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五条が突然奇声を発したことについて、夏油は最初無視をしようと思った。どうせイヌマキ、もといミズキを原因とするいつもの発作である。
ところが場所が不利だった。バラエティ番組収録前の楽屋では逃げ場がないし、10年に1度レベルの喜び方(いつもだが)をしている五条は無視できる声量ではない。それで『まぁ何かのネタになるかもしれないし』と気分を変えて、夏油は五条に何があったのかと尋ねてやった。

五条が「見て見て見て」と連呼して提示した画面には、案の定ミズキが映っていた。斜め後ろからの姿であるから、おそらく撮影したのは棘かマネージャーといったところだと思われる。

彼女は白いイヤホンを着けていて、小さな鼻歌が動画に拾われていた。白くすらりとした頬のライン、輪郭から見える睫毛で視線の動きが分かる。画面に切り取られた彼女の上半身はゆったりと動いたり止まったりしていて、優しい鼻歌とかすかな靴音が聞こえるだけ。その内に声が断片的に歌詞をなぞり出した。主旋律を行ったりコーラスに転じたりしながら時折ロングトーンを挟み、ビブラートの感触を確かめ…ときて、最後には美しく響く歌唱になった。
歌が終わってイヤホンを外したところでミズキがはたとカメラに気付き、「棘くんまた撮ってるの?」と少し気恥ずかしそうにはにかんだところで終わり。掻い摘んで簡単に編集された2分弱の動画だった。
五条は感動に打ち震えている。

「さすが僕のミズキちゃん歌唱力の権化あと超絶可愛い!!」
「まぁそれはそうだね」

アカペラで美しい声が際立っていた。動画の後で切り替わった画面はSNSで、イヌマキの公式アカウントから投稿されていた。『いくぞ仙台(おにぎりの絵文字)』とだけ書き添えられている。ライブ直前に精神統一と発声練習をするミズキを棘が撮影・投稿するのがイヌマキの定番なのだという。
世間の反応は概ね五条を大人しくした感じで、『鼻歌がレベチ』とか『歌唱力えっっっぐ』とか、そんなコメントが連なっていた。

「ツアー中で会えないから動画助かる…ありがとう棘P…」
「あぁ今仙台なんだ?」
「そーだよ僕のミズキちゃんが僕のいないところで歌ってる…なんで?ねぇなんで??彼氏の僕が公式発信の動画で我慢するしかないのに生のミズキちゃん見てる人間がたくさんいるって心底分からん」
「そういう職業だからだよ」

夏油は自分の相方が思ったよりヤンデレ気質に片足突っ込んでいたことにゲンナリした。『心底分からん』じゃねぇよと頭を叩いてやりたいところだったけれど、我慢した。真面目に相手をすると恋人に会えない八つ当たりをされる。
五条の方は相方の迷惑を放置したまま、動画視聴を再開して遠く離れた推し兼恋人を補給している。

「あ"ー可愛い生きてるだけで大優勝…東京公演は参戦するからねミズキちゃん!」
「あぁ関係者席でも融通してもらった?」
「正面から争奪戦勝ち抜いたに決まってんだろが古参のファン舐めんな変な前髪」
「いつも不思議なんだけど悟きみ、金払って自分の彼女観に行くってどんな感情なんだい?」
「ハァァァ?オフで会うミズキちゃんとステージで歌うミズキちゃんは別物なんだよ間抜け」
「とりあえず一言ごとに罵るの辞めな」

これといって『推し』なるものがない夏油には理解し難い感覚だった。しかし彼自身が以前どこかで言ったように、五条は人である以前にイヌマキのファンである。チケットやグッズなどの公式課金はもはや呼吸のようなもので、五条はイヌマキ関連の出費を生命維持費と呼んでいる。ちなみにアーティスト個人への私的な課金は毎回断られ、彼女には内緒で『課金したつもり貯金』に回っている。

そうしている内、収録開始の声がかかって祓本の2人は楽屋を出たのだった。


翌日五条はやけに上機嫌で、聞いてもいないのに理由を語り始めた。曰く、公演を終えた夜にミズキと電話をして、仙台にいるなら喜久福のずんだ生クリームがおすすめだとか東京公演は参戦するだとか色々話したらしい。

「僕が一般受付からチケット取ったって言ったら次は彼氏席取ってくれるって!!ねぇ僕何着て行ったらいい?!何着て生きていく?!」
「彼氏席じゃなく関係者席ね…と言うかオイ正面からチケット戦争勝ち抜くんじゃなかったのか古参のファン」

その後、イヌマキの公式アカウントから喜久福をかじる写真が投稿され、五条は聖地巡礼を決意した。
その数日後、夏油は『面倒臭いオタク』を題材にネタを1本書き上げ、以後そのネタは祓本の定番になる。


***

ネタポストより『ハニシロで勝手に夢主専用の口座開いて五条が彼女の今後のための貯金を楽しんでいる話とか読みたいです。本人にはバレてもバレなくても。お布施断られたらそこに入れられるシステム』アイデアお借りしました!
いずれ貯金メインの話はまた書きたい…
多分ハニシロ五条さんは夢主のために新NISAを開設している…



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