2013/06/06 三浦と橘と市河


夕焼けのやけに濃い日だった。ミントのように爽やかな色をしたカーテンが風に揺れ動くさまをぼんやりと意識しながら、裏庭の隅でタバコを吹かす生徒どもを眺める。あいつらはアレがどれだけやっかいでいて、どうしようもない代物だか知らない。出来ることなら縁を切りたいなどと、今後思うこともないと考えているようだった。若いということは何よりの宝だ。どんな大金を持ってしてもそれには適わないと、誰もが口を揃えているというのに、当事者があれではなんの価値もない。なんだって無くしてから気付くものだ。気が付いたときにはもう遅い。爛れた肺のどす黒い染みを思いながら煙を目一杯に吸い込んだ。
なにかをするには歳をとりすぎた。

一本角の名を持つ生徒が通い始めたのはそんな頃合だった。見るからに病弱でいて、押せば死んでしまいそうな人間だった。どこか狐を思わせるその顔立ちはその名に似つかわしくなく、とても鈍重そうなイメージを与えない。どこかの国では野生のこの生物に轢き殺されるという死亡率がかなりメジャーだったなと、そいつを見るたびにおれはそんなことばかりを考えていた。なんの話をしていたって、何故だか不思議なことに、いつだっておれはそいつといればいるほどに靄のかかった思考に染まっていった。そいつは言う。
「先生、あんたは臆病だね」
「大人なんてみんなそうだよ」
苦笑して言ったおれは換気扇のほうへと顔を向け煙を吐いた。なんの価値もないものが漂っていた。
「大人って群生動物のようだ」
そう言って笑った少年に背が粟立つ。群生動物と、そう揶揄を受けても何故だか叱る気にさえならなかった。不思議だと思う。この少年といると、こんなにも死を意識するのがこのおれだけなのか、それとも。







「三浦先生」
「橘か、また怪我でもしたのか」
「あいつ来てねえか」
こちらからの質問などさもどうでも良いと言わんばかりの声色でそう口にした問題児は口の端に大きな切り傷を携えて苦々しく表情を歪めていた。それを見るおれの表情だって似たように歪んでいるに違いなかった。見ているこちらのほうが痛くなる。アルコールに浸した脱脂綿のような、ブクブクとして、どうにも言えない心地である。
「あいつ?」
「市河だよ。最近よく来てんだろ」
「今日はまだ来てねえけど、なんで知ってんだ、よく来てるなんて」
「本人から聞いた」
仲が良いのか、と考えているうちに、橘は挨拶もせずにどこかへと言ってしまった。「嵐のようなやつだな」と呟いてまた考える。どうにも仲良くなれるような相性ではないような気がするものの、意外なところで共通点があるものなのだろうか。大人には考える時間が沢山ある、と前に話したことがあったなと思い出す。考える時間があっても、その時間で何かを動かそうという気にはなれないんだ。なぜだろうか?臆病者、と笑う狐の少年を思い出して、白衣の内ポケットにぐしゃぐしゃと突っ込まれていたセブンスターのソフトケースを取り出した。端をトントンと指で叩いて一本取り出すと、なんの躊躇もなくそれを口にくわえる。緩やかな自殺だと思っていた。
市河は不思議な生徒だった。こちらが何か考えていればその全てを見透かしているんじゃないかと思うような笑みを浮かべる。あの見事に脱色された金髪に、脳髄が支配されていくのを感じた深い海の底のような、恐ろしさと、それでいて美しいような気さえ起こさせる少年。橘はどうして市河をさがしているのだろうか?そして、それは何を指しているのだろうか?
考えようとしても、考えることしかできないおれの頭は思案に暮れることさえもなく、ただただ天井にぶつかっては消えていく煙どもに、涙が出そうだった。なんだって良いんだ、と口にしたあの、肺病患者のように赤い唇を思い出しながら、ひっそりと死んでいく。



