ててご | ナノ



ライバル×自分自身1

※ 衣装により別体設定
※囚人がハンター、写真家がサバイバーパロ


「気になる人ができた」

 一体何を言い出すのだろうか、この我分身は。前前から、冷酷で無邪気だとは思っていたが、この人狩りゲームで悠長に色恋沙汰に目覚めている場合ではないだろう。意味深な笑顔を浮かべるアズラーイールに突き刺さる視線たちが、だんだんと剣呑な光を帯びて突き刺さる。それでも怯むことはなく、紅茶の入ったカップへと悠々と口をつけて、熱い息を吐き出すのだ。
 この招待状なくして入れない、奇妙な脱出ゲームの行われる荘園では、魂が全てである。種族や身分、運命は違うが魂は同じ人間が、複数存在する。特にサバイバーたちはゲームに参加するための「数」が必要であり、そのために魂も複数現像されているのだ。そのために、ドッペルゲンガーたちと一緒の部屋で生活することを強いられる。だが、写真家はサバイバーとハンターが住いから離れた場所にある、屋敷で居住している。気難しい豪族である彼を特別扱い、というよりも子供を宥めるための玩具と変わりはない。それでも、裕福で不自由なく生活できているなら気にすることはない。
 話を元に戻そう。この人間離れした青い肌を持つのは死告天使。それが彼の二つ名である。天使らしく、無邪気で情けも容赦もない。死の制裁を加える冷酷さを持ち合わせているのだが、幾分体格のわりに子供っぽいところが目立っている。そんな彼が、急に無駄に広い部屋の真ん中で暴露大会を始めたのだ。嫌でも耳に入ってしまう。

「ふうん? 君が?」
「珍しいことでもないだろう? 私も人の子なのだから」

 紳士服に身を包んだ銀狼が、鼻を鳴らしては薄ら笑いを浮かべる。嘲笑うように、細められた青い眼光と上がる口角ではあるが、アズラーイールも負けてはいない。気丈に睨み返しては、美しい夜空のような衣装を翻すのだ。
 写真家はサバイバーではあるが、協調性はない。気難しく気高い性格をしていて、馴れ合うことをしないのだ。ゲームでも、己の分身である者と行動をしていて、他のサバイバーと共に遊技場へと現れることは稀有。確かに実力があり、好成績を収めているのだが、厳かな性格が荘園の主の頭すら悩ませていた。
 そんな彼の、1つの人格が恋に落ちたらしい。どこの馬の骨かはわからないが、基本的に体は違えど魂は同じ存在であるから、オリジナルが興味を示さないものへ愛情は生まれるはずがない。皆が顔を合わせたところで、オリジナルが地を這うような声を出した。

「まさか、囚人のことじゃないだろうな」
「その通りだよ。さすがオリジナル」

 クスクスと上品に笑ってはいるが、品定めをするような視線は他人に向けるものだ。同一の魂を持つ者とは思えない。
自分自身に敵意を向けられるとは思ってもいなかった。

「だから、誰も盗らないでくれたまえよ」

 独占欲なのだろうか。囚人の彼に対し、そこまで執着しているとは思いもしなかったが、時間の問題である。写真家の根本的な性質は、人の犠牲を厭わない。時折魂魄術の実験に人間を使っているのだ、基本的に個に執着することはないのだから。愛おしい弟以外には。
 だが、片割れを失った寂しさは忘れられない。あわよくば、代替品を探しているのは皆も同じだ。しかし、クロードの代わりになるような者が現れるわけはない。生涯妻すらも娶らないと鷹を括っているのだ。しかし、この荘園へと足を運び、悪趣味なゲームを興じるうちに見つけたのだ。陽気で、だが影を持つ囚人を。
 元貴族で、研究家。貧相な男ではあるが、接点がいくつかあることで興味は湧いた。それに、ゲーム外で何度か口を聞いたことはあるが、趣味もなかなか良さそうである。もしかしたら退屈しのぎ、いや大きく開いた胸の穴を埋める存在になるかもしれない。直感的なものであるが、人を見る目は確かだと鷹を括っている。そんな彼の心の声をかき消すように、月下の紳士が杖で大理石の床をカツンと叩いて「そうだ」と呑気な声を上げた。

「今度彼がきたら、談合を頼んでみないかい?」
「……正気か?」
「じゃあ、君は真面目にゲームに取り組めばいいさ」

 冷たく言い放つと、もう興味を失ったと賛同してくれる同志へと張り付いた笑みを向ける。
人数が必要だから呼びかけるだけだ。決してアズラーイールの応援をしているわけではない。面白ければ横から奪い去る。そして、邪魔者は写真世界に閉じ込めて、2度と日の目は見せない。ここにいるのは味方ではなく、好敵手。同じ存在であっても一切容赦する理由はない。

「私も彼のことは気になる」
「珍しいね。裁判官もか」
「勘違いするな。罪人としてだ」

 特に興味を示したのがアポロと裁判官である。他の面々は、興味のないフリをしているが耳だけはしっかりとそば立てている。
皆、様々な姿形をしているが、本性は同じである。嫌いなものも、好きなものも多少の違いはあれども根っこは同じ。1人が気になると言えば、感情に差異はあれども全員の興味の対象になる。しかも、好感をもっているとなれば、恋愛感情に昇華するものも少なからずいる。

「彼と対話をする時間を作るため、少なからず協力はしよう」
「だが、早い者勝ちという言葉がある。そこからは知ったことではない」

 優雅で豪華なリビングで飛び散る火花に、アポロが肩を竦め、白黒の縞模様のクッションを抱きしめてソファへと沈み込む。ニヤリと扇情的な笑みを浮かべる血の剣、青い目を夜空に光る月のように瞬かせる月下の紳士、夜空の天の川のように美しい衣を踊らせるアズラーイールを始め、様々な美男がお互いを牽制している。鍛えた体を女のように柔らかくくねらせるアン・リニュ、分厚い司法書を片手に空を見つめて思案する裁判官、遠眼鏡とコンパスを磨き興味のないフリをしながらも聞き耳を立てるイチハツ、白い蛇を愛でながらも周囲には鋭い目を光らせるD.M。そして、面々を睨みつけながらも唇を噛み締めるオリジナルだ。
 各々が自らの野望を燃やし、いつでも貶めてやると牙を剥く。いつもは表立っての喧嘩はしない。だが、子供ならではの気難しさのアズラーイールが気に入る玩具を見つけ、堂々と宣戦布告をするものだから気が立ってしまったのだ。

「吸血鬼の魅力に抗えない人間などいない。彼には興味はないが、横取りには興味があるな」
「彼は人間といえども、死人だ。単純な術になど引っかかるものか、男女が」
「うるさいぞ月下の狗。今は自由だが、貴様は私の眷属であることを忘れるな」
「フン。ゲームで勝ち続けている限り、主人はお前の蛮行を放って置かないだろう。色欲魔の剣?」

