『喪失ヒンメルライヒ』 p2/p4


「内山じゃん!やっぱアンタ相変わらずちっこいねー」
「あの、ちょ、やめてよ宮本…」
「あはは」

――ファーストフード店らしく、店内は騒がしい。

メロンソーダの炭酸が舌に突き刺さる。黙りこくって食事を再開する渡部に興味を失ったかのように(実際は渡部の沈黙を邪魔しては悪いと思ったからだが)、黒川だった人物は隣に座った男子と談笑する。苗字で呼び合ってはいるが、とても親密そうに。
しばらくすると話題も尽きたのかそろそろ食事に取り掛かろうと思ったか、沈黙。

「あれ?渡部じゃん。アンタいつの間に優等生のダチ持ってた訳?」

…今日は珍しく一人らしい。派手に化粧をして、制服も大分着崩した宮本咲乃が素っ頓狂な声を上げた。中学のときは自分のことをまな、と愛称で呼んでくれていた彼女との分厚い壁がこれだ。

「…あ、まさか宮本? 渡部、合ってる?」
「え? あぁ、うん…そーだよ」
「そーだよね、やっぱり。宮本、久しぶりー」

呑気にポテトをつまみながら黒川だった人物は渡部に問う。彼女の隣に座る線の細い男子は、おっとりと振る舞いながらも困惑した表情を浮かべていた。

「は? ウチ、アンタ知らないんだけど」
「マジ? じゃあイメチェン作戦成功だ、やったね!」
「え? つかその高校とかウチらの中学だとアイツだけしか行ってなくね」

宮本は渡部に問いを投げる。だが疑問符がつくべき場所に疑問符のイントネーションらしきものはなかった。つまり確定的な事実。

「…そだよ。こいつ黒川だから」

苗字変わって黒川じゃなくて中畑らしいけどね、と付け足す渡部。その言葉が終わる頃、宮本の目は大きく見開かれていた。ぽかん、という効果音が似合う表情で。
驚きはやがて明るくぱあっとした、花の女子高生らしい表情に。

「マジ!? え、マジで?超可愛くなってんじゃん!! つかつまりアンタ今リア充でしょ? だったら言えよー紹介してよー」
「あんがと。いや、つか言えとか無茶言うなしー!」

大体あたしリア充じゃないかんね宮本、と中畑は返す。宮本はニヤニヤしたままだ。
染めて日が経っていないらしい金のメッシュが入った茶髪とピンクのラメが店に差し込む真昼の日差しを受けて煌く。黒川(だった人物)と宮本。中学時代には、談笑するなど最も考えられない組み合わせの二人。渡部と宮本。中学時代には、談笑するのが当たり前だった組み合わせの二人。

…惨めになるばかりだ。

宮本と黒川だった人物は、好きな音楽が同じだったらしく盛り上がっている。黒川の隣に座っている男子も、この話にはついて行けたようで話の輪に参加していた。動画投稿サイトに曲が投稿されることが主なジャンルらしい。
――つまりは黒川のように根暗なオタクの聴くものだ、と渡部が毛嫌いしていたジャンルだ。知らなかった。何時から、宮本はそんな曲を聴き始めていたのだろう。

…惨めになるばかりだ。

渡部は自分の食事を終えたことを契機に、ハンバーガーやポテト、ジュースの空き容器を載せたトレーを持って席を立つ。あの3人は、話に夢中で渡部には気付いていなかった。
全身から、何かがごっそり抜けたような倦怠感。

―――あのファーストフード店から出て、学校指定の黒い鞄を持ったまま渡部は歩いていた。ただふらふらと歩いて、気付いたら丁度バス停に着いた図書館行きのバスに乗っていた。あまり混んでいないバス。座席にも幾つか空きがある。堂々と優先席に座り込み、手元に視線を落とした。バスのエンジン音。騒ぐ幼い子供を小声で叱る母親。
…不意に何処からか、悪意を含んだような声が聞こえた。

(つまり君は私を見下すことでしかプライドを保てなかった訳だよね?クスクス…)

薄気味悪い演技性で、一本調子で嗤うその声に、渡部は聞き覚えがあった。ばっと顔を上げてバスを見渡すけれど、黒川だった人物も彼女と一緒に居た男子も居ない。つまりは完全なる空耳、という訳だろうか。

…惨めになるばかりだ。

今日、ファーストフード店から十何度目かの溜息をついた。耳の横で1つに括っていた茶髪がばさりと肩に落ちる。使っていた黒いヘアゴムが切れたらしい。渡部は髪の量がかなり多く、常に縛っていなければ顔の周りを覆ってしまうので根暗に見えてしまう。
特にこんな時に知り合いには会いたくないな、と更に惨めな気分になりながら頭を振ってもう一度溜息をついた。渡部と同じ高校の制服だと分かる、黄色のネクタイが視界に入ったような気がしたが、見ないことにした。

「まもなく終点、市立図書館前です。お降りの際は、足元にお気をつけくださいませ」

平らな女の声が流れる。がくん、とバスが揺れて止まる。320円を払い、下車した。
太陽の光が無駄に眩しい。なんとなく渡部の足は図書館へと向いていた。



…割とどうでもいい、所詮ライトノベルのページをぱらぱらと捲る。舞台は現代、高校を舞台にしている話だ。内容など頭に入ってこなかった。脳裏には黒川だった人物の変わりようがちらついて離れない。
薄気味悪い演技性を残らず取り払った後の清々しい笑顔。渡部にはそう見えた。無機質な図書館の天井を仰ぐ。蛍光灯の光が嫌に眩しいだけ。時計の針は午後4時を少し回ったと示していた。渡部はライトノベルの中盤のページを開いたまま、ただぼんやりとする。

――ぱしゃっ




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