えふえふ | ナノ



2人の暴君、時々恋人1

※黄色い皇帝(男)vs白い善皇帝(女)→フリオニール
※R18

 元の世界で風の噂で聞いた事がある。「皇帝が二人に別れ、現世と地獄それぞれに存在していた」と。
どうなろうとも同一人物なのは変わりない。が、タイムマシンではあるまいし、同じ次元に二人存在できるわけがない。
 そんな常識にばかり捕われて、大事な事を見落としていた。時折この世界ではドッペルゲンガーのような同じ顔の自分が現れ剣を交える事が出来る事を。常識なんて関係ないということを。

 フリオニールは困惑するしかない。
目の前には背格好も同じの人物が二人いた。秩序の戦士なら心強い。だが運が悪い事に天敵の皇帝が増えているのだ。頭を抱えてしまう。
 秩序の近くの荒野で二つの影を見つけたときは、イミテーションなのかと思った。警戒して近づいてみると、同じ人物ではあるが血が通った人間で一安心。
 白と紫、尖った服装と柔かい布、穏やかで素直に垂れる直毛と反発するように上へと跳ねる金髪。
対で瓜二つの二人を見ていて頭が痛くなってきた。
 一斉に襲ってこないことはいいことだ。どうやら会いにきてくれたようで、目線を逸らしながらも寄り添ってきたのも嬉しい。
 だが、困ったことに原因がわからないということは、どうやったら元の状態に戻せるのかもわからないということだ。
 淡い希望で見慣れない白いローブをまとう皇帝へと訪ねると「貴様が考えろ」と素っ気ない返答が帰ってくる。
 困った、と頭を抱え始めて数分間。見落としていた違和感に気がついて慌てて視線を二人に移した。
「皇帝」
「気安く呼ぶな」
「白い方の声が高くないか?」
「鈍感が」
 素朴な疑問をぶつけただけで見下される日がこようとは。閉じられた目を縁取る長い睫毛が揺れ動く。鼻を慣らしながらいきなり胸元に手を入れた、と思えば勢いよく左右に開かれた。
 中から現れたのは女性にしかない、柔らかい双丘だった。見てしまった事に赤面しつつ慌てて背中を向けると「若いな」と二人の声がハーモニーを奏でる。
 「下品な乳だ」「僻むな。若い男は大きい方がいいだろう」と言い争いが始まるが、女体が気になってそれどころではない。年を感じさせない若い体に、大きな胸。白い肌が太陽に照らされ、星のように妖しく輝く。もしかして彼女の体が光りを発しているのだろうか。甘い匂いすら漂い、色香に惑わされてしまう。慌てて考えずにマントを脱ぐと、後ろ手で隠すようにと差し出した。
 マントは男の皇帝にひったくられた。乱暴に彼女に押し当て、風呂敷のように光をくるんでいくが、隠れたのならそれでいい。安堵の息を吐けば不機嫌な女と目があった。
「二人だと落ち着かないな」
「ならば一方を消すか」
「面白い。残った方が本物ということか」
 突然いがみ合いだした男と女に慌てるのは挟まれた者だ。慌てて分け入ると引きはがす。胸に触ってしまい、わざとらしい甘い声が上がったが気にしている暇もない。
「争う事はない。体に害があるわけじゃあないんだろ?」
「害しかないわ」
「そうなのか?」
「気付け鈍感童貞」
「童貞は関係ないだろう!」
 交互に罵られては言い返す事も出来ない。普段から彼には口喧嘩で敵う訳がない。
 違いと言えば、見た目と性別くらいだろうか。
煌びやかで刺々しい金の鎧を身にまとった、いつもの皇帝。そして、白くストレートの髪を靡かせ、ゆったりとしたローブを身にまとった皇帝。胸も大きく、服を押し上げて自己主張をしている様が性的だ。
 皇帝が二人いるのはなんだか落ち着かないが、両方とも本物であると実感した以上、どちらかを否定するのは酷である。
「そうだな。戻るまではいつもの方を皇帝、もう一人の女の白い皇帝をマティウスって呼ぶことにする」
「牝狐でいいだろう」
 皇帝は妙にマティウスにつっかかる。自分自身が女の姿になって目の前に立っているのが屈辱的なのだろうか。ならばと彼女の手を取って、優しく引けば彼女の顔が赤くなる。
「一緒にいるのが嫌なら、一人が俺のところにいればいい」
 敵のカオス勢力である皇帝が秩序の聖域にくると、混乱を招くかもしれないが、マティウスなら大丈夫かもしれない。本質は同じでは有るが、見た目も白く天使と見紛う煌びやかさがある。ゆったりしたローブからは気品が感じられ、背中には四枚の巨大な羽がはためく。
 悪気なんて一切ない。だが最後まで言い終わらないうちに突然殺意のこもった魔法の刃が頬をかすめ、二人の間を切り裂く。怪訝な顔をする彼女と驚くフリオニールと、いつも以上に不機嫌と殺意を垂れ流す彼。空気を凍らせながら渦巻くかまいたち。今の彼の心情を具現がしたような激しい風切り音に命の危険すら感じてしまう。
 刺激をしないように金と白の姿を見比べるが、已然と睨み合っていて触れられない。
「じゃあ皇帝がくるか?」
「聞き捨てならん。何故そいつなのだ」
「偽物風情が何を言う」
「男よりも女の方がいいだろう?」
 答えを求められても困るだけだ。頷いたら魔法が飛んでくるし、頷かなくてもどうなるかわかったものではない。
 思ったよりも厄介な事になってしまった。ゆっくりと腰を低くして後退したが同時に気付かれる始末。やはり同一人物なのだ、と安堵してしまった。
「わかった。じゃあ二人共面倒を見るよ」
 また同時に振り返り、同じくらいに赤い顔、丸い目、開いた口に思わず吹き出してしまった。顔を見合わせ、すぐさま膨れっ面になって逸らす。
 本当に仲が悪いのかはたまた意地の張り合いか、わからなくなってきた。
「それなら納得してくれるか?」
「まあ、いいだろう」
「納得はしていないぞ、妥協だからな」
