封神 | ナノ



棘を隠したテンプテーション


※ テンプテーションをかけようとする話



 スーパー宝具「傾世元禳」。
それは、世界に7つしかない強大な力の1つ。蠱惑的な匂いにより敵を惑わせ、自らの意のままに操る事が出来る恐るべき精神操作系の宝具である。
当然強大な力を制御するには、相応の実力と功夫が必要となる。力に伴わない者は生気を吸われて死に至るという、持ち主を選ぶ生きた兵器とでも言うのだろうか。
 しかし、その力を手にする事なく物に出来る者もいる。変化の力―――そう、模造である。



 細い腰をくねらせて丸い尻を左右に揺らし歩く姿は、まるでモデル。押し上げた下唇は瑞々しく、とても数千年生きているとは思えないスレンダーな体と張りのある肌は、人間とは思えない面妖さを讃えていた。
 正体は仙女であり、悪の皇后である妲己。腕で豊満な胸を誇示するポーズに、赤く濡れた舌でふくよかな唇をなめ、流し目で立ち止まる男たちを見回し、長い睫毛を音を立てて瞬かせる。それだけで大輪の鼻が咲いたかのように、周囲が色づいて見えた。
戦争や弾圧によって土地がやせ細り、労働と農耕に日々勤しむ周に似つかわしい美女が佇むだけでも、周囲からの視線が彼女の体に矢の如く突き刺さる。

「あはぁん

 秋とはいえ、晴天の中傘すら持たずに歩いているというのに、日焼けという言葉を知らない白い肌。悪戯に振り返り、ウインクをするだけで顔を赤くする男たちは年齢を問わない。
しかし、目の前で腕を組む小柄な男だけは、不思議そうに首を傾げては美女のモデルショーを観察していた。
 美しい女を前にしても、冷静な感想を呟くのは春過ぎたジジイこと太公望、その人である。
見惚れるどころか敵を前にしても眉1つ動かさず、動揺も見せずに見つめ続けているのは、噂通りに女に興味がないのかと疑われても仕方がない。だがその表情は至極真剣で、些細な動作も見逃さないという審査員の眼光である。

「お主、何故男なのにそこまでの動きを会得しているのだ。本当に女装が趣味というわけではないのか?」
「違うわよぉん これは趣味の女装じゃなくて、功夫よぉん
「女装の修行というのもどうかと思うがのう……」

 腕を頭の後ろで組むだけで、大きな胸がたゆんと揺れ、再び元の位置へと戻っていく。まるで本物かと見まごうが、本当の姿は男――そう、崑崙山で唯一変化が仕える天才道士、楊ゼンなのである。
先ほどから何故天敵の格好をしているかと言うと、別に命令をされたわけではなく、何を隠そう自主練である。いや、女装のではなくスーパー宝具の力を最大限に引き出す修行の。

「どう? 太公望ちゃん。わらわのテンプテーションわぁん?」
「うーむ、どうと言われてもなぁ……」
「スープーちゃんは?」
「妲己そっくりッス!」
「じゃあじゃあ、わらわの為に何でもしてくれるのん??」

 嬉しそうに両足でピョンピョンと飛び上がる度に、むっちりとした太ももが眼前に晒されて、四不象も鼻息を荒くする。足の付け根の筋も、しっかりと形を確認できるほどの薄着に太公望はため息をつくが、これは最いくら言っても治らない発作のようなもの。
本物の彼女も、ビキニのような服を着ているところを見た事がないのに、何を思って局部を覆っただけの服を好んで着ているのかを問いただせる者は、ここにはいない。思ったよりもわがままな彼のこだわりは強いのだから。
 それはさておき。丸い目を期待に踊らせて四不象を見つめるが、彼も色香に惑わされる事なく唸っているのみ。さすが太公望の相棒だ、女性に興味を示す事もなく冷静さを崩さない。

「うーん、テンプテーションにかかった時のような感じはしないッスね」
「もう、いけずねぇん!」
「さすがにスーパー宝具の模倣は難しいかのう」

 真剣に注視する彼の姿は、戦場を左右する軍師の姿をしていた。いつもの飄々とした滑稽な道化の衣を脱ぎ捨てた太公望という男は、なんとも頼りがいがある。
 彼女の視線は、雄姿に釘付けであった。いつもはお互い戦場を駆ける身、滅多に顔を合わせる事がない。それもそうだ、楊ゼンが戦列を離れる事はすなわち負けを意味する。逆に、太公望が前線に赴くときは緊急事態である。
 見る機会のないものに対する、物珍しさの視線。お互い見つめ合った状態が続いたと思えば、照れて恥ずかしそうな顔を反らしたのは、楊ゼンであった。

「もぅ、ならしばらく功夫よぉん

 下唇に指を添え、ゆっくりと変化を解けば負けじと美しい青年の姿が現れる。
だがいつもと違い、まるで胡喜媚のように羽衣を纏っている姿はまさに仙女である。何故部分変化をしているのかはわからない。
失敗したわけでもなさそうであるし、1人と1匹は彼がどう出るかを目を丸くして見つめていた。

