『トレス・ルージュの告解』 p1/p7


――全てが赤い。

だが、よく漫画や小説で見掛けるように血がどうのという訳ではない。
普通の景色を、全て彩度や明度の様々な"赤"に置き換えた異常な景色が、目の前に広がっているのだ。ただ一つ、スポーツの試合相手を気取るような距離感で立っている少女だけは至って普通の色彩をしていた。
一瞬その顔に驚きが見えたが、すぐさまそれを取り繕うように、彼女は目をゆるりと細める。
悲しげに歪な弧を描く唇が、たった四文字を吐き出した。

「さよなら」

近隣の高校の制服らしい服装のその少女はサイドテールを揺らして、獲物に飛び掛かる猫のように――こちらへ襲い掛かってきた。

…最近、こんな夢をよく見る。
『彼女』の顔立ちは、全く覚えていない。





今にも雨が降り出しそうな昏い空が見えている、放課後の特別棟教室。
田中美凪はイラスト部の友人相手に滔々と愚痴っていた。
既に話題は何度目かのループに突入しているのだが、それでも友人は相槌を打ってくれている。
ただし美凪が登校の時にコンビニで買ったスナック菓子を遠慮会釈なく肴にしながら。

「やっぱ意味不じゃね。マジ乙っつーかさぁ、何て言うの?」
「ねー。つかいくら美凪と今仲最悪だからって何も連絡ないんでしょ? 部誌的に文芸部ヤバいんじゃん?」
「は? マジヤバいよ。原稿の〆切メールしたんだけどね、何かメアド変えてるみたいで届かないしさぁ。あの人超幼稚じゃね?」
「そーだよね。え、マジ松嶋さんヤバいね。うん」

最近殆どべったりという勢いで共に活動するイラスト部と文芸部。それには二年生になり、選択科目の関係でクラスが遠くなった友人――中畑憂理と美凪のせいでもある。

『たまにはしゃべりたいよね、カラオケとかじゃなくて』
『えー、だったらあたしら――イラスト部と一緒にやればよくない? 文芸もイラストも部誌の製本時期はどうせ一緒に作業してるんだしさ』
『さっすが憂理! 無駄なところで機転が利くね』

元々はこんな軽いノリだった。
そして、美凪はあの時の憂理の提案に乗ってよかったと本気で思っている。
今、美凪と憂理が中傷のトーンで話題にしている人物について此処まで延々と愚痴(陰口とも言う)を零せるのは憂理くらいのものなのだから。
その人物の名は松嶋美香。彼女が、美凪が今一番嫌っている人物である。
発端は文化祭の準備で美香が文芸部の先輩と大いにトラブルになったことだ。
だがそれ以前にも、美香の相談という名の男遍歴自慢(美凪にはそうとしか聞こえなかった)が多々。その中には、「普通そういうことはカウンセラーとかならまだしも友達には言わないし言えないよね、普通なら不快になるだけだし」という感想を抱かざるを得ないような話題もあるのだから不快以外の何物でもない。
悩みを喜んで分かち合おうという善人は少数派に過ぎない、と美凪は思っている。
そしてその美凪自身は『多数派』に属していた。
他人の不幸は何とやら、ではあるがそれを不快が上回るのだ、美香の話は。
その話を聞かされるようになってイライラしていたところに美香が先輩とトラブルを起こすときた。
美凪は当然のように先輩の肩を持った――元々はそれだけだったはずなのだ。

「でさ、聞いてよ! こないだね、小説投稿したら荒らされてさぁ。呟きとか見る限り荒らしたの絶対あの人なのね。本当ありえない」
「そうだねー」
「…………」

更に言い募ろうとした美凪だが、相槌こそ打っていても意外に淡泊な憂理の反応に言葉を止めざるを得ない。
同世代にしては華奢な憂理の指がスナック菓子を摘んで口に運ぶのをぼんやり見送った。
急に愚痴の嵐が止んだことに心底意外そうな視線が送られてくる。

「ん? どしたの、美凪」
「いーや、何でも?」
「あ、そう」
「そーいや憂理、これ聞いた? 昨日CD出たじゃん」
「…んー、わざわざ買いに行くのだるいんだよね」
「あんたね…」

試しに話題を変えてみても、憂理は気にする様子がない。
何事もなかったかのように、その話題に対しての返答をしてくるのだ。
まるで、あの忌ま忌ましい人物――松嶋美香から全ての興味を失ってしまったかのように。
好きの反対は無関心、とはよく聞くが、それでも美凪には納得出来ない。
憂理に何か思うところがあるのか、美凪にとっては大事なことである悪感情を些事と片付けたか。憂理の思考回路が遠い。
ちらりと窓の外を見ると、案の定雲が黒く立ち込めていた。
これが日が落ちるのが早くなったせいか、近付く天気が雷雨であるせいかは分からないけれど。ふと憂理が立ち上がり、窓の方へ近付く。
相変わらず絆創膏の消えない横顔がくるりと振り返った。

「天気ヤバそうだけど。どうする?」
「帰る? でも今行っても30分くらい電車待ちなんだよね」
「そっかー。あたし親に迎えに来てもらおうかな」
「うっわゆとり乙」
「ゆとり上等」

ふふん、と憂理は挑むように唇を吊り上げて笑う。
いっそ不穏な緑味すら掛かった、鉛色の夕空をバックにして。
そんなはずはないのに、そんな憂理の姿が決別を告げるように見えて仕方がない。
それは松嶋美香への悪意に対する余りの無関心のせいだろう。
少なくとも夏休みに入るまでは憂理も美凪に同調して語気を荒げていた、それなのにこの無関心はどういうことなのか。美凪は黙り込むしかなかった。
そんな憂理に悪感情を持つ訳ではないが、ただただ困惑するばかりなのだ。


20120915


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