石と酒と恋

※七海脱サラ直後
※くだらない始まり方の割に暗い
※じゅじゅ散歩ネタお借りしました



「なーなみっ」

幼女が楽しいことを持ち掛ける時のような仕草と声色だけれど、それを向けられた七海は苛立った様子で顔を顰めた。五条悟が楽しそうにしている時、それが本心であれ表面だけの装いであれ七海にとっては凶兆に違いない。
そのため、七海は呼び掛けを無視することを即決した。

本来であれば五条は忙しいはずの特級術師兼教師であって、本当に要件があれば後からメールでも電話でも補助監督経由でも連絡の選択肢はある。だから直接のコンタクトは無視が最善という七海の処世術ならぬ処五条術なのである。
しかしその日五条は嫌にしつこかった。

自販機の隙間から、あるいは七海の乗った車の窓に向かって、あるいは柱の陰から、七海に執拗に絡み、ついには小さく折ったメモ用紙を渡してきたと思えば中には幼児の描く象のような拙い絵の下に『ちんこ』と一言、下劣極まりない内容であった。
七海のコメカミが怒りに震えた。こんなくだらない悪ふざけに時間を取らせるな。正論である。

「なーなみぃー」

また背後から五条の声がして、七海は歩行を2割増速くした。
いつもならば飽きて去っていく頃合いなど過ぎているというのに、事もあろうに五条は七海の背中に追い付いて首に腕を回し実質拘束に近い止まらせ方をした。七海はフー…と長い溜息を吐いた。

「…全く何の用ですか。くだらない、しつこいにも程がある」
「冷たぁい!七海に大事な大事な用があるんだよー!」
「ならさっさと言ってもらえますか」

五条は七海の首をぐるりと囲うように回していた腕を少し引いて、肩に手を置く形を取った。七海の背後から一歩踏み出して彼の顔を高い位置から覗き込み、目隠しに親指を引っ掛けて片目分ぐいっと押し上げた。
その表情からは悪ふざけの色が消えている。
「ミズキがさぁ」と言う声からも。

「七海くんに連絡しとかなきゃーって昨日呟いてたんだけど」

七海は再びフー…と長い溜息を吐いた。今日の五条のしつこさに合点がいったし、その上で呆れた。

「嫉妬と牽制でこんなくだらないことに時間を使ったんですか。全く結婚して何年ですか。貴方の奥様と私はただの同期です。用件には心当たりがあるのでこちらから連絡しておきます。下心は一切抱きませんのでご安心を」

七海が読点の拍すら飛ばしてほとんど一息に言い切っても五条は納得していない様子で、七海の肩に置いた手に僅かに力を込めた。
容姿の良い夫を持つ妻は浮気を警戒して消耗してしまうという話があるけれども、夫も妻も極端に美しいこの夫婦において嫉妬しているのは夫の方ばかりのように、七海には見受けられた。となれば嫉妬の根拠は容姿の美醜ではなく元々の性格ではあるまいか。つまり、弁解は無駄。

「ハァー…五条さん、彼女に電話をかけてください」
「何で今?僕はお前に聞いてんだけど」
「私からかけるより自分からしたいでしょう」

五条はまだ少し疑うように唇を引き結んでいたけれど、七海の考えも理解出来なくはなかった。本当にやましいことがあるのなら、目の前で夫から電話を掛けることなど間男が喜ぶはずもない。
五条のスマホからミズキに発信すると、数回のコール音の後、ミズキの声が応答した。

その途端に七海は踵を返して歩き始めた。五条がそれを捕まえようと一瞬妙な間が空いて、電話口のミズキがそれを不思議がったために五条は七海を取り逃したのだった。





「七海くん今日はありがとね」

ミズキの歩みに合わせてビニール袋がガサガサと音を立てている。隣を歩く七海も同様。
袋の中には各々の好物と、ミズキの手には花束、七海の手には酒がある。
歩いて、歩いて、広い敷地の中の目的の場所に辿り着くと、ふたりは荷物をその一画の隅に置いた。

「灰原くん、来たよ」

広い霊園には、平日の午後とあって人影もない。
ふたりは手分けして掃除を済ませると墓に手を合わせ、通路との段差に腰掛けて、かねてより予定していた同期3人での宴会を始めたのだった。

「お酒とパンって合う?」
「一般的にどうあれ好物なら構わないでしょう」
「そうだね、灰原くんはおにぎりとビールとか平気そう」
「確かに」

七海が僅かに笑った。ミズキはからからと笑った。灰原の墓前には大きなおにぎりが供えられている。
口の中のものを飲み下し、酒で流してから、七海が「そういえば」と切り出した。

