ゆぎお | ナノ



水面に映るは人魚の微笑み7


8
※人魚パロ
※人間遊矢×人魚ユート
※現代×ファンタジー
※赤馬→ユート








静寂と水面が揺れる音だけが支配する暗く広い部屋。青い光がゆらゆらと揺れ、目障りに思いながらユートは動きを止めた。もう何か月経っただろうか。もう時間の感覚を忘れてしまう殺風景な部屋に目眩を覚えて頭を押さえる。
実質日にちはそう経っていない。3日と言ったところだ。しかしたかが3日、されど3日。変化を齎さない生活など苦行も同じだ。天井を見上げると空も見えない平坦で人工的なコンクリート。うんざりした表情で何度目かわからない溜息を吐いた。
遊矢とは喧嘩別れ、というよりもあの時は何も考えていなかったというのがユートの正直な言い分だ。あのときは頭の中が真っ白で、ついつい衝動的に行動してしまった。
―――遊矢から別の同族の匂いがする。
恋愛という言葉は知らずとも、本能的に行うマーキングは勿論知っている。何よりももっと直観で、本質的な本能が嫌悪を覚えた。匂いはうっすらではあったが許せなかった。そう、それが知人であっても。
唇を噛みしめたところで、静寂と平坦な部屋に機械的な扉が横に滑る軽い音がした。

「あ、ここにいたのね。ユート。」

声に視線を下すと、柚子が微笑んでいた。
彼女は前々から行方不明になっていたはずだが、こんなところにいるとは思いもしなかった。元気な笑顔で走り寄ってきた柚子に驚き、目を見開いたユートだったが水面に顔を出してピクリと眉を寄せ呟いた。「この匂いかもしれない」と。

「探したのよ。ここは海の匂いとコンクリートの匂いしかしないんだもの。」

打って変わって柚子は嬉しそうにユートへと近づいて障害になる水槽に手をついた。
ユートと柚子はいつも一緒に行動していた。久しぶりに出会った家族同然の存在である。喜ぶのはおかしいことではない。それに柚子はユートの親友である隼の妹である。ずっと一緒にいるためにユート自身も妹のような存在で目に入れても痛くはない。それは普段の場合である。今のもやもやとした心情では、どうも素直に喜ぶことはできなかった。

「何故柚子がここにいる…。やはり捕まっていたということか?逃げたのか?自力で脱出を?」

「捕まっていた…それは否定しないわ。でも脱出とは言わないわね。」

手を後ろに組んで、困ったように笑う柚子にユートは首を傾げる。

「なら早く戻らないと。隼が、お前の兄が心配しているぞ。」

「また隼兄さんが?」

驚く様子もなく、柚子は小さく笑う。これは何度も隼が問題を起こしているということを意味している。確かに隼が抗争や問題を起こす日常茶飯事である。何度もユートが武力制裁を加えてきた。今回も癇癪を起した隼が仲間にあたっている、としか考えていないのだろう。しかし今回は勝手が違う。他人の命がかかっているのだ。それを柚子は知らない。だからそんな明るい顔を出来るのだ、とユートは顔を曇らせた。

「…近隣で暴れているんだ。」

ガラスに背を預けると底へと腰を下ろす。驚き目を見開いた柚子だが、表情を曇らせて俯いてしまった。祈るように手を組むと「そう」とだけ淡々とした声で呟いた。

「…私はここの赤馬と協力しているだけ。ただ、仲間には手を出さないでって、交換条件でね。」

「皮肉にも手を出したのはこちらだったわけだな。」

柚子はそんな皮肉も聞いていないようだ。落ち込んだ表情でガラス越しに崩れ落ちた。背中合わせになると、柚子はポツリと呟いた。

「ユートは、地上は楽しい?」

「面白くはある。でもこういう楽しくないこともある。」

こういう、というのは監禁され観察されている状態だ。海という広い世界から、居心地の悪い狭い世界なんて合うわけもない。口では柔らかく言ってはいるが、顰められた顔が物語っている。

「聞き方が悪かったかしら。『遊矢といるのは楽しい?』」

柚子の笑顔は嬉しそうにも、少し寂しそうにも見えた。感情的な顔を隠しもせずに、驚き振り返るユートに柚子はくすくすと笑いだす。しかしすぐに険しい顔になり柚子を睨んでしまう。