 歯切れの悪い返事の合間に挟まる睨み合いに、考えていることは大体わかった。
いつ寝首のかき合い、という大暴れが始まるかわかったものじゃない。しっかりと見張っておかなければ、心に決めるフリオニールだった。



 仲間たちに事情を話し、一同はパンデモニウムへと向かった。
「情緒不安定な二人と一緒にいるのは危険ではないか」とも言われたが、正直目を離している方が不安である。渋々ではあったが、仲間に納得させると両手に花を持ち城へと歩を進めた。
現に途中で何度か口論になり、魔法のぶつけ合いに発展した。ターバンが焦げた時にはさすがに怒って鉄拳制裁も辞さなかった。
 なんだかんだと喧嘩はしながらフリオニールの言う事には従う、それはいつもの恋人の姿だった。傍若無人な皇帝がここまで丸くなった事には我ながら感心してしまう。これが愛の力だったら、すごく嬉しい。
 パンデモニウムは主人に異変が起きても依然として雄々しく鎮座していた。
外敵を寄せ付けまいと、刺々しいデザイン。紫色で内蔵のように蠢く壁。地獄の城とはよく言ったものである。
 不気味ではあるが住めば都、慣れてしまえば広くて便利な場所である。迷いなく入り口へと歩を進めるが持ち主たちも文句は言わなかった。
 勿論部屋は一つしかない。他の部屋は何に使っているのかはわからないが「開けるな」と言われている。きっと物置になっているか拷問部屋なのだろう。そんな日常に馴染んでしまった自分に苦笑する。
「貴様はベッドに入る事を許可してやる。だが牝狐、貴様はダメだ」
「大人げないぞ。元は一人だろう」
「関係ない。私以外の者は全て他人だ」
「心の狭い奴」
 勿論ベッドも一つである。そして皇帝の我がままも今更だ。
彼女は意外にも怒らずに鼻でせせら笑いフリオニールへと体を寄せた。
「我がままな男だと疲れるであろう」
「お前とまた違ういいところがあるさ」
「私の、いいところ?」
「お前の方が心根は優しいだろう。天使のような羽のせいか?」
 長く垂れ下がる前髪をかき分けながら、伏せられた目を覗き込み微笑む。天然タラシに思わず上擦った悲鳴が上がるが、自覚はナシである。顔を隠すように肩へと額を押し付けると、腕に掴まり俯いてしまった。
 何を言ったか自覚出来ずに一連の奇行を眺めていたが、またもや皇帝の妨害により引きはがされてしまう。
「近づくな。性病がうつる」
「私は処女だ」
「処っ!?」
「気を引くための嘘だ。信じるな」
「本当だ。私は他の男には興味がないぞ」
 本日何度目かわからない睨み合いに、そろそろ疲労がたまってきた。赤い顔を冷ますのが先だ、と火照ってフラフラとした足取りで慣れた寝室のベランダへと向かった。
 皇帝とは深い仲だ。隠れて逢い引きをしていた時期もあるが、仲間にも公認になってからは、この城で寝食を共にすることが増えた。
 自分勝手な体質な為に確執もあるが、今までのところは大げんかに発展するようなことはない。男同士という問題はあるが相性は悪くない。熟年した夫婦のような空気すら漂い、居心地もよく幸せである。
 彼女は皇帝と同一人物ではあるが、彼とは違う。女だからこそ惹かれる部分はあるが、女だからこそ躊躇う部分もある。
 女の体に興味がないわけではない。惹かれてしまった相手が男だっただけで、男色趣味ではない。恋人が女の姿で現れて興奮しないわけはないのだ。だが触れ合うだけで独占欲の強い彼は怒り狂うだろう。恋人と喧嘩はしたくないが、興味が湧いてしまう男の性が辛い。
 心地の良い日差しと乾いた涼しい風に慰められて、少し落ち着いてきた。深呼吸をして心を落ち着かせるとカーテンが人工的な動きをした。
 隙間から見えるのは金色、ということは皇帝なのだろう。体ごと振り返るといきなり悪態をつかれた。
「貴様は女の方がいいのか」
「突然だな。どうしたんだ」
「女の胸ばかり見ていたのを知らないとでも?」
 渋い表情で詰問されたら困ってしまう。
それでも答えなんて初めから決まっている。彼に告白をしたもの酔狂でもなんでもない。
「皇帝は好きだ。女の体に興味を持つのは、その、生理現象だ」
「ならばいつ手をだしてもおかしくない。今のうちに縛り付けておくとしよう」
 誤摩化そうとしても、彼は何で怒りだすかわからない。今はまだ不敵に笑っている所を見て、ほっと安堵の息を吐いた。
「男同士だからこその愛情もある。そうだろ?」
 笑いながら本音を告げると、相変わらずの不機嫌。ゆっくりと近づいても炎が飛んでこないのをいいことに、腕の中に閉じこめると胸ぐらを掴むように服が握りしめられた。
 命令口調ではなければ愛情表現が出来ない性格だということは知っている。今更その程度では関係を切る理由にはならないし、嫌なら最初から告白などしない。
同じ世界出身だから、とはまた違う。男同士でも気にならないような絆を感じて今寄り添い合っているのだ。性別や年齢には邪魔はされたくない。
 だが気になってしまう、それだけである。それだけだと言い訳させてもらおう。
「俺は皇帝が好きだ。これは揺るがない」
「胸糞悪い台詞だ」
「愛情表現と言ってくれ」
「虫唾が走る愛情表現だ」
「一言余計だな」
 足を踏みつけながらもやっとお許しが出たところでいっそう強く抱きしめる。最近いつもの気まぐれで触れ合いもおざなりだった為に、充電が切れていたのだ。恋人の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、今日の食料確保の為にも狩りにいく事にした。
 先程まで言い争いが絶えなかった分、疲労もいつも以上だ。尻を据えた皇帝は梃でも動かない。キングベッドへと座り込んでくつろぎモードに入った彼に苦笑しながらも鎧を身につけ武器を背負う。
