×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




白の世界 - 5



ユナと名乗った女性と連れ立って移動し始めてからも、二つほど階段を上がった。
曰く組員はエリがいないことを把握しているらしいし、となれば大勢で探し回っているはずなのに、やはりこの女性以外に人と遭遇することはなかった。

エリがあまり返事をしないので、基本的にはポツポツと彼女が何か独り言を言っているだけの道中だった。にも関わらず不愉快そうでもないし、こそこそと誰かにエリのことを伝えるような素振りもない。
彼女はあの変なマスクをしているくせに、彼女の言う“あぶないせいぶつ”がエリのことだとは本当に気づいていないらしかった。

「なかなか見つかりませんねぇ……見覚えのある場所も、ありませんでしたか?」
「うん……」

力なく頷くエリに対し、ユナは相変わらず呑気に、このフロアでもないのかもしれませんね、と笑って見せた。
それからふとエリの顔を見て、首をかしげる。

「あら……疲れてます?」
「……ちょっとだけ」

とは言いつつ、エリは普段こんなに長い時間歩くことがない。
普段行き来する二つの部屋はそんなに離れていないし――正直、今は確実に部屋から遠ざかっている気がする。もう今更、急いで戻ったところで意味はないように思う。

だってあの人にはエリが逃げ出したと思われているに違いないし、お世話係の青年もとっくにその罰を受けてしまったかもしれない。

「よければ、抱えましょうか?きっとあなた一人くらいなら、私でも抱っこできるはずです」
「……やだ……」
「えー……やっぱり私、嫌われてますか……?」

ユナがそう呟いて眉を下げるので、エリは少し考えた。やっぱりとは、どこでそう思ったのかわからない。別に彼女を嫌ったつもりはない、かと言って好きになったわけでもないけれど。
どうしてこんな人がここにいるんだろうと、不思議に思うくらいには慣れないタイプなので、どう反応すればいいのかわからないだけ。

「……あぶない、から」

と答えると、ユナは少し驚いたように瞬きした。それからなぜかおかしそうに笑って、そうでしたか、と。

「大丈夫です。私これでも介護職みたいなものですからね、意外と力はありますよ」

大柄な方のお着替えもお手伝いすることがあります、と、聞いてもないのに。
ユナはよく話す性格らしく、それもまたエリには慣れない。

「失礼します」
「えっ、や……」

そしてやや強引に、エリを抱え上げてしまった。
いいなんて言ってないのに。“あぶないせいぶつ”って言ったのはユナなのに。慌てて抗議しようとエリが見上げると、彼女はやっぱり呑気に笑っていた。

「絶対落としませんから、危なくないですよ」

――どうやら、そんな風にエリの言葉を受け取ったようだった。

彼女の自称した通り、エリの膝を支える腕も背に添える手も、思いがけず安定している。
自分に関わって困るのは、周りの人なのに。その代わりに、自分が我慢するのに、できるのに――エリは抵抗をやめた。

今更急いだところで、突き放したところで、エリを見つけてこんなにのんびり付き合っているユナは、もう手遅れかもしれない。全然、頼りにはならないけれど、エリの願いを聞いて、素直に一緒に部屋を探してくれているのに。そんなことを考えるとまた恐い想像をしてしまう。
この人はエリに優しいから、あの人はきっと目の前で彼女に手をあげるんだ。今は柔らかい彼女の声、悲鳴はきっと甲高くて、耳を塞いでも聞こえてくるだろう。また、お前のせいで、と冷たい声が思い出された。

*  *

抱え上げた少女が小さく震える。そんなに私は頼りないでしょうか。小柄な印象に輪をかけて彼女の身体は軽かったので、絶対落とさないという約束は、果たせると思うのですが。
一瞬落ち込みかけたものの、予想に反して彼女はおとなしく、おずおずと私の肩に頬を寄せる素振りすら見せた。もしかしたら少しくらい、心を開いてくれたかもしれない。

「……ごめんなさい」
「気にしませんよ。とても軽いです」
「ちがう」

違うの、ともう一度呟かれた。表情は見えないけれど、またあのような怯えた顔をされているのでしょうか。それともまた別の何かでしょうか。声色は、寂しいと言っているように聞こえる。

