封神 | ナノ



想いのベクトルの暴走

※太公望と楊ゼンが同じ門下生設定
※年上太公望と、年下楊ゼン


『元始天尊様、この子は……』
『今日からわしの弟子となる、楊ゼンじゃ』
『この頭の角。妖怪仙人ですか?』
『そうじゃ。だが、妖怪だといっても、育て方では優しい子になるだろう。よろしく頼むぞ』



 仙術で浮かんだ、岩の島。独りで跳ねては次へ、跳ねては次へと踊りながら飛び移っていく。
どこへ行こうかなんて、考えていない。ただ、辛い仙道の修行が面倒になって、一時でもいいから逃げ出したかったのだ。
けん、けん、ぱ。けん、けん、ぱ。石の隙間から見える人間界は、緑や赤、茶色といった様々な色で彩られている。美しいとすら思える下界に心を奪われながら、高い高い空を歩む。
手を伸ばしても届かない色とりどりの石は、箱庭を見ているよう。もっと見やすい場所を探して、当てもなく適当に遊び歩いていると、後ろからぽてぽてと小さな足音が聞こえて振り返る。一面に広がった青と、流れる綿の白。その中で、揺れる青が見えて、目を細めて足を止めた。やれやれ、彼に見つかってしまっては、逃げられないだろう。今日の休憩はこれで終わりか、と息をついたが、落胆ではない。どこか楽しそうな響きが含まれていた。

「スース! スース! たいこうぼうスース!」

 くるり巻いた羊の角が特徴的で、青い短髪の少年が必死に走ってくるのが見える。後ろからは一匹の小さな毛玉が、バウバウと鳴きながら楽しそうに駆けてくる。
金鰲島から預かっている、公主の愛息子の楊ゼンである。

「またサボりましたね」
「おお、楊ゼン」
「おお、じゃありません。げんしてんそんさまがよんでます」

 少年は手を掴んで、枕ほどしかない子犬はズボンの裾に噛み付いては引っ張ってくる。
徐々に成長をしてきたと言っても、まだ年端も行かない子供。青年の大きな体を力で動かす事はできない。
頬から赤くなっていく顔は、色づく果実のようだと思った。意地悪く足を動かさないでいると、甲高い怒声が聞こえてきた。「こうてんけん!」と。
 先ほどまで、一生懸命に引っ張っていた子犬が、突然牙を剥き脛に噛み付いてきた。これには「ぎゃあ!」と間の抜けた悲鳴が上がってしまう。
力で屈させた事に自尊心が高められたのだろうか。小さな胸を張って見下した上目遣いで、強く指を指してきた。

「さ、かえりますよ!」
「うるさいのう」
「それと! つぎはちゃんとボクもつれていってください」
「真面目君が、珍しい」
「るすばんはいや、じゃなくて、みはりです!」

 しょげた子供の目で、必死に訴えられては無下にはできない。
 元始天尊の教育のもと他の十二仙たちの協力もあり、真っ直ぐにすくすく育った彼は、人間たちの中でもすっかり馴染んでいた。
それでも、いつ誰に狙われるかわからない。金鰲島に対して不審を抱く者が、彼の命を脅かすかもしれない。そう危惧した上層部が、ヨウゲツが終わり彼が完全な人間の姿を取れるまで、外を出歩くことを禁じている。それでも寂しがりやの彼は、いつも背中をついてくる。
 ここは、誰もいない場所。彼の小さな手を取ると、丸い瞳が涙をこぼさぬよう見上げてくる。

「では、今から散歩をするか」
「げんしてんそんサマが」
「なら散歩はやめだ」

 師匠にの言いつけを守ろうとする背伸びする心と、まだまだ遊びたい盛りの子供心が葛藤している。唇を噛み締めてまで悩む姿が珍しく、しばらく観察してた。一体、どんな答えを出すのだろうか。かっぱらってきた桃を嗜もうと取り出したところで、彼の自棄がさした甲高い声が空高く響き渡った。