「どうして遊矢を知っている。」

と。

「やはりお前は遊矢と接点があるのか。」

「違うわよ。この前…ええっと、一昨日会ったのよ。それが初めて。」

慌てて否定するのも怪しい、と更に視線を鋭くするユートだが意図に気が付いた柚子が「違う違う!」と手のひらを振り否定する。ユートは勘違いしているのだ。「遊矢から匂いがついている、それも仲間の、義妹でもある少女、柚子の匂いがする」と。同時にそれは柚子と遊矢に接点があり、親しいということ。ここに来たのも、その匂い―――仲間の、柚子の匂いが遊矢から嗅ぎ取れたために正体を探りにきただけだ。他意はない。決して、赤馬に協力しようとも、好意を向けているわけでもない。
そのことは柚子もわかっていた。遊矢から異様なまでにするユートの匂い。これはずっと一緒にいた証拠でもあり、体を寄せ合うほど信頼して心を許している証拠。あの気難しいユートが、人間相手に心を許すなんて最初は驚いた。しかしこの前遊矢という人物に会い、確信した。

「多分…社長と、赤馬と最近一緒にいるからそこから移り香が行っただけよ!誤解しないでよ、ね?」

振り返り顔の前に手を合わせ、頭を下げる柚子。怒られているわけでもないのに、低姿勢になってしまうのは怒っているユートが怖いのか。柚子の性格上なのかは。あまりに必死に頭を下げられては罪悪感が湧いてしまう。困ったように首を振れば、ゆっくりと上目使いと顔が覗く。

「誤解なんて…なにも誤解なんてしてない。」

「嘘。誤解、いや嫉妬してる。」

「誰に。」

「私に。」

暗い部屋に沈黙が落ちる。酸素を供給するボコボコという音だけが響く。真っ直ぐとユートを見つめる柚子、柚子を驚き視線を泳がせながらも目を見つめるユート。明らかな驚愕と疑問を孕んだ目にまた柚子は声を上げて笑った。

「ここに自分から来たのは、私を探しに来てくれたんでしょ。」

「そうだ。」

「何のために?」

「仲間が捕まってると知って助けに来た。」

「本当に?」

「本当…に。」

「ふぅん」という短い返事は納得しているためじゃない。

「私自身より、私の匂いが…遊矢についた匂いが気になったんでしょ。」

ダァン、とガラスを割らんばかりの音が響く。「何故それを」と問われるまでもない。今までの一連の行動を見ていたらわかる。女の勘も必要ない。
匂いに対して敏感になるのは仕方ない。縄張りに対し敏感になるのは生まれながら刷り込まれた本能だ。生きていくために呼吸を強いられるのと同じだ。いきなり首を絞められたら、誰でも怒るし抵抗する。それに愛情を向ける相手となれば、更に怒りを助長するにきまっている。

「遊矢のこと、好きでしょ。」

好き、愛、恋慕。それはテレビでも聞いたことはあるし、人魚の間の童謡にもある「人魚姫」でも知っている。
その相手を常に想い考えてしまう、一種の麻薬のような精神病にも似た状態だとユートは認識している。
そのまま伝えると、柚子はしばらく目と口をぽかんと開いていて、はじけたように笑い出した。自分から振ってきた話に、しかも真剣な話をしている時に笑うなんて失礼である。無言の怒りの視線を送っているとまた謝られた。さっきとは違う、笑いを浮かべながらではあるが。

「そこまで鈍感だと思わなくて。」

違う、わかっている、わかっているんだ。
でもここで認めてしまうには重すぎる想いなのだ。改めて「好きだ」と言えば、遊矢はどんな顔をするだろうか。拒絶されるかもしれない、という可能性が頭をよぎる度にユートは恐怖と絶望を覚えるほど。
想い耽り、背を向けて丸くなったユートを見て、柚子はからかい過ぎたのだと謝ってきた。

「ごめんなさい。からかうつもりはなかったの。」

「…そうじゃない。」

「じゃあどうしたの?」

ユートは何も言わない。
静かにリフトが動く音が止まり、柚子が水の中に手を伸ばす。少し躊躇いつつも手を掴み、水槽から出ると、柚子へと倒れこんだ。謝りながらも体を起こそうとしたが、柚子の腕が背に周り抱き締められてしまった。目を丸くして、しかし柚子を傷つけるわけにもいかず、ただ固まっていると肩口に鼻が当てられる。