 ここで気がついた。彼女の姿が見えない事に。
「あれ、どこにいったんだ?」
「知るか。そのへんでのたれ死んだか」
「不吉な事を言わないでくれ。一緒に探してくる」
「放っておけ。骨くらいは出てくるだろう」
 話の種になるだけでも不愉快だ、と歯ぎしりをする姿にため息をつく。
 皇帝の強さは嫌という程わかっている。それでも、恋人を心配しない人なんていない。長い廊下が煩わしいと思ったのは、今日が初めてかもしれない。早歩きで駆け出した。
 外に出るとすぐに見つける事が出来た。ゆっくりと荒地を歩く白く輝く後ろ姿に、声をかけられず戸惑ってしまった。
 荒れた混沌の地にいる天使がこの世の者とは思えないほど綺麗だった。異様な光と美貌に恐怖を感じた。
住む世界が違う、今更ではあるが皇帝と反乱軍の一般兵士としての身分の差を痛感してしまう。悔しくなって、唇を噛み締めるが血の味すらしない。行き場のない手と、血のにじむ唇に気がつかずに立ちすくんでいると、ゆっくりと彼女が振り返った。
「何をしている」
「えっ、いや、その、探しにきたんだ」
「私をか?」
「そうだ」
 素直に言ったところで問題はない。だが恥ずかしくはある。頭をかきながら顔を赤くすると目を丸くして引き返してきた。
 長いローブが土にまみれた地面へと垂れ下がる。持ち上げようと手を伸ばしたが、汚れているどころか地面が綺麗になっているように見えた。これが彼女の清純潔白なオーラか。周囲の景色すら光って見えるのは色目だけだろうか。いやそんなことはないだろう。
「傍若無人な男ではなく、私を追ってきてくれたのか」
「だって心配だろ」
 含みの有る言い方にも、不機嫌になっているのにも気付かなかった。震える目と、眉間に寄る皺に、突然声が低くなった。
「その唇、どうした」
「え。何だこれ……血?」
「噛んだのか」
「たいした事ないさ。お前が気にする事じゃない」
「気にするに決まっているだろう」
 強く言い放たれた、と思えば突然唇に温かく、柔らかいものが触れた。彼女の花のようないい香りがすぐ近くにある、ではなく。唇を這う赤い舌が見えて、思わず目を見開いてしまった。
何度見ても、これは彼女のものだ。血を舐めとり、魔法をかけながら癒してくれている。彼女の温もりを、優しさを意識する度に体が熱くなってきた。
 遠い存在のようであったのに、堕ちてきてくれたから捕まえることが出来る、こんなに簡単に触れる事が出来る。頭を撫でると嬉しそうに指が鎧へと触れてすり寄ってくる。
いつまでもこうしていたかった、それは本音である。だが、抱きしめた所でここは人目のつきやすいところで、屋外であることに気がついた。風邪を引いても、目的を見失っても困る。慌てて肩を押すと、あまりの細さに強ばってしまった。
「なんだ」
「あ、い、いや……行く場所を思い出して」
「どこへ行く」
「夕飯を穫ってくる。お前も遅くならないうちに戻れ」
 武器を担ぎ直して手を振れば不満そうな表情が見えた。何かカンに触る事を言っただろうか。帝王の考える事はまだ慣れない。癇癪を起こす前に、と目の前に鬱蒼と広がる林へと視線を逸らす。何かを言いたげなのは知っているが、彼女の閉じられた目に睨まれるのは得意ではなかった。まるで心を、欲望を見透かされている気になってしまい、後ろめたい気持ちになってしまう。
形のいい胸を見つめているのが、興奮して雄が勃ちあがっているのはもう気がついているだろう。それでも見ないフリをする姿に居たたまれなさを覚える。早足になってしまい、彼女の胡散臭い者を見る視線が背中に突き刺さる。それでも負帰る事はできない。暗い木々が近づいてくると、急いで駆け出して闇の中へと姿を隠した。

 時間はかかったが、食料は十分確保することが出来た。肉を多めに果実を少々。これだけあれば足りるだろう、と5人分はある獲物を背負い直して岐路へとつく。
 ふと、泥で汚れた頬に触れて眉を寄せる。汚れていては皇帝が怒る。先に体を清めてこよう、と踵を返せば小さく木々が揺れた。
 動物もおらず木だけが並ぶ狭い場所ではあるが、近くに水が湧いているのは知っていた。何度か訪れた事のある場所はうまく水を溜めて飲めるようにもしてある。近くに食料を置いて上だけ脱ぐと顔を、鎧を洗っていく。
 また、木々が揺れた。殺気はないが警戒をしながら振り返ると、そこには別れたマティウスの姿があった。
「ここにいたのか」
「マティウス?」
「手伝ってやる」
 慣れない気遣いの言葉をかけられて、意味を理解するのに時間がかかってしまった。目を瞬かせながら首肯をすると、裾を気にしながらも傍らにしゃがみ込んだ。
 横から誇張される睫毛と、白い羽。閉じられた目に控えめな桃色の唇は、嬉しそうに弧を描いている。妖しい魅力とはまた違う、清楚なオーラすら出ている彼女に見とれて声も出なくなる。「フリオニール」と名前を呼ばれて我に返った。
 一体どれだけの間見とれていたのだろうか。困ったような微笑みが見え、照れくさくなってしまった。
「また私に見惚れていたか。貴様はいつもそうだ」
 至極楽しそうに邪気のない微笑みを浮かべて覗き込まれた。視線が合うのも珍しい。きょとんとしてその長い睫毛を見ていて我に返った。
「いつも?」
「私は奴と記憶や感覚を共有している。だからお前と恋人関係にあるのは奴だけではない」
「だから俺たちとの記憶に齟齬がないのか」
「分身が二人きりでもすぐわかるぞ。興奮するからな」
「興、奮?」
「奴が冷静に見えたか? いつも体の火照りを抑えるので必死だ」
 クスクスと笑うが、からかうというよりもただ楽しんでいる。ほどよく引き締まった体を踊らせながら流し目で笑う。