「いきますっ」
「行くのか」
「ただし! つまらないところなら、おこりますからね!」

 顔を赤くしながら言っても、迫力も怒りもあったものではない。素直に散歩に行けた事を喜ぶ感情を出さなよう、隠そうとしかめっ面を作るところが彼らしい。
「ん」小さな声が聞こえた。同時に、2人の間にある手がぶつかり合い、ペチペチと軽い音がする。事故でぶつかっているのではない、意図はわかる。でも彼の口から直接聞きたくて首を傾げて知らない振り。夕日のように赤く染まっていく顔が、遂に赤鬼のようになっていく。
 わなわなと震える様を見ると、さすがにこれ以上は怒濤の勢いで怒りだすだろう。「どうした?」と助け舟をだしてやると、遂に観念して叫び声を上げた。

「てをだしてください!」
「何故?」
「それは……あなたがにげないようにつかまえておくためです!」
「はいはい」

 素直に「手を繋ぎたい」と言ってくれるとは思っていなかったから、これで合格としよう。心の準備ができていない小さな手を繋ぐと、驚き指が縮こまってしっかりと握られる形となる。
 今度は2人で空の上を行く。さっき見えた赤い顔は、夕日の色が映り込んだのかもしれない。飛んだり跳ねたりは出来なくても、ついてきてくれる小さな影が、大きな影を踏もうと慌てて追いかけてくる。

「スース」
「ん?」
「その、なんでもないです」

 振り返ると、低い目線が1つ。見上げてくるのは小動物ではない、紛れもなく意思を持った妖怪の少年だ。手を伸ばすと、悔しそうに、それでも頭を下げて目をつむる。
ポンポン、とリズムよく髪の天頂を叩いてやると、唇を尖らせて子供の拗ねた顔。
手にかじりついてきて、思わず悲鳴を上げるとしてやったりと幼い妖怪は笑う。妖怪は直情的だとよく言ったものだ。感情表現がわかりやすく、容赦がない。まるであめ玉のように舐めて、噛み付きを繰り返されて、指が唾液でベタベタになってしまった。
 虫でも追い払うかのように手を振るが、離れるわけがない。スッポンの妖怪なのだろうか。

「帰ったら、まずは風呂か」
「いっしょに、ですね」
「甘えたがりめ」
「ジジくさく、さむがりなあなたに、いわれたくないです」

 ああ言えばこう言う。いつもは口答えもしないいい子だと褒められている彼が嘘のようだ。キャンキャンと噛み付いてくるから、うるさい口を摘んでやれば、アヒルのよう。んーんー!と抗議が聞こえるが、鳴き声にしか聞こえない。クスクスと笑っていると、思い切り足を蹴飛ばされ、空が目の前にあっという間に広がる。聞こえたのは甲高い悲鳴と、慌てた声。空との間に広がったのは、涙目の子供の顔だった。

「ごめ、なさい……」
「いてて……怪我はないか?」
「ボクはだいじょうぶですが……」
「ならよかった」

 抱きしめながら立ち上がっても、不安な顔は変わらない。鼻を鳴らしながら抱きついてくるのは、不安と悔恨の現れ。汐らしくなった髪を撫でると、子犬のように目を閉じてすり寄ってきた。
ツンツンしていたと思えば、唐突にデレる。太公望には覚えがないが、難しいお年頃だと元始天尊は笑っていた。よくわからないがそんなものなのだろう。
 さっきまでは心配そうに足首や背中を摩ってくれていたのに、突然我に返り体が勢いよく下がっていく。彼の中でまた意地っ張りが目覚めたのだろうか、赤い目元で睨みつけられても可愛いとしか思えないのだ。強がりたい年頃と、子供というのは不可解なものである。

「よしよし、男前が台無しだぞ」
「な、なにをいいます!」
「わしはここにいる。だから、不安な顔はするな」
「そんなかお」
「しておるぞ。今にも泣きそうだ」

 自分から距離をおいておきながら、心配そうな視線が絡み付く。事実を指摘をしてなお、認めたくないと激しく頭。目が回らないのかと心配になるくらい頭が振られ、青い髪も左右に揺れた。
唯一、強い瞳の光りだけが、真っ直ぐこちらを見て離れない。負けじと角へと接触を試みるが、今度はおとなしく触らせてくれた。眉間に皺はよっているが、引っ掻いてくる気配も噛み付いてくる気配もない。妖怪は、自分の原型を見られる事を恥じるというのに。

