不可侵領域につき
※結婚後、ふたりとも在学中
五条悟を知らない呪術師はいない。
高専在学中で既に五条家の当主であり特級術師でもある彼は、存在自体が抑止力になるとまで言われている。
だからこそ、呪術家系出身で五条の在学中に入学する子ども達は入学前に保護者から、呪うつもりかというほどの剣幕で言い含められる。五条悟の機嫌を損ねるべからず、と。そして警告は必ずこのように続く。五条悟の妻に手を出すな、と。
五条悟の結婚の儀は、語り継がれるほど盛大に執り行われた。およそ衣服の価格とは思えないような高価な婚礼衣装を何度も色直しで取り替え、振る舞われた酒や料理も国賓へのもてなしかと見紛うほどで、それが三日三晩続いた。五条悟の当主就任式も兼ねていたため、余計に荘厳な式となった。
全ての工程を終えて高専に帰ってきた五条に「お前がそんな格式張った儀式をやるなんて意外だな」と硝子が言った時には、ミズキは五条の腕の中で揺り動かしても起きないほど眠りこけていた。その時五条は彼自身もそれなりに疲れていたために「まぁね」とだけ言い残して部屋に引き上げた。
後日、硝子は五条の分家出身の先輩から「ヤベェ文書がきた」と五条悟発信の書面を見せられた。
結婚式参列への感謝状として始まるそれには、『妻に害を為したら血を見るぞ』という旨が丁寧な日本語で綴られていて、それで硝子は気付いた。この豪華絢爛な結婚式はつまり通達の内容を手っ取り早く呪術界にあまねく知らしめるためのものであったと。
つまり、呪術界に属する親達は我が子、引いては自分達が『血を見る』ことのないように、高専に入学する我が子へ厳重に厳重に注意を与えるのだ。
しかし、非術師家庭出身の新入生はそもそも五条悟を知らないことも多く、従って、ゴジョウサトル?の妻?ふーん学生結婚してんの?となるのも無理はない。
「何年生か知らんけどさ、先輩にもっっっのすげー美人いるじゃん。どっかで祀られてない?みたいな」
ここに非術師家庭出身の新入生が1人。残念なことに彼は恋と性と美人に興味のある普通の思春期男子であった。
話を振られたもう1人の新入生は適当に相槌を打ちながら、誰のことだろうかと考えを巡らせた。
「指輪してたから彼氏いんだろーな。いいよなぁあんな美人な彼女いたらさ」
「あーうん」
「最初にすれ違った時めっちゃいい匂いしてさ。どうにか合法的に触りたいなーと思って角でタイミング見てぶつかったんだよ」
「…いやお前ソレただの迷惑だろ」
「いーじゃん、一生に一回ぐらい美人とぶつかってもバチ当たんねぇよ。で、したらやっぱすげーいい匂いするし柔らかいし『ごめんね大丈夫?』って声まで可愛いし」
「はー…」
ここで、術師家系の方の生徒は頭の隅で妙な緊張が持ち上がるのを感じた。
家入さん?…も美人だけど指輪はしてない、多分。
そもそも高専には女子生徒が少ない。その中で『ごめんね大丈夫?』と良識あることを言いそうで美人で指輪をしてて…と条件を絞っていくと加速度的に嫌な予感が高まっていく。両親の呪詛のごとき警告が蘇ってきた。
そんな思いは知らずに非術師家系の生徒はペラペラとよく回る舌で破滅への道を進んでいく。
「優しそうだったしさぁ、頼み込んだら胸ぐらい揉ませてくんねーかなぁ?したら向こう半年思い出して抜けそう」
あっこれアウトなやつ、と聞き手の生徒が肝を潰した時、話し手の生徒の肩にポンと大きな手が乗った。
「イイ話してんね、僕も混ぜてよ」
白い髪に丸いサングラス、190pを超える長身に美しいかんばせ、五条悟その人であった。無罪の方の生徒は、臆病な小魚が外敵を察知したように素早く逃げた。
取り残された方は、事態を分かっていない間抜けな顔で五条を見上げた。『デカい』『白い』という見たままの形容詞だけが彼の頭の中を通り過ぎていった。
「その女の子、そんな美人なんだ?」
「え、あー…そっスよ。夢見てんのかなってぐらいで」
「うんうん、だよなぁ…で、柔らかかったってどの辺?」
「どこってそりゃおっぱいに決まって「ざぁんねん、処刑案件だ」
「へ?」
ポカンと口を半開きにした彼の肩を、五条が少しずつ力を込めて握っていく。次第に指が骨を掴むほどに強くなってきて、そこで初めてその新入生は自分の口が何やら災いを招いたらしいことに気が付いた。
「その夢見てんのかなってぐらいの、優しくていい匂いで柔らかくて、どっかで祀られてない?みたいなすっっっげー美人はね、僕の最愛の奥さんなんだよ」
ニコニコニコニコと表面的には楽しげな笑顔で、五条は淀みなく言った。表情と握力の不一致が著しい。
「五条悟の妻にわざとぶつかって身体に触ってエロい妄想したって、呪術家系のお友達に話してごらん?勿論明日までお前が生きてたらだけど」
肩を掴まれた新入生は、自分が既に心臓も握られていることに気が付いたのだった。
「…あれ?」
ミズキが資料の束をめくりながら声を上げて、そこへ丁度風呂から上がってきた五条は頭をタオルでガシガシと拭きながら歩み寄って何事か尋ねた。
「明日引率する予定の1年生がひとり減ってるような…体調不良かな」
あぁ、と五条は数日前のことを思い出して目を逸らした。けれど紙面を見ていたミズキはそのことに気付かなかった。
「非術師家系の新入生が任務で怖い思いをしたとかで、トラウマになって辞めちゃったって聞いたな」
「そっか…でも、平和に生きてくれたらいいですね」
「そうだね」と五条は綺麗に笑って言った。
特級に片足を突っ込んだような呪霊の前にいきなり放り出されて、結果的にほぼ無傷だったとはいえトラウマにならない方が無理というものである。ちなみに五条はその間新入生の後ろで新調したばかりのスマートフォンを触っていた。
「それよりさ」と五条はミズキの手から紙の束を摘み上げてベッドに放った。
「明日5時起きで出張に行っちゃう旦那さんのこと構ってよ」
ベッドに腰掛けたミズキの足元に座り、ベッドに右肘を立てて手のひらに顎を乗せ、五条はわざとらしい上目遣いをミズキに向けた。
ミズキは一瞬キョトンとしてからふっと表情を緩ませ、背後からドライヤーを取り出した。
「まずは髪を乾かしましょうね」
元より準備万端というものである。
五条は機嫌のいい猫のように口角を上げて、くるりと従順にミズキに背中を向けた。柔い手と温風を髪に受けながら、さて乾かし終わったら任務までの僅かな暇を、何にどれだけ時間を使って愛しい妻と楽しもうかと嬉しげに喉を鳴らした。