 歪みあう2人の横で「バカバカしい」と裁判官は深いため息をつく。一番理知的に、そして狡猾に分身たちの動きに口角を三日月のように歪ませ笑う。

「適当な餌でも見繕ってやるから、彼からは手を引け」
「貴様に任せれば、どんなきな臭い罪人を連れてくるかわかったものじゃない」
「常に女の匂いが漂う貴様よりはマシだ」
「駄犬が何を」

 女を誘惑することが性の吸血鬼からは、常に異性の匂いが取れない。ふしだらな人間関係をもってはいるが、恋愛感情に関しては疎い。人間は餌であり、利用すべき家畜としか見ていないのだから。囚人に対しても好意的な行動は取らず、獲物を観察している捕食者の態度を貫くのだ。
 打って変わって、吸血鬼の従属である狼男ではあるが、性に関しは驚くほど潔白で一途である。狼の番は1匹のみなのだ。それが、彼を紳士たらしめる理由にもなっている。
正反対で相性の悪い2人が、いつも悪縁で共に行動して歪みあうのはいつものことだ。だが、今日はいつもよりも殺気が強すぎる。叩きつけられる杖の音と、抜き放たれた剣が同時に豪華な赤いカーペットに糸くずを作る。
 そこに、いつもは傍観を決め込む裁判官が首を突っ込んだのだ。弁舌が一番立つ彼を相手にするとなると、最悪である。三つ巴で醜く争い始めたドッペルゲンガーたちを鼻で笑いながらも観劇する面々。仲間意識など元からない。潰しあってくれればそちらの方がいいのだから。

「ハンターとよく顔を合わせ、印象に残っているのは私だ。いつもチェイスは誰がしていると思っているのだ」
「筋肉質な男に惹かれるなど、ありえない」
「知らないのか? 鍛えているものほど締まりはいいのだ」

 カツンとヒールを威嚇で鳴らしながら胸を張り、己の肉体を誇示してはせせら笑う。甘い淫靡な表情を浮かべ、形がよく締まった臀部を揺する。物欲しそうに指を咥えるだけで、欲求不満であることが窺える。英雄、色を好むということなのだろうか。
それすらもつまらなさそうに一蹴すると、蛇が煽るように舌を動かしている。D.Mは色恋沙汰には興味がないように見せかけながらも、蛇のように強かに牽制をかけてくる。「私は、彼とよくフィールドワークに行っているが」と笑顔でマウントを取るのだ。ヘイトを買わないわけがない。

「それがどうした」
「蛇の日光浴くらい、1人でしていろ」
「フフ。昼寝なら彼としているが?」
「あ?」

 さっきを孕んだ空気が渦巻く中、それすら心地がいいと目を細めては舌をのぞかせて嗤う。徐々に包囲網を狭めては、襲い掛かろうと光る眼光にも怯まずに、優雅に足を組んでは柔らかなソファーへと身を埋めて蛇を愛でる。気持ちが良さそうに夢の世界に誘われるペットも豪胆ではあるが、何よりも写真家たちの精神力と独占欲の強さだ。誰しもが「選ばれるのは自分である」と高慢で、自信に満ちたギラついた目をしているのだ。
 一発即発なギスギスした空気の中、相も変わらず空気を読んでいないかのような気丈で自由な態度を取るのは、発端であるアズラーイール。傍らには純粋無垢の権化と言っていいアポロも首を傾げては皆の顔色を伺っている。人形である彼は、性別も感情もない。それでも、人に惹かれる心には写真家たちのなかでも一番聡い。スンスンと犬のように鼻を鳴らしては、マイペースにソファの中でみじろぎをする。

「性別なんて概念があるなんて、可哀想な奴ら。僕は男ではない。彼も選んでくれる」
「ワタシも、性別、ない」

 アポロが動いたことで、スカートのように短い裾が捲れ上がるが、下着を身につけていないどころか何もついていないのである。
死を告げると言われる天使と、機械人形には性別という概念が存在しないのだ。元々中性的で線が細く端麗な容姿をしているのだ。男からも情念を向けられているし、望みは男体よりもあるだろう。

「お前たちの吐き気を催すような悪意に鈍感な彼ではない。目障りだ、もう身を引くといい」

 もう既に囚人を手中にしたかのような自信に、高慢な態度。殺気立つ面々を煽りながら見下ろし、鼻を鳴らすのだが、その程度で諦めるほど消極的な性格ではない。いつ飛びかかってきて乱闘になってもおかしくはない空気に、メイドたちは気が気でない。どうにかことを鎮めようとするのだが、問題の囚人はハンターであるし、主人を一サバイバーの為に呼び出すなどという特権もない。慌てふためていていると、天に助けが届いたのかカツン、と大きな音が響いた。ヒールが勢いよく代理石を打った音である。

「いい加減にしろ。1人の男に振り回されるなど、愚の骨頂である」

 まとまりのない問題児をまとめるリーダーとして立ってみたのはいいが、ただ怒りの矛先を向けられるだけである。オリジナルといっても例外ではない。彼らにとって大切なのは、自分が中心であり、勝者であることだけなのだから。

「そういう貴様はどうなのだ」
「私?」
「あの男のことは、どう思っている」
「私は、彼のことは、」

 「興味がない」と強がるのは勝手だ。だが、そんなことを言えば「言質を取った」と揚げ足を取られるだけ。尊大なプライドも、彼らとの競争の中では武器にすらならない。虚勢をはり、ライバルが減ることを期待しているであろう嗤う視線を一蹴し、毅然として返すのだ。

「……私のカメラを直すのは、彼の仕事だ。私専属と言っていい」
「それは皆も同じだが」
「いつも、手紙もつけてくれる」
「それは初耳だ!」

 それは手紙というには粗雑な品。「レンズを改良しました」と言った業務連絡ではあるが、手書きであることには違いはない。文通もできないかとは考えもしたが、専属のメイドも執事も屋敷から出ることは許されていない。おまけにハンターへの私情をもっての接触はご法度である。談合を企て、公平なゲームが行われない恐れがあるせいだ。それは荘園の存在意義を否定することになる。
 それでもどうにか接点を持ちたい。それが貪欲な人間の望みである。今回の談合の申し出も、我先にと首を縦に降りたい思いだが、荘園では優等生を演じた方が弟の手掛かりに近づけるのはわかっている。
一時の気の迷いか、最愛の家族か。答えは、いまだ出ないままだ。



 古びた教会は昔、結婚式場として使う予定だったらしい。だが、なんらかの理由で廃止された幸せの舞台は、今も寂寥感と痕跡を残している。
廃れているとはいえ、多福感が溢れていた場所に足を踏み入れるのは気が引ける。この荘園の主も、よくもこんな場所で一方的な暴行を行おうと考えたものだ。顔も見たことのない存在ではあるが、身勝手に品格を妄想してしまう。
 さて、サバイバーを探そう。懐から取り出したのは注射器である。これの薬を入れれば、戦いの間に良心の呵責がなくなる怪物になれる。普通の精神でこのゲームを続けるには、相手がどんなクズやサイコパスであっても難しい。生前は問題を犯したが、そこまで落ちぶれたつもりもないのだから。
二の腕に力を入れて、動脈へと針を突き刺そうとしたときであった。近くから生き物の音が聞こえたのは。
周囲を見回しても誰もいない。勿論身を隠すためのゲームである。当然のことである。気を取り直して、再び薬を構えたときだった。音が段々大きくなり、何か大きなものがこちらへと駆けてきたのは。