「ふふ、大きくなったらその泣き虫も治るといいな」
「みてなさい! あなたがこうかいするほど、いろおとこになってみせますから!」
「それは楽しみだ」

 子供扱いをしているつもりはない。小さくても、崑崙で戦士としてすくすくと成長しているのだ。潜在能力も高く、親の七光りではなく元始天尊や十二仙も一目置いていた。
代わる代わる面倒を見ていたのにも関わらず、楊ゼンがなついていたのは太公望だけだった。
 あれから幾年が過ぎただろうか。言霊とは実にも恐ろしい。予告通り、彼は美しく偉丈夫に成長した。
妖怪というのは自分の好きな姿に化ける事が出来るのだろうか。いや、きっと生まれた時から、息をするように人としての姿も決まっているのだろう。
空のように青い髪も、上を目指す整った高い鼻筋も、宝石のようなエメラルドの瞳も、彼自身の魅力であり、生まれもっての才能。若くして仙号も与えられて、誰もが感心するほどの能力と容姿に、太公望も少々怪訝に思う事もあった。
 子供の頃から兄弟子として、親の代わりに彼の面倒を見てきたのは自分なのだ。それなのに、美しく成長していく姿を喜びながらも、嫉妬の感情が芽生えていく。そんなこと自分のエゴだ、わかっている。
だがいつからだろう。皆の中心で笑顔を振りまく彼に、理不尽にあたってしまう事が、傷ついた表情をさせることが増えてきた。
 違う。彼の事が嫌いな訳じゃない。
彼に対する愛情と黒い感情が鬩ぎあい、一人でいることが増えていく。普賢とも会わない日が増え、皆の中で微笑む彼を遠巻きに眺める。桃を食べながら遠くに行ってしまった彼を、観察するのが日課となってしまっていた。
 今日も今日とて、1人真面目に修行に勤しんでいると、見た事のない仙女たちに囲まれているのが見える。同じく腰まで大きくなった哮天犬が大きく吠えるが、それすらも女性にとっては可愛い要素にしかならない。もみくちゃになり、人の波に飲まれたところで、見ている気も失せてしまった。
 見つかるとさぼった事に対する小言を言われるだけであるし、メリットなんてない。後ろを付いて歩いていた影は、もうない。
独り修行から逃げ出して石跳びをして、お気に入りの大きな岩の上に腰を下ろす。人間界も、崑崙山の中心部も一望できる、この場所が好きだ。皆を見守る事ができ、安心感が湧く。だが今日は、暗い気持ちが心を支配する。日に日に大きく深くなる闇に膝を抱えていると、いると、唐突に忙しない足音が聞こえてきた。

「師叔、太公望師叔っ」

 顔を上げると、哮天犬にまたがる仙人の姿。
隣に降り立ち座ると、間に分け入ろうと哮天犬が嬉しそうに飛びついてきた。「こら! やめなさい!」と子供に叱るような口調で嗜めても、宝具は言う事を聞く気配はない。制御が出来ないなんて珍しい、とぼんやりと考えていたら体が触れ合う場所に彼が座る。騒がしい主人と宝具に、騒がしいとため息をつくと、心中を知らぬ彼は目が合った事に安堵していた。
 嫌みなほどに、整った顔だ。しばらく眺めていると、ゆっくりと近づいてきて、そして、頬に柔らかい物が押し当てられた。
犬の肉球だろうか。柔らかく、しかし温かくぬるぬるしたものが触れている。そして、近くに触れるのは長く手入れのされた髪の毛である。
 ああ、これは唇か。気づいた時にはしてやったと、嬉しそうに笑う彼がいた。しかし、すぐに眉が下がり罪悪感に駆られた顔をされた。
顔が熱い。ざらついた岩肌を伝い迫ってくる手から逃げる事も出来ず、重なるぬくもりも感じる事もない。手を繋ぐだけでは飽き足らず、再び顔を寄せては角度を変えて覗き込んでくる。
ただ、身体が熱い、それだけだった。

