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白の世界 - 3



その日は私の方から、定期的なご報告のため彼に時間を作ってもらっていた。彼の直属であることを表すらしい、黒いペストマスクをした方――確か音本さんという方だった、私は彼らのお名前すらきちんと紹介されていませんが――に、例の如く病院まで迎えに来て頂いてこの本部を訪れた。

珍しかったのは、正門をくぐった際に知らない組員の方が数名、前庭のところで私達を見て『しまった』というような顔をしておられたことだった。

死穢八斎會は由緒ある極道の組織であって、私が思っているより多くの構成員がいることは聞いていた。実際、昔――組長様が入院される前のお屋敷では、少し人相の悪いような、けれど私のような小娘にも挨拶を返して下さるような方々がもう少し多くいらした記憶がある。
その頃は私も彼に監視されるようなことはなかったので――今と変わらず、良い顔はされませんでしたが――縦に広い敷地を、気ままに散歩しては迷子を探しにきた彼に連れ戻される日々だった。懐かしい……ああ、そんなことは今関係ありませんでしたね。

つまり私が組長様のお世話係を任され、彼の用意した病院近くのマンションの一室に移り住み、気軽に本部へ足を踏み入れることもなくなって以降、あの頃お見かけしていた沢山の方々が、ぱったり私の前に姿を見せなくなった。
一度か二度、不思議に思って彼に話してみたこともあったけれど、「何か問題でもあるか?」と聞き返されれば確かに私には関係のないことのような気がして、それだけだった。

それなのにその日、普段見かけることのない方々とばったり出会ってしまったのは、大変新鮮な心地がした。
彼らが何を見て一瞬狼狽えた顔をされたのか、私にはわかりませんでしたが。昔のようにとはいかないまでも、私に彼らへの悪感情があるはずもないので、こんにちは、とにっこり笑って声をかけた。

しかし彼らは私の挨拶に返そうとはせず、苦い顔で石畳の上を避けてこちらから目を逸らし、まるで私達をやり過ごそうとしている様子だった。私を先導する音本さんは当然のように、彼らが退いた石畳の上を歩いていく。はぐれてしまうと私だけでなく、わざわざお迎えに来て下さった彼にもとばっちりがいってしまいそうなので、私もそれに倣う他なかった。
ううん、私の挨拶の仕方はおかしかったでしょうか……そういえば今は彼に会うため、意気揚々と白いペストマスクをしていたのだった。笑顔で挨拶をしたつもりだけれど、あまり伝わらなかったのかもしれない――なんて考えながら、彼らとすれ違った。

――『いいご身分だな。気色悪いマスクどもが』
――『また大口の取引があるって話だ。図に乗ってる』
――『親父が回復すりゃあ、あんなシノギすぐに締められるに決まってら』


――『治崎の“オンナ”なんて、さっさと逃げた方が身のためだぞ……』

それはさすがに私への言葉だとわかって、思わず振り返った。先ほどまで目を合わせていなかったはずが、彼らは私を見て顔をしかめていた。
音本さんはこちらなど気にせず進んでいく、あまり立ち止まってはいられない。けれど向けられる視線がそう悪いものではなく、むしろどこか配慮を感じるものだったので、少し迷ってから、小さく会釈だけして背を向けた。
私に彼らへの悪感情はないけれど……申し訳なくも、その忠告に対しては、笑顔で返せるものではなかったので。


もしかして彼らは、私達というよりは、それを通して見えるあの人をやり過ごそうとしているのかもしれない。
彼の怖いところは、私も多少わかっているつもりですし、彼の下で働いているクロノスタシスさんも、音本さんという方もみなさん、私以上に重々承知でしょう。

そういえば以前、クロノスタシスさんから伺ったことを思い出した――彼は若頭という地位に登り詰めてなお、ほとんどの信用を得られていないのだと。だから……。

*  *

「だから、マスクをしてない人らとは関わらんでくださいって、俺はちゃんと忠告しました」
「そうらしいな。あいつは覚えていなかったようだが」

冷たい声は明らかに不機嫌で、クロノスタシス――玄野は心底ため息を吐きたい気分だった。そうしないのはひとえに相手の機嫌をこれ以上損ねては、自分の身も危ういからだ。

狭い廊下にぶち撒けられた赤黒いアレソレに、自分が加わることが容易に想像されたからだ。

「片しておけ」
「はい、若」

軽く発疹の浮いた腕を振るって、見えない汚れでも落とそうとするように。こんな気難しい男が、あんな弱々しい女ひとりのせいで簡単に浮き沈みすることを知っている人間は少ない。
玄野はそのうちの一人だったが、忠実に廊下の掃除に取り掛かった音本は違った。だから先ほど、彼は理不尽にも治崎に分解されたところだ。

