君に届く手が欲しい



「ねえ、本当に大丈夫?」
「しつけえ、大丈夫だっつってんだろ」

ベッドで横になる勝己くんはいつもの5割増しで赤くて、熱い。
体温計は38.4を指していた。高熱だ。やっぱり知らない土地での暮らしはストレスだったんだろうか。なるべく勝己くんが不安に思わないように接してきたけれど、それだけじゃどうにも出来ないものがある。
こんな日にも仕事に行かないと行けない社会人ってなに?こんなにも心配で仕方ないのに、仕事へのモチベーションなんて上がるはずがなくて。そんなわたしの気持ちを知ってか「…いいからはよ行けや」ごろんと寝転がってわたしに背を向けた。

「勝己くん、病院にも行けないんだよ…!?」
「んなヤワじゃねえし、なんかあったらすぐ連絡するから、とりあえず行け。遅刻する」

ここまで言われてしまったら、行かないわけにはいかない。しぶしぶアウターを羽織って、マフラーをぐるぐると巻き付ける。ちらりと顔だけこちらに向けてその様子を確認した勝己くんは、すぐに目を瞑った。









「うわ、先輩その顔どうしたんですか?」
「親戚の子が高熱で」
「休まなかったんですねぇ、偉い」
「だって行けってうるさいんだもん…」

朝からメッセージは既読がつかない。きっと寝ているんだろうけど。熱は上がっていないかな。魘されていないかな。苦しくないかな。なにか必要なものはないかな。頭の中はそればかりがぐるぐると渦巻いている。
しまいには何故かわたしまで食欲がなくなってしまって、コンビニで買ってきたお弁当を半分以上残して捨てることになってしまった。
勝己くんが来るまではコンビニでお昼を済ませることだって沢山あった。美味しいとか、不味いとか、一度も思ったことはなかったのに、久しぶりに食べたコンビニのお弁当は不味く感じる。


自分の体調不良ですら早退したことなんてなかったけれど、この日、わたしは初めて人の体調不良で早退することになった。






息を吸うのも困難で、あちいのかさみいのか、それすらも分かんなくなってきた。見上げた壁掛けの時計は、霞んだ視界の中でも昼を指しているのがかろうじて分かる。ああ、そういや弁当作れなかったな。あいつ、何食ってんだ。
貼り替えた冷えピタも直ぐにぬるくなってしまうから、もはや貼ってる意味もねえ。ゴミ箱にぶん投げて布団を頭から被ると、なまえの匂いがして少し落ち着いた。

アー、薬飲まねえと。つーか食後の薬だからその前になんか食わねえと。重い体を無理矢理引きずってリビングへ向かう。
冷蔵庫を開けようと腕を伸ばしたけれど、その手はまた透けていた。この前よりも、薄い。俺、もうそんな長く居れねえんじゃねえの。

「……勝己、くん?」

どさ、と音がして。すぐ近くになまえが立っていたことを知る。
くそ、見られた。全く気づかなかった。いつから。床に落ちたビニール袋なんて目もくれず、でけえ目を見開いて、俺の消えかかっている腕を呆然と見ている。

「…てめ、なんで」
「早退したの」

震える声。ようやくビニール袋を拾ったなまえがゆっくりと俺に近づく。ヘーゼルの瞳がゆらゆらと揺れていた。珍しい色だって突っ込んだら、カラコンだよなんて笑ってたこの女の顔をなんとなく思い出す。

「いつから、これ」
「…年末」
「っ、ずっと隠してたの?」
「言ったらテメェ泣くだろうが」

泣いてほしくねえんだよ。今まで何度も泣き顔を見てきたから尚更。
幸せになってほしい、笑っていてほしい、その視線の先は俺であってほしい。そう思うのは欲張りなんだろうか。この女と出会ってから、俺は、貪欲になっている自覚がある。

「…っそりゃ泣くよ!隠されてても泣く!なんで!?そんなに頼りなかった!?一人で抱え込んでなにになるの?」

結局泣かせた。ぼろぼろと頬を伝う涙を拭う資格は俺にあるんだろうか。分からなくなって、伸ばしかけた手を下ろす。こんな時、なんて言ったらいいのか俺には分からない。

「……なんも言わないんだ」

ちげえ。…ちげえのに。

「もういい…っ!!」

廊下を走る音と、バタン、とドアが大きく閉まる音。追いかけようにも体が動かない。くそ、なんで熱なんか出てんだ俺。早く追いかけて、謝って、そんで…!


ぎり、と歯を食いしばる。その日、なまえは帰ってこなかった。


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