「囚人!」

 それは、縮んだぬいぐるみの姿になった写真家である。この独特などこかの砂漠地帯の民族衣装と、青い肌はアズラーイールという名前だ。何故自ら姿を晒したのか、そして満面の笑みを浮かべて抱きついてきているのかは知らない。
見つけたのならチャンスである。長い爪を振り上げて、頸へと切りつけようとしたのだが、できないのだ。薬を入れていないのだから、人の心がまだ邪魔をする。

「貴方は、なんのつもりかな」
「遊んで!」

 彼は一体何を言っているのだろうか。この広い敷地は、仲良く遊びましょうと楽しく鬼ごっこをする場所ではない。殺伐とした脱出ゲームである。だが、彼は警戒心を解いた無防備な笑顔で離れようともしない。尻尾があったのならばはちきれんばかりに振っているであろう。いつ切り裂かれて全身に痛みが走ろうともおかしくない状態ではあるが、背中を向けて、顔を胸に埋めては視界さえ遮る。まるで、肉食獣の前に横たわる、足を切られた草食獣だ。
 鬼に談合を志願するとは、命知らずがいたものだ。誰だって痛いのは嫌であるから、五体満足で脱出したいのだろうが、ハンターが得られるものなどない。サバイバーに気に入ったものがいれば別ではあるが、相手に好意を悟られては悪用されるだけである。
 本当は、悪い気はしない。願わくば傷つけたくないのは囚人の本心だ。商談に乗ろうとは思うが、如何せん囚人は他のハンターたちから言いつけられているのだ。「あまりサバイバーを甘やかすな」と。
再び得た命だ、研究に集中したい。延命のためだけにゲームをさせられているにすぎない。人で実験する趣味などは毛頭ないと答えたら、渡されたのが人格が崩壊するほどの興奮剤である。そこまでして人狩りを見ながら酒でも飲みたいのだろうか、全くもって、この荘園は狂っている。

「真面目にゲームをしないと怒られるのだが」
「いいじゃないか。遊んでくれたら抵抗はしないよ」

 どうしてこんなにもハンターに対して友好的な態度を取ろうとするのだろうか。
『貴方も気をつけてくださいね。誘惑してくるサバイバーもいるんですよ』
いつかのリッパーの言葉が脳裏を過ぎる。誘惑して、あわよくば自分だけでも脱出させてもらおうという算段らしい。狡猾で生き汚いサバイバーらしい。媚びて同情を誘おうとしているのだろうが、彼らからは算段は感じられない。いつ爪を振るっても倒せてしまうほどに無防備なのだ。

「ねぇ、遊んで」
「困ったな……枕営業は通用しないよ」
「枕じゃない」

 この、サバイバーとは馴れ合おうとしない彼は何を考えているのかわからない。困ったものである。
 確か、アズラーイールが荘園にやってきて間もない頃、初めて出会った時も彼は1人逸れていた。仲間たちの忠告も聞いていなかったのか、出口もわからずに途方に暮れていたのを見つけたのは、カラスたちが周囲で鳴き喚く寂れた村の、座礁した船の上だった。
泣き声も上げず、だが、涙を浮かべながらも小さくなる姿は、体が縮んでいたこともあり子供と見まごうた。目の前の窓枠にのしり、と足をかけて近づこうとすれば、頭上から覆いかぶさってくる影に怯えながらも、気丈に睨みつけてくる。
どれだけ1人で不安だったのだろう、目元が赤く腫れ上がっていたのを今でも覚えている。

『こっちだよ。ついておいで』

 丁度長時間が経過していたので、薬が切れていたのもある。気紛れで彼を先導して手招きをしたのだが、警戒して近づいてくることはなかった。

『道を教えてあげる』

 ただの気まぐれだ。それに、写真家に似ていた、ということが一番の理由。掌の上に電気を携え、ゆっくりと背を向けて歩き出せば、おずおずと、だが一定距離を開けた状態で後をつけてくるようにはなった。
鬼火のように怨霊の飛ぶ廃村を、周囲を照らしながらも鬼が歩く。ジャラジャラと鳴る足の分銅の音と虫の声は、まるで祭りの終わった帰り道。拗ねた子供は俯きながら、唇を尖らせながらも光だけを追いかける。時折振り返れば、慌てて物陰に隠れてしまうところも初々しい。

『ほら、ついた』

 開かれたゲートの前には、カラスたちが屯していた。「通さないぞ」と意地悪をするものだから、無理矢理長い爪でかき分けたら「ガア!」と大きな声で鳴いたのを最後に、渋々道を作る。

『他のハンターはこうはいかない。さぁ、出ておゆき』
『あの、』

 やっと口を開いたと思えば、少年のようなアルトで枯れた声音が絞り出される。まだ懐疑心を抱いた状態であるのは感心する。純粋なサバイバーは、少し優しくするだけで「敵ではない」と思い込んでしまうから。

『貴方は、誰?』
『囚人だよ。しがない嫉妬の罪で追われた投獄者さ』

 丸まった背を向けて、手と足の重りを連れて歩き去ろうと足をすれば、静止の声がかかる。ゆっくりと振り返ると、泳ぎためらう目が宙を彷徨い、言葉を発さない口がモゴモゴと動くだけ。どうしたのだろうか。何かを伝えたいのはわかるのだが、もう一度近づいて尋ねることは気が引ける。降参の意を示そうと手を挙げてナイチンゲールを呼んだ時だった。意を決した、絞り出すような声が聞こえたのは。

『……感謝、しています』

 素直に礼を言われるとは思わなかった。慌てて体ごと振り返ったのだが、小さな姿はゲートをくぐって出口へと駆けていく。ヒラヒラと舞う薄布と、煌びやかな衣装を改めて眺めると、どこぞの貴族なのだろう。もしかして、と思い浮かんだ顔を振り払うように頭を乱雑に掻き毟ると、今度こそ黄色い仮面をつけた鳥へと告げる。「降参だ」と。
 後ほど写真家の魂の一部だと知って心臓が大きく高鳴ったものだ。あの出会いはきっと運命なのだろうと。

 ぼんやりと過去を思い出していたのだが、目が覚めた時にはペチペチと小さく肌触りのよい手が頬を叩いていた。どうやら軽い放心状態だったらしい。
眉間に皺を寄せ、表情豊かな彼が強く体にしがみついてきては地を這う声をだすのだ。

「ねぇ、何考えてたの? ボクのことだけ見てよ」

 ぷりぷりと可愛らしく怒るアズラーイールの後ろから、また一つ影が現れた。この紳士服を身につけた狼男は、月下の紳士である。彼は偵察なのだろうか。ひくひくと高い鼻を動かして2人を交互に見やると、状況を理解した瞬間に嬉しそうに駆け寄ってくるではないか。いつもはクールで老紳士のような落ち着きすら見せる孤高の狼が、まるで飼い慣らされた犬のよう。キュウンと喉を鳴らしながら側に座り込み、耳をピクピクと揺らすのだ。

