「よう、遅かったな」
咄嗟にドアを閉めようとしたら、さすがの反射神経で隙間にブーツの足を滑り込ませてきたので無理だった。
「ちょ、ちょっと!ヒーローがそんな犯罪じみたことしていいの!?」
「誰が犯罪だ人聞きの悪い」
「っていうかオートロック!玄関!どうやって入ったの」
「友人が起き上がれないくらいの風邪らしいので見舞いに来ました、って適当な部屋の人に言ったら開けてくれた」
「やっぱ犯罪!不法侵入!」
「あーうるさい」
気だるげに言った消太さんは、あからさまにため息をついて、足一つ分開いた扉に手をかけた。
「無駄な抵抗するな。ヒーローの腕力に勝てるわけねえだろ」
やっぱりヒーローらしくない発言である。
小汚い男が、一人暮らしの女の部屋の玄関に足ひっかけて、力の差を盾に侵入してくるなんて、通報したら絶対私が勝てる事案だよ。何たって昨日、恋人関係は解消されてしまったんだからね、あなたの方から!
無駄な抵抗というのは確かなので、結局諦めて渋々彼を部屋にあげた。埃っぽい、と小さく不満を零される。
「だって最近使ってないんだもの」
「やっぱ無駄だな」
「む……また明日掃除するからいいの」
「今日しとけよ」
「寝てたんだから仕方ないでしょ!」
「寝てた?」
消太さんは不思議そうに繰り返して、なるほど、と続けた。
「さっきまでか?」
「そうだけど……」
「どうりで既読付かないわけだ」
既読とか気にするタイプだっけ?初めて聞いたんだけど。
その言葉からして、さっきタイミングよく送られて来たメッセージは、偶然というより、私が写真を見たのに気づいて送信されたらしかった。
「一日寝るって、また合理的じゃない休日の過ごし方だな」
「な……誰のせいだと思ってるの」
だいたい、睡眠時間を理由にデート断ったあなたが言えることか。そう思いながら不満を口にすると、消太さんは目を細めた。
一瞬無言が降りて、え、ちょっと、気まずさが半端じゃないんだけど……私が焦り始めた時、やっと彼は口を開いた。
「……悪かった」
「へ」
「合理性の欠片もないこと言ったのは、俺の方だったな」
まさかあの消太さんから素直に謝罪を受けるとは。
っていうか、また合理性とかそういうこと……消太さんが非合理的な判断をしたことなんて、あったっけ?私が怒ったのは、むしろ彼の合理的すぎる判断なのだけれど。
「何の話……?」
「昨日は、正しい判断だったと思ったんだけどな」
消太さんは手入れの届いていない黒髪をガシガシ撫で付けて、歯切れの悪い言葉を続けた。
「何つーか……覚悟はしてたんだよ。いつか、お前に愛想尽かされるってのは。だから、そう言われたら素直に手放してやろうって」
いつか愛想尽かされる。それはむしろこっちの方だ。私の無駄ばっかりの性格に、嫌気がさすのはきっと消太さんの方だって、付き合い始めた頃からずっと不安に思っていたのは私の方。
だけど私の送った写真を大事にしてくれて、四年も一緒に居たから何となく安心しちゃっていて――それこそ、また合理的な理由の一つもなしに。
「どちらかが無理だと判断した時点で、人間の関係っつーのは切れるもんだと思ってた。だから、昨日はああ言う言い方になった」
愛想の尽きた相手と一緒にいるなんてのは、合理的じゃない――とっさに出た別れるという単語を、とにかく、拒否して欲しかっただけなのだ。
合理的に考えて関係が続けられないとか、そんな理由で四年間を無駄にしてしまえる彼の正しさが悲しかった。
「けど……今日一日でやっとわかったよ。そういうもんじゃねえんだな、俺達の、これってのは。らしくないことまでしちまった」
お前は呑気に寝てたらしいが、と少し笑われた。らしくないこと、って言うのは、アヤメの写真のことだろうか。
ということは、あの写真の意図は――私が三年間続けて来た、あれらと同じだったりするのだろうか。彼の嫌いな、合理的じゃない、理由の。
――構ってほしい。一緒のものを見て、一緒のことを思ってほしい。そして少しだけ、笑ってほしい。
「昨日の今日で、虫のいい話だってのは自覚してる」
消太さんはそう前置きして、私の目をじっと見た。いつも気だるげな瞳に、何か熱っぽい感情が見えて、息が詰まる。
「お前がいないと、駄目だ。お前も、そうなんじゃないか」
熱っぽい目はゆっくり瞬いて、すぐに外された。ドライアイのせいか、それともらしくもなく照れてるのかもしれない。
彼はとても合理的な人。無駄な時間を嫌う人。
昨日の今日で、たった一日で、私が必要だってすぐに判断してくれた。そして真っ直ぐ私のところに来てくれた。私が不貞腐れて一日中寝ている間に。
ああ、やっぱり私達って、ことごとくどこかずれている。
「俺達が別れるってのは……合理性に欠くと、思わないか?」
少し赤くなった顔を誤魔化すように、わざとそんな言い方をするのは――本当に、らしくないね。
私がいなくちゃ、駄目みたいだね。
「――うん、それは、さすがの私でもわかるよ」
そう言って笑ったら、消太さんは私を強く抱き締めてくれた。
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