「どうしましたか?あなたはとても良い子なので、私は何も困っていません」
「良い子じゃない……おねえさんは、良い人なのに、わたしのせいで……」

言葉をやめて、今度こそ肩に顔を埋めるように。
汚れた裸足、手足の包帯、軽い身体――本当に“良い人”であれば、もっと違うアプローチがあるでしょう。

「私だって、良い人ではありませんよ」

私みたいなのに、そんな言葉は勿体無い。だって私はもはや、彼に従ってここまで来ただけの、彼に与えられた世界に閉じこもっているだけの、何もできない人間ですから。

「あなたが何を悲しんでおられるのか、わかりません。知るほどの資格もありません。あなたに助けを求められても、私にはどうすることもできないからです」
「……そうだと思う。迷子だもんね」
「そ、その通りですが……!」

それだけではないけれど、まあ、あまり変なことを言っても仕方がない。言った通り、もしも彼女が私を頼ってくれたとしても困る。自分のことすら満足に養えないくせに、期待を持たせるのは罪だ。

「……でも、同じ迷子のよしみです。ひとつくらいはアドバイスできることもありますよ」
「アドバイス……?」

こんな幼い子と同列に並んでいると言うのはいささか情けないところではある。けれど、だからこそ、自分ではどうにもならない時の逃げ道は知っている。

「――どうしても悲しい時は、あなたを救う御言葉に縋ることを、ためらう必要はありませんよ」

少女は思慮深い性格のようで、今度も少しの間黙って何か考えている風だった。それから顔を上げて、不思議そうに私を見た。

「みことばってなに?」
「そうですね……あなたが、“こうだったら良いな”って思うことを、あなたに向けて言ってくれる人ですよ」
「よくわからない……」
「あら」

私は子どもの相手に慣れないので、これ以上はなんとも言えない。難しかったですかね、と苦笑してみると、思ったより素直に頷かれた。
多少心を開いてくれたかもしれないけれど、わかりあえるほどの力は無いみたい。

「まあ、私はそうして来たというだけのことです……さ、お部屋探しを再開しましょう。見覚えのある場所があったら、声をかけてくださいね」
「うん」

また素直に頷いてくれたので、私は少女を抱えて廊下の先を進んだ。



「――こんなところまで来てしまいました」

先に見覚えのある場所に辿り着いたのは私の方だった。つい立ち止まって、首を傾げる。少女はそんな私を不思議そうに見上げた。

「どうしたの?」
「出入り口ですよ。ここを登ってしまうと、地下から出てしまいます……行き過ぎたでしょうか……」

少女は私の言葉で、きょろきょろと廊下を見渡した。彼女には見覚えがないらしい。
地下への入り口は複数箇所あったのでしたっけ、それすら把握していない。彼のことだから、私には特定のルートしか覚えさせないようにしているなんてあり得る話です。

「も、戻ろう?怒られちゃう」

少女曰く、早く部屋に戻らないと怒られてしまうらしい。私と同じです。勝手に部屋を出たこと、とっくに彼は気付いているに違いないので。
そういえば元々は“エリ”という生物を探しに出たはずですが、これだけうろついても結局見当たらなかった。もしかして、彼のことだから本当に素早い対応で事を収めてしまったのかもしれない。だとすると本当に、私ったら、彼の手を煩わせてばかり。

「そうですね……やはり彼に聞いてみましょうか?今なら私も居場所が伝えやすいので、確実だと思います」
「……」

地下迷宮のど真ん中で『現在地がどこだかわかりませんが、名前を教えてくれない女の子のお部屋を探しています』なんて言うよりはマシな気がする。二度目の提案となったが、今度は即座の否定はなかった。しかしやはり気が進まないようで、私にしがみついたまま黙り込んでしまう。
どうしたものか……私も、そろそろ彼のところに戻らないと。彼は忙しい方だから、次のお仕事に影響してはいけない。


「――ユナ!」

久しく聞かなかった怒気を孕んだ声に、気がついた次の瞬間には、抱えていた少女が引き剥がされた。あっと小さく声をあげた彼女は乱暴に放り出されて、彼の後ろで控えていたクロノスタシスさんに受け止められていた。

「どういうつもりだ……?」

あまりに鋭い目で睨まれると、さすがに身が竦む。
彼が私に苛立つのはいつものことだけれど、それだけではなく……どこか焦っているような……とにかく、いつも以上に不愉快な事を、私がしでかしてしまったらしいことはわかった。

「待って!その人は……ちゃんと、お仕事……」
「黙れ」

背後からの声に目を向けて、幼い少女も変わらず威圧する。そういう方だと知っている。
あの子は小さく悲鳴をあげて、ついにポロポロと泣き出した。私と一緒にいる間、あんなに悲しそうな声でも涙ひとつ見せなかった子なのに。ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返し呟く声がする。

