えふえふ | ナノ



猫ネコこ寝子1


※クジャ猫化



 ナオン、と猫の甘える声がする。
早歩きになっても頑張って追いつこうと、足音が早くなる。呼びかけるようににゃーにゃーと鳴き声が聞こえてきてどんどん眉間に皺がよる。
振り返り鳴き声の元を見た。四つん這いで迫ってくるのは間違いなく兄である。トランスまでして、赤い毛が炎のように揺らめき尻尾を揺らしている。止まれば足にすり寄ってくるのが不可解だ。
 喉を撫でてみれば、ゴロゴロと鳴った。成る程、可愛らしい。
ではなく。

「クジャ」

 名前を呼んでも人の言葉は返ってこない。気持ちが良さそうにすり寄ってきては、猫の声が聞こえてくるだけだ。

「ふざけてる、のか?」

 返事は来ないが鳴き声は止まない。これは一体何を企んでいるだろうか、頭を抱えるばかりだ。
猫になりきり不意打ちを仕掛けてくるつもりなのだろうか。それでもプライドの高い彼が獣の真似をして甘えてくるなどあり得ない。信じがたい話ではあるが、猫になってしまったと考えるべきなのだろうか。喉に指を這わせるとにゃあんと鳴く。
 頭についた三角の猫の耳に触れると、ピクピクと意思をもって動く。喉を撫でれば気持ち良さそうにする。これは完璧な猫である。
イヤミな笑いではない無邪気な目に、甘えた子供のような声。体も一回り小さくなっているようで、両手で抱えられるくらい。
一体何が起こったのかは知らない。まだ作戦だという疑いも晴れてはいない。でもこのまま1人にしておくことは出来なかった。「置いていかないで」と鳴き続ける猫をかかえると仲間たちの元へと帰ることにした。
 クジャは決して仲間たちには甘えなかった。
野生動物の本能を丸出しにしたように、吊り目を更に細くする。鋭い目と爪で全身の毛を逆立て「触るな」と呻く姿にはティナも困った顔をしていた。フカフカさせてあげたかったがしょうがない。
ジタンがいれば背中に隠れて尻尾を絡ませて甘えてくる。その様子を見て、仲間たちは納得がいったように各々が頷いたが、意味はわからなかった。訪ねても「自分で気付くべきだ」と取りつく島もない。仕方ない、と踵を返せば何も言っていないのに後ろから付いてくる。
 片時も離れたくないようで、トイレにも入ってきそうになった。慌てて止めたが、首を傾げられては困る。一体どうすればいいのだろうか。

「お前もトレイに行きたいのか?」

 勿論言葉は通じていない。足にすり寄りながらにゃあ、と鳴く。試しにドアを開けてやるが離れようとしない。尿意も限界を迎えた頃に、すれ違ったセシルが笑う。「君と離れたくないだけだよ」と。
 暴れる彼を強引に抑え込んでくれた隙に、慌てて個室へと滑り込む。外から困惑するセシルの声と猫の呻き声、ドアを執拗にひっかく爪の音が鮮明に聞こえてくる。
 頼られるのは悪い気がしない。でも今まで確執のあったあの兄が、ここまで懐いてくると不信感しかわき上がらない。
何故自分なのか。何故甘えてくるのか。自問自答を繰り返しても答えが出るわけがなかった。
 扉を開けると甘えた声が飛びかかってきた。人の姿をしているが、猫のように頬を舐められると誤解を生んでしまう。だがセシルはボロボロになった頬を擦りながら微笑んでいるだけだ。

「セシルに謝れよ」
「気にしてないよ。僕が乱暴だったから」
「いや、十分助かったぜ。ありがとな」

 それだけの他愛無い会話でも猫は許せないらしい。全身の毛を逆立て、尻尾を激しく揺らして無害な彼を睨みつけるのは許される事ではない。頭を軽く小突けば、フスンと鼻を鳴らした。叱りつけようと億劫な目で振り返っても、構ってくれたことに対する喜びの声しかしない。怒る気も失せてしまう。
 さて、これからどうしよう。
 とりあえず一目には付くが外に出ることにした。頭を冷やせば、何かいい案が生まれるかもしれない。

「なあ、お前に一体なにがあったんだよ」

 返答のない問いを何度しただろうか。猫は相も変わらず膝の上を陣取り、適当な返事をする。
一体どうして猫になってしまったのだろうか。冷えた頭で考える。
元より動物に近い身体能力をしてはいるが、別に動物を祖先としているわけではない。彼は猫のような気難しい性格をしているが、どちらかというと鳥のようなイメージであった。
 今はこんなにも可愛らしい子猫。魔女か道化の仕業かはわからない。わかることは彼が被害者であるということだけだ。
外の風に当たって冷えたのは、頭だけではなかった。すっかり寒くなり腕を擦る。
 大木の間から見える雲を数えて時間をつぶしていると、尻尾が揺れているのが嫌でも目につく。機嫌がよく好奇心旺盛で、何をしているのかが気になるようで眠る気配はない。毛並みのいい頭を撫でてやれば、嬉しそうな声が聞こえてきた。
もうどれだけそこにいたのだろう。時間が解決してくれると思ってはいたが、一向に変化がない。雲も葉も数えるのは飽きてきた。くしゅん、控えめなくしゃみが聞こえたのは丁度その時だった。

