「元彼がストーカー化して怖いんです、伏黒さん」



別れた元彼がストーカー化して困っているとのことだった。
新入りの補助監督で化粧が濃いめ、という程度しか、伏黒は彼女に対して感想を持ち合わせていない。

「昨日もぉ本当に怖かったんですよぅ、帰ったら郵便受けに手紙が入っててぇ…連絡先はブロックしちゃってるから多分それで」
「はぁ…」

伏黒はぐっとビールをあおった。ただの温くて苦い炭酸だった。
術師と補助監督が適当に集まった飲み会で、気心の知れた顔といったら野薔薇がいるけれども、彼女は部屋の反対側で女性達と会話に花を咲かせている。

伏黒にはミズキという恋人がいて、相手も術師であるから高専内ではそれなりに有名なはずが、この補助監督はそれを知らないのか敢えて無視しているのか。とにかく、事あるごとに伏黒を捕まえてはストーカー化したとかいう元彼とやらの相談を投げ続けるのだった。
今だって、伏黒はミズキの任務終わりを待っている。一緒にいる時に飲み会の誘いがかかり、彼女から「その近く通るから任務終わったら寄るね」と笑顔で告げられ、何やら自然な流れでこの酒席に参加することになっていたのだ。伏黒にしてみれば待つなら同棲する自宅で待ちたいし、何なら心配だしそもそも任務同行したかった。ただ彼は、恋愛における惚れた方が負け理論に則り、悪気のない恋人に否定の言葉を向けられない。

「伏黒さんってぇ今の彼女さんがストーカー被害に遭ってるのを助けてあげたんですよね?格好いい」

事実は事実である。
伏黒が告白のきっかけを掴めないでいたところへストーカーの話が降って湧いたものだから、彼はそのストーカーとやらに感謝さえしたものだ。事実、無事に成就したわけであるし。

「誤解しないでほしいんですけどぉ私彼女さんとの仲を邪魔するつもりなんてないです…ただ本当に怖くってぇ」

いやに間延した喋り方や、常に顔の近くに手を配置する芯のない仕草が、空きっ腹にアルコールを無心で流し込んできた伏黒の癪に障った。
彼が深い溜息を吐くと、女は何を勘違いしたものか勝機を見て目を輝かせた。

「伏黒さんも大変ですよね?彼女さんとのことで悩みとか愚痴があったらぁ、」
「なぁアンタ」

伏黒が低い声を出し、空のグラスを女寄りの位置に強く置くと、女はさすがに不穏な空気を察して黙った。

「そのストーカーとかいうのが非術師なら警察に言え。もしそいつが呪術規定に触れて俺に任務が振られれば始末することもあるかもな」
「ぇ…あの、そこまでは…」
「なら黙ってろ。何か勘違いしてそうだが俺は善人じゃない。クソストーカー野郎を追っ払ったのは俺が心底不快だったのとあの人を口説くのに都合が良かったからだ」

伏黒の怜悧な眼差しに苛立ちが含まれているのを間近に見て、女は冷や汗をかいた。

「皆さんお疲れさまです」

伏黒の周囲が異変に気付いて押し黙る中、場違いに朗らかな声が響いた。ストーカーを追い払った伏黒に口説かれた当人である。伏黒の近所に座っていた面々が『天の助け!』と思った瞬間には既に伏黒が席を立ってミズキの傍らに詰めていた。

「ミズキさん、出ましょう」
「え?あ恵くんもうお腹いっぱい?」
「違う。アンタと飯食うなら静かなところがいいってだけです」

重くなっていた雰囲気の中には、伏黒の大きくない声もよく響いた。
その場で唯一平気な顔をしていた野薔薇は、伏黒の手がしっかり恋人の腰を抱いているのを目撃してウンウンと納得の表情を浮かべた。
その個室を出る直前、伏黒が振り向いて「釘崎」と声を上げた。

「立て替え頼む」
「トイチよ」
「明日だ」

野薔薇が親指と人差し指でマルを作って見せると伏黒はミズキを連れて去った。
野薔薇以外の誰もがようやく安堵の息を吐き、代わりにとても食事を楽しめそうにはない気まずさが垂れ込める。その中で野薔薇がぐっと立ち上がり、伏黒と彼女自身の飲食代に余るほどの金額をテーブルに置いた。

「私も抜けるわ、お疲れ」

カラリとした野薔薇の態度に場の空気がほんの少し緩み始めたところで、彼女が「ねぇ」と問題の女に声をかけたことで再び瞬時に緊張が走る。

「伏黒、指輪買ったみたいよ。伏黒のプロポーズが撃沈したって別にどーでもいいけど、私もミズキさんにはお世話になってんの。迷惑かけるつもりならある程度の規定違反は揉み消せるわ」

女の喉元で空気が狭い気道を抜ける音がした。

「呪術師相手に物盗りしようってんなら、リスクは覚悟の上よね?あとこっちが揉み消せる規定違反の『ある程度』はね、アンタの出方で変動するの」

野薔薇が去った後のその場の雰囲気は言うまでもない。


***

野薔薇ちゃん格好いいですよね。(※伏黒くん夢です)







×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -