34離れゆく愛

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***


温かな明かりが灯る家に、女性の声が響いた。


「名前ー!ごはんよー!」

『はぁーい!おかあさん、今日はなぁに?』

「今日は名前の好きなハンバーグ!」


その人に向けて、やったー!と満面の笑みで答える。すると椅子に腰掛け新聞を読んでいた男性がこちらに目を向け微笑んだ。


「名前は本当にハンバーグが好きだなぁ。でも野菜も食べなきゃダメだぞ?」

『だって美味しいんだもん!野菜も…ちょっとなら頑張る!!』


そう言うと目の前にいる2人の顔が更に笑顔になり、それを見て心がぽかぽかと温まっていく。


あぁ、ここはあったかいなぁ。
ずっとここにいたい。

あったかくて、優しくて
まるでお伽話の中のような―――………



「……やっと見つけた。」


ふいに、後ろから声が聞こえた。びっくりして振り返ると、そこには男の人が立っていた。


『お兄ちゃん、だぁれ?どうしてお家の中に「ホントに…こんな深くまで潜るなよ、探しただろ。」

そう呟いたその人はとても不機嫌な顔をしていて…でも何故だか、懐かしい気持ちにもなって。


「ほら、もう行くぞ。どんだけ長く寝てんだお前。」


不思議に思って見つめていたら突然腕を引かれ、ドアの方へ歩きだした――その瞬間急に怖くなって、咄嗟に叫んでしまった。


『まって…イヤ、お外はダメ!!怖いことがいっぱい起こるの……っだからわたし、ずっとお家の中にいる!!』


その言葉にピタリと動きを止めると、男の人はわたしに目を向け頭上に手をかざした。

(叩かれる…っ!!)

そう思い、ぎゅっと目を瞑る。でも痛みはいつまで経ってもこなくて、変わりに頭にあたたかい感触が降ってきた。

そっと瞼を開け見上げると、優しい表情をしたその人と目が合う。


「……怖くない、もう大丈夫だ。お前が言ったんだろ?俺しかいなかったお前じゃない。…外には、お前を待ってる奴がいる。」


そう言って扉の方に目を向けた。わたしも同じように目を向け耳を傾けると、微かに聴こえてきた声。


「―――……こい」


…ずっと前から気付いてた、扉の向こうからいつも声が聴こえていたこと。

その声は男の人だったり、女の人だったり。
泣きそうな声だったり、元気に話す声だったり。

その声達を聴いていると心があったまると同時に苦しくなって、ずっと気付いてないフリをしていた。


「……ほら、呼んでる。聴こえるだろ?だから扉を開けて外に出るんだ。」

『でも…やっぱり怖いよ。"コエ"も聴こえるし…目にもね、いろんな色が映るの。それにおかあさん言ってたよ、子どもだけでお外に出たらダメなんだって。』


そう言ってその人を見ると頭の上にあった手を離し、変わりにわたしの胸にトン、と手を当てる。


「大丈夫だって言ってんだろ。…俺が、全部持っていってやる。その為にここに来たんだ。お前の"コエ"も、目に映るソレも…そして"要らない記憶"も全部だ。だから安心しろ。」

「それにな…お前は子どもじゃない。もう大人だろ?どこへだって1人で歩いていける。」


(子どもじゃない?大人?なにを……)


疑問に思い、自分の手を見てみる。するとそこには先程までの小さい手ではなく、大きくなった手が自身の目に映る。
顔を上げると目線も先程と変わり、男性との距離も近くなっていた。


尚も優しく微笑む彼を見て、意を決して扉を開ける。すると目の前には公園が広がっていた。


『………ここ、………』



何故だろう…私はこの場所を知ってる。
いつも何かをする為にここに来ていた。

それは、なんだっただろう―――



「―――……くるんだ」



先程よりも鮮明に聴こえたその声に、胸の奥が熱くなる感覚を覚える。

……これは、誰の声?