「やぁ、囚人。ご機嫌麗しゅう」

 体をすり寄せ、嬉しそうに目を細めながらも舌を這わせてくる。媚びるような目も、暖かい吐息も鳥肌を誘発させるには十分な材料である。だが、これは謀るような目だ。本当に心を許しているわけではない。

「だめ! ボクの彼を盗らないで!」

 想い人にすり寄る泥棒猫に目くじらをたて、反対側から飛びついてくるアズラーイールを抱きとめならがも、抱きついてくる月下の紳士からも視線は外せない。愛しい写真家を模した彼らのスキンシップだ、嬉しくないわけがない。
 夢を見ているかのような錯覚を覚えながらも、抱き心地のよい肢体を左右から抱き寄せていると、また一つ新しい視線が突き刺さる。建物の影からのぞいている影は、ゆっくりと煌びやかな金色の衣装を少しずつ現し、白く巻かれた髪を揺らす。裁判官である。
決して近づいては来ないが、去ろうともしない。睨みつけるように見つめてくるのは同族嫌悪か、素直になれない自分への苛立ちかはわからない。遠巻きに、どことなく寂寥感を称えた視線を向けてくるのである。試しに手招きをすると、何も言わずにフェンスを挟んだ壁まで近づいて、背中合わせに座り込む。少し緩んだ表情から、嫌われていないとわかるだけでありがたいことである。 

「ハンターがサバイバーを籠絡するなんて、ルール違反ではないのかな?」

 裁判官らしく、公平で、厳格な姿勢。ハンターとサバイバーは馴れ合う関係性ではない。そう豪語されてはその通りである。だが、こちらも困ってはいるのだ。急になつかれてしまっては、それに写真家を好んで攻撃するのも気が引ける。せめて1人でも逃げてくれれば再び暴力と知略が交錯する野蛮なゲームへと戻れるのではあるが。

「ならば、貴方から2人を説得してくれ」
「フン。断る。私は見守るだけだ、自ら手を加えることはしない」

 嫌われてもいないし、なつかれてもいない。いや、むしろ観察されているのだろうか。人として扱われているのか怪しいところではあるが、敵意は感じないために好きにさせておく。
2人で話し込んだことで、疎外感を感じた2人が勢いよく脇から抱きついてきた。随分と可愛らしい反応である。子供が、いや嫉妬深い彼女ができたらこんな感じなのだろうか。ふと、片思いの相手が隣で笑う姿を妄想しては、せせら笑った。

「そういえば、あと1人は?」

 確かオリジナルの写真家が、不満げな表情で立て膝をついていたことを覚えている。
しかし、彼の姿はここにはない。送電機を通じて解読を進めているのはわかっているのだが、如何せん場所まではわからない。
この会合は彼らの足止めなのだろうか。目を細めて索敵に集中した時だった。アズラーイールが抱きついてきたのは。

「他のこと、考えないで……」
「今はゲーム中だけれども」
「今日だけはいいじゃないか。せっかく、また、会えたから」

 運悪く今日は薬を飲む前にサバイバーに見つかってしまったから、このような不測の事態になったのだ。だが、少なからず無抵抗の相手を痛めつけるために、意識を失ったバーサーカーになるのも気が引ける。深くため息をついて、身を寄せてくる彼を姫抱きにした

「わかったよ。今日だけだからね」
「嬉しい!」

 その時だった。嬉しそうな悲鳴と同時に、怒号が飛んできたのだ。

「貴様、何をしている!!」

 これは目の前の墓場からだ。現れたのは金の刺繍の施された、青いコート。オリジナルの写真家で間違いはないだろう。気がつけば脱出を知らせるサイレンが鳴り響き、ゲートが光っているのがわかる。彼は脱出よりも優先して、仲間たちの様子を見にきたのだ。愁傷な態度である。
だが、3人の反応は違った。冷ややかな視線を向けては、聞いたこともないような単調で地を這うような声音で吐き捨てるのだ。仲間にかける言葉ではない音声を。

「早く出ていくのではないのか」

 意外にも、真っ先に文句を行ったのは裁判官だった。彼こそ早く出ていきたいものだと思っていたのに、居残るつもりだったのだろうか。鼻を鳴らしては、見せつけるように隣へと座り込んで肩にもたれかかってくる。
それだけで、激昂したオリジナルを煽るには丁度いい塩梅となった。

「貴様!!」
「貴方に言われる筋合いはない。『ハンターと馴れ合うなどくだらない』とは、貴方が言い出したことだろう?」

 つっけんどんな態度をとりながら、彼もハンターとは友好関係を結ぶつもりではいたらしい。それに出るための時間稼ぎではなく、そのまま居座ろうとするのはどのような作戦なのだろうか。不真面目なハンターとしてこの荘園から追い出すつもりなのかはわからないが、そういうつもりならば話は別だ。
同じ魂の者同士が言い争っている間に、声高々に叫ぶ。きっと見ているであろう、この世界を作った者に。

「主よ、見ているだろう! これではゲームにならない。私は降りさせてもらうよ」

 異口同音に「待って!」という言葉が聞こえても関係はない。どうして皆が慌てるのかはわからない。こんなゲームに進んで参加を希望する物好きなんていないだろうに。
囚人の訴えを承認し、ほどなくして返事の代わりにゲートの開放音が鳴り響く。この音が鳴れば、強制的にゲームは終了だ。人形の姿に縛られた魂は、強制的に開放される。最後に寂寥感を浮かべた視線に射抜かれたが、見て見ぬ振りを決め込むしかない。目を合わせてしまえば、悔恨が残るに決まっている。
 悩むのは一瞬だった。その間に人形の姿は消え去り、立っているのは異形の囚人となった。

「これも、ルール違反になるのかな」
「今回は問題があったのはサバイバー側。貴方にはお咎めだけになります」
「そう」

 響く女の声はどこからだろう。灰色の空を見回していると、近くのレンガの上から羽音がするではないか。この空飛ぶカメラの化け物でずっと監視していたであろうに、何も言わずに見ているだけというのは趣味の悪い。きっとカメラを通して他のハンターたちにもこの体たらくは見られている。後で小言がくるだろうが、知ったことではない。これでも我慢して、自分の欲に耐えたくらいだ、褒めて欲しい。

「しかし、今後彼らとのゲームはまた不手際が起こる可能性があります。今後の処置は追って報告します」
「そうしてくれると助かるかな」

 会いたい。だが、このゲーム場では出会ったところで悲恋しか訪れない。願わくば、最後に抱きしめたいと思っていた。だが、ハンターとサバイバーだ。それに、こんな火傷に覆われた体と、骨すら浮かぶ痩せ細った不格好な背中に、手枷をつけた異形に好かれても嬉しくないだろうに。
レッドカーペットの上を冷たい金属が通る。一瞬だったが夢のような空間の記憶だけは、忘れないようにと頭に刻み込みながら。