「うん、遊矢の匂いがする。本人かと勘違いするくらいに。それだけずっと一緒にいたのね。」

少女とは思えない力でユートを抱え上げると、水槽を壁に座らせる。足を乾かすのには時間がかかるが、いざという時に動けないのは困るし目立つ。それに人魚の正体を晒すのが一番危険だ。柚子が持ち歩いていたタオルで足を拭いていると、その様子をぼんやりと見ていたユートが顔を伏せた。

「遊矢は、今何をしている?ここに来ているのはわかった。」

「ずっと元気がなかったわ。貴方をずっと探してた。」

顔を上げることも手を止めることもせずに柚子は微笑んでいた。柚子の献身的な介抱で徐々に足が渇いていき、人の足になるとゆっくりと足を動かしてみる。久しぶりに水から上がったために動きが少し鈍い気がする。しかしこれ以上時間をとっているわけにはいかなかった。ふらつきながら立ち上がると柚子が肩を貸してくれた。

「今は海にいるわ。」

「…」

「会いたいなら、会いに行けばいいじゃない。悩む前に行動するのが貴方たちでしょ」

背中を強く押し、それ以上は何も言わずに送り出してくれる柚子に無言で会釈をしてユートは扉へと走り出した。悩んでいても仕方ない。とりあえず、今出来ることを、やりたいことをやるべきだ。柚子は手を振って見送りユートが廊下へと消えて行くのを見送る。姿が見えなくなり、間髪入れずに曲がっていった方向とは逆の方向から人影が現れた。

「いつからそこにいたの?こうなるってわかってたんでしょ。」

赤馬は扉が閉まるまで、何も言わないし動かなかった。扉が静かに閉じられるとゆっくりと部屋に足を踏み出し、簡易の机についている椅子に座った。

「奴は面白い個体ではあったが、面白い動きを見せなかった。」

「私の部屋より監視が厳重なくせに。」

「だからこそわかった。奴は榊遊矢が関わらないと面白い動きを見せない。」

「じゃあ早く解放してあげてほしかったわ。私が協力するなら、仲間に手を出さないっていったでしょう。」

「面白い個体が見つかったなら、興味がわくのは研究者という者だろう。こればっかりは俺にも予測が出来なかった。」

いつものような仏頂面ではあるが、珍しくクツクツと笑い声が聞こえてきた。それほど面白いものだったようだ。怪訝な顔をして睨む柚子ではあるが、その視線にすら気づいているかどうか疑わしい。水槽の傍に座り込むと、柚子はポツリと呟いた。

「最近隼の気が立ってるのは知ってるでしょう…」

「そのためにお前に説得に行ってもらっていた。」

「見張りつきでね。あんなの、ただの火に油よ…。それにユートまでいなくなったとなったら、どうなるか。」

妹と親友を失ったとなるとその怒りは計り知れない。しかしまだ船が沈んだという事件は起きていないということは、「ユートは捕まるヘマをしない」という信頼から、まだ海の中を探しているということなのだが、それももう限界が来る。救助する相手がいない、ということは死人がでるのも時間の問題である。

「まあ俺にとってはどうでもいい。アイツは遊矢の傍にいるんだろう?それだけわかればいつでも探せる。」

「仲間に手を出さないって約束、忘れてないでしょうね。」

「勿論だ。」

「私もユートも人魚よ。どう違うっていうの?」

未だ笑みを浮かべる赤馬はたいそう機嫌がいいらしい。椅子の軋んだ金属音と、酸素を供給するボンベの音と、小さな笑い声。静寂を椅子が倒れる音と靴の甲高い音が破った。入口に向けて歩き去っていく赤馬を、柚子は何も言わずに見送っていた。誰も何も言わない空間。扉をくぐった瞬間に柚子が溜息をつき、やっと背中に話しかけ、ようとした。声をかけようと手を伸ばしたところで、先に動きを見せたのは赤馬だった。