「庇うとは珍しいな……一体何を吹き込まれたか……あるいは、吹き込んだのか」

低い声で唸るように言いながら、ファーコートの右袖を引き下げて、腕を引っ掻くように擦る。
さっき、私の腕から少女を取り上げた時でしょう。少し蕁麻疹が浮き出ていたのは見えていた。

「お前は、本当に、いつまで経っても」
「――お、おやめください。怪我になります……」

怒られているのは重々承知の上で、先に謝るべきだったかもしれないと思った。けれど口をついたのはそんな言葉で、彼は左手を止めて、じとりと私を見た。その向こうで少女を抱えたクロノスタシスさんが、これ見よがしに肩をすくめる仕草をする。

「……くだらない」

少し無言の間があって、彼はため息混じりに呟いた。
クロノ、と声をかけられた忠実な側近は、へい、と勝手知ったように答える。

「エリさん連れてったら、お迎えにあがりやす」

それは私に向けた言葉だったのかもしれない。
踵を返し廊下の奥へ向かっていくクロノスタシスさんと、彼の肩から顔を覗かせて私を見つめる少女は、すぐに暗がりに消えてしまった。

「で……どうしてこんなところにいた?」
「それは……」

改めて問う彼の声は、先ほどよりは多少強さが抜けていて、声を出せないほどの威圧感はなくなっていた。ぽつぽつとこれまでの経緯を説明すると、だんだんといつもの呆れたような色も見え始めた。

「それで、あなたにお電話しようと、思ったところでした」
「……お前は、余計な事をした」
「……申し訳ございません」

まったく役立たずであると、自覚はしていたものの、いざ突きつけられると落ち込む。視線が落ちて、彼の白いスニーカーが目に入る。

「お前の仕事はなんだと言った?」
「組長様の、お世話を……」
「違う」

ぴしゃりと跳ね除ける声は、ずっと変わらない。いつでもそう、私の行く先を彼が厳格に決めている。
レールを敷かれているなんてものではなく、それこそ神の啓示のように、私達の聖典のように。

「俺がお前に、何を命じたか忘れたのか」
「いいえ、いいえ。私はあなたに従うためにここにおります」

――私はあなたの御言葉に縋って、ここまで来たのです。

それを、後悔もしていません。ですから、努めて視線をあげて、彼の目を見返し答えた。

「……私は、あなたをお待ちするのみです」
「わかっているなら、大人しくしていろ」

彼はまたひとつ息をついて、それで私は許されたと気づく。ほっとしたらつい饒舌になってしまう。


「ところで、お探しになっていた“エリ”というのは、どうなりましたか」
「お前は本当に余計なことしか言わないな」
「ええ……?」

こんな一瞬にして彼の機嫌を損ねてしまうのだろうかと焦ったが、彼は少し考えてから、意外にもすんなり答えてくださった。

「さっきまでお前が連れ回していた子どもがそうだ」
「え」

となれば――エリを逃がした――手足の包帯――彼のことを出した瞬間の拒絶の声。
きっと簡単な結論なのでしょうけれど。

「――今日見聞きしたことは、すべて忘れろ。いいな」
「はい、わかりました」

彼にそう命じられた瞬間、考えるのをやめた。
たとえどんな事情でも、彼の仰る言葉を凌ぐものではありませんから。

私が素直に頷くと、彼はそれなりに満足したようで、一度部屋に戻ると言って歩き出した。それについて、彼の背を見て歩いていると、ふと思い出した。

「あっ」
「なんだ」
「あの、先ほど、すべて忘れろと仰いましたが」
「……何か不満でも?」

肩越しに私を見下ろした彼に、一つだけ、と申し上げた。

「私の名前を呼んで下さったでしょう。それは、覚えていても良いでしょうか?」
「……好きにしろ」

少し目を細めて、すぐ顔を背けられてしまった。けれど、やった、お許しが出ました。大抵二人でお話しさせて頂くから、彼はあまり私の名前を呼ぶ必要がないらしい。それもそれで嬉しいのですけれど、貴重な経験は心に秘めておきたい。
偶には、私のことを覚えて下さっていると実感できるのが感激するのです。

私も、彼の素敵なお名前をお呼びできる機会がないので、それも少し、勿体無いと思っています。
彼は気づいていないと思いますが。




前<<>>次

[6/11]

>>White World
>>Top