「なんだこれは」
「友好の挨拶だそうです」
「キスがか?」
「ええ」

 そのような挨拶を誰から学んだのだろうか。背は伸びてきたと言えども、まだ子供。太公望にもうすぐ追いつくだろうほどである。まだ上目遣いも見れる。
育ち盛りでなんでも吸収をする年頃の彼は、何でも信じ込んで真似をする傾向がある。

「どうですか?」
「どう、と言われてもな」
「元気、でました?」

 聡い彼だ。避けられている事は薄々わかっているのだろう。
理由をつけて接触をしたかっただけなのか。涙を耐える顔には情を誘われるが、思い返す気なんてない。この胸のざわめきが収まるには時間が必要だ。今口を開けば、彼にあたってしまうかもしれないのだから。
我慢が出来なくなったのは、楊ゼンのほうだった。せき止められた想いが溢れ出すように、大きく口を開いて一気に吐露した。

「僕は! ずっと貴方と一緒にいたいです!」

 お願いだ。思わせぶりな言葉はやめてほしい。
仙界でも名声高く、女の噂の聞こえないプレイボーイの、潤んだ瞳に罪悪感で押しつぶされてしまいそうになる。
言いたい事は山ほどあるのだ。普段から真面目な彼と比べられて、鬱陶しいと思っていること、普段の女の噂に対する嫌みとからかい、それでも彼に直接言うなんて出来ない。素行を見張る太陽に照らされて、聞こえないようにため息をついた。

「……ほれ、戻らねば皆が心配するぞ」

 肩を叩けば、力に抗わずに崩れる体が、胸へと飛び込んできた。しかし動く気配はない。揺すろうと手を伸ばすと、長い髪を揺らしながら二の腕に弱々しい手が添えられる。

「しばらく、このままじゃダメですか?」

 胸にもたれ掛かり目を閉じるのは、子供の頃に昼寝をするときの癖だったものだ。もう治ったと思っていたが、よもや大きくなっても恥ずかしがらず実行してくるとは。
いつまでたっても甘えてくる彼は、崑崙最強の戦士になっても年下の義弟のままである。嫉妬して、心をざわつかせる自分がばからしく思えて、微笑みながら肩を抱いた。

「こんなところをおなごに見られては、わしが嫉妬されてしまうのう」
「貴方だけは、特、別……」

 ゆっくりと、日の光りが陰っていく人間界を見下ろしながら、同じく目を閉じる。いつでも明るい仙人界と、いつもとは違う楊ゼンと。
 今の自分は、いつものように砕けた表情をしているのだろうか。それとも、惚けた赤い顔をしているのだろうか。
緊張で自分のことですら麻痺してしまっている自分を冷静に分析しながら、汗にまみれた手で彼の肩を抱き寄せる。ロマンチックな夕闇にとけ込む彼は、やはり妖怪なのだと思い知らされてしまう。月光に照らされる彼は、きっと神秘的で幻想的で誰もが見惚れてしまうだろう。
 いつか見てみたいと思うと同時に、そんな日が来ないように願う自分。
もうすぐ、太公望は人間界に遣わされる。そう、策を練った。必然的になるように。人間界にくるということは、秘密裏に進められている封神計画に関わる事となる。そんな危険に彼を、大切な義弟を巻き込みたいなんて、誰が願うだろうか。

 しかし、叶えたくない願いはあっさりと実現してしまう。名を呼ぶ声に、我に返る。ピントが合い鮮明になるが、視野に広がるは暗い闇夜。「大丈夫ですか?」と呼びかけるのは、目の前鎮座する人物。他の人間のベッドを我が物顔で占領している、楊ゼンである。