今まで扉の向こうから聴こえていた声とは違う…初めて聴いた声。

それなのにこんなに胸が苦しくなるのは、なんで――……?



「…ほら、お前を呼んでるヤツが向こうにいる」


彼が指を指した方を向くと、公園の入り口に1人の男性が佇んでいた。しかし顔はぼやけてよく見えない。
そしてその人は、ゆっくりとこちらに手を差し伸べた。


『………誰?』

「起きたら、全部思い出すさ。」

『……貴方の事も思い出せる?』


その問いかけに、彼は困ったような顔をするだけで答えてはくれなかった。


「……ほら、もう行け。」


トン…と背中を押されて足を前に踏み出す。しかし次の一歩を踏み出せず、再度彼に言葉をかける。


『貴方も一緒に行こう?』


彼はまた困ったような顔をして、「……俺は行けないんだよ。」と呟いた。


そんな彼を見て、この人に伝えなければいけない事があると思った。…言いたくて、でも言えなかった言葉。


『私、貴方が誰か分からないけど…でもね、"ありがとう"って気持ちが溢れてくるの。貴方の笑顔を見ると心があったかくなって……どうしたの?』


彼は私の頬に手を伸ばし、でも触れずに自分の方へ戻すとぎゅっと拳を握った。そんな彼を見上げると、とても苦しげな表情をしていて。

今にも泣きそうな、何かを我慢しているような…そんな表情を―――


「お前は、本当にお人好しだなぁ……あんな酷い事したのに……ホント……、」


男性は呟き、深く息を吐くと真っ直ぐこちらを見据える。


「…なぁ、一つだけ約束して欲しいんだ」

『……なに?』


彼は少しの間を置いて、やがて小さく笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。



「…これからは自分の為に生きて、歌って。そして本当に大切だと思う人と一緒に倖せになって。」

       


"自分の為に生きて、歌って"


以前どこかで聞いたような、でも何かが違うような…心にひっかかったその言葉を飲み込むのに、少しだけ時間がかかった。


でも、今の言葉で思い出した事がある。それは――………



空を見上げ小さく息を吸い、想いを声に乗せ静かに歌った。


私はこの公園で歌を歌っていた。


誰の為の歌なのか、誰に向けての歌だったのか。
そこまでは思い出せないけれど、今は目の前にいるこの人に届くようにと想いを込めて。


歌い終え、彼に目を向ける。そして―――



『………ありがとう、さようなら。』



彼は目を見開き顔を歪めたあと、くしゃりと笑った。…その目から一筋の涙が頬を伝い流れ落ちた。


彼に背を向け、公園の入り口で待っている人のところへと歩き出す。…なんとなく、振り返っちゃいけない気がした。

そしてずっと手を差し伸べてくれていた男性の前に来ると、ゆっくりその手を取った。


瞬間、あたりが光に包まれ真っ白な世界が広がる。


男性が私の腕をグイッと引っ張り、上へと引き上げていく。光がどんどん強くなり、目を閉じて彼の手をぎゅっと握った。


すると彼も力強く握り返し―――………




「……っろ!……!!」



「……戻っ…こい!!……!!」



「……っ戻ってくるんだ!!名前!!」




閉じていた瞼を薄く開け、先程から聴こえていた声の主を確かめる。そこには銀色の髪をした彼が、私の手を握り必死に私に呼びかけていた。

ぼぅっとする意識の中、薄く口を開く。

そして今自分が出せる精一杯の声を振り絞り、彼に向けて小さく呟いた。



『―――カカシさ……、』



……その声は、本当に小さくて。
自分でもきちんと言えていたか分からないくらい、掠れた声だったけれど。

それでもちゃんと伝わったのか、私の声を聞いた彼は目を見開くと



「……っ、……名前……っ」



コツンと、おでこを合わせ囁いた。

私の頬に落ちてくる、あたたかい滴。
それを受け止め震える彼を安心させるように、掠れた声で、何度もその名を呼び続けた。


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