『ミス・レイシスト』 p1/p9


桜の花はとっくに散って、強風で青々とした葉が煽られている。そんな風の音がたまに聞こえる以外は、昼休みなのにとても静かだ。中畑はカフェオレの最後の一口を煽った後、あくまで無造作に見えるように、だが狙いをつけて投げた。
がこん、と小気味よい音を立ててカフェオレの空き缶がごみ箱に入る。我ながらナイスシュート。浮かれた気分は、見ないようにしていたその人物が話し掛けてきたこととその内容で一気に最悪へと落ち込んだ。

「あの、中畑先輩」
「何?」
「俺と付き合ってくれますよね」

何故か、ひゅうひゅうと寒々しい効果音の幻聴。中畑の脳内では、春だというのに枯れ葉が舞っている。木枯らしまで吹き荒れた。一応お互い女子高生じゃねーの、とか付き合ってくれます『よね』って何様だよお前後輩じゃなかったっけ、とか何からツッコミを入れるべきか迷った挙げ句、

「冗談は外見と一人称だけにしてくんない?」

まず真顔で、素直な感想を放ってみた。





――チャイムの音が昼休みの開始を告げた。

お弁当持って来てないから購買にパン買いに行かなくちゃ、と思ってはいる。思ってはいても、限りなくどん底にある気分が空腹より優先事項となっているのがこの状況。

「……はー…」

中畑は堂々と居眠りをするような姿勢で机に突っ伏している。クラスメートが奇異な目で中畑を見ているだろうが――外聞より自分の精神状態が優先だ、仕方ない。今日は部活がある日ではあるが、中畑の部活に対するやる気はとっくにゼロ。昼休みの今から――むしろ朝起きてから、放課後は帰ろうと決めている。
もし部活に行く場合なら、部活(という名のダベリ)をしながら遅すぎる昼食を摂ることも出来るが、今それは避けるべきことだ。更に気分が落ち込み苛立つだけで。

(お昼どーすっかな…ついでにあの子もどーすべきかねぇ)

口には出さない呟きに、口調が婆くさいなとこれも内心でひとりごちる。購買は1階にあり、中畑が今居る2年の教室は2階。お昼を買いに行く為に、中畑を苛立たせる元凶に出くわしては堪らない。元凶は1年だから教室こそ3階だが、購買は勿論全学年が利用する。つまり2階の自分の教室に居るのが精神的には一番安全だ。
一食くらい抜いても死にはしないからいいや、ゲームでもしよう―――と中畑は割と派手目なマスコットのついた通学鞄に、突っ伏した姿勢のまま手を伸ばす。
ファスナーが半分ほど開いたところで、

「――うわっ?!」

頬にひやりとしたものが触れた。一気に意識が覚醒する。冷たいものの正体はレモンスカッシュが入っている、黄色い缶。自動販売機で買ってきたばかりの上、今日が暖かい日であるせいか結露している。
こん、と缶を机に置いた衝撃で水滴が中畑の机の上にに伝い落ちて広がった。犯人は、もう片手に購買のものと思しき紙袋とイチゴミルクの紙パックを持っているそいつだ。
色素が若干薄い顔がにやにやと笑っている。いやこいつの場合はへらへらと、か。

「中畑、お前驚きすぎでしょ」
「…いや、冷えた缶押し付けられれば誰だって驚くっしょ普通」
「あははーごめんごめん」
「あれ可笑しいなぁ、あたしには今の棒読みにしか聞こえないよ神崎黎クン!」

まぁジュースはアンタの奢りらしいから有り難くもらっとくよ、あんがとね神崎。そう言いながら、中畑は黄色い缶のプルタブを引き上げた。2年ではクラスが分かれたが、お互いに頻繁に行き来している。確かこいつは理系だっけ、とどうでもいいことを思い出しながら舌を刺す炭酸の感触を楽しむ。
神崎は紙袋からパンを中畑の後ろの席に広げ始めた。大きめのメロンパンやラスク、クリーム入りのドーナツ…とりあえず菓子パンばかりだ。

「神崎、アンタやっぱ甘党…カルシウムって糖分で流れるらしいけどイライラしないの?」
「カルシウムと糖分が云々って初めて聞いたな。俺は今んとこ全然大丈夫だけどね、誰かさんと違って」
「誰かさんってあたしか、それ。…つか初めて聞いたってのはおかしくね? 去年家庭科でやったじゃん」
「え、マジかよ…確かに俺、家庭科は成績アレだったけどさ。――で、食べる?」
「食べるー! あんがとー!!」

とりあえず、半分に割って差し出されたメロンパンは有り難くいただくことにした。あるなら食べる。即断即決、そんなこと当たり前だ。クッキー生地のサクサク感とパン生地のフワフワ感がいい。今日は金曜日だからチョコチップが入っている。更に好みだ。ついでに、唯一紛れていた惣菜パン――焼きそばパンをちゃっかりと頂戴した。神崎は何も言わない。もしかしてこれも奢りか。明日槍でも降るのかな、と思いつつレモン味の炭酸を一口。

「で、中畑さぁ」
「うん?」
「お前最近どうしたの? 本格的に廃人になってるじゃん」
「廃人言うな。ちょっとしたでかいストレスが増えただけだよ」

でかいのか小さいのかどっちだよ! と神崎は笑いながらツッコミを入れた。こうやって馬鹿な話をしていると気分は軽くなる。ハリセンのつもりなのか――ぱこん、と大分軽くなったイチゴミルクの紙パックが椅子の背を叩いた。ベストの背に伝わる軽い衝撃。

「でもさー、マジあれはありえないかんね」
「ふぅん? 中畑、大分心が狭くなったんだな」
「…大丈夫、あれはアンタでも無理だと思うから」
「そんなに言うの!?」


20111218


[prev] [→next]



[目次/MAIN/TOPへ]