「私は奴の良心だ。素直になれない奴の代わりに感情で動く」
「お前は皇帝の素直な心、ということか」
「そうなるか」
「何故女の姿をしているんだ?」
「理性と本能は表裏一体、性別すらも対になる。わかりやすくていい」
「そうだが……」
「それに貴様も女のほうが嬉しいだろう」
 小首を傾げながら覗き込まれて、思わず顔を逸らした。
 綺麗で、この世の者とは思えなくて、禁じられた恋をしているようで不安になる。もしかして天女を浚ってきてしまったのではないだろうか。早く自由にしないと罰が当たりそうで怖い。
 それでも逃がす惜しい。矛盾していて貪欲な人間の煩悩に支配される。この感覚、彼と寄り添うときと似ている。やはり彼女は彼の半身なのだ、と安心するのもつかの間、汐らしくマントを掴まれて肩が跳ねた。
「風呂には入らんのか」
「汚れているのは上だけだし」
「いや、匂うぞ」
「本当か!」
 慌てて匂いを嗅げば確かに汗の匂いが染み付いているような気がする。おまけにかすかに鉄の匂い。彼女が気になるということは、彼も気になるだろうか。
「……先に戻っていてくれ」
 億劫な気持ちになりながらも鎧を外し始めると、横からも衣擦れの音がする。まさか、と思い視線を横へと向けると、はだけた胸が見えてぎょっとした。急いで近くにあったマントを押しつけ、真っ赤な顔を見られないように地面を睨みつけた。
「マ、マママママティウス!」
「体を清める時に服など必要ない」
「いや、ダメだ! お前は女なんだから!」
「関係ない」
「おおいにある!」
 尚も服に手をかけて付いてこようとするのを必死で止める。
 一緒にいてくれるのは嬉しいが、どう接していいのかわからない。尚も服を脱ごうとするところを必死に引き止めながら、なんとか目を合わせずに肩を掴んだ。
「その、簡単に男に肌を見せないでほしい」
「それだと貴様にも適用されてしまうだろう」
「そうだ。俺も男なんだから。こ、興奮するぞ」
 率直に欲を伝えると、頬を桃色に染めて胸を腕と服で隠し始めた。大胆な行動をするのに恥じらう彼女を見て、高鳴る心臓が煩い。震える声で必死に訴えると、すんなりと引いてくれた。
 「それならいい」と赤い顔で呟き、ローブを羽織り直してわざとらしい咳払いをする。彼女の顔も負けじと真っ赤である。
「次は寝台で見せてやる。その時は私を抱け」
「えっ、それは」
「命令、いや約束だ」
 潤んだ瞳と赤い頬。これだけで十分色気と魅力が溢れ出す。恋をする甘い女性の表情につい見惚れてしまった。
 強情なのは互いのことだ。すれ違いをしたままぎくしゃくした空気が流れて、たまらずに背を向けて洗い出す。
冷たい水の感覚すらわからなくなったのは初めてだった。
 水浴びが終わってからもぎくしゃくした空気は持続していた。目を合わせようとも、白い肌を思い出して直視する事もままならない。会話をする事も出来ずに城へと戻った時には、不機嫌な皇帝が扉の前で仁王立ちをしていた。
「やはり共に帰ってきたか……」
「ダメだったか?」
「ダメに決まっている。貴様は今日一日私から離れるな」
「いや、それでも」
「命令だ」
 どうしても離れたくない、そう態度で示してくれるだけで嬉しかった。しかし横からマティウスが腕にしがみつくのを見ると機嫌は急降下。今にも噛み付きそうな形相に尻込みしてしまった。
「貴様は一人寂しく悶々としていたのだろう?」
「どこぞの牝狐の邪な気が流れ込んできたのだ!」
「ふふ、私は共に禊もしたぞ? 悔しいか?」
「なっ!」
 止めようとしてもマティウスは挑発を繰り返す。ニヤニヤと笑いながら腕に絡み付いて、所有物だと誇張する。
 皇帝は怒り狂い、取り憑くように反対側の腕を乱暴に引くと腕に閉じこめる。左右から引っ張られて綱引きをされてはたまらない。意固地なところもそっくりだ、と顔を歪めていると先に手を離したのは彼女だった。
「痛く、なかったか」
「少し」
「謝ろう」
 上目遣いで素直に謝ってくれた事に胸が高鳴ってしまった。大げさに治癒魔法をかけてくれて思わず頭を撫でてしまう。
面白くないのは皇帝である。甘い空気を醸し出す二人を邪魔しようと腕を引くが、彼の気は完全に彼女へと向いている。体を密着させても敗北感が彼を襲った。
「マティウスは優しいな」
「当然だ。どこぞの男とは違う」
「言わせておけば、この女……」
 歯ぎしりをしようとも二人の距離は変わらない。険しい顔で更に抱擁を強められてやっと彼の方へと振り返り、心配そうな視線を向けた。
 怒っているというよりも、そこにあったのは寂しそうな顔だ。元々彼は孤独だ。だからこそ、迷子の子供のような顔をされては放っておけるわけがない。
「どうした?」
「お前が、女とばかり接するから」
「妬いてくれたか」
「所有物が奪われることが気に食わん」
「ごめんな。不安にさせたな」
 額に口づけを落とせば白い肌が真っ赤に染まる。素直じゃないところも彼の魅力だ。誰にも心を許すわけではないところが、愛情を確認させてくれる。
機嫌が直ってくれたところで二人の手を取り直すと城へと歩を進めた。
「とりあえずご飯にしよう。腹がへるからイライラするんだ」
「私を食べてもいいんだぞ……?」
「ばっ、馬鹿な事を言うなよ!」
「私は冗談が苦手だ」
 すりよってくる女体から咄嗟で距離をおく前に、強い力で腕を引かれた。鋭い目で彼女を睨みつける皇帝の機嫌を直しながら、歩きにくい体で城へと向かう。
両手に花とはこの事をいうのだろうか。頬をかきながら赤い顔をしていると「何を考えている」と嫉妬に駆られた声が同時にかかる。
 こういうところは本当に同じ『皇帝』なのだ、と安心した。