「五条さんの前で私の名前を出さないでください。嫉妬が酷くて参りましたよ」
「えぇー…ごめんね。カレンダー見ながら予定立ててる時に、つい」

ミズキは残り少なくなった缶の中身をチャプチャプと回して遊んでいて、ある時くいっと飲み干した。
それから墓石に向かって「灰原くーん」と笑って呼び掛けた。

「私ねぇ、悟さんと結婚したよぉ。『お似合いだね』って言ってくれたのが本当になったよー」

「ほらー」と左手を見せるように翳した。きらりと青い石が光った。

「お似合いかは知りませんが、あの人の手綱を取れるのは貴女ぐらいだ」
「手綱…とれてる?」
「伊地知君が貴女の電話番号を命綱と呼んでいましたから」
「はは、おおげさだよねー灰原くん」

ミズキはまた笑って、飲み物を入れてきた袋を漁った。中には、ミネラルウォーターのペットボトルが汗をかいて袋が張り付いているだけだった。

「あれ、もうお酒なーい」
「当然です。そう強くもないくせに霊園で深酒しないでください」
「分かってるよぅ、同期とお酒飲むの初めてで楽しかったんだもーん」

ミズキはきゃらきゃらと笑った。
彼女は御三家には遠く及ばないにしても格式ある家の出で、姿勢をしなしなとさせて間伸びした喋り方をする様は七海にとって新鮮だった。
楽しかったというのは、心底のものであるらしい。

七海に、ミズキをどうこうする気など少しも無い。それでも、悪しからず思う数少ない同期が、いつもしゃんと伸ばしている背を丸めて寛いで笑う様を、微笑ましく思うのは自然なことだった。
同時に、酒が入ってこうも警戒が緩むタイプだと他人の目がある居酒屋になんて連れて行けないな、とも七海は思った。第一、五条がさせないだろう。

「お、やってるねー」

突然頭上から降ってきた声に、七海はあわや酒を噴くところだった。何せまるで気配がなかった。
ミズキはカットフルーツをピックでぱくついていたのをやめて、「さとるさんがいる」と覚束ない口調で言った。

「内緒にしてたのになんでいるの?」
「愛の力かな」

んなわけねーだろ残穢辿って来たんだよ、と七海が内心で毒付いた。彼の方も内心の口調が崩れる程度には酔っている。
五条はミズキの前まで歩み寄ると、灰原の墓に短く手を合わせてから彼女を抱き上げた。

「そんじゃ灰原と七海、そろそろミズキ返してもらうね」
「えぇーもうちょっと、楽しかったの、お片付けもあるの」
「大したゴミも無いですしこちらで片付けます。それより五条さんの手綱を放さないでくれる方が助かる」
「ハハッありがとー」

五条は片腕で小さな子どものようにミズキを抱えて、七海に向けてひらっと手を振ってから軽やかに歩き出した。通りがけに「あ、そういえば」と立ち止まって七海に紙を差し出した。万札だった。

「僕のミズキと遊んでくれてありがとね」

七海は受け取ろうとしなかった。

「…結構です。同期と食事をしただけですから」
「そ?じゃあまたね」

ふ、と息を抜くように五条は笑って去っていった。
足音が完全に去るのを待って、七海は背後から缶を取って開けた。彼が自分からは絶対に手を出さない、甘い果実酒。
ゆるゆると口内に甘味とアルコールの刺激を行き渡らせてから飲み下し、フー…と長く溜息を吐いた。
彼は墓石を見た。

「…灰原」

呼ぶ声は勢いの足りなかったボールのように、無人の霊園の静寂の中に落ちた。





霊園を出たところで、ミズキは「さとるさん、怒ってる?」と尋ねた。

「怒ってないよ、ちょっと妬いちゃったけどね」
「ほんとに?」
「本当」
「七海くんとはなにもないよ」
「分かってるよ」

灰原の死は否応無しに夏油の離反の記憶を連れてくるから、結果的に知られてしまったけれど、ミズキは五条に今日のことを伝える気は無かった。
五条の規則的な足音や揺れと体温に眠気を催して、ミズキは五条の肩にくったりと頬を預けた。

「寝ててもいいよ」
「うん…」
「ミズキ、愛してるよ」

私はずっとそばにいますからね、とミズキは言ったつもりだった。『つもり』というのは、それがちゃんと口から出たものか、頭の中に留まったものか、確認出来ないまま眠ってしまったのである。
ミズキと揃いの指輪が嵌まった大きな手が彼女の頭を撫でて、とん、とん、と背中を叩き、眠りをしっかりと彼女に馴染ませた。




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