2012/12/04 グリードとリン
おまえこういうの慣れてんの。驚くくらい淡々と口から飛び出た言葉はあっさりと部屋中に霧散するわけわからん青臭さに飲み込まれていった。ドア越しにタイルをシャワーが打つ音しか聞こえない。背に感じるジワと広がる温もりが気持ち悪かった。答える気がねーのかあるのか、今の今までおれのアレをケツに入れてヨがっていた奴は無反応だ。
「これもアレか、仕事のうちってやつかよ」
「……」
「連れねえな」
まあ良いけどな、お前の運命だって割り切っちまえばそういうのの相手してたって痛くも痒くもねえだろうし、お前だって楽しんでたもんな。大口開けて笑っていると、寄りかかっていたドアが派手な音を立てて崩壊した。まあ間抜けにも気を抜いていたおれはそのまま身を倒し、水浸しのタイルに頭を打ちつける。生憎痛くはない。それよりも、仰向けになって倒れたおれを覗き込むそいつが、あまりにも間抜けな顔をしてるから、何も言えなくなった。頭からシャワー被っちまってるせいで、それがただのぬるま湯なのか涙なのかさえも分からない。
「…おれのこと、だらしなくて狡いガキっておもってるのカ」
「そう思ってるように見えんのか」
「わからン」
「ハッ。おまえよりは、そう思っちゃいねーよ」
鋭く切れた瞳の奥が動揺を隠し切れていない。子供と言うには発達して、大人と言うには未熟な体。シャワールームの壊れかけたライトが怪しくゆらめいている。いつもは狐みたいに狡賢いくせに、少し揺さぶりをかければすぐにこうだ。これだから人間ってめんどくせーし、よわっちい。おれはこいつが今までどんな風に生き抜いて来たのか知らない。想像したくもない。窮屈な檻の中に閉じ込められていたくせに、時が来たならすぐさま運命を背負わされる。そんなのは御免だ。
「グリード」
「なんだよ」
「…おれは今までこんなこと、どうだってよかったんダ。気持ちいいふりして奉仕して適当にイって、それだけだったヨ。なのに、なんでこんなに苦しイ?皆を守りたかったんだ、それだけなんダ。嫌われたくなイ。嫌われたくなイ」
呆然としておれを見るそいつが何を考えているのか、手に取るように分かるのは、伊達に二世紀生きてねえってことかと大口開けて笑ってやりたくなった。自分のために泣けもしねえのかよ。つまんねーやつだな、リン。
「嫌いになんかなんねーよ」
むしろ好きだっていうのは、ただ言いそびれただけだと思いたい。誰よりもエグい傷痕を隠したお前が可哀想でバカバカしくて愛しいなんて、ふざけた話だ。




2012/11/12 ディオとジョナサン
嫌がられると興奮する、と言って笑うとそいつは涙に濡れた瞳でこちらを睨んだ。最低、だとか言われたような気がするけれど、最低はどちらだろうか。「きみなんか嫌いだ」「そうかい」。こんなことをされるまで人を嫌いになれないなんて、バカみたいだ。



2012/11/09 ブチャラティとジョルノ
「…アンタでも女を買ったりするんですね」
ぼくはただ呆然とした面持ちでベッドに腰掛ける彼を眺めていた。今し方鉢合わせしてしまった現状に対しての不満や侮蔑は浮かばなかったが、それをまるで何もなかったようにして接することは出来なかった。今思えばぼくはそれに口を出すべきではなかったのだけれど口から出てしまったのだからしょうがなかった。それに彼だってずいぶんと不用心だ。女を買ったことに触れられたくないのならば鍵なり何なりかけていれば良いし、そんな痕跡は全て消してしまうべきだった。じっと見つめるぼくに彼はようやく口を開いた。水がいっぱいに入ったコップをそろそろと傾けるような声だった。
「ジョルノ、お前はこの街で女たちが何をして生きているか知っているか。誰だって好きで体を売っているわけじゃない。最初はそうだ。でも次第にそれさえもどうだって良くなる。何故か分かるか?彼女たちの拠り所は麻薬しかない。そうして更に自分を追い詰めていく」
「…可哀想だからって抱いて、その金でやはり彼女たちは麻薬を買いますよ。そんなことでは何も変わらない。アンタらしくもない」
「そうだ、おれは今、らしくない。この美しいイタリア中に広まった疫病が憎くて憎くて、どうにかなりそうだ。今夜の食い扶持がないと泣いたあの女は今頃密売人のもとに転がり込んでいるだろう」
「分かっているなら、そんなことをせずとも…」
「哀れなんだ、どうしようもなくな」
彼の声は静かな夜にジワジワと染み込んでいった。ブチャラティが一体あの女性とどんなセックスをしたのか、ぼくにはそのときやっと想像が出来た。憐れみと虚言にまみれた性交。気高い彼の心に言い訳をして、それに気付いていながら彼は娼婦を買った。見殺しには出来ない、救うことも出来ない。
「おれはただ、彼女たちの地獄を長引かせただけだ」



2012/11/08 荻野と海野
荻野くんはその絹のように滑らかできれいな髪を風に靡かせていた。遥か向こうで輝いている夕日がすべて彼のためのものだと言われたって、不思議ではないくらいのものだ。意識しない内に口を閉ざす。
「荻野くん」
「なあに」
「荻野くんは、とてもきれいだよ」
「…そうかな」
彼は驚いたような顔をしてそれだけ言った。それ以上言えば泣き出してしまいそうだ、とでも言いたげな顔だった。もしもぼくが犀さんや姉さんがいない世界に生きていたなら、きっと彼を好きになっていただろうとおもった。光り輝く水面に吸い込まれていく、刹那の恋慕は、だれにも言えないし、だれにもわかってもらえないようなひどいものだ。そんな風に、ひとにいえない感情を抱いたのは、生まれてこの方初めてだった。


