日…
何事も無かったかのように、オレはミルダ先輩から任務を命じられました。

相変わらずの、黒い影の討伐。

人の形をしている、でも、全身真っ黒な、気味の悪い影…

「はぁ、はあっ」

何体倒しただろう。
オレは今日一日を、黒い影との戦いで終えようとしています…

でも、黒い影は倒しても倒しても、次の日にはまた大量に現れる…
現れる場所はランダムだし…

「はあ、はぁ…」

息が、上がる。
それは、そうでしょうね…
近頃は、カーラ先輩が朝から晩まで黒い影討伐の任務に就いていたから。
カーラ先輩が居ない今、オレやラダン先輩がその代わりを担っている…

「はあ、……くっ…」

黒い影の気配はようやく消えた。

やっぱり、カーラ先輩って優秀なんですね。
毎日毎日、一日中、これ程の戦いをしていたなんて。
それでいて、ハルミナさんを守りながら暮らしてただなんて。

……なのに、オレは何をしていたんでしょうか。

頑張ってきたつもりだった。
がむしゃらに、小さい頃から剣を振って、憧れのマシュリ先輩みたいな上級天使になりたくて、なんとか上級天使になれて。
毎日毎日、任務をこなして…

でも、オレの努力なんて微々たるものでした。

あの時、カーラ先輩とハルミナさんの行動を、ミルダ先輩とマシュリ先輩から守ったラダン先輩とウェル先輩。


ラダン先輩は、いつもは自分の立場を大事にして、絶対にミルダ先輩とマシュリ先輩に意見しなかった。
ウェル先輩も同じく…

「……マシュリ先輩」

オレは、憧れの先輩の名を呟き、

――回復しか能のない上級天使は黙っててくれるかな?

――エメラ。君も所詮は頭が空なのかな?


マシュリ先輩が、ウェル先輩とエメラ先輩に投げ掛けた言葉を思い出す…

本当に、マシュリ先輩は優しい人だった。
オレが初めてマシュリ先輩に会ったのは3年前。
オレが上級天使になった時でした。

――…
―――……

「おや、君が新しく上級天使になった……マグロくん、かな?」
「は、はい!」
「私と歳が近そうだね」
「は、はい!でも、あの、マシュリさんはもっと昔から上級天使になって、お、オレ、あなたに憧れて上級天使を目指したんです!あ、あなたが上級天使になった年齢ではやはり無理でしたけど、でも、あの、憧れてます!」
「私に?物好きだね。ミルダくんやカーラみたいに優秀なのが居るだろうに。君は確か、カーラをリーダーとして任務をしてたんだったね」
「は、はい」
「彼は……不真面目だろう?大変だったね」
「え?あ、確かに、カーラ先輩がリーダーだったんですが……その、エメラ先輩についてました」
「ん??」
「任務はエメラ先輩について、カーラ先輩とはその、話す程度で…」
「……。さすが、不真面目カーラだ。エメラに仕事を押し付けたか。全く。若手を育てるべき指導者が何を……エメラもエメラだ。いくらカーラを好いてるとはいえ……と言うかマグロくん、君も君だ。そういうことはちゃんと報告してくれないと」
「あ、えっ、す、すみません!でも、カーラ先輩はオレみたいな下っ端にも気軽に話してくれる良い先輩でもありますし…。確かに不真面目で、女グセ悪くて、結局一緒に仕事はしませんでしたけど、あの、その」
「はぁ。もういいよ。私からカーラに注意しておこう。まぁ、変わらないだろうけどね…」
「す、すみません…」
「まあ、いいよ。君は今日から上級天使。そして、歳は一番若い。期待の新人だね。まあ、何かあれば私を頼ってくれて構わないよ。憧れだなんて言われては、私もやりがいが出るしね」
「あ……!ありがとうございます!マシュリさ……、マシュリ、先輩…!」

――…
―――……

マシュリ先輩はオレなんかよりもっともっと若くして上級天使になった、憧れの先輩。
本当に優しくて、沢山、指導してもらいました。

でも、カーラ先輩は、天長と、ミルダ先輩、そしてマシュリ先輩には気を付けろ、信用しない方がいいと言って…

天長とミルダ先輩のことはわかりませんが、確かに、近頃のマシュリ先輩はおかしい。
でも、ラダン先輩が言っていました。
前からそうだったと。
オレの前では本性を出していなかっただけだと。


オレ、上級天使になって3年。本当に、何をしていたんでしょうか。

カーラ先輩が2年前に森から連れ出したハルミナさんを気味悪がって…
彼女はなんの苦労もしてないただの異分子と蔑んで…

オレは、何も考えなかった。
決まったことが正しいと思っていたから。

オレは最低だ。
ハルミナさんのことを何も知らないのに、今でも何も知らないのに。
ただ、魔界で暮らした異分子としか……
その理由も、何も、オレは知らないのに。

(カーラ先輩の言う通りだ。オレは、掟に忠実なだけだ…!でも、でもオレ…どうしたら…)