「それは”女”であるお前の方がわかる感情に近いのかもしれないな。」

振り返り、不敵な笑みを浮かべる赤馬に、何を言いたいか忘れてしまった。宙をさまよう手を降ろすと扉は閉じた。

**

夕闇が迫る海。塩の匂いに混じり、鉄の錆びた匂いが鼻をくすぐった。そういえばこの場所に来たのは1か月ほど前か。そういえばユートと出会ったのもこの場所で、こんな日暮だったっけ。太陽が海へと沈む様を見つめながらふと過去を思い出す。
赤い光に照らされた遊矢の表情は、遠くを見ていながら涙をこらえているかのようか表情だった。遠くを見つめているだけで、何の進展もない。しかし何をするわけでもなく立ちすくんで、潮風に煽られていた。
遠くで、何か大きな水の音がしてハッと顔を上げた。場所ははっきりわからないが、海に何かが飛び込んだ音だとわかる。海に何か飛び込んだか放り込んだか、何かが海へと入り込んだか。集中して周りを見回すが水面は静かなまま。黒い影が深く海に浮かんに手が飛び出してきたのは、気を緩めてから間髪いれない出来事だった。
強い力で足を引っ掴まれてそのまま海に引きずり込まれる。腕を引きちぎらんばかりの力は彼じゃないということだけはわかる。深淵へと引きずり込もうとする力に抗おうとするが、人間ばなれした力に、ろくに運動もしていない遊矢が勝てるわけもない。足だけでももがくが、何かを蹴る感覚は軽く伝わってくるだけで致命傷にも状況打破にすらならない。相手の顔を確認しようと強い水の力に抗い目を開くが、開ききる前に、別の強い力が横から迫ってくるのを水の流れから感じた。足への痛みがなくなり、上へと引っ張られる。赤い光が近付いてきて、思わず目を瞑る。

水面に上がり深く息を吸うと、冷たい岩の感覚に安堵の息をつく。地上へと戻されたと気が付き、海へと目を向けるとまた水の跳ねる大きな音と水しぶきが上がった。下へ引きずり込まれる感覚も、上へと引っ張られる感覚もない。ただ波に揺られて唖然とする遊矢と夕日があるだけだ。静かな水面ではなく、あぶくと何かが水面下でもめる気配がする。何が起きているのか遊矢にはわからなかった。再び手が伸びてきて、慌てて身を引こうとしたら別の腕が横から伸びて、引きずり込もうとする手を払いのけた。慌てて水場から体を引いて、2人のやり取りを見ていると極大の水しぶきが上がった。

「ユート!何故その男を庇う!」

水場から顔を出したのは海坊主、ではなく険悪な顔をした男だった。金色の瞳を忌々しいと光らせ、遊矢を射ぬく。咄嗟に息をのみ更に距離を置くが、遊矢と男の間に立ち塞がる影に息をのみ動きを止めた。
見覚えのある後姿を見たのは何か月前だろうか。しなやかな筋肉と独特な黒と紫の髪を最後に見たのはほんの数日前のはずなのに数年会っていない気になってしまった。

「ユート!」

相手の人魚と対峙して威嚇しているのはユートだ。尾を引きずりながら陸へと上がり、親の仇のように睨みつけてくる男から遊矢を守るように手を広げて守ってくれているのだが、今の状況も忘れて背中から抱きしめてしまった。目を見開くのはユートだけではなく、目の前の人魚もだった。再び遊矢を海へと引きずり込もうと伸ばされた手に、いち早く反応したユートが海から離すように遊矢を突き飛ばした。目標を失い海に戻ると思われた手は、ユートの尾を躊躇わずに掴んで海へと引きずり込むと抱き寄せ、遊矢を金の瞳を補足して睨みつけた。

「人間なんかと関わる…!?何故柚子の匂いがする!?アイツが誘拐犯か!?」

ユートには触れさせないという意思表示と、ただならぬ独占欲をひしひしと感じる。思わず気おくれしてしまったが、ここで怯んでしまっては相手の思うつぼだ。負けじと眉間に皺を寄せるが、再び引きずり込もうと伸びてくる腕に逃げ腰になってしまった。力みすぎて血管すら浮かぶ指に女々しいながら小さな悲鳴が上がると、手を叩き落とす甲高い平手打ちが聞こえた。