「ふむ、スーパー宝具ですら部分変化できるのか……雷公鞭のように最強クラスでなければ、あるいは……」
「はい。効力は……どうでしょうか」
「先ほどと変わっておらぬな。姿形が問題というわけではないようだ」
「そう、ですか」

 肩を落とす様子に苦笑し、慰めるように肩をポンポンと叩かれる。
いつもは肩に下がっている布が、羽衣として纏っている姿は新鮮。研究対象を見つけたように、楽しそうに髪の先から足のつま先まで眺めてくる。
男なら振り返る美女が、女なら見惚れる美男となったのだ。少しくらい反応を返してもいいかと思うのだが、相手が悪かった。せっかく気をひく為に元の姿に戻ったというのに、ただのイメージチェンジとしか思われていないとは、悲しい。
だが、簡単に美男美女に靡かない彼こそが修行に最適と選んだ人材。何故なら、本能で彼女に惹かれないとなると、擬似の宝具が効力を発揮しているのかが一目瞭然なのだ。

「ならば、また後日お付き合いしていただいてもよろしいでしょうか」
「うむ、そのくらいなら構わんよ」

 人のいい笑みと共に、快諾してくれた太公望に胸を撫で下ろし、楊ゼンも負けないほどに爽やかな微笑みで返す。
太公望が老若男女の誰にでも優しく平等なのは、仙道も人間もが周知のこと。
そんな彼とは正反対に、楊ゼンの心中は複雑なものであることは、誰にも知られざることであった。表面上では笑顔を装っていても、ひたすらに内心は焦っていた。暇さえあれば何度も彼の元を訪ねるほどには。

(本当に効力が出るなんて、期待はしないけどね)

 宝具の研究と変化の上達なんて、建前だ。本当は、傾世元禳の誘惑の力を、物に出来ないかという実験である。
このままうまくいかなかったとしても、彼が恋人に求める理想像を聞き出す事も出来る、カモフラージュ作戦としてもちょうどいい。
こうやって約束をしておけば、一緒にいることに対する言い訳もできるのだ。
 いつまでも振り向いてもらえない片思いが、胸を潰されるかと思うほどに辛いだなんて彼は知らなかった。いつも意図も簡単にあしらっている女性たちに申し訳ない気持ちになるが、それでも頷くことなんて出来ない。嘘でも、女と歩いているところを見られたくない、と思うのだから。
 太公望に関して思うことは、容姿も冴えず、利口ではあるが正確に難ありの同性である、というマイナスの印象ばかり。なのに、どうしてこうにまで惹かれるのか。恋慕は感覚、理屈ではない。いくら考えてもわからない、尊敬する師匠に相談しても笑顔で「わからないな」と首を横に振られるだけであった。
彼に対して恋心を持ってしまったことを、今更否定する気はない。だが、わがままではあるが自ら告白するのはプライドがどうしても許してくれない。
「相手から仕掛けてくるように仕向けたらいい」と思い立って実行に移したのがこの作戦だ。名付けて「色仕掛け功夫作戦」。陳腐ではあるが、手段は選んでいられなかった。

 しかし、スーパー宝具模造の修行を始めた今でも彼の態度に変化は現れなかった。
やはり、全ての宝具の元になるほどの力、簡単に真似できるものではない。いつの日からか、肩にかかる羽衣にすら気を止めないようになった頃から、楊ゼンには焦りが生まれていた。

(当然だけども、いつもと違う格好も普通になってしまったようだ)

 イメージチェンジで関心を持ってもらう作戦も使えない。こっそりと蠱惑的な香りのする薬草を煎じて香水をも作ってみたが、いつまでも効力も現れない。
 そろそろこの修行の偽装も終了か。ここ数週間、一日中部分変化を維持をする修行にはなったし、無駄ではなかったと思う。
自室まで辿り着いた時に、ふと思い立って衣を消そうとはしたが、なんだか名残惜しくも感じてしまった。一人思案していても答えなんて出るはずもない。呆然と立ち竦んでいると、突然背後から肩を叩かれて思わず背筋が魚のように反ってしまった。

「うひゃあ!」

 唐突のことで背後への配慮が出来ておらず、間抜けで女のような悲鳴が上がってしまった。
まずい。誰かにこんな声を聞かれたくはなかったのに、よりによって人通りの多い夕方とは。恥ずかしいというのもあるが、聞かれてしまってはしょうがない。ならば、せめて相手が気の置ける友人であることを願おう。師叔ならば一安心なのだが、しばらくからかわれてしまうのが悩みどころ。
願い虚しくなのか、叶ったというのか、ゆっくり振り返ったそこにいたのは丸い目を更に大きくした太公望師叔であった。
 何も言われないのは何よりも応える。カラスの声が囃し立てられているような気さえして、慌てて生払いをして赤い顔をそらした。