 ジャラリ、ジャラリ。
豪華な紅い絨毯の敷かれた豪邸の中を、不似合いな古びたシャツの囚人が通る。引きずられた分銅は成人男性の拳ほどある。それが両手足についており、垂れ下がった腕もボロボロ。見える肌には消えない火傷の跡。包帯の巻かれた左目の奥には未だ消えない野心が眠っており、サバイバーを痛めつけることも辞さない決意が宿っていた。
 ゲームが終わった彼は、丁度部屋へと帰還するところである。ぼんやりとした目で薬で震える腕を押さえながら「完勝」という結果の書かれた紙を握りつぶすと、ふと柱から溢れ出してきた霧に眉を潜める。
室内である。こんなところで自然の濃霧は発生しない。ゆらりと現れた高身長の男に眉を寄せながら、言葉も交わさずにすれ違うとしたのだが、呼び止められてしまっては答えるしかない。

「ひどいですねぇ。無視ですか」
「悪いが急いでいる。通してもらえるかな」

 リッパーは仮面の下で笑う。人のいい博士は感情がわかりやすい、と。
今はどうにも1人になりたいらしく、早々に立ち去ろうとする足が忙しなく地面を叩いている。喧嘩を売られるのならば黙ってはいないが、殺気は感じない。ならば、この快楽主義者が何故、この研究好きに声をかけてのだろうか。正反対の性格をしているし、接点もないのに声をかけられる覚えがないので不気味である。

「貴方、前にあの写真家に懐かれていましたね」
「ああ。それが、何か」

 まさか写真家のことを問われるとは思っていもいなかった。いつも、お互いのゲームをハンターたちは鑑賞している。大体が酒の肴にするという悪趣味な目的ではあるが、今回は体たらくについての嫌味をいい楽しもうというのだろうか。聴覚からの情報をシャットダウンしたいのだが、逆に意識してしまうのが人の性というものである。
囚人の張り付いた営業スマイルも気に留めず、まるで詩でも読むかのように優雅に1人感傷に浸っていた。

「あの人は誰にも心を許さないのに、ズルイですねぇ」
「ほう?」
「談合を申し出ても、決して近づこうともせずに去ってしまう。彼とお近づきになりたい者は山ほどいますが、社交辞令で躱されてしまうのに」

 確かに、初めて出会ったときはぶっきらぼうで張り付いた笑顔が不気味で、考えが読めない人間だと思っていた。だが、しばらくして感情豊かで子供っぽいところもあるのだと知った。まだオリジナルの無垢な笑顔は見たことがないが、喜の感情を表に出さないようにと耐える表情が忘れられない。唇を引き結び、緩んだと困ったような眉毛が印象的で、魅力的で。

「どうやって丸め込んだのですか?」
「知らない」
「嘘はよくないです」
「向こうから声をかけてくれた、それだけだよ」
「本当ですか?」
「嘘を言ってどうするんだ」

 これは本当である。運命の女神がどうして微笑んでくれたのかはわからないが、他のハンターたちと同じで、あの蠱惑的なサバイバーを追いかける道化の1人になっていただろう。
どうして彼から近づいてきてくれたのか。研究者としてではなく、一個人としての好奇心が大いに刺激された。

「じゃあ、私は行くよ」

 これ以上一緒にいられなかった。早く外の風にあたって冷静になりたかった。
急いで踵を返せば、追いかけることもない。一方的に言葉を発して満足したようだ。ヒラヒラと長い爪を振る、感情の見えない仮面を横目で見つめ、ズリズリと重い足を早く前へと進める。
 彼のことは、煌びやかな衣装と柔らかな物腰から、すぐに有名な豪族であることはわかった。薄暗い牢獄へと軟禁状態だった囚人よりも、彼の方がこの屋敷にふさわしいだろう。
手に入らないものはないと思うほどに才色兼備の揃った人が、なぜこの荘園にきたのか、大切にしている写真に写っているのは誰なのか。聞きたいことはたくさんあるが、近づくことは許されない。興味のある相手、しかも好意を寄せてしまった相手に対して武器を振るうことは、記憶がとんでも許されることではないのだ。
 屋敷の外へと顔をだせば、鬱蒼と繁る木々の自然の巨大なトンネル。昼間であるのに薄暗く、逃げ道なんてない。森の中の牢獄のような場所ではあるが、風は透き通って心地はよい。
もっと高い場所へ行こうか。村の船を目指して歩を進めようとした時だった。近くの茂みが揺れたのは。

「あの……」

 ひょっこりと蔓の巻きついた豪奢な西洋の柱の影から現れたのは、アラビアンチックな青年だ。目の高さも同じほどに伸び、こちらを伺ってくる。
それよりも、ここはハンターの敷地内。どうやってサバイバーが侵入したのかは知らないが、見つかればどうなるかもわからない。先程のリッパーの言い草から推測するに、写真家は他の者からも情欲の目で見られているらしい。きっと、力で押さえ込まれてしまっては抵抗もできないだろう。
 ぼんやりと最悪の結果を思案をしているうちに、心配になった彼が小走りで脇まで駆けてきた。相変わらず警戒心の欠片もなく、無防備で可愛らしい。額に手を当てると、平熱だとわかれば安堵の息を吐き出す。
そしてすぐに汐らしく頭を垂れては、反省の念を示すのだ。

「ここにきてはいけないよ」
「最近、ゲームで会わない」
「貴方が前に行った利敵行為の処罰だね」
「ごめんなさい。困らせるつもりじゃなかった……」

 モジモジと細い指をこねくり合わせ、長い髪で青い瞳に影を作りながらも、彼は唇を尖らせる。

「貴方と会える機会なんて、ゲーム中しかないから。その、少しでも一緒にいたかった」

 囚人はこう考える。これは興味本位と一種の実験。人の良さそうな相手に声をかけているのだろう。
だからこの潮らしい表情も演技ではないか。思慮深く観察はしてみるが、涙を浮かべる姿に心打たれそうにはなる。

「この荘園のルールは守る。だから、お話したいの。いい?」

 この甘言は罠か。だが、この美貌に落ちない人間はいない。
向こうも観察をしているのならば、こちらも様子を伺うとしよう。サバイバーたちの能力にも興味があるし、本来の身体能力が誇張されて力を発揮していることも気になる。研究対象は多いに越したことはない。

「私の部屋はダメだ」
「じゃあ、私の部屋に来て」
「他のサバイバーが驚く」
「大丈夫。ボクたちの屋敷は、皆の住う場所から離れた場所にある」

 どうあっても標的を変えるつもりはないらしい。縋り付いてきてはシャツを引っ張り、甘えるように縋り付いてくるのだ。

「しかし、その屋敷には他の写真家たちもいるのだろう?」
「うん」
「彼らが怒るだろう」
「関係ないよ。部屋は別だもの」

 彼の出身も貴族だと聞いたが、この荘園でも特別扱いなのだろう。それよりも、荘園の主人がよく許してくれたものだ。金なんていくら詰んでも関係のない場所だというのに、まかさ色仕掛けでも使ったのだろうか。この中性的な彼には、謎が絶えない。