「落ち着け隼!柚子は無事だ!」

「なら何故一緒にいないんだ!」

「それは……」

口ごもるユートから、柚子は動けない状態だと勘違いをした隼は更に眉間を深くする。犬歯を鳴らし唇を噛みきらんばかりの顔に慌てて「違う」と否定の言葉は言うが、それ以上は続かない。遊矢をちらちらと見つめては顔を伏せる。こんな様子を見せられては、誰でも遊矢との間になにか感じ取るだろう。必死の形相でユートの首筋に顔を埋めると、しきりに鼻を擦り付ける。くぐもった声が上がっても止めることはなかったが、どんどん顔が険しく悪鬼の表情になった。

「…人間の匂いがする。そこの奴か。」

「………」

「貴様が黙るときは肯定の証だ。何をされた。」

夕日に赤く照らさされる横顔に、それでも何も言わないユートに隼の表情はますます険しくなり、遊矢に対する敵意は殺意に変わり始めた。更にいっそうユートを抱きしめ隠すように背を向けてくる。確実に柚子とユートを浚った犯人が遊矢だと勘違いをしている様子だ。いや、それよりもこびりついた人間の、他人の匂いに嫌悪をしているというほうが正しい。強い嫉妬心を隠そうとせずに隼の顔を強く押すと、海の中へと潜って下へ逃げてしまう。再び現れたのは遊矢の傍。手を伸ばして引き上げてほしいと訴えるユートの手を掴んで引き上げると、そのまま勢いで押し倒される体制になってしまった。真っ赤になり、ユートの下から抜け出そうともがく遊矢の顔を力強く掴むと、そのまま唇を重ねた。食事の目的とは別で、”キス”をされたのは始めてだ。もしかしてお腹がすいているのか、とも考えたがそういうわけでもなくただただ唇を重ねるだけで牙を立てられる気配は一切ない。最初はただ慌てるだけの遊矢だったが、海から妬みの込められた視線が送られているのに気が付き、”見られている”ことを理解した瞬間に照れ隠しの抵抗が始まった。遊矢の必死な抵抗とは違い、満足した顔でゆっくりと離れたユートは微笑んでいた。熱っぽい灰色の目に、魅せられてしまう。久しぶりに、こんなに真っ直ぐ目を見た気がする。最近は心の余裕もなく、目が見られなかった。
ああ、やっぱり綺麗だ。
人魚なんて関係ない。魅了されているのかもしれないが、同じ性でも種族が違えどやっぱりユートが好きだ。笑みに笑みで返し、頬に手を伸ばすとうっとりと猫のようにすり寄ってくる。今度は遊矢から口づける。抵抗もなくそれを受け入れるが、短いキスはリップ音と共にすぐに終わった。名残惜しさを隠そうとしない遊矢に「また後で」と悪戯に笑うと、腹の上に座りながら隼に顔だけで振り返る。

「浚われたわけではない。初めは誘拐と同じだったが…」

「おいおい。」

「今は…大切な存在だ。俺はこの人間が、遊矢のことが好きだ。」

突然の告白に、夕日に負けないくらいに赤くなる遊矢はまるでトマトのようだ。くすくす笑うユートと、2人の様子を唖然と見る隼。水場から上がってこようとするが、海中に住む生き物が水場を離れるなど正気の沙汰ではない。隼も同じで、尻込みした様子でのぼりあぐねている。

「俺はしばらく遊矢の傍にいる。これは…嫁入りというやつか。」

「よ、嫁入り!?」

男同志だとか異種族だとか、言いたいことはいっぱいあったが一瞬で吹っ飛んでしまった。聡明で勉強熱心なユートのことだ、意味もわかって言っているのだろう。「好きだ、一緒にいたい」と。