「……忘れてください」
「一声目がそれか。驚かせてすまぬな」

 女々しい悲鳴をからかう様子もなく、どうやら純粋に驚いているようだ。素直な謝罪に拍子抜けし、冷静になることができた。
改めて向き合うと、咳払いを1つ。どう切り出そうかと困っているダメな彼に、助け舟を出すことにした。

「して、何か用でしょうか?」
「おお。お主が部屋の前で立ち止まっておるからの。何かあったのかと」
「少し考え事をしていただけです」
「それなら良い。休んでおれ」

 優しい笑顔を浮かべて立ち去ろうとするものだから、見落としかけた。
彼の手には大量の地図と書物。きっと今から今後の方針を決めるために策を作るつもりだろう。しかし、資料室から執務室までは逆方向。通り道とも思えない。
ステテと軽快に走り去る後ろ姿を、慌てて呼び止めてしまった。

「もしかして、僕を探しに来ました?」
「いつもならば修行に付き合う時間だからの。今日は少しばかり遅れると言伝に来たのだ」
「そう、でしたか。わざわざすみません」
「疲れているならば仕方あるまい」

 まるで、一刻も早く立ち去りたいと言わんばかりの踵の返し方が胸を刺した、それだけだ。慌てて彼の持つ資料を全て奪い取ると、何食わぬ顔で歩き出す。
重荷がなくなりポカンとする顔がおかしくて、つい笑ってしまうとしかめっ面が返って来た。これはムキにさせてしまったかもしれない。こうなった彼は頑固になり非常に厄介だ。

「お手伝いします」
「ダメじゃ。早く休め」
「嫌です」
「意固地な奴だ」
「貴方に言われたくありません」

 どう言われても自室に戻るつもりはない。無視を決め込み執務室へと早歩きになると、短い足で慌てて横へとついて来た。どうやら、命令は諦めたらしい。
代わりに、横から執拗に顔を覗き込まれてなんだか落ち着かない。「なんですか」とわざと辟易した視線を送ると、満足気に大きく頷いた。

「やはりその羽衣、似合っておるの」

 唐突に容姿を褒められて驚いた。いつもはお世辞でも褒めるなんてことはしないのに、どんな風の吹きまわしであろうか。
顔が熱くなるくらいには嬉しいのは確か。気をぬくと、この場でしゃがみこんでしまうだろう。しかし彼にだけは失態を見せることを避けなければならない。表情を引き締め、息を大きく吐き出して精神統一をすると真っ直ぐ彼を見つめ返した。顔を見られるのはリスクがあるが、目をそらしたら負けたという、謎の対抗心からである。

「熱でもあります?」

 つい照れ隠しをしてしまったが、気を悪くした様子もなく笑っている。
いつものたわいもない小言だ、と思ってくれたのならば良かった。本当は、口をついてしまった悪態を不快に思っていないかと、ヒヤヒヤしているのだから。
しかしそんな臆病な内心を気に出さず彼の様子を盗み見ていると、また視線が交差した。

「最近、城内のおなご達が騒いでおるからの」
「どのように?」
「イケメンの仙人様が、まるで天女のように美しくもなった、と」
「なんですかそれ」

 一体彼女達の目には、自分がどう映っているのかはわからない。天から舞い降りた天使にでも見えているのだろうか。
そんな、綺麗なものじゃない。今だって、人を欺きながら利己的な行動を繰り返しているのだから、人間よりも欲深い生き物を捕まえ、そんなことを言えるものか。
笑顔を崩さないままT字路へ突き当たり、執務室へと続く右へ曲がろうとした時、急に袖を引かれて歩を止めた。

「こっちじゃ」
「そちらは執務室ではありませんが」
「わしの自室でやる。もう日も暮れておるからの」

 迷わずに部屋へと足を向ける彼を追い、ギイと音を立てて方向転換をする。
人使いは荒いわ、恋心をかき乱すわ、全く困った人である。腕も痛い、胸も痛い、緊張で体も熱い。
それでも無自覚な小悪魔は、自室に連れ込もうとしてくる。覚えてしまった道のりを、彼の小柄な足幅に合わせて進むという行為にすら、特別な意図を勘ぐってしまう。
 違う。そんなものは一切ない。所詮友達、いや部下と同業者。妄想している出来事など、万が一にも起こり得ない。
心の中では珈琲に入れた牛乳をかき混ぜるかのような、混沌として対局な思考が混ざり合っていると言うのに、おくびにも出さずに淡々と後に続く。
隠すのも我慢も得意だ。ニコニコと表面上だけの作り笑いを、無理に浮かべると「そうだ」と彼が振り返る。

