『Missing Your Fate』 p1/p6


……はーっ、はーっ、

壁に手をつき、荒い息を吐き出す。じっとりと滲み、ワイシャツに透明な染みを作っていく汗が煩わしい。不快だ。逃げなくてはならない。捕まってはならない。
そういえば友人はどうしたのだろう。はぐれたのか。
とにかく怖い。逃げ切れる気がしないことも、更に恐怖を煽る。

…ひた、

近づいてくる足音。どうしてこうなってしまったのだろう。たん、と壁を叩いて駆け出した。振り返りなどしない。キラリと、金属じみた輝きも見えた気がする。気のせいだろうか。…気のせいであってほしい。

――――ごおっ、



「ねー芽衣、芽衣って怖いものある?」
「うーん…あえて言うなら死ぬこと?中学時代はいじめっ子が怖かったけど。
じゃあ憂理こそ怖いものって何?」
「……………」
「憂理?」
「…あたし自身、とか」
「うっわ…それ、何つーか一種の中二病じゃん」
「ちょっと、それ何か酷くない?」

ある日の、部活中の話。中畑憂理は視線を上げずに橋本芽衣に問い掛けた。
放課後の教室、窓の外から西日が差し込んでガーゼや絆創膏の絶えない憂理の顔に影を落としている。彼女は病的に白いガーゼがあるのに左頬に構わず頬杖をつくので、ガーゼを止めているテープがずれていた。
――憂理は、生傷の絶えない人間だ。
それきり黙りこくって線画のペン入れを淡々と行う憂理を見て、芽衣はふとそんなことを思う。先週だけで十回は転んだ気がする、と憂理がぼやいていたのをぼんやり回想しながら。この高校は公立高校なので週五日制――つまり、毎日行きと帰りに一回ずつは転倒している計算になるのだろうか。
いくら自転車通学で、高校から家までが遠く砂利道が多いと言っても、転びすぎだ。因みに、そのうち三回はバス通学である芽衣も目撃している。出身中学と住んでいる市町村が違うだけで、芽衣と憂理の家の学校から見た方向自体は同じだったりするのだ。

芽衣には、非現実的なことは信じないと公言して憚らない憂理に言うつもりは無いことがある。憂理の転倒を目撃した三回のどれも、彼女は"ナニカ"に押されてつんのめるように転倒したように芽衣には見えたのだ。
まるで、誰かに後ろから突然突き飛ばされたように。
そのダレカが、悪意を持って憂理を突き飛ばしたかのように。

(…ね、中畑憂理。君に傷が絶えないのは君の自業自得なんだよ。君が私を傷つける度に、私が君を傷つけるように思ってるのかな?)

開けてもいない窓から、悪意を持った少女の声が突如聞こえた。その声の調子に、芽衣は思わずぶるりと身を震わせる。ぞわりとまとわりつくような声、その演技じみた雰囲気を除けば誰かに似ているような気がする声――そんなことよりも。
はっと憂理を見てみれば、その悪意に名を呼ばれたというのに、何も聞こえなかったかのようにカシャカシャと色鉛筆を漁っていた。芽衣は狐につままれたような表情でずっと憂理を見ていたのだろう、憂理が訝しそうに眉をひそめる。

「…どうしたの?」
「え、あ、ううん、何でもない。…憂理、そろそろ帰らない?」
「いいよ、そうするか。あたし買い出してきた紙とか教材室に入れてから帰るよ。だからちょっと待っててくんない?」
「あー、ウチもやるよ」

あんがとー、と独特の言い方で呟きながら机に広げたルーズリーフや色鉛筆を鞄に仕舞っていく憂理。それを尻目に憂理より早く支度を終えた芽衣は、買い出しの荷物を二等分する。教室の時計は、6時50分を回っていた。
芽衣がさっきある意味挙動不審だったのも気にしないサバサバとした性格からは考えづらい。…憂理が、あそこまで誰かに怨まれるなんてことは。


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