『トレス・ルージュの告解』 p2/p7



半分だけ閉まっている教室の引き戸から、がた、と音がした。
見回りの教師が戸を開けたのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。
開いている戸の部分から、黒灰色のカーディガンと紺のハイソックスの制服姿が去っていきかけるのが見えた。振り返ったその姿に、ぞ、と無意識に背筋が粟立つ。
冷たい憎しみを湛えた目と視線が交差したのだ。

(アンタ何様なの?)

自分を鼓舞するようにふん、と嘲笑を向けながら、美凪はサイドテールを揺らしてその人物――松嶋美香から視線を逸らす。
憂理に視線を移すと、彼女はスマートフォンに向かっていた。

「迎え呼んだの?」
「うん。20分くらいで来るはず」
「そっか。なら私も丁度かな」

それで憂理も美凪も互いに沈黙したので、イラスト部の後輩の喧騒とスナック菓子をかじる音が場の空気を満たす。スナック菓子も空になって、漸く他愛のないお喋りを再開した。

「そーだ聞いてよ、あたし昨日ある意味ヤバい夢見たの」
「え、何? まさかまた鉈持った兎の着ぐるみに追っ掛けられたとか」
「いやいや一応違うけど! 今度は何かさ、狐面を被った人が立ってたんだよね。何か短刀持ってて明後日の方向見て動かないの。何か別な意味で怖くない?」
「何それ超意味深じゃん。私はあれだな、何か最近同じような夢よく見んのね。何か血じゃなくて真っ赤な景色で一人だけ女の子が居るの。その子が私を驚いて見た後に言うんだよ。『さよなら』って」
「いかにも中二病だね」
「中二言うな。…で、その子が私に襲い掛かってくるところで毎回目が覚めるんだよね」
「美凪をガチで襲いにきてんの?」
「アンタの言い方が若干怪しいよね? …まぁそうなの、何か全力で潰しに来てる感じ。一欠けらの慈悲もなく――みたいな」
「それもそれで意味深だね。つーか血じゃなくて真っ赤って何さ」

あの夢の中の異様な風景。普通の景色を明暗や濃淡の様々な赤で置き換えたと言うべきか、普通の景色に赤いフィルターが掛かっていたと言うべきか。
どちらでもあるような気も、どちらかでしかない気もするけれど。
だが、たかが夢の話だ。詳しく覚えているはずもない。何となく厭な夢だったような気もするから、話の流れで話したものの実は早く忘れてしまいたい。

「…上手く説明出来ないや」
「ふーん」

それで話題は打ち切られ、迎えが来たらしい憂理と共に帰り仕度を始めた。
外を見ると、ぽつりぽつりと水滴が落ち始めている。
仕度ついでに鞄を漁ってみたが、折り畳み傘すら忘れたらしい。ツイてない。





駅でビニール傘は買ったが学校から駅までに散々に降られた後だったので、殆ど傘の意味もなかったと思う。帰宅するなり浴びたシャワーの後の髪をタオルでがしがしと拭き、美凪は自分の部屋に向かった。

そしてまずパソコンを起動するのがもはや習慣となっている。
インターネットに接続し、ブックマークに入れているSNSにアクセスした。
部屋の蛍光灯を点けても尚、パソコンのディスプレイが強烈に青白い光を放っている。
SNSのトップページでカチカチとマウスを鳴らした。
飛んだ先は面白半分で参加した、怖い話を集めたコミュニティだ。
怖い話が投稿される新着のトピックで、最もレスのついているのに矢印のカーソルを合わせ、クリック。目はディスプレイに表れた文字を追いながら、手は通学鞄の中にある数学のテキストと筆記用具を発掘し、机に並べる。
無駄に多い課題を少しでも片付けないと、週末が大変だ。
自力で課題をこなす気など全く起きないので、美凪は当然のように解答を写すだけだが。
この作業を漢字練習と形容したのは誰だっただろうか、それは忘れた。
憂理だったかもしれないし、まだ仲良くしていた頃の松嶋美香だったかもしれない。
ディスプレイに映る話題は、ドッペルゲンガーが関わる話だった。

「…『さよなら、わたしのドッペルゲンガー』、か」

そのフレーズが話の顛末より印象的だったなと思う。
話のストーリー自体は実にありきたりだったのだ。
それから動画サイトで動画を見たり、自分のブログやその他のSNSで友人と絡んだりして、気付くと時計の短針が大分回っていた結局半分程しか進まなかった課題とパソコンを閉じ、美凪は何も考えずにベッドに飛び込んだ。


20120915


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