「夜も近い。足元には気をつけよ」

 決して自らの力を奢らずに傍に立ち優しい命令を下す彼は、なんと人の上に立つには向いていることか。これで荷物を持ってくれたら完璧ではあるが、それをすると次は彼の体が潰れてしまうのでは、と心配になってしまうので却下だ。彼といると肩の荷が降りることはない。
ゆっくりと、ゆっくりと潰れないように歩みを進めていくと、いつもは遠く感じる彼の部屋が目の前に迫ってきた。
ああ、2人だとこれだけ距離感を狂わせるのか。楽しい時間ほどすぐすぎるとはよく言ったものだ。
 何を言うまでもなく、扉を開けてくれて中へ入るように促される。
やっと休めるかと思えば、そうではない。ここは想い人のパーソナルスペースなのだ。緊張しないわけがない。
動揺が震えに出る前に、荷物を彼のサイズに合わせて作られた机へと置くと「冷えるな」と腕を擦りながらも窓を閉めにいく後ろ姿。
その直後だった。溢れるような小さな声が聞こえてきたのは。

「あ……」

 振り返ると、頭を押さえて千鳥足になる彼の姿だ。
 唐突にぼんやりとし始めたと思えば、ずいと顔を寄せてくる。もしかして、術の効果が出てきたのだろうか。そんな馬鹿な。いや、締め切った密封空間だからこそ匂いが充満して力が発揮されたと考えれば、なんらおかしいことはない。盲点だったと後悔すると同時に、倒れ込んできた肩を抱き寄せると、思わず息を大きく吸い込んでしまった。
近い。
目の鼻の先に、焦点の合わない彼の顔があり、どこを見つめているのかもわからない。
このぼんやりと意識が曖昧な者の症状には覚えがある。これは妲己のテンプテーションにかかった者に似ている。
 まさか、そんな。まだ修行不足である身であるのに、スーパー宝具の模倣などできるわけがないのに。
成功してしまった事実に喜ぶよりも、焦燥が湧き上がる。どうすれば彼は戻るのだろうか、何か副作用はないのだろうか。彼の身を案じた心配のみが頭を駆け巡る。
大丈夫だ、倒れこむほどの精神の錯乱はない様子であるし、温かさも感じる。一定のリズムを刻む心音に安堵していると、揺れる光を携えた青い目が真っ直ぐ楊ゼンの緑の目を見つめてくる。責問ではない、ただ顔を見つめているだけだ。しかし、これはいつもの彼とは違う視線で落ち着かない。
 この感覚どこかで。そうだ、いつも物陰からひっそりと見つめてくる、女たちの視線である。
まさか、と額から汗が流れると同時に、喉には熱い願いが嚥下される。あえて動かずに彼の言葉を待つ時間は、僅か数分ではあったが、一時間にも半日にも長く感じてしまった。
 薄く淡い桃色をした唇が開き、言葉を発する形を作る。文字を思い浮かべ、単語にし、組み合わせて、文章を作り、息を吸い込み、吐き出す、そして音を出して、人に意思を伝える言葉とする。
皆が難なく行なっていることなのだ、それがこんなにも時間を食い労力を使うものだとは思いもしなかった。

「清源妙道真君、サマ」

 やっと聞こえた声は、聞きなれないが名前を呼んでいた。だが、これは間違いなく自分のものだ。仙人を名乗ることを許された、楊ゼンの名前。
やめてほしい。仙人での名で呼ばれると、彼よりも偉くなった錯覚に陥ってしまう。楊ゼンはまだ仙人を名乗る気もなければ、太公望よりも優っていると感じたこともない。
 ただ、平等にありたいだけなのだ。仕事も使命も忘れて、ただ志を同じくした同志として。

「師叔。やめてください」
「何故ですか?」
「僕のことはいつものように楊ゼン、と」
「清源妙道真君サマを呼び捨てなんて恐れ多い」

 すっかり擬似傾世元禳の力に惑わされているようだ。
本当に効果が出るなんて思ってもいなかった。期待して裏切られるのはもう沢山。なのに、もう諦めて油断している時に効力が現れるだなんて、思ってもいなかった。
もしや、窓の空いていない狭い部屋という密室空間が功を労したのだろうか。いや、それならば今まで何度か同じシチュエーションがあった。
それならば、この香水の効力も合わさり、何か奇跡に似た現象が起きているのだろうか。考えられる可能性はそれくらいしかない。
 ならば、今の彼は間違いなく術中に落ちている。ならば、何をしても術のせいにできる。
ゆっくりと肩を掴むと、真剣な眼差しで彼と相対する。

「僕は、貴方の特別な存在になりうるのですか?」

 お互いに敬語を使うとは違和感があるが仕方ない。どんな関係になっても彼に対しての敬意は薄れないし、それに罪悪感もある。
意識のないうちに、自分の心を好き勝手されたとなれば、きっと彼はいい顔をしない。軽蔑されてもおかしくない。
いくら一時でも望みが叶ったとしても、彼に嫌われることをよしとはしない。今までも、側にいるだけでも満足ができたのだから、きっとこれからも我慢ができる。
例えこの感情の正体がわからなくても、それが運命なのだ。例え2人を分かつその時までわからない感情であっても、仕方がないから。
 それでも好奇心には勝てなかった。一瞬の気の迷いが脳を支配したように、身勝手な言葉を紡ぎ出す。いけないのはわかっているのに。どうしても、知りたく、いややりたくなってしまったのだ。
淡々と虚ろな目を傾けて、答えあぐねているようではあるが、口を開けば迷いのない言葉。