 フリオニールは広いキッチンを借りてぼんやりと考えていた。ここは元々キッチンではなかったが、皇帝が料理器具を持ち込む事を許してくれた。不気味な魔物の住処に人間の生活感溢れる場所があるというのが滑稽だ。それでも、壊さないで残してくれるところが優しさなのだろう。
 包丁で穫ってきた鳥の羽をむしっていても、考えるのは二人のことである。恋人が素直になってくれるのは嬉しいが、張り合って喧嘩になるのは困る。暴力沙汰になって喜ぶ者もいない、し大切な者同士が啀み合うのは誰だって見たくはない。仲良くしてほしいし、このチャンスに二人共可愛がりたいという邪な男心もある。
 だが独占欲の強い彼の事だ、仲良くなんて無理に決まっている。どうしたらいいものか、と鳥を捌いていると後ろから声が聞こえた。
「順調か」
「ああ、大丈夫だ」
 後ろで足を組んでいる皇帝が、ぶっきらぼうに声をかける。いるからには手伝ってくれるのかと思いきや、近くに座るだけで動きはない。それでも顔が見られるだけでいいと思ってしまう。
 怒りっぽくわがままで、いつも自分からは動かない。素直になったと思いきや命令口調だし、言う事を聞かないと暴力も辞さない。
恋人の特徴としてこれだけ言えば、ただのマゾヒストと思われてもおかしくない。それでも酷い事ばかりではない、と心が訴える。
 見た目は性別を見紛うほど美しい。絹のような髪も、紫に縁取られた唇もみずみずしく、口づけたら癖になるほどに吸い付いてくる。結構な年だとは聞いているが、無尽蔵の魔力がそれ以上の追求を拒絶する。
 褒める所が外見だけになってしまったが、確かに内面は極悪非道で擁護も出来ない。強いて言えば、芯が通っており野心家だ。嫌いではない。
 一番は甘えてきた時の声に弱いのかもしれない。女慣れどころか恋愛と無縁だった為に、求められた時の反応やすり寄られた時の応え方など、どう接していいのかわからない。そんな気持ちをくんでくれたのだろうか、いやそんなはずはない。それでも皇帝はいつも甘美な低音で囁いてくれる「お前の好きにしていいぞ」と。
 許されたと思えるその声と言葉に弱かった。いつも発情した獣のように本能のままに抱き潰してしまったが、彼は言葉で怒るだけだった。
「なあ。お前は俺の事が好きなのか?」
「好いていなければ一緒にいるのも願い下げだ」
「それだけ聞けたらいいや」
 彼の強情で我がままな性格上、これ以上の言葉は望めないだろう。諦めたように言い捨ててシンクへと向き合うと、乱暴に杖が地面を打つ。大理石で出来ている床を揺らす強さに冷や汗が流れた。
「言いたい事があるなら言え。特別に聞いてやる」
「どこが好き、とか具体的は言ってくれないだろうって」
「何故貴様に決めつけられる。貴様の強さに惚れた。これでいいか」
 少し期待をしたが、返ってきたのは具体性のないものだった。それでも頑固な王様が素直になったには代わりはない。何も言わずに微笑んで背中を向けるとまた杖が地面をうった。
「貴様の我がままにはついてゆけんな」
「我がままなのはそっちだろう……」
「言い訳無用だ。面を貸せ」
「今から火を使う。待っててくれ」
「料理と私、どっちが大切だ!」
 いきなり理不尽な事を言われたが、今は料理が先決だ。失敗すれば特に彼が怒る。機嫌が悪いと自分が痛い目を見るのもあるが、せっかく食べてもらうなら美味しいものがいいというエゴだ。
 むくれる彼に背を向けて辛さを堪えていたら、凛と済んだ声が通った。
「声がだだ漏れだぞ」
「またのこのことやってきたのか牝狐……」
「まったく、仲良く出来ないのか」
「貴様が私を選べば喧嘩をすることはない!」
「男の時点で負けだ。諦めろ」
 勝ち誇り抱きつく彼女に苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。どうあっても仲が良くなる予兆が見えないとなると、諦めるしかないのだろうか。頭をかいていると「もういい」と地を這うような声が聞こえた。
「露出が多い方がいいのだろう」
 突然服に手をかけたと思えば、乱雑に服を脱ぎ捨てた。思わず背中を向けたから直視することはなかったが、気になって足下へと振り返ると白くて筋肉質な素足が見える。
ゆっくりと振り返った彼の表情は恥辱に赤く染まっていた。
「恥ずかしいならやめればいいのに」という言葉は彼の決意めいた顔によって塞がれる。どこからともなく魔法でエプロンを取り出すと、乱暴に身にまとい始めたのだ。
 素肌にエプロンを身につけるという破廉恥な格好は目のやり場に困る。だが気になってしまうのは恋人への色目だ。白いレースがふんだんに使われた薄く太腿を隠しきれない布地に顔を背けてしまった。
「裸にエプロン、というのは男のロマンと聞いたが」
「は、破廉恥だ!」
「私だって屈辱だ!」
 裾を引っ張りながらも必死で叫ばれて、慌てて謝った。それでも小さな布地では彼の逞しい体は隠せない。大切な所が見えそうで見えないチラリズムが逆効果になり、興奮をうみ始めた。
 彼をここまで駆り立てるのはなんだろうか。いつもは露出やプレイなど、セクシャルなことを嫌うのに珍しい。首を傾げるよりも落ち着かせる方が先だろう。
「マティウス、いや皇帝は無理をしなくても十分魅力的だ」
「当然、だ」
「だから落ち着いてくれ。いつも通りのお前を見せてくれ」
 手を洗うと、頬を両手で包み込む真っ直ぐ目を見つめる。少し困った表情を浮かべて頷いてくれた。
「この格好は見納めだ。今のうちに拝ませてやろう」
「ありがとうございます、陛下」
 恭しく頭を下げれば満足した表情が返ってくる。膝をついたまま手の甲へと口づけを落とせば、見る見るうちに機嫌がよくなった。支配体質な恋人には困ったものである。