「おや、マグロくん。今日の分の黒い影を全て片付けたんだね。ご苦労様」
「!?」

オレは、急に背後から掛けられた、よく知った声にビクリと肩を揺らす。

「ま…、マシュリ…先輩?!」
「ん?どうしたんだい?そんなに警戒して」

言われて、オレは焦った。オレは今、動揺している…

「ま、マシュリ先輩、どうしてここに…」
「後輩が頑張っているんだから、心配で見に来るのは当たり前だろう?まあ、一歩遅かったみたいだけれど」

そのマシュリ先輩の言葉に、ますますオレは動揺を隠せない。
そんなオレを、マシュリ先輩は微笑を称えたまま見て、

「牢屋でカーラ達に何か吹き込まれたのかな?」
「え?!」
「まあ、なんでもいいけどね」

マシュリ先輩は言って、

「じゃ、私は先に帰るよ」
「え!あ、あの?!」

帰ろうとするマシュリ先輩に、本当にマシュリ先輩は心配して来てくれたのだろうか、そんな疑問が浮かぶ。

「あの!…マシュリ先輩。一つだけ…聞きたいことがあるんです」
「…何かな」

オレは、牢屋でのカーラ先輩の話を思い出した。
…影武者の話。

「あの、8人目の、上級天使の…影武者のことで…」
「…ふむ。興味深いね。で、質問内容は?」

ニヤリと笑い、マシュリ先輩は興味を示す。

「あの影武者の中身は、誰なんですか?マシュリ先輩なら、知っていそうだなと…」
「ふむ」

マシュリ先輩は一つ頷き、

「ミルダくん、カーラ、次いで3人目の上級天使が居たことは知っているね?そして、君がまだ小さかった頃に、黒い影との戦いで命を落としたことは、上級天使になってから聞かされたね?」
「は、はい…」
「で?カーラからどこまで聞いたのかな?マグロくん」
「っ!」

穏やかだったマシュリ先輩の声が、急に何かを含んだような声音になって、オレは少しだけ後ずさってしまう。

「な、何も、聞いてない、です」
「…の割りに、声が震えてるけど。へえ、カーラに味方するんだね?」
「ち、違…」

なんだろう、オレの頭に、一つこんな言葉が浮かんでしまう…

『殺される』

だなんて、そんな言葉が。
憧れの先輩を前に、オレは何を思っているんだ…


「おっと!マグロ、そっちも済んだんやな」
「っ!」

オレはまた、ビクッと全身を跳ねさせ、

ドサッ…

思わずその場に尻餅を着いてしまった。

「ど、どないしたねん?!疲れとんか?」

それは、持ち場は違ったけれど、今日同じく黒い影討伐の任務をしていた、ラダン先輩だった。

「……ん?なんでマシュリがおんねん?」
「後輩が心配だからだが?」
「心配ね。こっちに黒い影討伐の任務を任せて、お前とミルダ先輩は城で楽しとるくせに」

あのラダン先輩が物凄く口達者だ…

「あはは、モルモットの一件から、言うようになったね、ラダン」
「なんで、嬢ちゃん……ハルミナ嬢ちゃんをモルモットとか呼ぶねん?説明…」
「とにかく、私は帰るよ。君達と話は合わないしね」

バサッ…
マシュリ先輩は翼を出して、夜の空を飛んで行った……

「チッ、逃げたか。ところでマグロ、いつまで尻餅ついとるねん」
「……ぁ」

言われて、オレは慌てて立ち上がる。

「ラダン先輩も任務、終わったんですか?」
「ああ。で、お前が心配やから見に来たら、マシュリがおったってわけや」
「……」

心配。
マシュリ先輩も言っていたけど…

「ラダン先輩、あの…」
「ん?」
「オレ達はこれからどうしたらいいんでしょうか。本当に、天長やミルダ先輩、…マシュリ先輩に着いて行って、いいんでしょうか?」
「ど、どないしたねんマグロ。お前らしくないやん」

ラダン先輩は本気で驚いている。
掟に忠実だったオレがこんなことを言ったからであろう。


影武者の話。
死んだ、上級天使の話。

――カーラからどこまで聞いたのかな?

――…の割りに、声が震えてるけど。へえ、カーラに味方するんだね?


さっきのマシュリ先輩の言葉からするに、マシュリ先輩は何かを知っている。

そして、カーラ先輩は言っていた。

カーラ先輩と、ミルダ先輩、マシュリ先輩、そして、ウェル先輩だけが、その死んだ上級天使のことを知っていると……

「…ウェル先輩」

オレは、思わず口に出す。

「ん?ウェルさん?」

ラダン先輩が首を傾げた。

ウェル先輩ならきっと、話してくれる。
でも多分、ウェル先輩は影武者の正体は知らない。
でも、死んだ上級天使のことは知っている。

オレは、死んだ上級天使の詳しい話を何も知らない。どんな人だったのかも知らない。

まずは、その人のことを知らなきゃいけない気がする。

そうしなきゃきっと、マシュリ先輩と対等に話が出来ないだろう。

オレは、もっと大人にならなきゃダメだ。
自分で考えなきゃダメだ。

…上級天使なんだから。


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