「寒いのか?」

 丸くなっていたのは離れたくないのもあるが、一番の理由は寒かったからではないか。毛の生えていない白い背中にまわされた尻尾や、隠れた太ももから申し訳なさが募ってくる。
さすって温めてやれば嬉しそうな声が漏れる。やはり寒いのを我慢して付き従っていたのだ、罪悪感に苛まれる。

「風呂、入るか」

 上着で大きな体を包んで抱き上げると、震えが直接伝わってくる。強く抱きしめれば熱い息が忙しなく胸に当たる。風邪を引かせるのは可哀想である。
 猫がこんなにもジタンに執着するのは何故だろうか。
普段は見せたがらない尻尾を振りながら、にゃんにゃんと甘えながら胸へと頬をすり寄せる。
 思わず顔を綻ばせたが、彼は敵である。今は動物でも宿敵なのである。
 それでも猫が嫌いなはずの水場にもやってくるところをみると、やはり綺麗好きな兄なのだと思う。風呂にも躊躇いなく湯船とジタンの胸にダイブ。頭を振って水を飛ばしながらも嬉しそうに鳴くが、こっちはたまったものじゃない。
それでも文句を言う気にはなれなかった。甘えてくる体を引きはがすことはできずに、何度も許してしまう。
 好き、だと思う。中性的な彼に惹かれていたのは否定しない。
 それでも、それでも。邪魔な理性が口を塞ぐ。認めてしまってはいけない、と常識が叱咤する。

「お前は、俺のことが好きか?」

 答えなんて求めてはいないただの独り言だ。
それでも返事はきた。口づけ、というなんともわかりやすい方法で。
満面の笑みに、熱で仄かに染まった頬が湯気を通してでもはっきりと見える。
 嫌だとは思わない。それが明確な答えである。
それでもまだ素直になることはできなかった。

「俺もお前の事は……好き、だぜ」

 人として、兄弟として、猫としてだが嫌いではない。決して特別じゃない、特別に思ってはいけない。
 丸くなる赤い目を真っ直ぐ見られない。頬を舐める舌に心は高鳴り、興奮してしまう。
誤摩化すように抱き潰したが、文句は一切なかった。にゃうんと甘い声が耳を撫で、丸まった手が背中にしがみついた。
体を隅々まで綺麗に洗い終え、今はドライヤーで毛を乾かしている最中。嫌がる素振りを一切見せずに甘んじる姿は貴族のようだ。目を閉じて気持ち良さそうに目を細めて喉を鳴らすのは可愛い。見た目と違いふわふわで手を弾力で跳ね返す毛は羽毛だろうか。
 傷を付けないように、大切に髪をとかせば出来上がり。「ありがとう」と短く鳴けば、膝の上で丸くなってしまった。

「お前、今日はどこで寝るつもりだよ」

 聞くだけ野暮だ。ここまできたら、彼は必ずジタンの部屋にやってくる。なおなおと、甘ったるいおねだりにため息をつけば、落ちないように抱き上げた。半分寝ている彼にため息をつきながらも甘やかしてしまう。
 慣れた道をたどたどしい足取りで進み、途中に仲間の微笑ましい笑い声に居心地も悪くなる。複雑な気持ちを抱きながら自分に充てがわれた部屋へと戻ると、質素ながらも柔らかいベッドの真ん中で降ろして薄い毛布で体をくるむ。
気持ち良さそうに夢の世界へと旅立つ彼を見ていると、こちらも眠くなってきた。愛用のダガーを抱えながら壁を背に、欠伸をかみ殺して目を閉じる。
 しかし簡単に休ませては貰えなかった。控えめな鳴き声が耳元で聞こえる、と思えば膝から覗き込む猫がいるではないか。

「なんだよ。毛布はあれしかねーぞ」

 寒いのか、と思ったがひっつきたい病である。ダガーをどけようと引っ張っては、腕へと飛び込んできた。
ふわふわの毛皮が温かい。眠気が波のように押し寄せてきて、瞼が重くなってきた。大きな欠伸を漏らして抱きつけば髪を滑るものがある。慰めるようにと一定のリズムを刻まれては、目を開けていられなかった。

「おやすみ、クジャ……」

 にゃあ、という返事と離れていく温もり。完全に眠りに落ちる前に見たのは、毛布をくわえながらこちらへやってくる可愛い猫だった。

 朝。
 目を覚ましても状況は変わらなかった。毛布の中にちゃっかりと入り込む猫との幼い寝顔と、鳥の声が目覚まし代わりだった。走り回る足音も聞こえるし、皆も起きているようだ。眠る彼を起こさぬように抜け出したくても、尻尾が絡み付いて身動きが取れない。
 ならば仕方ない。言い訳にもなる。諦めてまた夢の世界に旅立とうとすれば、扉を容赦なく開け放つ音がした。