「おいユート!」

「今まで連絡を入れなかったのはすまない。皆にも心配はいらないと伝えていてくれ。」

いきなりのことで、感情のまま陸地に這い上がろうとするが、言葉で静止をかけられ隼は渋い顔をする。まるで頭を押さえつけられ海に押し込むような怒涛の言葉には何を言っても無駄だろう。それに無理矢理引きはがしても争いになるだけだ。体力は隼が上でもユートのほうが力は上だ。取っ組み合いは不利である。甘い空気を醸し出す1人の1匹に隼は怒りを隠しもせずに、しかし口出しもできずに隼は海へと帰って行った。「覚えていろ、名前は覚えたぞ」と不穏な言葉を残して。
やっと静かになった海岸には、ゆっくりと闇が訪れていた。このまま告白された余韻につかりたいが風が冷たくなってきたし、このままでは風邪をひいてしまう。上着を肩からかけて抱き上げると、嬉しそうに上着を掴むと遊矢に体を委ねるユート。懐かしい重みに顔が綻び、岐路につこうとしたら足に座礁した船の残骸が当たり視界が揺らいだ。こけるかと思い覚悟はしたのだが、なんとか咄嗟に足をずらしてバランスと整え、こけることはなかった。そこで気が付いたこと。普通は飛び降りて逃げるであろうユートが、逆に首へと腕を巻きつけてきていたのである。

「あ、危ない…。ってなんで逃げないの?」

最もな疑問をぶつけるが、逆に首を傾げられてしまった。何かおかしなことを言っただろうか。混乱する遊矢に、ユートは淡々と言葉を返す。

「もう、離れたくないんだ。」

短い言葉だったが、遊矢を更に混乱させるには十分すぎた。真っ赤になり何もないのにバランスと崩してしまった遊矢の体をユートが片腕だけで岩肌を掴み支えるのはさすがというか。「大丈夫か」と純粋に心配をしてくるユートではあるが、遊矢はまともに返事が出来ないまま岩場に尻もちをついてしまった。

「本当に大丈夫か?それとも、人魚だと嫌か?」

「いや、そういうわけじゃないけど、嬉しいけど…」

恥ずかしがり慌てて顔を逸らす遊矢の顔を、同じく慌てて覗き込もうとするユートはいたちごっこである。
なんども顔を逸らし、顔を覗き込み、を繰り返しているうちに額同士をぶつけて鈍い音が響いた。お互いに頭を押さえて呻いていたが、遊矢が噴出したことで笑い声に変わる。しばらく笑いあい、ぶつけあった額を優しく合わせると笑い声も小さくなり太陽も完全に隠れてしまった。

「…本当に俺でいいの?」

「お前じゃないとだめだ。」

「柚子は?」

「家族だ。それに…今柚子の話はしないでほしい。」

「なんで?」

「少なからず、柚子の”魅力”に充てられただろう。妬いてしまう。」

「…あ。もしかして…別の人魚の匂いがして、妬いてた?」

「……」

「図星。」

照れるユートも珍しい。次は無言で顔を逸らすユートを、遊矢がからかいながら顔を覗き込む形になると、2,3回繰り返したところで指に噛みつかれてしまった。慌てて手を引くが、眉をひそめて睨まれておとなしく謝るしかなかった。満足したのか、鼻を鳴らして遊矢を真っ直ぐ見つめる瞳。

「柚子や隼に会った後でも、俺を選んでくれるか?」

「どうしたんだよ急に。」

「人魚の魅了のせいでこういう関係になれたのではないか、といささか不安がある。」

「最初はそうかもしれないけど、俺はユートが好きだよ。間違いない。柚子も…可愛いなって思ったけど、やっぱりユートがいい。」

「それなら、いい。」

「さあ帰ろう。裸だろ。」

暗くなってしまっては、ユートの表情も、笑顔も見ることが出来ない。慌てて帰路につく遊矢の心境を知らず、ユートは首へとしっかり腕を回した。しかし、じつは、考えていることは同じ。早く遊矢の優しい笑顔が見たいという意味ですり寄ってきたのは遊矢は知らない。
今度はこけないように、とゆっくり踏み出す足を見下ろしながら遊矢は思い出したように口を開いた。

「これからも、よろしくな。ずっと、ずっと。」

「ああ。帰ったら……人魚のことを、俺のことをもっと知ってほしい。俺も人間の、遊矢のことをもっと知りたい。」

「そうだな。時間もたっぷりあるし、教えてほしいな。研究というより…俺個人の為に!」

冷たい潮風だったが、心は暖かい。
最初の印象は最悪ではあったが、彼とここで出会ってよかったと今は思う。
暗闇の中、どさくさに紛れて再びユートから口づけると、今度こそ盛大に転び水しぶきがあがった。

人間と人魚の、もう1つの恋物語。

+END

++++
8、再会と、編

15.12.7




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