「はい。私にとって、特別な存在です」

 これを素面の状態で言われたのなら、どれだけ心踊っただろうか。大きく動いた心の臓を抑えて唇を噛みしめる。
違う。これは太公望師叔ではない。だが、無い物ねだりをしても仕方はないし、姿形は彼のものだ。ならば、と邪心がほくそ笑む。

「ならば一つ、命令を聞いてください」
「はい」

 顎を親指で持ち上げへと向かせると、微笑みを浮かべて形のいい唇を開く。優雅で紳士的な行動に、女ならば誰もが身を委ねるであろう甘い表情まであるが、目の前の人形は反応を示さない。
それはむしろ嬉しい。彼は楊ゼンのことを容姿で判断しない。能力と性格も総評で判断をしてくれるし、何よりも優しい。誰にでも優しい彼ではあるが、こうやって2人きりで相対しているときは、自分だけが見てもらえているのだと錯覚できる、独り占めできる。嘘偽りなく、彼は自分だけ特別扱いをしてくれているのだと勘違いをしても許される。
 だから、今だけでも彼の愛情が欲しい。例え、それが気休めであっても。

「何があっても、動かないでくださいね」

 嫌がって欲しい。言うことを聞かないで欲しい。受け入れて欲しい。
無理矢理事に及ぼうとしているのに、奇天烈なわがままな願いではあるが、本心からの声である。
肩を優しく掴むと、ゆっくり顔を近づけて、唇を塞ぐ。バードキスではあるが、確実に接吻を交わした。その事実だけで十分である。無抵抗な彼から手を離すと、言葉を発する前に部屋から飛び出した。
荒々しく扉を閉じると、木で出来た扉はギイと不穏な音を立てる。壊れてはいないが、強く叩きつけたのだ、噛み合いが少し悪くなってしまったかもしれない。
 そんなことはどうでもいい。
独特なノイズをたてて変化を解いて羽衣を消すと、扉を伝って地面に座り込む。走り出す力と判断力さえも、欠落してしまっていた。
 最低だ。これだから、妖怪は直情的と言われるのだ。何よりも貪欲で、欲望に忠実で、衝動を抑えられない。
同意の上、というのは言い訳に過ぎない。これは立派な乱暴行為だ。醜い感情と顔を覆って鼻を鳴らすと、扉の向こうから小さく唸り声が聞こえてくる。
どうやら我に返ったらしい、それならばよかった。急かされて駆け寄りたい衝動を抑え、取手にかかった自分の片手を抑え込む。
顔を合わせても、何を言えばいいかわからない。それに、先ほどの一方的な行為のせいで顔を合わせられない、と言うのが真理である。震える体を抱きしめて抑制していると、疑問符に塗れた言葉が聞こえてきた。

「ん、ここは……」
「師叔、気がつきましたか」
「楊ゼン?」

 ああ、良かった、本当に良かった。いつもの彼に戻ったという安堵感に、詰めていた息が一気に吐き出されたが、それは過呼吸になるかと思うほどに不安定で熱く、息苦しいものであった。
後悔はしない。しかし、もう二度とするものかという決意が湧き上がる。顔を覆えば、自らの犯した罪も隠せないだろうか。ツンと鼻の頭が痛み、心も締め付けられるように圧迫感に襲われる。
これが罪悪感というものか。生まれてこのかた、師匠の言いつけを守っていた真面目な優等生には、初めて経験する痛みであった。
どうやればこの薄気味悪い感覚から逃れることができるのだろう。いくら顔を拭ったところで、罪が拭えるはずなんてない。
 扉の前で問答をしているものだから、必然的に相手も不信感を露わにする。部屋の中から廊下へとノックをするという、摩訶不思議な行為をさせてしまっているのは、ただならぬ楊ゼンのせいである。

「どうして入ってこない」
「いえ、別に」
「理由がなければ問題なかろう」

 扉を無理矢理開けようとしているが、全体重をかけている為に、なかなか部屋から廊下までの空間を作ることができないようだ。一生懸命、力を込めているのは伝わってくるのだが、そう簡単に負ける訳にはいかない。
今、顔を合わせたら何を言っていいのかが頭に思いつかないのだから。きっと、言い訳か言い逃れもできないことを言ってしまうような気がして怖い。
もう、逃げられない袋小路へと迷い込んでしまっているというのに。
 しかし、事情を知らない彼は容赦がない。扉が壊れたところで構いはしない、と言わんばかりの力でこじ開けようとするものだから、慌てて静止を訴える。このまま壊して、一緒に大目玉を食らうのは腑に落ちない。
失敗に慣れていないのも困ったものだ。自分から折れるもの悔しいが、背に腹は変えられないとは、このことである。