2012/11/04 荻野と相野
ぼくを女の子の代わりには出来ないと言って笑ったきみにどれだけ救われただろう。まるで気が付かないままいつだって手を差し伸べていてくれる、そんなきみがたまらなく怖くて眩しくて、好きなんだ。好きなんだよ。肝心なところには踏み込まない狡猾でいて間の上手いきみに気が付いていながら、焦がれずにいられない。なにも知らない振りをして名前を呼ぶのは得意なんだ。
「あいのん、おはよ」
「ああ、おはよう荻野」
だからぼくを許してよ。



2012/11/02 ディオとジョナサン(現代)
午前四時の電話のベルはけたたましく鳴り始めた。未だ睡魔に打ち勝てずにいた脳髄を稲妻のように明るく照らし出したそれに腹を立てないではなかったけれど、決まってこの電話の向こう側にいる相手はぼくのこういった感情の起伏を何よりも楽しみにして息をしているような人間なので、その感情を微塵も出さずに受話器を取った。
「もしもし」
「やあジョジョ!起こしてしまったなら済まないね」
「構わないよ」欠伸をかみ殺して答えるぼくに、何が面白いのかあの凛とした声を弾ませるその人間性が不愉快だ。ディオ、ぼくの友人であり、兄弟の男。
「研究が中々どうして結果の出にくいものでね。我が家のベッドが恋しいよ。父さんの具合はどうだい?」
「悪くないよ。それどころか良い具合だ」
「それは良かった、君だけに任せてしまって、申し訳なく思っているよ」
「気にしないでおくれ」
ぼくが何故謝ることになるのだろう?彼は決まって下手に出るけれど、その行動と言動とが一致したことは今までにただの一度もない。大学の医学研究グループに所属している彼は度々こうした遠征の所為で一週間も二週間も家を空けた。それは寂しさどころかひどい安息をもたらし、ぼくの心地や体調は考えられないほど良くなるものだ。出来ることならばずっと、いやこれ以上はぼくの口からは言えまい。ぼく達は兄弟だからだ。しかしつい最近から打って変わってぼくの頭を悩ませているのがこの夜明け前のけたたましい電話だ。わりと眠りの浅いぼくだけが起きてしまうようで、父さんが気付かないのが幸いではあるけれど、それにしたって気持ちの良いものではなかった。ディオは意気揚々と近頃の医療がどれだけ低迷しているか、そして自分の有能な具合をぼくに説き明かしてきている。半分眠ったままの頭がそれをきちんと覚えていられるかどうか、ぼくはまるで自信がなかった。



2012/10/27 DIOとジョナサン

きみのゆびもはだもしんぞうも、ぼくのものだったのに。消え入りそうな声で呟いたそいつは頬に一筋の涙を伝わせると、すっかり目を瞑ってしまった。なにも言えないでいるわたしを笑い飛ばすことも無く、ただの静寂が我々を包むころには、世界がなくなってしまったようだった。ジョジョ、貴様は、もっとうるさい人間だったじゃあないか。なんとかひらいた口から出た言葉がほんとうにわたしのものだったのかもわからないでいると、やっとこちらを見たそいつは泣いているのか笑っているのか、それさえもわからない表情を浮かべていた。「だってぼくはもう、人間じゃないもの」世界がなくなっていく。緩やかな下り坂の向こう側へと、歩き始める。


2012/10/26 市河と吉野
「おはよう先生」
「ああ、おはよう市河!今日は朝から出てるのか!素晴らしい!さすがおれのクラス一の頭脳の持ち主!」
「先生に会いたかったからさ」
「それはどうもありがとう!しかしおれには美しい妻と愛らしい娘がいるんだ!」



2012/10/22 地下鉄
髪型でも変えてみたら、と提案したわたくしにクダリは変な顔をして見せた。素足で虫なんかを踏み潰してしまった時のような、後悔と絶望と、わけの分からない僅かな苛立ちに包まれた彼は、鋭い視線をただの壁へと投げている。こっそりとそれを辿ってみても、壁には傷一つ無かった。この前改装したばかりなのだから、それも当たり前だ。
「こうも間違われては、少しばかり面倒ではないでしょうか」
「メンドウ」
「ええ」
「メンドウ、かな?」
一字一句の発音をやけに大事にする喋り方で問うクダリに溜め息をつく。面倒でなければ言いません、とは、さすがに言えない。



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