「私は謹慎を言いつけられた。フィールドワークで足を運んでいいのも近辺だけだ」
「……ボクの、せい?」
「そうだな」
「ごめん、なさい」

 浮かべた涙からは嘘偽りを感じさせない。はらはらと美しい真珠が落ちる様を眺めていては、流されてしまう。ふいと目を逸らして立ち去ろうとしたのだが、服の裾を掴んで離さない小さな手。「行かないで」とすがりつく姿に、思わず振り返れば少なからず嬉しそうな表情を浮かべる。そして、すぐに強く口を引き結ぶのだ。

「いいよ。関わらなければいいだけだ」
「いやだ!」

 何故にこうも他人のことで意固地になるのか。必死に声を上げると、青い顔をさらに青ざめさせては腰へと抱きついてくるのだ。

「ボクは、貴方のこと、もっと知りたい!」
「どうして。他にもハンターはいるだろう」
「貴方のこと、知りたい!」

 どこにそんな強い力があるのだろうか。まるでハンターのような腰を折らんばかりの抱擁に、思わず肺の空気が咳となって飛び出した。それでも力は緩まらない。上目遣いで、だが誘惑をするような甘い目ではなくて、不安の表情を浮かべてゆっくりと距離を置き始めた。だが、袖を離すことはなく。

「本気、なのかい?」
「計算していると思われてた?」
「うん」
「そんなことしない。恋の駆け引きなんて、知らない」

 恋、とはどういうことなのだろうか。もしかして、同じ感情を抱いているのだろうか。ゆっくりと歩み寄ってきて、距離が0になったと同時に優しく抱きついてきた。お香を使っているのだろう、ラベンダーのような香りのよい野草と、果物の甘い匂いが混ざった心地の良い香りが鼻をくすぐる。

「ボクは、あいつらよりも君のこと好きだから!」

 他の写真家に対抗心を燃やしている理由に感づくことはできなかったが、必死の表情を見ていると演技でもないのだとわかる。
好いてくれることは嬉しい。人によっては「男に好かれても」と思うだろうが、関係がない。好いた相手なら、性別なんて気にする性格でもないのだから。満面の笑みで肩を抱くと、小さく丸くなりながら口を窄めて体を硬らせる。今更容姿に怖がる理由はない。これは、他人の体温への緊張である。

「わかったよ。私の部屋においで」
「い、いいのかい?」
「私も、貴方とはゆっくりと話をしてみたかったから」
「うん!」

 嬉しそうに飛びつかれて、抱きとめるので精一杯。まるで猫だ。尻尾があれば振り乱しているであろう、満面の笑みで体を寄せては楽しそうに喉を鳴らすのだ。
紫のに、丸い目。可哀想なほどに感情的に、必死に寄り添ってくるものだから、つい同情心が沸いてしまったともいう。丸いをあげては桜餅のように赤く染める。嬉しそうに微笑んでくれるのは嬉しいのだが、彼が何を考えているのかはわからない。何故にここまで懐いてくれるのだろうか。あの時に助けたことで恋心が芽生えたのだとすれば、単純すぎやしないか。そこまでチョロイ性格だとは思えない。
だが、人の心などいくら詮索したところで答えが出るわけがない。背伸びをして首へとぶら下がってくるから、臀部を支えては持ち上げ、大きく古い門扉へと歩を進めた。

「疲れたろう。逸れても困るし、運んであげる」
「え、あ、抱っこ……」
「男に抱かれるのは嫌?」
「抱っこ、嬉しい」

 プライドの高い彼は、怒る様子もなく大人しく腕の中に収まっている。
本当に、この好意を信用してもいいのだろうか。抱きついてきた彼の、細く男とは思えない柔らかな腕を支えながらも分銅をぶら下げて歩き出す。
 彼は他の狩人たちに見つかるわけにはいかない。人に合わないように外回りで部屋の外までやってきては、改造した窓を遠隔操作で開いて、彼を中へと招き入れる。感嘆の声を上げる彼の視線の先は、囚人の満足気な横顔である。

「すごい……」
「フィールドワークをする時に、入り口へ回るのは煩わしくてね」

 部屋に案内したのはいいが、ここは得体のしれない機械とコードしかない。イルミネーションのように、光を放ち続けて飛び散る火花に、興味津々で目を輝かせる。
彼の得意分野は電気工学だ。オイルの匂いはしないが、焦げ臭くて肌を毛羽立たせるような電磁波が飛び交っている。少しでも余計なところへと触れれば黒こげになってしまうだろう。
 恐怖を感じてしがみつけば、安全地帯である木でできたベッドの上へと下された。シーツの上には見取り図が飛び散り、重石の代わりに古書がのしかかる。研究書なのはわかるが、言葉は分かったとしても内容まではわからない。1枚、2枚と解読不能の紙を手に取ると、興味がないと側にある電灯の置かれた机へと放り投げた。

「この有様だと、ベッドで寝ていないのかな?」
「基本的に徹夜で作業している。寝るときは机さ」
「それでは体を壊してしまうよ。ほら、一緒に眠ろう」
「今日も研究が残っているから。話し相手くらいはできるし、気が済んだら部屋まで送るよ」

 もう既に電気を纏う椅子へと座り、ニッパーを手にしているではないか。接待とは思えない態度に怒りはすれども、悲しむ理由はないというのに、写真家は眉を下げてはか細い声を上げるのだ。

「泊まっちゃ、だめ?」

 頭を叩かれるかのような衝撃的な言葉に思わず振り返れば、枕を抱きしめながら上目遣いを浮かべる姿。少しずつ寝床を確保しようと、本や資料を片付け始めてはちょこんとベッドの端に座り込み、居座る姿勢も崩さない。泊まる、ということは心を許されているのだろうか。いや、これは誘っているのだろう。もじもじと揺れる足には、きっと我慢できずに膨らんだ感情が隠されているはずだ。

「いい、けれども」

 お互いが同意の上ならば問題はないだろう。頭の中で悪魔が囁く。
その答えを待っていたと、嬉しそうに跳ね回る彼ではあるが、我に返ると恥ずかしそうに咳払いをしては強く枕を抱きしめた。

「なら、お風呂に入っていい?」
「自由に使うといい。ええっと、確かジェットバスだった。タオルなどは執事を呼んでおくよ」
「確かとは」
「改造はしたが、それっきり入っていない」

 しれっと告げられた言葉に、信じられないという顔が隠せない。元から汚れているというのに、入浴すらしていないという事実に嫌悪感すら湧き上がる。
異臭はしないが、体の至る所に汚れは見えている。煤汚れた、監獄から脱走してきた咎人を体現した姿である。

「普段はどうしているんだい!」
「拭いている」

 確かに綺麗にはなるが、記憶を頼りに手動で綺麗にするよりも、自動的に洗い流したほうが確実に決まっている。それに彼のことだ、粗雑に行っているのが目に浮かぶ。ほんの数分で、体を撫でるようにタオルを滑らせるだけで満足しているに違いないのだ。

