ふたりのはじめて 前
そもそも人員配置からして非合理だった。
1級3体に対して五条という時点で充分過ぎるほどだというのに、そこに何故自分が加わるのか、ミズキは解せなかった。
予想通り五条は碌に呪霊を見もしないで任務を片付けて、その間ミズキは「車で待ってろよ」の言い付けを守るしかなかった。報告書、何て書こう…と窓の外をぼんやり眺めながら、流れていく雲の形を追うくらいしかやることがなかったのである。
その上、
「本当にここ?ここで合ってます?補助監督さんに確認しませんか?」
「合ってる合ってる。ほらチェックインすんぞ」
明らかに過剰な高級感を湛えたホテルを前にミズキは尻込みした。遠征の宿泊先といったら普通はビジネスホテルであって、こんな『グランド』とか『リゾート』が名前に付きそうなホテルだったことはかつて無い。
さらには、サクサクと五条がチェックインを済ませてしまうので戸惑いながら待っていれば、彼はダブルの部屋の鍵1本だけを持って帰ってきたのである。
明らかに、補助監督が手配してくれる通常の内容では無かった。勿論ミズキからは何も働きかけていない、となれば五条しかいない。
「毎日こんだけこき使われてんだぞ、偶に恋人とちょっといいホテルに外泊したってバチ当たんねぇよ」
部屋に入ってウェルカムドリンクを受け取り、ボーイの退室を待って五条に問い詰めた結果がこれである。ミズキは納得出来るような出来ないような、微妙な気分になった。五条に対する福利厚生としては妥当な気がするけれども、自分がそれにあやかるのは後ろめたい。
五条はどっかりとベッドに腰を下ろした。
「ま、俺の方には下心あんだけど」
「下心?」
「付き合ってる…つーか婚約までしてんだぞ。そろそろキスの先行っても良くね?て話」
途端にミズキは身を固くした。
偽装婚約ではなくお互いの気持ちを確認して付き合い始めてから知ったことには、意外にも五条はスキンシップが大好きだった。忙しくすれ違う日々でも会えば惜しむようにキスをしたし、手が空いてさえいればミズキに触れた。
それに、ミズキもいわゆる『次の段階』について考えなかったわけではない。
ミズキが黙ってしまうと、五条は敢えて興味のなさそうな声で彼女に入浴を促した。
「変に身構えんなよ。せっかくいいホテルなんだしとりあえず寛ごうぜ」
ミズキはぎこちなく頷いてバスルームに逃げ込んだ。ビジネスホテルとは違う、心地良さを追求した美しい内装はバスルームにも徹底されていた。
香りのいいシャンプーやボディソープも、ふわふわのバスタオルも、ただ身体を清潔にして寝られればOKというビジネスホテルとは根本的に違った。ここを手配したこと自体、五条なりの気遣いだと分かる。
しかし洗面台の大きな鏡に映るミズキは、浮かない顔をしていた。
ミズキの後で入れ替わりに風呂を済ませた五条は、彼女に背を向けてベッドに座った。
「…悪かったな、俺が急ぎすぎた」
彼が風呂から上がってもミズキの表情は固く、それもどうやら性行為への緊張や恐れからではなく、行為そのものに乗り気でないように思われたのである。ミズキは寝間着にしているゆったりとしたワンピースに身を包み、ベッドの上から五条の背中を見た。
今までに何度か、『そういう』雰囲気になったことはある。隣室の物音だとかその時の事情で何となく流れていたから、環境が整えば断られはしないだろうと五条は踏んでいた。
しかし実際的に身体の負担の大きい女性側がNOと言うのなら、こればかりはどうしようもない。
「何か映画観ようぜ。映画チャンネル無料ってフロントで、」
リモコンの電源ボタンに五条が指を置いた時、彼の広い背中に温かいものが触れた。見るとミズキが額を押し当てるようにして彼の背中に縋っている。五条はリモコンを傍へ置いた。
「…なぁ、マジで気にすんなよ。女の方が実際負担デケェんだし当然だろ」
ミズキが彼の背中でふるふると首を振った。
「…嫌とかじゃないです。本当です」
「…あ、月のアレ?」
また首を振った。
「………嘘で婚約した時から、早く既成事実を作ってしまえって、言われてきました」
「あー…そっちの家の?」
今度は頷き。
「誘惑しろとか避妊具に穴を空けろとか、口を縫ってやりたいようなことばっかり。母や周りの人が諌めてくれて、今は一応黙ってますけど」
「まぁ呪術界の中年以上はそういうタイプ珍しくねぇだろ。気にせず俺らの…つーかミズキのペースで進もうと思ってるし」
「したくないんじゃ、ないです。でもそれじゃあいつの思い通り、って思ったら、私、汚い、やだ…」
「おい待て」
五条は振り向いて少し苛立った声を上げた。
ミズキの細い手首を彼が掴むと、箒の柄でも持っているような格好になる。涙の膜の張った目が五条に向いた。
「『汚い』は辞めろ。俺のミズキだぞ」
何も隔てるもののない五条の青い目が本気の怒りを含んでいるのを見て、ミズキは濡れた睫毛を震わせた。
五条にとっては疎ましいことこの上ない。親世代や上層部のしがらみや思惑がミズキを悩ませて睫毛を濡らし、恋人同士の触れ合いの邪魔をすることが。
しかし同時に心を痛めるミズキがいじらしくもあった。彼はまなじりを緩め、ミズキの目元をそっと撫でてやった。
「…お前、俺のこと好きなんだな」
「当たり前です、じゃなきゃこんな…」
「ハグは?していい?」
「ん、」とこっくり頷いてミズキは五条に向かって腕を差し出した。いつも美しい姿勢で上品に振る舞う彼女は、寂しかったり眠かったりすると仕草が幼くなる。五条はそれが好きだった。
五条の腕がミズキを囲むと、彼女は五条の首元に甘えて髪を擦り寄せた。
「キスしていい?」
「…でも」
「セックスが怖いとか嫌なら待とうと思ってたけどな、部外者のこと気にして嫌がってんなら話変わるぞ。余計なこと全部取っ払ってシンプルに考えろよ、俺としたいか、したくないか」
五条は抱き込んだミズキのこめかみに触れるだけのキスを何度もして、落ち着かせるように背中を撫で下ろした。
難しい注文をしていることは、彼も自覚している。どうあっても『五条悟』の名前は意味が大きくて、ミズキを囲む環境は彼女の一部であるから。それでも彼は心を通わせたミズキと体温まで共有したかったし、彼女の方も同じであってほしかった。
ミズキの細い腕が五条の背中に回り、柔らかな身体が密着すると、彼は境界線を押し潰したいような気持ちがした。
五条の腕の中から、ミズキが小さな声を上げた。
「したいです、悟さんと、…えっちなこと」
「ん、しような。何も考えんなよ」
そうして彼は華奢な身体を、真っ白なシーツに押し倒した。
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ネタポストより『2人の初めての話』です。
五条さんは出張に部屋着持って行きそう(ホテルのパジャマはサイズが合わない)