「ちょっと、待ってください」

 急いで立ち上がると、勢いに任せて外開きになった木の板から、小柄な体が雪崩れ込んできた。まさかそこまで全力で押されていたとは思うまい。衝撃に驚き、目を覆ってしまったのは恥ずかしいが、一番恥ずかしいのは、何もないところでボディアタックをして転んでいる太公望であろう。強く打ったことで赤くなった鼻を必死にさする姿に、思わず笑ってしまった。
 先ほどの不穏な空気は何処へやら。体を起こしながら彼も照れ笑いをしながら視線をそらし、顔も赤い。若者の青春の1ページかのような甘酸っぱい穏やかな空気に流されかけた。目ざとく背中を見つめる彼の視線に気がつき、自分の置かれた状況を思い出す。
そうだ、詰問をされては非常にまずい状態なのだ。例えば「一体何があったのか」と問われるだけで、冷や汗が流れ始める。キョトンとした可愛らしいを堪能しながらも、どんな鋭利な言葉に身構えて全身全霊を研ぎ澄ませていた。

「ぬ。変化の修行はやめたのか?」
「はい。検証を続けた結果、失敗と結論づけましたので」

 初めは簡単なジョブ。なんとか誤魔化せる言葉は引き出せたので安心である。
たが、相手は知恵に関しては崑崙山で一番だとも噂される太公望である。丸い目が、まるで心の奥まで覗き見るかのように輝き、細くなっていく。

「何をもってして、失敗だと判断しておるのだ?」

 胸をかき回すような、鋭い言葉に息が詰められた。やはり、彼を簡単に誤魔化せる訳などなかったのだ。
ここで「期待していた作用とは違う症状が、貴方に現れたからです」なんて、素直に答える気はない。
この感情は、やはり恋愛だったのだろう。彼に認められたい、勝るところを見つけたい、それだけではなかった。
本心から認めて欲しいという承認欲求と、貴方からも見つめて欲しいという浅はかな欲望。それがわかった今、どれだけ彼に表面上だけ取り繕われても嬉しいなんて思わない。
 勝手に心を惑わしておいて、勝手に幻滅するなんてただのわがまま。そんなことは百も承知である。だから言わない、表に出さない。
でも、彼に隠し事なんてできない。見透かされた青い空のような瞳にたじろぐと、わかっているというように笑う。

「本物の妲己にも惑わされぬわしを、本当に誘惑して操れるとでも思っていたのか?」

 今の言葉の意味は、想像しているもので正しいのだろう。
そう、彼は術にかかっていなかった。始めから惑わされてなど、いなかったのだ。何かを企んでいると承知の上で、その策に乗っていた。そして、こちらの出方を観察していたにすぎない。もしかしたら、この修行を提案した時からずっと気がついていたのだ。
全く、謙虚で密やかで、油断ができない人だ。演技が得意だと自負はしているが、いつまでたっても彼から一本取れるかも、という野心すら奪い去られてゆく。

「一体、何の話ですか?」
「ふむ、しらばっくれるか。それもよかろう。からかうつもりなんてないがな」

 淡々と詮索する言葉を投げつけてくる彼は、その平凡な言葉がどれだけ残酷なのか理解していない。
普通の部下ならば、悪戯を咎められなかったことに明るい表情を作ることもできただろう。それでも恋心が邪魔をして悲鳴をあげる。「否定された」「ふられた」「諦めたくないのに」と。
 強く手を握り締めると、カラカラと笑っていた彼が真剣な面持ちになる。いつもは丸く人懐っこい目が細くなり、捕食者のようにまとわりついてくる。張り詰めた空気に緊張と、恐怖。唾を大仰に飲み込むと、優しく口角がつり上がった。

「して、お主はこのような実験をして、わしにどうして欲しかった?」
「……」
「言えぬことなのか」

 もう、逃げられない。ゆっくりと扉へと歩いていくと、部屋の明かりが人型に遮断される。
窓から差し込んでくるのは、最後の抵抗である赤い夕日のみ。もうすぐ、闇が訪れる。彼が離れてしまうという、絶望的な闇が。
 後ろ手で扉を閉めると、退路もなくなる。窓は対角線上であるし、彼の存在が邪魔をしている。納得のいく答えが得られるまで、彼は捕まえることに徹するのが目に見えている。

「言いたくなければ構わぬ」

 嘘だ。
暴露するまで、彼の探求の視線はしつこく全身に突き刺さるだろう。いくら澄まし顔で、声を震わせることなく誤魔化したところで、信用されないようだ。
楊ゼンが真実を語ることを、まだかまだかと待ち構える釣り針を見つめながら、無駄な心理戦を続けることに嫌気がさした。
敵ならばまだしも味方に、しかも先ほどの痴態を知られているのならば隠すこともないだろうと結論づけたのだ。

「先ほどまでの出来事、全て覚えておいでですか」
「ああ」
「ならば、何故命令を聞いてくれたのですか?」

 驚愕の表情、あっけに取られた表情までは予想通りである。ここは恥ずかしがるよりも、堂々と開き直った方が、後々からかわれることもないのは彼の人柄を理解してるからこそだ。
これも演技の修行だと思わせてしまえばいい。「嫌がることをやらせることで、本当に人心を掌握しているという確信を得たかった」と言えばいい。
策も決まったことで、逃げ切る道を作ったと確信の笑みを浮かべていると、小首を傾げた彼がゆっくりと言葉を突き刺す。

「お主の考えを探るためだ」
「術にかかっているフリをしてまで、知るべきことですか」
「ならば、わしも問おう。どうしてキスだったのだ?」
「あえて嫌がることを頼んで、実験したかったのです」
「お主も嫌であったのだろう? 何故?」

 本当にこの人は、悉く相手の退路を断ち追い詰めてくる。疑問という名の正論で先回りをして、立ち塞がり、暴露を強要する。
一歩後退すると、一歩前進してくる。どう答えても、真実を伝えるまでは逃さない。そんな強い意思が伝わってくる。
机へと追い詰められて、強制的に椅子へと座らされる。いつもは下に見ていた頭が頭上にあるだけで落ち着かないし、恐怖すら感じてしまった。

「して、何故?」

 再び時が巻き戻り、同じ言葉を繰り返す。正しい歴史が語られるまで、何度も何度も指で針を無理矢理巻き戻すなど、何というわがままか。
優しい微笑みを浮かべているが、太陽の逆光と灯がついていない部屋のせいで闇が増して恐怖を煽られる。
どう答えればいいのだろうか。これは真実を引き出しておいてこっぴどくお断りをされるという残酷な流れではないのだろうか。いくら許しを乞おうと上目遣いをしたところで、通用する相手ではない。
ならば、論点をずらしてしまおう。悪戯がバレた子供がよくやりそうな手である。

「貴方は嫌、ではなかったですか?」
「わしは、お主に聞いておる」
「そこまで気にされるということは、お嫌だったのかと不安になりまして」

 優しい彼は、言葉を選んで思案をしてくれる。嫌であってもはっきりと「不快だ」とは言わない質であることにつけ込み、肯定されないよう弱みを見せる。そして、些細な顔色も見逃さずに脈を見つけるという目標もある。
視線の先、些細な指の動き、唇の動き。全てに全神経を注いでいる楊ゼンとは打って変わって、太公望はあっけらかんとした表情をしながら粗雑に頭を掻いている。実に、無頓着でデリカシーのないことだ。どうして彼に好意を寄せているのか、自分自身に問い詰めたい気持ちになってきた。

「嫌ならばネタばらしをして断るつもりだったぞ」
「本当ですか?」
「嘘を言ってどうする」
「貴方のことだから、何かを企んでいるのかと」
「失礼な奴」

 腹の中の読み合いをしているのはお互い様。でもこの言葉は純粋に嬉しいのだ。「嫌ではなかった」この事実だけで心と口が軽くなることがわかる。
嘘から出ている気休めでもいい。
彼に求められているとわかる言葉が欲しいのだ。

「ならば、したかったからだと言って信じますか?」
「お主も大概ではないか」
「本心ですが」
「……ほー」

 疑り深い視線に余裕の微笑みを返し、そう簡単に本心を探らせはしない。はぐらかせて遠回しにすることで、少しでも真実を情報の海の中へと沈めていく。
どうやらうまくいったらしい。この恋心は簡単に悟らせはしない、不自然にならないよう話を早々に切り上げると「誤魔化すでない」と彼の言葉が絡みつく。

「本当のことを言うがよい」
「本当のことですが。証拠として、もう一度お願いできますか?」
「うーむ……断る理由はないが……」

 本気ではない、本心からの告白ならばからかっているとも捉えられて、誤魔化すことができる。
優しい彼からは拒絶はなく、チャンスだと顔を近づけると、唇が触れ合う距離で「待った」と掌が制してくる。
行き場を失った唇と想いは、彼の温かい掌へ。これはこれで、悪くはないが不完全燃焼である。文字通り唇を尖らせると、同じように不満そうな彼の視線がジットリと絡みついてくる。

「本当のことを言わぬと、断る」
「だから、」
「わしに隠し事ができると思ったら大間違いだ。本当のことを言え」

 彼は、一体どこまで感づいているのだろうか。墓穴を掘ることだけは避けたい故に、期待はすれども口を滑らせることはしない。
「何のことですか?」語尾が震えないように気丈に振舞ってはいるが、演技を見抜くことに長けている彼に気づかれていないだろうか。水面下の攻防戦はまだ続きそうであり、いくら悪巧みの得意な名軍師が相手でも負けるわけにはいかない。臆することなく笑顔で相対すると、悪戯で悪い笑みが浮かべられた。

「好き、と一声と言えば喜んでキスさせてやるぞ」

 本当にこの人は意地が悪く、賢く、何よりも望むことをしてくれる。まるで内緒話を彷彿とさせるように、ニヤリそ白い歯を見せ笑う口を、隠すように人差し指を立てて息を吐く。
この問答には、どう答えれば勝てるかなんてわからない。口をパクパクとこいのように開閉させていると、様々な意味を含んだ上目遣いで見上げられる。

