1.箱庭に罠



五条悟が実は双子だということは、念入りに厳密に秘匿されていて、知る人間は五条家の中でもほんの一握りである。双子の片割れは姉で、名前をミズキという。
ミズキは辛うじて呪霊は視認出来るものの呪力が弱く、窓が精々といったところ。しかしそれも、病弱なために難しいと言われてきた。
母胎の中で弟に才能の一切を明け渡してしまったのだろう、平等に持って生まれていれば特級がもうひとりだったか、やれやれ出涸らしめ、というのが、彼女の存在を知る数少ない者たちのお決まりの会話だった。
容姿も悟とは随分違っていて、白髪碧眼の弟に対してミズキは黒髪黒眼である。彼女は呪力の弱さが明らかになって以来自宅軟禁に近い生活を強いられてきたために弟と揃って出歩く機会もないけれど、並んでいたところで双子と思う人はあるまいという印象だった。ただ色の違いを排して仔細に観察すれば、その容姿の美しさはやはり姉弟でよく似通っているのだった。

悟は権力に腐敗した自分の家を毛嫌いしていたけれど、親友の夏油が不思議がるほど、暇さえあれば本家へ顔を出した。夏油が理由を尋ねると「別に」とフザケもせず本気ではぐらかそうとするので、夏油は内心で本家に可愛い婚約者でもいるに違いないと踏んでいた。

この日も悟は値の張るケーキを携えて本家の敷居を跨いだ。普段ならば目的の部屋に着くまでは機嫌の悪い彼だけれど、庭に立つ姉の姿を見るや目を輝かせて駆け寄った。

「ミズキ!」
「! 悟おかえり」

ミズキは鳥に向かってパンのかけらを撒いていた手をぱっぱと払って弟からの抱擁を受け入れた。
悟の手は片方スイーツの紙箱で塞がっていて、空いた方の手がミズキの華奢な背中をきゅっと抱き寄せた。

「どんぐらい庭にいた?冷えてねぇ?」
「少しだけだもん、大丈夫」
「そんな言ってまた僕のいない時に熱出すだろ」

言いながら既に悟はミズキの肩を抱いて室内へ向かっていた。縁側から部屋へ上がると、次期当主の帰宅を察知した使用人たちがにわかにざわついて、頭を下げ悟の荷物を受け取りお茶の支度に走った。悟は「ケーキあるから紅茶ね」と指示を投げることも忘れない。
ミズキを暖かい部屋に入れてから、「あぁアンタ」と悟が廊下に顔を出して使用人のひとりを呼び止めた。

「変わりない?」
「はい、つつがなくお過ごしです」
「ふーんありがと、いつもの口座に入れとく」

使用人の女は深く頭を下げてから立ち去った。もう何年にもなる。放っておけば確実に冷遇されるミズキの平穏を、悟は金で買ってきた。
双子の弟が姉のためにする行いとしては明らかに過ぎているけれども、指摘する度胸や権限を持つ者はいない。
その時室内からミズキの呼ぶ声があって、悟は電灯を切り替えたようにぱっと笑顔になって襖から顔を引っ込めたのだった。

紅茶が出されると悟が手土産のケーキを出して、使用人たちはそれきり潮が引いたように去っていく。悟ほどではないけれど甘党のミズキが目を輝かせるのを、静かな部屋で彼はうっとりと眺めるのが常だ。
柔らかなケーキをフォークで掬っては口に運ぶ中で、悟がふと笑ってミズキの方へ身を乗り出し彼女の白い頬を捕まえて口の端を舐め取った。

「クリームついてた」
「えっ恥ずかしい」

至近距離でくすくすと笑い合う態度には照れやぎこちなさは含まれていない。
自宅からほとんど出たこともなく学校も通信制のミズキにとっては悟から得る常識がすべてで、彼の常識を訂正する人間は邸の中にいないのである。
悟がクリームはもう残っていない唇にまた噛み付いて、今度は舌を挿し入れた。淫靡な水音がしばらく続いた後でちゅぷっと唇が離れると、ふたりは笑い合った。

「そっちのも美味いね」
「かえっこする?」

ファミリーレストランのドリンクバーで飲み比べたり混ぜ合わせたりする子どものように無邪気に、その後もふたりはふたつのケーキを交換したり混ぜ合わせて楽しんだ。

「そういえば」と悟が切り出したのは、ケーキを食べ終えて紅茶を飲んでいる時だった。

「年明けの互礼会の後さ、一緒に初詣行こうよ」
「えっ」

ミズキがソーサーに置こうとしていたカップがかちゃんと音を立てた。彼女は嬉しさに一瞬目を輝かせたけれど、すぐにしゅんと萎れたようになって「でも私…」と言い淀んだ。
家の人間が外出を許してくれるはずがないというのは、経験上身に沁みている。