玄野は事あるごとに、彼女に『余計なことを喋らないでほしい』と忠告している。とても素直な――治崎曰く頭のおかしい上に馬鹿な――女なので、それに対してはいつも頷くし、そのくせ無駄話が大層お好きらしいので失言は後を絶たない。
今回のこともそうだ……いや、今回に関しては、どちらかというと話をしていなかったことが彼の気に障ったという方が正しいか。



治崎と彼女の逢瀬において、他の者が同席することは基本的に許されていない。本日彼女の護送役を言いつけられ、治崎の居室の前で待機していた玄野は、いつもより長く話し込んでいるようだと認知していた。
幼い頃より治崎の側にいた友人としては喜ばしいことだが、ヤクザ者として仕える身としては面子を保てる程度に留めてほしい。明らかに過保護――と言うには少々支配的すぎるが――にしていること、他の組員も段々と気が付いている。

とはいえ、話が弾んで彼の機嫌が直るならいい。最近彼女が連絡を寄越さないことに苛立っていたし、午前に帰宅してから今ひとつ機嫌が悪そうだった。
呑気に『神の思し召し』なんて喜ぶのはやめて欲しい、あれは貴女自身が原因なのだと言ってやりたかった。勝手なことを言うと殺されるのは自分なので、飲み込んだ。
まああの女が変な事さえ言わなければ、彼女の訪問があった後の主人は比較的調子よく仕事をしてくれるのでよしとしよう。

「――おいクロノ。音本を呼んでおけ」
「えっ、はあ……や、でも……」

不意に扉が開き、予想外にもその主人が先に出てきたので驚いた。廊下に座り込んでいたもので、玄野は慌てて立ち上がりつつ、首を傾げた。
治崎の後から退室してきた彼女は、玄野を見上げて笑った。彼女に支給されたマスクは玄野達のものとは少し異なり、白いつるりとした革に黒いステッチが映える、口元だけを覆う小ぶりなデザインだ。よく表情の動く彼女だから、今も頬を染めて嬉しそうにしているのがわかった。

「とても珍しいことに、お見送りまでして下さるそうです!ふふ、今日は本当に幸福な日です。神が私の祈りを聞き入れてくださったのでしょうか」
「無駄口を叩くな。暇じゃないんだ俺は……お前はいつもそんな下らないことを祈っているのか……」
「下らないなんて……私はいつでも、貴方のことをお祈りしています……」

治崎が足早に出口へ向かい、彼女がそれを小走りに追いかけて行ってしまった。
よくわからないが、彼女の護送役の任が解かれたらしい玄野は、とりあえず言われた通りに仲間を探すことにした。一体、どんな話をしたのだろう。彼女を届けた時よりも、よっぽど機嫌が悪くなっていたようだったが。

*  *

そしてまた些細なことで、治崎の意にそぐわない老害が消えていく。
音本を分解して修復した後、その証言で見つけ出されたのは組長派のそれなりに長く仕えていたはずの組員達だったが、治崎にはまるで関係のない話だ。

そもそも彼女が訪れる日はそれとなく周知させているし、下手に彼女の印象に残ってしまえばまずいことくらいわかるだろうから、自業自得とも言える。
それをおしてでも彼女に忠告しようとしたのであれば、とんだ見当違いだ。


素直で、頭がおかしくて馬鹿な人だが――彼女は昔から、彼がいなくては生きられない女だった。それを彼が受け入れただけだ。
そして懐に入れたものを、彼は絶対に汚させない。


余計なことを吹き込む老害どもも、彼の手の代わりに汚れ仕事を担う自分達も、彼女には相応しくない。だから治崎からわざわざ部下達を紹介することはないし、屋敷に呼び寄せることも最低限で、いつでも監視している。
組が裏社会で何を成そうとしているかも教えないし、それを一片でも耳に入れてしまった迂闊者が、すでに何人かバラバラにされていた。

彼女がマスクをしていないとあからさまに不機嫌になるのは、彼女が“汚染された”世界の空気を吸う事さえ、もはや許せなくなったからだろう。


治崎が彼女に与えた世界が、白い部屋と穏やかな組長だったということは、そういうことだろう。




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