 落ち着いてくれたが、顔を上げた時に目に飛び込んでくる白い足にこっそり生唾を飲み込んだ。見えるか見えないかの雄が勃ち上がって濡れているのが服越しにわかる。
 一生に一度見られるかどうかの光景だからこそ、ありがたみと興奮が増すというものだ。
積極的な口づけに優しく答えていると、突然後ろで衣擦れの音がした。慌てて直視しないように目を覆いながらも細い腕を手探りで掴んだ。
「マ、マティウス……待ってくれないか。ダメだって」
「その男はいいのに、か」
「簡単に肌を晒すものじゃないって言っただろ」
「……見られて興奮した」
「で、デタラメを言うな!」
「女性がそんなことするなって!」
 近くに置いてあったマントを肩からかぶせると、不満な顔はすれども何も言わずに抱き込んでくれた。
恨めしい視線は、誘いに乗らなかった為にプライドが木津突いたのだろう。それでも気に入ってくれたのなら何より。頬を染めながらも体ごとくるまったところで、再び食材と向き合うと後ろからまた言い争いが聞こえてくる。
「それを渡せ」
「私に献上したものだ。貴様に渡さん」
「それごと焼かれたいのか」
「やれるものならやってみろ。恥ずかしがりながらも興奮していた癖に」
「死にたいようだな」
 どうあっても仲良くする気はないらしい、心配で胃が痛んできた。しかし花があるのは確かである。
苦笑しながらも料理を再会すると二人と目が合った。その表情は照れくさそうで、慌てて顔を逸らされてしまった。
 エプロン姿の恋人も新鮮で、恥ずかしがる姿もまた一興だ。見惚れてにやけているとまた同時に睨まれてしまった。まるで双子か鏡を見ているようで、不思議な国にでも迷い込んだ気さえする。きっとここは天国、いや地獄なのだろう。地獄なのに幸せに浸りながらも包丁を動かせば、また二つの視線が同時に手元に集まった。

 食事を終えると思った通りに二人とも静かになった。賛辞は期待していなかったが、今日は彼女がいる。素直に「うまい」と褒められて、嫌な気持ちになる者はいまい。いい雰囲気になるとまた彼の鋭く殺意すら帯びた視線が突き刺さった。
 何も起こらずに片付けを終えたのはいいが、今日の疲労が一気にのしかかってきた。彼も疲れていたようで、食事を終えると早々に眠ってしまった。寝室に優しく降ろして、こちらも早めに休んでしまおう。風呂へ向かう支度を始めると、床をする布の音がした。
彼女だ。
「風呂か」
「そうだ。もしかして入りたかったのか?」
「いや」
 淡々と返事に気にも止めなかったのだがやはり付いてくるではないか。同じ方向に用事があるのかと思いきや、浴場の前で立ち止まられては確信するしかない。
恐る恐る振り返れば「どうかしたか?」と小首を傾げられる。可愛い表情をされたら何も言い返せないではないか。
 やはりというか、脱衣所にまで入ってきた。
「やっぱり入りたかったんじゃないか」
「貴様がいるから付いてきたまでだ」
「それは、つまり」
「共に入るぞ」
 隠れることもせずその場で服を脱ぎ始める彼女を慌てて止めても、聞く耳なんてもたない。それどころか「風呂に入りにきたのに服を着ている方がどうかしている」とはだけた衣服で言うのだ。直視出来るはずがない。
 慌てて後ろを向いたが、普通は逆ではないのだろうか。格好のいい所を見せたいのはやまやまだが、皇帝の前ではいつもうまく行かない。恋愛下手な自分にため息をついていると「早く来い」と強い口調で言われた。
逆らう事もできずに服を脱ぎ、複雑な気持ちで浴槽へと進む。
 彼女は縁に座って髪をといていた。まるで海辺のセイレーンのようで見惚れたが、混浴をしているという事実を思い出す。尻込みするフリオニールに気がつくと、手招きをして傍にくるよう誘った。
「貴様はいつも恥ずかしがる」
「堂々としている方がおかしいだろ……」
「なら女と男とではどちらがいい」
「え?」
「『男の私』といた方が、安らいでいるように思える。顔が同じで体が変わっているというのは不可解か」
 悲しそうな表情なんて、初めて見た。
女になって心が弱ってしまったのか、それともアクが抜けたのだろうか。やたらと体を武器にするのは、焦っていたから。いつもよりも汐らしく、儚げな姿に惹かれてしまう。
 一輪の花を大切にしたくなる気持ちがわかる気がする。のばらよりも愛しく、守りたい。そう思ってしまった。
「そんなことない。ただ、その、緊張しているんだ」
「胸ばかりジロジロ見るな」
「あ、ああ。すまない」
 豊満な胸につい釘付けになると怒られてしまった。胸を誇張しながらそっぽを向く姿は、誘っているとしか思えない。
 誘惑に負けまいと背中を向けると、後ろからクスクスと上品な笑いが聞こえてきた。どうやらからかわれていたらしい。
「嘘だ」
「え」
「貴様になら触らせてやる。願ってもないことだろう」
 ゆっくりとお湯をかき分けて近づいてくる白い裸体。天使のような姿で悪魔の囁きを繰り返す。
「い、一体何を……」
「我慢せずともよい。私とお前の仲だ」
 頬に手を添えられ、長い睫毛の伸びた紫の瞳に捕われる。
やはり、彼女の美貌は魔性のものだ。透けるような白い肌も、絹のような白い髪も、造り物のように思えてしまう。
 改めて見ると巨大な果実ほどある豊満で性的な胸を、腕で誇張して柔らかく笑った。控えめについた桃色の乳頭がまた綺麗で、感嘆の声が漏れた。
「体を洗ってやる」
 この若さは無尽蔵の魔力で保っているのだろう。張りのある肌と柔らかい胸に夢中になっていると手が体を撫で始めた。
タオルを渡しても構わずに、胸まで背中に押し付けられてやっと彼女の意図に気がついた。