「なら、一緒に入ろう」

 ならば見張るしかない。写真家は強い意志を込めた声でそう告げる。
 彼の人のいい性格なら快諾してくれると誰もが思った。だが、今回は渋い表情をして頑なに唇をひき結んでいた。

「遠慮するよ」

 薄く笑みを浮かべながらも、頑なに拒絶の意図を示す。嫌がっているわけではなく、何か後ろめたいことがある時の顔だ。視線を合わせずに嘲笑を浮かべ、すぐさま背中を向けようとまでしてくる。

「もしかして、水が苦手かい?」
「そういうわけじゃないけども、入るなら1人でかな」

 避けられているのは今更だ。しかし今回は露骨すぎやしないだろうか。椅子に根をはやしたように座り込んでしまった。
アズラーイールは一緒にいたいのに、囚人はそうは思っていないのだろうか。慌てて抱きつき、胸へと腕を抱き込んだのだが、慌てて振り解かれてしまう。
拒絶としか取れない行動は誤解を生み、自然と悲観的な感情が溢れてくる。それでも離れたくはなくて、感情のままに再び縋り付いた。

「わがまま、言わないから。一緒に寝るのは、いい?」
「いいよ」
「じゃあお風呂、借りてきます」

 急な敬語と早歩きで去る背中は、彼の姿を小さく見せる。ぱたぱたと慌てて脱衣所へと駆け込む彼に、愛おしさが湧き上がる。
これは明確な誘惑だ。写真家に対しては特別な情念を抱いていたが、それはあくまでもオリジナルであった。アズラーイールに彼の面影は感じていても、個別の感情を抱いたことはなかった。ただ「彼の分身」だと。
 この想いには応えなくてはならない。彼は別人だ、写真家のオリジナルとは違う。わかってはいるのだが、どうしても重ねて見てしまう。

「ああ、可愛らしい」

 ずっと、見ていた。接点などほとんどない。時折ナイチンゲールを通じてカメラの修理を頼まれていたくらいだ。サバイバーとの私的な接触は避けるように、と口酸っぱく言われてきた身であるから仕方はない。特に、写真家との会合には釘を刺されていた。
 恋慕の念を抱いていたのは、主には筒抜けだっただろう。大っぴらにしていたつもりはないのだが、僅かな緊張した表情や不自然な体温の上昇具合から推測することは誰にでも容易である。
 他の写真家たちも魅力的ではある。個々の性格があり、別人として存在してはいるが、魂は同じなのだ。1人を好きになれば、皆に好意を持つのも必然である。だが、全員を選ぶという不埒な真似はできない。矜恃の高い彼らは、他と同等に扱われる事に対していい顔はしない。嫉妬深いところもあるし、怒りの矛先はライバルではなく選んだ相手に向かうだろう。「私があいつのどこに劣るのだ」と。
「そもそも、彼が振り向いてくれるわけがない」いくら強い情念を抱いたところで、振り向いてくれる保証もない。彼の分身たちがなついてくれたのも、ただの気まぐれだろうから。そう自分に言い聞かせていた。だが、どうだろうか。明確な好意を向けられ、それは罠でもないらしい。下世話ではあるが、遊べる時に遊ばなければ機会を逃してしまう。
 準備をしていた方がいいのだろうが、あまりがっついた様子を見せると笑われてしまう。平常心を保つために机へと向かい、改造をしている道化師のロケットへと向き直ると、ゆっくりと水音が響き始めた。
きっと気合を入れて隅々まで洗っているのだろう。シャアアアと、聞こえるシャワーの音が一向に止む気配がない。つい、作業も忘れて聞き耳を立ててしまった。

「……私も体を清めないと」

 彼が上がったら何週間ぶりかわからない入浴をしよう。珍しく上がったモチベーションを胸に、作業を初めて仕舞えば没頭して時を忘れてしまった。いつの間にか止まっていた人工的な雨の音も、髪を乾かす音にも気がつかない。やっと顔を上げた時には、脇に立つ彼の幼さの際立つが真っ先に目に入った。

「ねぇ、どう?」

 現れたのは薄いベビードールを着た、幼く扇状的な姿である。透けた生地が輝き、透き通った肌の美しさを更に際立たせる。まるで夜空のように輝く青く薄い布地が、ひらひらと宙を舞っては素肌を彩っている。
際どい部分も色素が薄く、童顔に似合わない面妖で色気の溢れる衣装に、思わずが緩んでしまった。

「そんな誘うような格好を、普段からしているのかい?」
「貴方を会いに来たから、もしもの時の為に、ね」
「尚更変わっている。私に見せてどうなるというんだ」

 本当に「理解できない」という表情をしているのはいただけない。くるりと舞踊のように回ってアピールをするのだが、ヘラヘラと笑いながら頬杖をついて眺めるだけ。まるで美景の一部のような扱いは心外である。本日の講演は中止として、彼の膝下へと勢いよく飛びかかった。

「可愛く、ない?」
「可愛いよ」
「じゃあ、見せてよかった」

 見てくれなければ意味はない。だが、自分から言うのも癪である。「見て欲しい」なんて口が裂けても言わない。遠回しな言葉は囚人にも伝わり、微笑みながらも体を抱きしめてくれた。

「しかし、体つきが女でも男でもないような……」

 喉仏も出ていないし、声も高い。おまけに筋肉が薄く、しかし臀部も膨らんではいない。男としても女としても中途半端な容姿であると言えば怒り狂うかもしれないが、そう言うしかない。思わず下から覗き込もうとしたのだが、引っ叩かれるどころか、膝立ちになると手が協力的な動きをとるのだ。

「ボク、性別がないの」
「性別が、ない?」
「そう。生殖機能がないの」

 持ち上げた裾から、見えたのは綺麗なおみ足である。だが、細く締まった太ももの、付け根に当たる恥部には何もない。男性の象徴も、女性にある入り口も。
自ら曝け出したというのに、視線が向けられると恥ずかしそうに手で隠すのが、また可愛らしい。「あまり見ないで」と可愛らしいことを言うものだから、足を掴んで無理矢理開かせると「キャンッ」と甘い悲鳴が上がった。

「やだぁ、見ないで!」
「見せてくれたのではないのかな?」
「そう、だけど」

 生娘のようなことを言うのは策謀のうち。かと思いきや、顔は可哀想なくらいに真っ赤である。足を閉じようと力を入れるが、徐々に力が抜けて四肢から力抜けて放り出される。
見えたのは、赤子のような汚れのない体。毛も生え揃っておらず、手入れの行き届いた美しさに感嘆の声が漏れ出てしまう。男でもなく、女でもない。そんな体躯では世間の風も冷たいだろうに、彼は悲観せず堂々と気高く生きる姿が何よりも美しい。

