『Missing Your Fate』 p2/p6


「……憂理」

教材室のドアノブに芽衣が手を掛けたその時。不意に、女の声が聞こえた。ひたひたと耳を浸す、悪意を凝縮したような声。
さっき芽衣だけが聞こえたらしい声そのものだ。

「憂理、今のは」
「知らない」

バッサリと四文字で切って捨てられた。だがそれは本当に聞こえなかったというよりは、聞こえていて不愉快だから拒絶した、という方が正しいだろう。
その証拠に、憂理の眉尻は今日最高に吊り上がっている。不愉快そうに。不機嫌そうに。

「酷いね、憂理。私傷つくんだけど…」
「だったらアンタ勝手に傷ついてればいいじゃん! …っぐ!?」
「憂理!?」

芽衣が左に顔を向けると、憂理の右脚のガーゼから嘔吐するように血が溢れ出した。そのまま後ろを向けば――黒髪を長く伸ばし、黒縁眼鏡を掛けている亡霊じみた雰囲気の女子がいた。
そして何よりその女子の左頬はざっくりと裂け、傷口から涙のように血を滴らせている。

「どうして君はそんなに酷いのかな?」
「うるさい黙れあたしの前から消えて! 早く消えろよ! ――黒川!」
「憂理! いくら何でもそれは―――」
「本当だよね。…差別はよくないよ?」

芽衣は憂理に話し掛けたというのに、芽衣の言葉を途中で遮ってまで答えたのは憂理に黒川と呼ばれた女子。にいっ、とアニメの猫じみた笑みを浮かべている。
その全てが演技じみていて、亡霊じみた見た目も合わさりもはやおぞましさしか感じない。
またその笑顔の不気味さに、芽衣はふとしたデジャヴュに襲われた。いや、でもそんなはずはない。すぐさまそれを心の中で否定する。対する憂理の顔は蒼白で錯乱しているようにも見える。
床に赤黒い粘性の水溜まりが広がっていく。触れたくなくて上履きをずらせば、その紅はずらした空白を直ぐに埋めてしまった。そして、それから―――芽衣と憂理は、示し合わせたかのように教材室の扉を開け放ち、中に買い出しの荷物を放り込んで"黒川"から逃げ出した。

バダン!

大きい音を立てて勝手に閉まる扉。急かされているようにも聞こえた。
恐怖が波のように満ちていく。校内はどうやら誰も居ないらしい―――本当に、誰も。
教師すらも、校内に居ないようだ。皆帰ったのだろうか? それとも――考えたくなくて、芽衣は二階の廊下を走りながらぶるぶると首を振った。
クスクスと悪意の笑声が否応なしに耳を浸す。
隣で走っていたはずの憂理が、居なかった。

「憂理!」

振り返ると、教室棟と特別棟を繋ぐ廊下が、二つに分かれていた。それは鏡映しそのもので、おぞましさすら感じさせる。そして――本来無いはずの二本目の渡り廊下へ、黒川は消えていった。
黒川が追っているのは憂理のはず、つまりあるはずがない二本目の廊下に憂理は駆けていってしまったのだろう。ごくごく普通に存在する本来の渡り廊下と半ば歪な二本目との分かれ道で芽衣は、躊躇した。
黒川への生理的な恐怖と嫌悪感が先へ進むなと警鐘を鳴らす。
中畑憂理があそこまで黒川に負の感情を剥き出しにする理由という好奇心と友人としてのなけなしの責任感が先へ行こうと誘いかける。

少し見たら、帰ろう。芽衣は好奇心に負け、自分にそう言い聞かせる。憂理には悪いけど、別に黒川に追われてるのはウチじゃない。一緒に追いかけられたんだからウチにはその理由を知る権利だってあるはずだし。日も差さない二本目の渡り廊下に一歩、足を踏み入れる。
ぺた、と上履きが廊下を踏む独特の音がやたらと大きく聞こえた。


――――ぞわっ




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