「もしかして、誘っているのか」
「裸エプロンで興奮する奴につられて、私も興奮してしまった」
「皇帝もこ、興奮してたのか……」
 挑発されたら乗るしかない。無防備に晒された胸とピンクの果実に気後れしながらも優しく手を這わせゆっくりと揉みこんだ。
弾力があり、柔らかい感触につい夢中になってしまう。痛みを感じていないだろうか。顔色をうかがえば、目を閉じて悩ましい表情をしていた。
 これは快楽を得ているのだろう。途切れ途切れに甘い吐息すら聞こえる。
「気持ち、いいのか?」
「聞くな、恥ずかしい……」
 「あん」と甘い声が上げられて思わず手を引いてしまった。
経験はあるが女体を見たことなどない。年頃で人より興味が強いかもしれない。揺れる胸を見つめているだけでドキドキと心臓が鳴り響く。
「お前は気持ちがいいか……?」
「えっ。俺は、気持ちいいよ」
 『皇帝』が気遣ってくれるなんて今までなかったために驚いた。嬉しそうに微笑まれてつい赤くなってしまう。
「もっと触れ」と胸を張られては断る理由もない。撫でて立ち上がった突起を指で弾いてみると鼻の抜ける声がした。
「はぁん……」
「女性はここが気持ちいいんだよな……」
「男が好きなだけではないか、んっ」
「好き、だけど。嫌がることはしたくない。嫌なら言ってくれ」
 頬を撫でて答えを催促するが、返ってくるのは苦い表情だけである。
優しさに躊躇うような仕草を見せながらも、目には甘えのような光がある。初めての経験で怖がっているのはわかった。
「触らせてもらえるだけで嬉しいから、な」
 まだ答えをもらってはいないが、質量を確かめるように手で踊らせてしまう。ついつい胸の柔らかさに夢中になってしまうのは男の性だと開き直ればクスクスと赤い顔で笑われた。
「いつも甘いな」
「お前にだけと言ったら、どうする?」
「悪い気はしない」
 妖しい笑みに見惚れていると白い頬が朱に染まっていき、唇が近づいてくる。普段は妖しい紫色で縁取られた唇が今日はバラの花のように赤い。見惚れていると、彩られた頬が更に赤くなり唇が重なる、寸前だった。
「この牝狐! 下心が丸聞こえだぞ!」
 風呂には似合わない鎧をしっかり着込み、怒り心頭で鬼の形相の皇帝の声にぎょっとした。大股で歩いて距離を詰められるごとに恐怖が助長され、様々な言い訳が浮かんでは消える。
 フリオニールが口を開くより先にマティウスの髪を乱暴に掴んで引き剥がす。小さな舌打ちが聞こえ、イヤな予感しかしない。
どうやら興奮するマティウスに触発されて、目が覚めてしまったようである。赤い顔で、股間が勃起ているのが見えた。
「男のくせに焼きもちか」
「コイツは私のものだ! 私物を取られて怒ることの何がおかしい!」
「男より女がいいと言っているが」
「無駄な脂肪がついただけの年増の身体に価値などあるものか」
 「人の事が言えるのか」と言いそうになって止めた。今ここで死ぬのはなんとも情けない。
「貴様も貴様だ! 私から離れるなと言っただろう!」
「疲れて眠っていたから起こさなかったんだが」
「関係ない!」
 魔力の収縮する甲高い音がしたところで慌てて立ち上がる。下半身に視線が集まり感嘆の声すら聞こえたが関係ない。「風呂を壊す気か」と急いで皇帝を抑えると魔力の渦が止った。
 反省はしていないが争いを止めてくれたならそれだけでいい。放っておくとすぐにでもいがみ合い出す。落ち着かせる為にも皇帝の背を押して引きはがすことにした。
「お前ら、どうあっても仲良く出来ないんだな」
「当然だ。お前がヘラヘラしているからな」
「え?」
「自覚していないのか。女に好かれたことがないのが見え見えだぞ」
 突然怒りの矛先がこちらに向いたが、謂れのないことである。目を瞬かせると、同時に二人から呆れのため息が聞こえてきた。これだけ息はあうのに喧嘩ばかりなのが不思議である。
「二人で入るなど論外だ。消えろ」
「貴様が決める事ではない」
「うるさい。服を着ろ」
 気遣いではない恨みの込めた声が服を投げ渡し、打って変わって優しさのある手がフリオニールの髪を魔法で乾かす。
 一人で寂しかったのだろうか。いや、それはない。
ならば焼きもちなのだろう。普段誰かに嫉妬する姿は見たことがなくて新鮮に映った。
「ならば一緒に入ろう」
「当然……いや待て。何故そうなる」
「一緒に入りたいってことじゃないのか?」
「ふざけるな! 何故私が貴様と」
「ならば貴様が消えろ」
 逞しい顎を細い女の指がゆっくりと滑る。厚い唇が薄く開かれて言葉を紡ぐ前に怒声を発して、惚ける腰を抱き寄せた。
「コイツは私の物だと言っている! いいだろう、一緒に入ってやろうではないか!」
  売り言葉に買い言葉とはこの事だろう。「しまった」という表情を浮かべる彼に勝ち誇った笑みを浮かべる彼女。お似合いだと思う息のよさに、寂しさと嫉妬を覚えてしまった。
仲がよくなったのなら嬉しい。それでも恋人が他の者に盗られた錯覚に陥ってしまう。
「皇帝は、マティウスは俺の者だ」醜い独占欲を振り払うように頭を大げさに振る。それでも不安は尽きずに二人を直視出来なくなってしまった。
 急に呼ばれた、と思えば目の前にはタオルだけを身につけた皇帝。珍しい事に本当に一緒に入る気になったようだ。
「何故私がいるのに下を向いている。嬉しそうな顔をしろ」
 乱暴な物言いだが仕方ない。心配をかけまいと力なく笑ってみせるが怪訝な顔はなお続く。
「貴様は阿呆か。無理に笑えるわけがない」
 フリオニールを庇うように頭を抱き込むと、彼女は皇帝を睨みつける。
 皇帝にはそれが面白くなかった。