「ボーっとしていますが、疲れましたか?」
「いや、大丈夫だ」

 彼は、質素な木のベッドの上に、座って空を見上げている。それも、半妖体であるから妖力を貯める月光浴のようである。
予想通り、月光に照らされる彼は綺麗だった。このまま冷たい夜風に乗って消えてしまいそうな儚さがあるのに、存在感が強すぎる。青い髪が黒に解けて、天の川のように星の光りを帯びて輝く。振り返った緑の目は3等星。闇の中で存在を主張するビー玉のよう。
深く、吸い込まれそうで、それでも触れる事はできなくて。ひっそりと部屋に咲く月下美人に、フラフラと近づいて頬を撫でる冷たい夜風に目覚めさせられた。

「今日は冷えるぞ」

 シーツ代わりにしようとしていた白い布を頭から被せてやると、花嫁のベールのように深くかぶって微笑んだ。文字通りの角隠しに、異形の花嫁は力なく笑う表情は花のよう。
ずっと後ろをついてきていた子供は、もう立派に独り立ちをしたのだと、悲しく思う。
 この気持ちはなんだろうか。そうか、嫁に行ってしまう娘を見る気持ちだ。
ベールを上げると、上目遣いの緑の瞳。恥じらい、躊躇い、目を反らす。そして手が重なり、唇が重なる。啄むようなキスであったが、温もりを感じるには十分だ。離れていく赤い目尻に笑いがこみ上げ、眉間を弾くと困ったように微笑む。

「お主はその挨拶が好きだのう」
「もう挨拶ではないことを、知っているでしょう」
「まあな」

 もうお互い子供ではない。キスがどんな意味を含んでいるのか、重なる唇から伝わる感情が、一体なんなのか知らないわけではない。月を背に笑う妖怪は、動かない。ただ、ずっと、昔から待ち続けていた。
開いた窓から吹き込んでくる風がやけに寒い。両腕を摩りながら深い息を吐くと、頭にかけた毛布が、ゆっくりと頭にかけられた。
頭の上を覆う白の先に、見えるのは空のような青。緑の目が真っ直ぐと射抜いてきて、顔を反らす事が出来なくなってしまった。

「貴方の方こそ風邪を引きますよ。身体が弱いのですから」
「ナントカは風邪を引かない、と言うであろう」
「鳥肌が立ってるクセに」

 頬に手を当て、包み込み、熱を奪う。
寒い訳がない。むしろ熱いくらいだ。発熱しているような熱さも、全ては彼のせい。病原菌よりもたちの悪い善玉菌は、全てを見透かした瞳で笑う。ゆっくりと顔を傾けて近づけてくるものだから、慌てて掌で口を抑えさせてもらった。

「やめよ」
「イヤですか」
「そうではない」
「ならなんで」
「わしらは、そのような関係ではない」

 お互いに目立つ身分になってしまったのだ。人間たちへの威厳を保つ為にも、体裁は気にしなくてはならない。
甘えたがりの大きな子供を制し、幕裏から出ようとすると、腕を掴まれて引き寄せられてしまった。力では彼に勝てる訳がない。引っ張られるがままに、バランスを崩して倒れ込めば、しっかりと抱き留められてしまった。

「ならば、答えをください」

 イヤな予感がした。戦場に立つかのような真剣な表情も、体を引いて逃げ場を与えているようで、言い逃れは許さない真剣な顔も。彼からの無言の「好き」は、常日頃から態度で視線で全身に浴びせられていた。
 全く、素直で嘘はつけない性分なのは、小さい頃から変わらない。太公望とずっと一緒だったのに、よくもまあ悪影響を受けず純真に育ったと思う。焦っているのに、余裕の振りをしているのは、まだまだ演技の未熟さが伺える。それもそうだろう。恋愛の経験なんてないから、知識なんてあるわけがない。
虚勢を張って鼻を鳴らす姿に苦笑しながら、意地悪に微笑んでみた。いつまでも箱入り息子として育ててもらえると思ったら、大間違いだ。時には悪い大人がいる事も教えてやらなければならない。

