15内に宿る感情
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名前が奥へと消えたことを確認すると、再度マツバさんがこちらに視線を向けた。
「…ふぅ。悪いね、名前と話したかっただろうが、あの子が居たんじゃ私も話せないからね…。」
そう言った彼女は俺を見据え、先程よりも声を抑えて話を続ける。
「……三代目から少し話は聞いた。
あの子が狙われている可能性があると。」
「!?三代目がですか…?」
「私は三代目とは古い知り合いでね。忍を辞めてからも交流は続いているんだ。…アスマ、お前とも昔会ってるんだけどね。忘れたかい?」
「え、俺ですか…?あ〜…えぇっと…」
突然話をふられたアスマは戸惑いの表情を見せ、目を瞑り暫く沈黙した後はっと目を開いた。
「…ああっ!もしかしてマツバのババァ「ババァと言うんじゃないと昔から言ってるだろう!」
お前は昔っから変わらないねぇ、とアスマを睨みながらマツバさんがぼやく。
「いや、もう20年以上会ってないからてっきり死んだのかと…まさか店開いてるなんてな。」
ひょんなことから昔の知り合いに出会し、少し気まずそうにアスマが声を漏らすのを尻目に、再度マツバさんに話を振った。
「…で、どこまで知ってらっしゃるんです?名前を狙っている人物が誰なのか…そこまで三代目から聞いているんですか?」
「いや、流石にそこまでは私も聞いてはいないよ。"誰か"に狙われているということだけだ。…まぁ、それだけ聞けば情報は充分だ。この店にいる間はあの子はしっかり守っておくから、安心しな。」
「事情を知ってらっしゃるなら、こちらもとても助かります。名前をよろしくお願いします。
…それとこの事は彼女には伏せておいて下さい。話したところで、ただ不安を煽るだけでしょうから。」
そこまで話し終え、ジロリとアンコを睨んだ。
「……って、さっき店に入る前に話した事、アンコお前覚えてる?ったく、店に入るなり名前に抱きついて…しかもあんな挙動不審にしてたら流石に名前も気付くでしょ。」
アンコは、ぐっと言葉を詰まらせバツが悪そうに呟いた。
「そっ、それは悪かったと思ってるわよ。でもあの子の顔見たら…居ても立ってもいられなくなって…。」
「…お前の気持ちは分かる。が、そのせいで名前が知ったら元も子もないだろ。頼むから次からは気をつけてよ。」
「……分かったわよ。」
そんな会話をアンコとしていたら、マツバさんが再度口を開いた。
「まぁ、話はそれだけだ。とりあえず今日は折角来たんだから楽しんでいきなよ。あの子の歌はあの公園で聴いて私も惚れ込んだからこの店に誘ったんだ。
…さ、私はあの子の準備があるから、また注文が決まったら他の者に言っとくれ。」
そう言うと、マツバさんは店の奥へと行ってしまった。
「……名前さんの歌はまだか!!俺は早く彼女の歌が聴きたいんだ!!!」
「…ガイ、まだ店に来て30分しか経ってないのになんでもうそんな酔ってんのよ。」
顔を赤く染め名前の歌を今か今かと待ち望むガイを呆れた表情で見る。
しかしその横ではアンコもガイ同様既に酔っ払い、俺に絡んできた。
「そうよ!名前はまだなの!?
それにカカシ、こんな時くらい酔っ払わなきゃやってらんないわよ!!」
……お前の場合はいつもだろうが。
アスマと紅も俺と同じ事を思ったのだろう、尚も酒を飲み続けるアンコを見てため息を吐いた。
と、その時店の照明が若干落とされ、変わりに舞台の照明が点きピアノが照らされる。
「お、そろそろじゃねぇか?」
アスマの言葉に全員が舞台の方に注目すると、舞台袖で微かに話し声が聞こえてきた。
『マ、マツバさんやっぱりこの格好は…』
「大丈夫だから、ほら、ここまで来たんだから腹括りな!そんなオドオドしてないで背筋伸ばして頑張っといで!」
普通の一般人なら聞こえないであろうその会話。しかし忍である俺たちは聴覚に優れている為名前とマツバさんのやり取りを容易に聞き取ることができた。
「……名前、大丈夫かしら?」
「……名前の事だから緊張して歌えないって事もあるかもな。ま!そうなっても初日だし、俺達は―――」
――――――……カツン。
紅に言葉をかけていた時、舞台袖から響いたヒールの音。その音がした方へ目を向け彼女の姿を捉えた瞬間、言葉を失った。
そこには、オフショルダーの黒いドレスに身を包んだ名前がいた。
彼女が歩くとドレスの裾がふわりと翻り、その度に細い足首がちらりと覗く。
いつもより少しだけ濃いめに化粧を施し、唇にひいた紅が花びらのように紅く染まり華やかな印象を植え付けた。
また、普段はストレートの黒い髪も今はふんわりと巻かれサイドに寄せ、項が露わになっている。
そんな彼女の姿に目が離せなくなっていたのは俺だけじゃなかったようだ。
同じ席にいる同僚たちや他の客も、名前の姿に釘付けになっている。
「………こりゃ、化けたな。」
ぽつりと呟いたアスマの声に、はっと我に返った。
「……なんで、あんな格好……」
「そりゃ、舞台に立つんだから着飾るのは当たり前なんじゃねぇか?…本当にお前、うかうかしてられねぇな。」
アスマのその言葉に、自身の心が嫉妬と独占欲に支配される。
今すぐ連れて帰りたい。
誰の目にも触れさせたくない。
誰も見るな。誰も聴くな。
―――お前には、俺だけいればいいだろう。
そんな俺の黒い感情をよそに、名前はピアノの前に座り目を瞑る。
そうしてゆっくり瞳を開くと指先を鍵盤に置き、旋律を奏で始めた。
彼女の手から紡がれる音に客達のざわめきは溶け、皆その音に酔いしれる。
そしてピアノの奏でる音とともに、名前は静かに歌い出した。
彼女の歌声は相変わらず透き通っていて、力強さと優しさを兼ね備えていた。
しかし以前聴いた時とは明らかに印象が違う。
それは今歌っている曲と名前のその姿のせいだ。
どこの国かわからない言葉の曲。
綺麗に着飾った風貌、凛とした表情。
その姿は優雅で、聴くもの全てを虜にした。
名前は曲を歌い終えると、続けて2曲、3曲と歌い続けた。
その間も客達は彼女の演奏に聞き惚れ、言葉を発しなかった。
―――……名前が演奏を終え、立ち上がる。
そして客席に顔を向けると、ふわりと微笑み頭を下げたその瞬間、拍手の渦が彼女を包み込んだ。
「……想像以上だったわね。」
紅が拍手をしながらそう呟く。
続けてガイ達も名前の歌の感想を述べる。
「俺は…っ俺は感動した!!やはり名前さんは素晴らしい!!…っ涙が止まらん!!!」
「あぁ…見事だった。ガイ、お前が前に"美しい歌声"って言ってたのわかった気がするな。」
「あんな美声聴かされちゃ、男達も黙ってないでしょうね!あの子明日から男からのアプローチ沢山受けるんじゃない!?」
そんな同僚達の話が耳に入ってきたが、俺の心の中はまったく別の感情が支配していた。
店を出て、少し離れた場所で名前が仕事を終えるのを待つ。その間も同僚達は名前の事を話していたが、その話を聞かずにいつもの本を広げ読んでいた。
……否、読む"フリ"をしていた。
先程から渦巻くこの感情を、どうにか自身の中で処理しようと必死になっていた。
(…今このまま名前に会ったら、きっと何かしてしまう。それにアイツは感情が目に見える…会う前に気持ちを沈めないと…)
今日の名前の姿を見て、まるで遠くに行ってしまいそうな感覚に陥っていた。
俺から離れて……どこか、遠くに。
この時初めて、彼…蓮の気持ちが理解できた。
名前を自分に繋ぎ止める為に言ったあの"約束"。
(……俺もとんだ束縛野郎だな……)
そう、自身の想いに嫌気がさしていた時、アンコが店の方に視線を向け叫んだ。
「あ!名前店から出てきたわよ!」
(…っ、まだ気持ちが落ち着いてないのに会えるわけ――)
「…明日からじゃなく、今日からだったみたいね。男からのアプローチ。」
その言葉に、バッと顔を上げ店の方を見る。
そこには仕事を終え店から出てきた名前と、彼女を待っていたであろう数人の男が名前を取り囲んでいた。
―――瞬間、何かがプツリと切れる音がした。
「あ〜あ〜、あの子ったらオドオドしちゃって…あれじゃ男共も調子乗っちゃうじゃな…ってカカシ?アンタどこ行く…」
アンコの言葉を最後まで聞かず、名前の元へ歩き出した。