「ジタンー、朝飯の準備出来たぞー」

 天気がよく、爽快な朝から容赦躊躇いなく扉を蹴っ飛ばしたのはヴァンである。本当に呼びにきてくれたのか、暴れにきたのかは不明ではあるが、空気の読めないことには代わりはない。案の定目覚めてしまった猫に恨めしい視線を向けた。
 呆れた視線は彼だけじゃない。ヴァンからも向けられていた。正確にはぴったりと張り付く猫に。だ。

「お前ら、そういう関係?」
「そういうってなんだよ。失礼だな」
「ホモ?」
「だからそれが失礼だって言ってんだよ」

 痛い者を見る目は相も変わらず失礼極まりないが、言い返すだけ無駄だろう。大きな欠伸を漏らして目を擦る猫の頭を撫でながら、すり寄る顔を押しのけはしない。
なう、と挨拶をされて笑顔で「おはよう」と返せば、無表情が見える。
 愛なんて自由だ。世間一般、という概念はあるが普通という枠で括られるのも不愉快である。庇うように抱きしめると、諦めて頭を雑にかく。何も言わないというもの失礼だが、煩いよりは幾度かましだ。
 「伝えたからな」と早々に逃げ出した彼を億劫に見送ると、毛布へと潜ってしまう彼の白い背中を眺めていた。

「そういやお前は何が食べたい?」

 人間と食べる物が違うだろう。ダメ元で問いかけてみれば、予想通り理解不能な猫語が返ってくる。
猫といえば魚、牛乳。幸い物資にも困ってはいないし、食料を全て食らい尽くしはしないだろう。毛布でくるんでやれば、絡まりながらも付いてこようとする。落ち着かせてベッドへと持ち上げると、やっと外の寒さを自覚したらしい。身を震わせながら毛布へと入り込んでいく様には笑いすらこみ上げる。
 ついてくる気は完全に失せたらしい。匂いに安心して微睡む姿を見ながら部屋を後にした。
 どんな物が好きなのか、知らない事を改めて知った。
食べ物は、服の趣味は、日課は、人の好みは。クジャのことを何も知らない。甘い方がいいのか、そのままの味がいいのか。冷たいものと温かいもの、どちらがいいかなんて勿論わからない。迷いながらも温めて、砂糖を少しくわえる。少しでも美味しいと思ってくれたらいい、ただそれだけの愛情の調味料だ。
自分の朝飯は後にまわし、熱いくらいの瓶と白い皿を持ち帰ると猫は布団ごと丸くなり眠っていた。扉の音に耳を動かすと、すぐさま体を起こしてにゃあにゃあ、と鳴き始める。布団を引きずりながら近くまでやってくると、鼻をスンスン動かす。

「ホラ。お前の飯だ」

 払いのけたりはしないのだが、一定距離から近づこうとしない。匂いが嫌なのかと思ったが、湯気を避ける動きで気がついた。猫舌なのだ。
食べたいが食べられない。そんな困った表情に罪悪感がわき上がる。これでは躾をしているようではないか。慌てて皿を取ると息を吹いて冷ましてやる。
 波打つ液体に顔を映していた猫だが、徐々に近づいてきてミルクへと足をつけた。すぐに手を引いたが、熱くはないらしい。嬉しそうに鳴くと「ほしい」と鳴き喚く。
遠慮もせずに飲み干された皿を、手で器用に押すとまたすり寄ってくる。「ありがとう」と短く鳴くと鼻を擦り付けてきた。頭を撫でてやると、膝に飛び乗り丸くなる。どうやらまだ眠り足りないらしい。

「俺も飯に行きたいんだけどな……」

 聞こえてくる欠伸にどけるのも可哀想だ。それに温かい毛のおかげで眠気もやってきた。そのまま仲良く目をとじ毛布を被ると、壁を背に寝息を立て始めた。
 目覚めたのはすっかり昼もまわった時間で、大目玉をくらったのは別の話である。
 熱いのが苦手だとわかれば、次は味付けだ。
何度か砂糖を入れたり量を調節したり、と試行錯誤を繰り返してみた。結果は熱くなくて、甘くない物がいいらしい。基本的にジタンが持ってきた物は何でも欲しがるが、特に食いつきがいいのがその部類だ。
 もう何日一緒にいたかわからない。一月が経ったとスコールに言われるまで自覚出来なかった。
このままずっと仲よく傍にいたかった。
 それでも、それは元の彼を否定する事になる。そうではない、でも、このまま猫のままでいてほしかった。もう戦うなんて出来ない。

 クジャのことは、前から。

 夢の中ではいつも彼は笑ってくれた。優しい声で「ジタン」と呼びすり寄ってきた。指を絡め合い、恋人のようにキスを交わし、押し倒して肌まで重ねた。
もう言い訳なんて出来ない。
 クジャのことを、愛しているんだ。



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