「貴方は、女じゃないと、嫌?」
「そんなことないよ」
「じゃあ、ボクでもいい?」
「勿論。むしろ、貴方に選ばれて光栄だよ」

 爛れて、研究者の硬い服装には似合わない、キザなウインクをすると小さな手を取り口付ける。
跳ね除けもしない。大人しく享受する姿に見惚れながらも、出っ張った骨を、細い指を唇で挟んでは舌で形を確かめるように舐めとる。身を捩りながらも気持ちよさそうに鼻から抜ける吐息を漏らす。普段のミステリアスな姿とはうって変わった、色っぽい姿に体が熱くなる。
 桃色に彩られた綺麗な青い肌へと手を伸ばすと、まずは優しく口付ける。始めは急な出来事に驚いていたが、すぐに目を閉じると甘く享受する姿勢へと変わった。

「ん……むぅ、」

 舌を差し出し、無防備に体の入り口を開け放つと首へと縋り付いては体を委ねてくる。積極的に、唾液を混ぜ合わせ、与えられる熱に酔いしれる。お互いに我を忘れるほどに角度を変えては貪り合う。ぢゅるぢゅる、と卑猥な音が響くが耳を塞ぐことも、少なくなった酸素を補うことすら忘れてしまう。
しばらく続いた甘い時間だったが、生理的な命の危機を感じて、終わりを告げる。はあはあと荒い息を吐きながら、唾液が名残惜しいと糸を引く。

「えへへ、ファーストキス」
「初めてなのかい?」
「うん、初めて。キスってこんなに気持ちがいいんだ……」

 満面の笑みで、嘘偽りなく呟くものだから思わず息を飲んでしまった。
衝動的に行ったことだ、それでも彼は喜んで受け入れてくれた。それどころかもっとしてくれ、とへと擦り寄り腰が重くなる声で囁く。

「囚人……じゃなくて、名前を、教えて」
「ルカだよ」
「ルカ……ルカ!」

 初めて知った名前に興奮しては甲高い声が上がる。何度も何度も繰り返しては、首にぶら下がり楽しそうに踊る。彼に何度も呼ばれるだけで、特別な響きとなり心に染みる。可愛らしい鈴の音が転がるような声。再び衝動のままに額へと口付けると、身を震わせて喜びの吐息を漏らすのだ。

「じゃあ、ルカ、シよ?」

 体重をかけては、徐々に後ろへと倒れ込むように仕向ける。蕩けた瞳も熱で魘されるも、可愛らしくて年相応の青年の醸し出す色気だ。舌を出してはキスを誘い、目を閉じては身も心も委ねる。だが、今応える時ではない。

「先に私も入浴してこようかな」
「今のままでもいい」
「臭うからさ」
「……わかった。待ってる」

 応えてしまえば汚れた体のまま、清潔純白な彼に触れることになる。まるで、不釣り合いだとでも言われている気になり、ひどく落ち着かない。ふてくされてはいるが、聞き分けのいい子供は素直に頷いては悔しそうに唇を噛み締める。その表情も可愛くて。早く戻ってやらなければという、過保護欲はこのむず痒い感情のことを言うのか。留守番の子供に寂しい想いをさせたくないという一心で、どこをどのような順番で洗ったのかも覚えてはいない。念入りに体を洗い流すと、久しぶりに嗅いだ石鹸の匂いに立ちくらみを覚える。

「はぁ」

 清潔な匂いは、普段馴染みがないために魅惑的で、心地が良い。ついうっとりと自分の髪の匂いを嗅ぐが、彼のものとは違う。こんな安いっぽい洗剤ではない。フラグレンスをふんだんに使った花の甘い香り。春の陽気のように心地よく、安堵する匂いなのだ。
記憶している彼の香りと比べるために「ふう」と大きく息を吐き出せば、脱衣所の前を小さな足跡が往復しているのが聞こえてきた。ぱた、ぱた、ぱた。素足でスリッパを叩く音に微笑むと、扉を少し開けてはまだ濡れた顔を覗かせる。

「ルカ、もう出てきた?」

 どうやら待ちきれずに迎えにきたようだ。ぱぁっと輝く子供のような笑みと同時に、同じシャンプーの匂いが漂ってくる。だが、やはり違う。人工的な香料に混ざった甘い匂いは、彼の体臭なのだろう。早く早く、とノブへと手をかけると制止も聞かずに回し続ける。

「うん」
「早く! 早く、行こう?」

 身長も体格も立派な成人男性であるのだが、無邪気な言動と、少女に見まごう可愛らしいと童顔で子供を見ているかのような錯覚を覚える。腕を掴むと服を着ていないにもかかわらず、脱衣所から引きずり出そうとするものだから、乱暴に腕を振り払っては再び扉の中へと隠れるしかできない。

「ちょ、ちょっと待って!」
「何故?」
「服を着てから!」
「どうせ脱ぐのに?」
「ダメだ!」

 きつい言葉で否定をすると、急いでボロ布を手に取ると身に纏っていく。
今日の服もいつ洗ったかすら覚えていない。そんな格好で彼の前へと出るわけにはいかない。かといって、全裸で彼の前へとヘラヘラと姿を現すのはもっての外だ。一体なんの用途で洗面台にしまっていたのかは忘れてしまったが、謎の汚れも異臭もしない。相も変わらず白と黒のボーダーを身に纏うと、玩具を取り上げられて拗ねた表情を隠さないアズラーイールの元へと駆け出した。
 ベッドに座り込み足を踊らせる愛しいベビードール姿は、さながら初夜に緊張する新婦である。つい先ほどまでは無邪気な笑顔を振り撒いてくれていたというのに「遅い」と膨れっ面になるばかり。駆け寄ってもきてくれなくなった猫に「ごめんよ」と腑抜けた笑いを浮かべると、疑心暗鬼の鋭い視線を向けながらも、ゆっくりと腰に抱きついてくるのだ。

「……優しくシてくれたら、許す」
「約束する。そして、私からも一つ約束があるんだ」
「?」

 キョトンとしているが、これから口にする言葉でどのような反応をするだろうか。小さく、人形のような肢体をシーツの海に横たわらせると、黒く長い髪が波のように広がる。ブローまでして整えていたようであるが、関係ない。目の前に広がる白と、黒と、青は、星空を見ているかのよう。決して手の届かないはずの、淡く儚い輝きを青白い月に触れれば、ゆっくりと熱を帯びては一層美しく輝く。

「目を閉じて」
「目を?」
「そう。そして、そのまま私に全て委ねてほしい」
「うん。わかった」

 手にした布に怯えもせず、間髪いれずに決意のこもる返事を口にした。長い睫毛を揺らしながら視界を閉ざしては、首をこてんと横たわらせる。

「ボクの全部、貴方にあげる」

 体の力を抜き、無防備な肢体をベッドの海へと捧げる。供物のようであり、眠り姫のようであり、美しくも儚い想いがひしひしと伝わってくる。「貴方のことが、大好き」だと言葉にされなくてもわかる。
ゆっくりと体を乗り上げては光から彼を隠す。この秘事には誰にも内緒である。口止めをするかのように薄く開いては誘う唇を塞いだ。

++++
21.7.30

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