「およ、お主の感情は恋慕ではないのか。わしの見込違いかのう」

 ずるい、本当に狡い。何も言わずに無理やり唇を奪うと、抵抗は見られない。それどころか深く吸い付いてきて、主導権を奪おうとするのだ。朴念仁と見せかけて、なかなかやりてではないか。油断をしていた。
それでも負けるなんて男のプライドが許さない。たどたどしく舌に吸い付き絡めとろうとするが、逆に器用に巻きついてくると奥へと引っ張り込まれてしまう。
息も苦しくなってくるし、主導権は取り返せない。苦しくなり唸り声をあげて肩を叩いたところで、ギブアップと見なされて自由にされてしまった。
 悔しい。負けを認めたわけではないが、太公望からしたら勝敗は決しているのだ。
自慢げな表情をされて口角を上げると、わざとらしい恥じらいを表すために口を覆われた。

「無理矢理とは、意外だのう」
「なんでも貴方の思い通りに行くと思ったら、大間違いですよ」
「涙目で言われても格好はつかんな」

 痛いところを突かれておし黙るが、彼は容赦はしない。素直にならかいことに対する罰ゲームのつもりなのだろう。素知らぬふりをしながら、的確な急所を言葉巧みについてくる。
泣くつもりなんてないが、感情が抑えられない。だが、これも妖怪としての性。自分は何も悪くないと開き直り、再び頬に手を添えるが抵抗なんてない。

「人の心はそう簡単に操れんよ」
「何の話でしょうか」
「遠回しでわかりやすい行為よりも、率直な言葉の方が好感を持つぞ」
「だから、そうではないと」
「何が、「そう」なのだ?」

 この人は、どこまで辱めたら気がすむのだろう。揚げ足をとり、じわじわと行われる尋問に、精神が憔悴してきた。
負けるのは嫌いだが、認めることは弱いことではない。猛る自尊心を宥めて、ゆっくり深呼吸。やっと落ち着いて相手を真っ直ぐ見つめて、真剣な表情で口を開いた。

「僕は、貴方のことが好き……では、です」
「どちらだ」
「好き、ですよ。文句ありますか」
「文句はないが、言いたいことはある」
「何ですか」
「回りくどいことをせずとも、お主の気持ちはありがたく受けさせてもらっていたぞ」

 馬鹿を見た子はこちらだけなのだろうか。
ここまで演技で付き合ってくれたことに礼よりも怒りが湧き上がる。
演技力ではもう負けたくないと思っていたのに、気がつけなかったのは本当だ。きっと、心が急いていた為もあるだろうが、そこまで心を乱していた自分には呆れるしかないない。

「では、貴方も?」
「うむ。これから恋人として頼むぞ」

 真っ直ぐ言われては恥ずかしい。
自分の気持ちすら誤魔化してきたのに、感情をぶつけられてはどうしていいかわからないではないか。茹で蛸のような顔を冷まそうと、何でもいい、誰かに変化しようとするが、慌てた心では集中力を保つことすら難しい。
それに、今変化をしたところで墓穴を掘ってしまいそうで、余計なことをしないのが得策とすら思えてしまう。

「僕の頑張りは無駄だったのですか……」
「わしのために頑張ろうとするお主もなかなか粋であった」
「悪趣味ですね。何故僕はこんな人を……」
「恋愛感情の正体がわかれば、仙人界でもセンセーションが起こせるだろうよ」

 カカカ、と恋愛に興味のなさそうな人に笑われても説得力はないが、妙に納得させられてしまった。

「ただ、妲己を彷彿とさせる故、いい気分はしなかったがな」
「わかりました。明日からまた、傾世元禳の実験を再開します」
「意地の悪い奴だ……効かぬと言うに」
「効かないのならば、気にすることもないでしょう?」

 やっと彼の慌てた表情が見えたことで、勝ち誇ることができた。
少しでも、仕返しになるならばいい。フフと邪気のない笑いを漏らすと納得のいかないという表情をされる。
悪趣味なことをされた被害者はこちらも同じこと。

「ならば、仙女のような……こう、袴がゆったりした服を着てもらった方が嬉しいのう」
「嫌ですよ。僕は男です」
「変化が得意な天才様でもできないことがあるのか」
「できない、ではありません。やらない、です」
「実行しなければ同じであるよ」

 いけしゃあしゃあと言ってのけ、頬を膨らませて舌をだす。
幼い表情で拗ねて見せても、70歳を過ぎたジジイ。そんなもの、可愛いと思う、に決まっている。
頬を突けば、煩わしいと首を振る。そんな仕草すらあざとい。いや、本人は毛ほどもそうは思っていない上に、同意してくれる者はいないはずだ。いやそうであってほしい。
特殊な色の趣味だと思われるのは心外ではあるが、ライバルがいないに越したことはない。
 術よりも恐ろしいのは、人の本能に基づいた感情。
とにかく、女が好むスカートのような服装が好きらしい。ならば、今度見せてやろうと画策する楊ゼンであった。

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19.11.13



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