『ミス・レイシスト』 p3/p9


心の中でゆっくりと息を吸い込み、ふぅっと宙に吐き出す。
落ち着け、自分。たかが嫌すぎる来客の対応だよ、そんなことも出来なければあと6、7年後に社会人になったときに苦労するじゃん。
ついでに中学生(の親)から苦情が来て怒られるのは避けたいし。

「音楽室てことは吹奏楽ですよね?」
「そうです。この高校と言えば吹部なので…」

梨羽と呼ばれていた中学生は中畑へ穏やかに返事をする。
帰れよ、と言わんばかりの鬱陶しげな視線を隣の太った中学生に向けているが。
成程、彼女はその同級生と好き好んで行動している訳ではないらしい。同じ中学の友人がこの高校見学に居ない為、付き纏われたというところだろうか。

「あー、じゃあこっちです。途中まで方向同じだから2人とも着いてきて」
「…先輩、ありがとうございます!」
「よかったね梨羽ぅ、ちゃんと感謝しなよ」
「それをお前が言う筋合いなくね。先輩、あたし1人でいいんで」
早く行きましょう、と隣に並んで梨羽は中畑を見上げる。
「ねぇ、何様なの!?見学一緒に回ろうって言ったの梨羽でしょ!!何でオレを置いてこうとする訳!!」

うん、梨羽って子自分に素直ないい子だわ。吹奏楽部はハードらしいよな、うん頑張れ。つか先輩呼びって何か新鮮なような懐かしいような、そういえば用事も済ませたいなーと中畑は若干の現実逃避に入りつつある。
横で中学生2人が口汚くわめき立てるのだから困ったものなのである。
まぁとりあえず、本当に困っていると言った体の表情を出すことにした。
するとこの梨羽という女子、感づいたようである。

「あ…すみません」
「んー。えと、じゃあこっちね」

その後は一切口を開かずに、後ろで散っている(というより一方的に飛ばしている)火花の気配をなるべく気にしないようにして音楽室までその中学生2人を連れて行った。
そして中畑は柱を特別棟から取って来て部活のメンバーがいる昇降口前に戻り、それきりあの2人を見ることはなかった。




視覚的ブラクラとみなしたあの中学生のことは、話のネタにしたいとき以外は抑圧して忘れていた。
そう、例えばある日の部活での話。

「ねー芽衣、あたし2年になったら清々しく学校やめようかな」
「また言うの? まぁ確かにウチも嫌だけどさ。まぁあの子が入っちゃったら間違いなくイラスト部来るだろうけど」
「え、何その不吉な予言。じゃあ清々しく部活やめるしかないじゃん」
「それやめて部員あんま多くないんだから。…だってさ、憂理が柱取りに行ってた時に憂理が言ってた感じの人がイラ部マジ物色してたもん。でもイラ部のとこに30分くらい居たから憂理も姿は見たと思うんだけどな」
「えーうっそでしょ!? …あーそうだ、あたしイラ部の仕事してなくてろくにあそこら辺見てなかったわ」
「ちょっとそれ…じゃあ憂理、今すぐにでもイラ部のハンネをニートに変えなね。つかあれじゃん、その分ダメージは小さかったんじゃないの」
「やー全くむしろクリティカルヒット! だってあれだよ、道案内させられたり一人称俺とか僕とかでぶりっ子したり威張ったり、ああああああ思い出すだけで虫酸が走る」
「まぁ憂理、とりあえず落ち着きなって」

友人の反応は、概ね中畑のいっそ差別的に発揮された素直さに呆れながらも、でも自分もそんなのと関わるのは嫌だな、というものだった。
その反応は実のところ、中畑が一番この"ネタ"に対して望んでいる反応だった。





―――そして月日が流れ、中畑の後輩に当たる学年が入学式を終えて1、2週間経った。

年度の初めで右も左も分からない新入生(あとは殆どいないが経験のない上級生)に委員会の仕事を教える作業に追われていた放課後。
めんどくさいと神崎に愚痴を零しながらも図書委員になった後輩の面倒を律儀に見たり談笑したりしていたそんな穏やかな空気の中、後輩が憚るような小声で問い掛けた。

「憂理先輩と神崎先輩って付き合ってんですか?」

いきなりの爆弾発言。ヴァンホーテンを噴きかけたが、平静を取り戻して言葉を返す。
一応図書室は飲食禁止なのだから、危ないところだった。

「!? …いや、特に」
「マジで!? えー意外ー。絶対付き合ってると思ったのに」
「あれ? まさか瑠依ちゃん神崎に気があんのー?」
「えー違いますって! 確かにかっこいいとは思いますけど。そうだ憂理先輩、何か名前からして気になるんでそれ一口ください」
「ん。洒落た名前してるけど普通に濃い目のココアだねこれ」

やっべー何か今凄い女子高生って感じだわーとかなりオッサン臭いことを考えている自覚は猛烈にある。
顔には微塵も出さず、後輩――池澤瑠依にヴァンホーテンの紙パックを差し出した。
飲みかけとかは全く気にしないらしい。
中畑もそのタイプだが、神崎はそうじゃなかったなとふとそんなことを考える。
瑠依が妙なことを言ったせいだ。本当だー普通に美味しいアイスココアですねー、とそう言っているまだまだ初々しい制服姿に視線が一瞬飛んだ。

「そーいや瑠依ちゃんって部活決めたの?」
「んー…吹奏楽いいかなって思ってたんですけど…」
「あぁ、全国で金賞取ったから? その分やっぱ練習はきついみたいだよ」
「それなんですよねー! 賞取りたいけどきつい練習とか絶対無理!みたいな。それにかなり人数多いから別にいいかって」
「萎えるよねそういうの。マジ分かる」

ヴァンホーテンは空になって返ってきた。中畑は紙パックを飲食禁止の貼紙があるその下のゴミ箱へ、図書カウンターの椅子から投げた。
ナイスシュート、と瑠依が囃す。ぐっと親指を立ててみせた。


20120307


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