今までべったりだった男が別の者に盗られたのだ。半身だとしても別人は別人。面白いわけがない。今までどんなに冷たくしてもフリオニールは笑って許してくれた。だが優しさに触れて味を占めてしまえば、そちらを選ぶのが道理である。
「あんな男は放っておけ」
「しかし……」
「私を選べ。後悔はさせまい」
 背中を撫でる細くて冷たい白い指。甘えるように背骨を撫でられて、思わず上擦った声が上がると「ふふ」と優しい声で笑われる。
柔らかく甘えた大人の女性の魅力に惚けていると、腕を掴まれた。慌てた様子なのが伺えるが何を考えているのかまではわからない。
 どうしたのかと不安になり真っ直ぐ見つめると、目を背けられてしまった。
「……背中を、流させてやる」
 絞り出した声はいつものような余裕はなく、切羽詰まったものだった。
胸にまで巻かれていたタオルがゆっくりとずれ落ちて、白い背中が露わになる。
 程よい筋肉で引き締まった裸体は、最早芸術といっても過言ではない。男でも憧れ見惚れてしまう。機嫌を損ねる前にタオルを手に取ると、引き締まった背中へと手を伸ばした。
「貴様の手は温かいな」
「ん、若いから……か?」
「私が年だと言いたいのか」
「違う違う。いろいろと、俺たちには差があるだろう」
 イヤミとして言ったわけではないが、不快にさせたらしい。不機嫌を露わに睨みつけてくる彼に思わず尻込みをした。
 振り返る姿もまた優雅で、威厳がある。男としても負けた気になり、視線を大きくそらすと舌打ちまで聞こえた。相当お怒りらしい。
「何が言いたい」
「いや、その……なんでもない」
「さしずめ、この男が何を考えているかがわからず、困っているのだろう」
 図星を付かれては何も言えない。言われるがままに背中を流すことを強要されて、逃げる事も出来ない。タオル越しに感じる肌の感触に興奮していると、それすらも気付かれた。全くもって恐ろしい存在である。
「相手の気持ちなど関係のないことだ」
 そこまで豪語されては言葉が詰まってしまう。言い返せずに吃っていると、クスクスと彼女は笑う。
「周りが気になるのならば私にしろ」
「いや、そういうことじゃなくて」
「じゃあなんだ」
「女じゃなくて男を選んだことが不思議だったんだ」
 皇帝の肩が不自然に跳ねるのがわかった。
その様子に気付いて一瞥すると、彼女は背中を見てはせせら笑う。運良く視界には入っていないようだが、気配で察しているだろう。怒りで魔力が渦巻くのがわかる。
「つまりはお前も無理する必要はないということだ」
「そういうことでもなくて!」
「はっきりしろ」
「いつもアルティミシアといたのに、なんで俺なんだろうって」
 変な意味ではない。そのままの意味だ。「モテそうなのに」とご機嫌とりをしたのに、素直な口は動かない。
 沈黙が嫌になり、顔を上げれば額目掛けて石けんが飛んできた。魔力の無駄遣いだが、こういうところも彼との身分の違いを浮き彫りにする。
「コイツは王だ。いつ側室を娶り浮気をするかもわからん」
「くだらん。私が選んだのだ、胸を張ればいい」
「お前も身分を気にする性格だろう、王女と親密になれても手を出せぬくらいのヘタレと見た」
「ほ、ほっとけ!」
「私はもう王ではない。一度落ちた身だ、身分に固執することもない。それに女で、人の心も少なからず理解出来る」
 そこまで言われてつい体が彼女へと吸い寄せられてしまった。慌てて振り返る彼の姿が見えたが視線は白い天女に釘付けだった。
だが、抱きしめる手前で動きが自然と止まった。意識なんてしていない、本当に自然なことだった。
「それでも、俺がいなくなると皇帝は一人だ」
「なっ。余計なお世話だ!」
「一人にしないと約束したからには、守らないと意味がない」
 安堵して力が抜けた背中を抱きしめれば、むくれた彼女の顔が見える。
どちらを選べ、と言われても選ぶ事なんて出来ない。二人にはそれぞれのいい所がある。
 素直になれないがいつも一緒だった皇帝と、思いやる心もあり美人なマティウス。
「甲斐性なしって言われるかもしれないが、俺は選べない。二人共恋人の『マティウス』なんだから」
 高慢なところは恋人から移ってしまったのだ、と責任転嫁をしておこう。手招きをして二人ともまとめて抱きしめると、同じ甘い匂いがする。これは石鹸ではなく体臭だったのか、新しい発見をしたところで腕の中から地を這う声がした。
「言わせておけば、好き勝手言いおって……」
「お、怒っているのか?」
「私は貴様の所有物ではない。選ぶだとか勝手な事を言うな」
「そんなつもりはなかったが」
「選ぶのは私だ。貴様には選択権などない、甘んじて享受しろ」
 こういう尊大な態度を見ると、調子を戻したのだと安心する。苦笑していると頬をつねられたがこれも彼らしさだ。甘んじて受け入れよう。
「だが……今日だけは貴様の意見も尊重してやろう」
「どういうことだ?」
「二人共、と言ったな」
「ああ」
「ヤるぞ」
「へ?」
 タオルを乱暴に奪い取ると、自らで全身をくまなく洗い始めた。機嫌はいいようなので一件落着ではあるが、何を考えているのかはわからない。
 振り返ればマティウスも体を念入りに洗っているではないか。指で奥まで洗い出したため、見てはいけない気持ちに襲われて慌てて湯船に逃げ込んだ。
「貴様もその粗末なものを念入りに洗っておけ」とくぐもった 声の合間に言われては頷くしか出来ない。二人も断続的な息づかいに耐えながら口元まで湯に隠し、泡を立てて目を逸らす。
二人が数十分にかけて体を洗い終えると、すっかりのぼせたフリオニールがいた。



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