「安心しなよ、僕が上に許可取ったから。ミズキは僕と行きたくねぇの?」
「いっ行きたいっけど…いいの?後で悟が怒られたりしない?」

悟は声を上げて笑った。この家の中で彼を怒る人間など、当主就任を近く控えた今あるはずもない。ミズキの中では背丈が今の半分ほどだった頃から、悟の印象が変わっていないのかもしれない。

「安心しなよ、ちゃんと話は通したから。新年早々かったるい互礼会に軟禁されるんだからさ、それぐらいのご褒美もらう権利あるよな」
「悟のご褒美になるの、これ?」
「なるなる。そうだほら、ミズキに新しい帯締め買ってきたんだよ。前にあげた簪も使ってさ、振袖着て見せてよ」

悟が鞄を手繰り寄せて丁寧に包まれた帯締めを座卓の上に出すと、ミズキは高揚していた表情をぎくりと強張らせて目を伏せてしまった。
「どうしたの」と尋ねる悟の声は至極優しい。

「あの…あのね、謝らなくちゃ…前にもらった簪、ね、私、失くしちゃって…せっかく悟がくれたのにごめんね…」
「なんだ、そんなこと」

悟が軽い調子で笑うとミズキが涙ぐんだ目を上げて、その目元に彼は唇を寄せた。

「失くなったもんは仕方ねーよ。泣いちゃってかぁわい」
「さとる…っ」
「あと僕天才かも、実はさ、簪も見て気に入ったのがあったから買って来てんだよね」

彼は鞄から同じ店の包みをもうひとつ出して解き、美しい青い石の散りばめられた簪をミズキの髪にあてがって満足げに喉を鳴らした。

「帯締めも青い石、絶対ミズキに似合う」
「素敵、悟の目と同じ色ね」
「あ、気付いちゃう?一目で僕のだって分かるようにね」

ミズキは嬉しそうに笑ってひとしきり帯締めと簪を愛でた後、宝飾品ばかりの抽斗に大切に仕舞った。過去に悟が送ったあらゆる宝飾品が美しく並んで出番を待っている。
改めて悟に向き直ってミズキは礼を言って彼の首に抱き着いた。悟はそれを優しく抱き返して髪を撫でてやってから、適当な用事を仕立ててミズキの部屋を出た。
出たと思えば5分ほどですぐに帰ってきた。帰ってきた彼は広い部屋の中で当然のようにミズキにぴったりと寄り添って座った。

「そういえばさ、さっき使用人の…ほら名前何だっけ、30歳前後で、ちょっと吊り目気味で、」

藪から棒に悟は言い出して、ミズキが条件に合う名前をあげると「そうそう」と言って頭を撫でた。話題になった使用人というのは、悟が帰宅して初めに呼び止めた人物と同じである。

「さっきそこで立ち話したんだけど、今日限りでここ辞めるんだってさ。急だけど家業を継ぐとか言ってたな」
「そうなの?」
「うん、急だね」

にこ、と笑って悟はミズキのこめかみにキスをした。

悟は頻繁に贈り物をするけれども、そこには時折ダミーが混ざる。彼がミズキに似合うと思うよりも見た目に派手なものを贈ると、面白いようにそれは遺失する。買収した使用人といえど手癖の悪い輩をミズキの傍に置いておけばそのうち必ず綻びるから、その芽を摘むための罠なのだ。
ミズキの世話をする使用人たちは皆自分だけだと思っているけれど、全員が悟に買われている。
給金に上乗せされるのは結構な額で、それを人数分となると悟が一体月額いくらで姉の平穏を買っているのかと空恐ろしい事実に触れるのは、いつも首を切られる直前の人間だけだ。雨に乗じて道に這い出たみみずがその後の晴天に乾涸びて死んでしまっても、気付いた個体は死ぬからいつまで経っても仲間内にその危険が共有されないのと同じように。
そして実際のところ、罠に使われる華美なものよりも、今日悟がミズキに持ってきた本命の贈り物の方が数倍値が張るというのは、彼しか知らない。

「ミズキ」
「うん?」
「好きだよ」
「私も好き」
「キスしていい?」
「いつも聞かないのに」
「ミズキから『キスして』って言われたいんだよ」
「キスして、悟」
「可愛いミズキ、僕以外としちゃダメだよ」
「しないよ、私悟しか知らないもん」
「あー…それ、クる」
「ふぅん?」

悟はミズキの髪をするりと耳の後ろに流して、そっとキスをした。徐々に深く噛み付いて舌を擦り合わせながらミズキを畳に押し倒して、首に回された細い腕を幸せそうに受け入れた。

五条悟が実は双子だということは、念入りに厳密に秘匿されていて、知る人間は五条家の中でもほんの一握りである。
そして悟が片割れの姉を死ぬより深く愛していて、高専卒業と同時に当主に就任したら姉を攫ってしまうつもりだということは、彼自身しか知らない。




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