「それは親に向ける愛情であろう。お主のソレは勘違いだ」
「違います! その、えっと……恋慕です!」

 彼の本心と答えなんて、聞かなくてもわかっている。
それでも直接聞きたくて意地の悪い事を言えば、案の定恨めしい顔で睨みつけてきた。ニヤニヤ笑う度に眉間のしわが寄り、いつ殴られてもおかしくはない。
手が出ないように距離を置きながら焦燥百面相を楽しんでいたら、大股で距離を詰められて逃げる前に腕を掴まれてしまった。

「ずっと、ずっとお慕い申し上げておりました!」
「兄弟子としての尊敬の念ではなく?」
「女性と一緒にいるより、貴方と一緒の方がずっといい!」
「それは、同性の方が気が楽だからであろう」
「貴方といるとドキドキもするし、その」

 いくら強く言い放たれても動じない。じれったくなって唇を引き結び、次の言葉を選んでいるのが見える。それでも、素直にはなってやらない。口に出してしまえば、もう逃げられないから。言霊が恐ろしくて、いつものように引かれた一線より一歩下がる。
不安定で、もどかしのはお互い様だ。どうしていい表情は、鏡を置かれているかのように太公望の深層心理を表していた。

「僕の事、お嫌いですか?」
「何故、そのような事を聞く」
「僕が認められてから、徐々に貴方が冷たくなっていったから」

 違う。嫉妬していたのは、お前にではない。嫌っていた訳ではない。
嫉妬してしまっていたのは、周囲に寄って来た仙人や道士たちに対してだ。だが、身分上でも性別上でも、彼の未来の障害にならないようにしなければいけない。
距離を置かないと何をするかわからない。不安定な感情のまま彼に接すると、どのような結果になるかは火を見るよりも明か。男の恋の嫉妬も、恐ろしいのである。中途半端な愛情で、今よりも苦しめてしまうのはわかっているのだ。

「……違うのだ」
「何が違うというのですか」
「お主の事、嫌いというわけではない」
「なら、何故」

 男同士だから、それよりも自分でいいのかという暗い感情。自分を卑下してしまう悪癖がくすぶり、心をじわじわと浸食する。嫉妬と、
今まで陽の当たる場所へとは出ないようにしていた。目立ちたいとも思わなかったし、妲己を倒す為に力をつけるしか頭になかった。目的を達成して、楽に愉しく日々を過ごせれば、仙人として安泰だったのだ。
 それなのに。
 太陽の使者のような彼がやってきて、いつも陽だまりに引きずり出そうとしてくるのだ。秘蔵っ子と言われれば自然と注目も集まる。それにこの実力と容姿だ。必然的である。

「もう、一人前なお主には、わしは必要なかろう」
「師叔!」

 強く叱責され、思わず目を見開くと冷たいものが太ももへしみ込んできた。ぽたり、ぽたりと晴れ空の下に降る雨は、透明で白く輝きを放っていた。頬を伝う冷たいものは、ああ。
 自分は、泣いているのか。
自覚したが涙を拭く事も忘れて、辛い表情をする彼の掌の熱を、両頬から受け取っていた。

「僕は、貴方の為に戦ってきました。貴方がいないと戦う理由はありません」
「もしわしが死んでも、お主がこの計画を」
「だから! やめてください!!」

 感情のまま、犬歯が前歯とぶつかり、がつんと音を立てる。痛みとともに襲ってくるのは、蠢く熱い舌。またキスをされているのか、と冷えた心が理解してもまだ離れようとはしない。ただ貪るように、情愛を注ぎ込むように吸い付くと、2人の唾液が混ざり合う。飲み込めない分が口端から流れ出すが、したたる前に舐めとってくれる。まるで赤ん坊の世話だが、放心していて頭が動かなくなっていた。
 聞いていない事に、気がついているのかはわからない。それでも楊ゼンの叫びは止まらなかった。

「貴方がいたから、僕は強くなれたのです。背負っているものの力になりたいと、僕は、僕は……」

 何度も何度も唇を奪われ、想いを唾液と共に注ぎ込まれる。きっと答えるまで、やめないつもりなのだろう。
溜まっていた灰汁が、想いが噴き出しているのはわかる。止められるのは太公望ただ一人ということもわかっている。
荒い息をつきながら抱きついてくる彼は、感情が暴走した1人の妖怪だ。ゆっくりと背中へと腕を回して捕まえて、ポン、ポンと背中を叩いて落ち着かせること、数十分。徐々に嗚咽が小さくなり、鼻水の音も小さくなる。
 落ち着いてくれた事に深い息をつき、思わず笑顔になる。まだ泣き腫らした目をしている時に笑っていると、「何笑っているんですか」と怒るのはわかっているが、今は必死に胸へ涙を擦り付けているから大丈夫だろう。じわじわと冷たくなっていく服は気持ちのいいものではないが、彼が落ち着くならよしとしよう。
 もう完全に鼻の音が聞こえなくなった。あとは手の力が緩むのを待つだけだ、と様子を伺っていると、勢いよく彼の顔が上げられた。赤い目尻と頬を隠そうとせずに。

「師叔! ずっと、お慕いしておりました、だから僕とお付き合いしてください!」

 改めて、真っ直ぐに告白されるのは気恥ずかしい。それでも、告白されたからには答えるのが礼儀である。
もう、認めてもいいのかもしれない。いや、認めなくてはいけない。しかしずっと心に秘めていた気持ちの鍵を開け、自由にしようとしてもなかなか出来ないものである。
錆びて汚れてしまった気持ちは、自分に取っても毒であるし、彼を傷つけてしまう。
昔から見ていたかったのは楊ゼンの笑顔、ただ1つである。これからも、彼の幸せな顔も見る為なら、何でもしようと思う。
 果たして、その資格はわしにはあるのだろうか?

「……わかった。のもう」
「本当ですか!?」
「男に二言はないぞ」

 一瞬、嬉しそうな子供の笑顔が青年の端正な顔に浮かんだ。しかし、すぐさま警戒の色を移して唇を引き結んだ。
疑われている、また悪戯か何かかと思われているのだろうか。手を伸ばしあぐねている姿は可哀想ではあるが、こちらからは動いてやらない。動いてしまうと、また、黒い感情が芽生えてしまうから。

「しかし、それは同情から……でしょうか」

 失礼な。案の定投げかけられた問いは、本心を探る言葉で。上目遣いの視線が、気持ちとともにゆらゆらと揺れていた。
 気持ちに嘘はない。それでも資格はない。いつ傷つけてしまうかわからない牙を、隠し持っている自分が恐ろしい。
無防備に近づいてくれるのは、小さい頃からの油断と信頼。抱き潰そうと動く手を隠しながら、大人の余裕を笑顔にして見せる。嘘は、得意である。

「いや、わしの意思だ」
「それなら……!」
「ああ。好きだぞ、楊ゼン」
「僕も! ずっとずっと、貴方の事が好きでした!

 涙を浮かべるほどに、嬉しいと思ってくれるのは男冥利に尽きる。大きな犬に上から抱き込まれてしまって、逞しい胸板で窒息するかと思った。しかし役得。このまま死んでしまってはもったいない。戦場で死ぬのも馬鹿らしいし、せめて腹上死というものをやってみたいものだ。
そんな冗談は置いておいて。
徐々に蛇のように肩へと這う腕に、楊ゼンは気がつかない。獲物を狙い定める目にも気がつかずに無邪気に笑っている。
 いけない。急いた感情のまま乱暴に襲ってしまっては、太陽のような笑顔が見られなくなる。そうなれば戦う理由はおろか、仙人界にいる理由もなくなってしまう。
 独占したい。誰にも渡さない。一生、下で飼い殺す。ここまで穢れてしまった想い共々錆びた鍵は、パンドラの箱と共に封印してしまおう。
中にしまわれている気持ちは、まだ愛情? それとも絶望? 開けるまでわからない、シュレティンガーの猫。

+END
++++
ヤンデレ気味

19.05.11

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