遠い姿、隔てた声

俺が初めてその人を見たのは、かなり遠目に、寮の窓からだった。
入学して間もない週末に自室で布団でも干そうと窓を開けた時、遥か遠く、人相も分からないほど遠い位置に、五条先生と誰か(服装・体格から見て女性)の後姿が見えた。白い頭をしているから辛うじて五条先生だと分かる、それぐらいの遠距離だった。
五条先生の後姿は女性の腰に手を回して、瞬きの内にその場所から消えてしまった。トんだらしい。一応恩師という立ち位置にいるあの軽薄な人が瞬間移動まで出来るらしいというのは、高専に入学してつい最近知ったことだった。

五条先生には世話になって感謝しているし、最強というのも疑う余地なしとは思うが、正直あまり尊敬はしていない。こと女性関係については呆れる部分が大きい。何せ、俺の前で開けっ広げに「遊ぶならやっぱおっぱいとお尻の大きい女の子がいいよね。ピッチピチのタイトスカートと折れそうなピンヒールとか最高じゃない?」なんて言うぐらいだ。知るか。この時もまさか高専関係者にまで手ぇ出してんのか…と呆れただけだった。

2度目に接したのは声だけだった。
ソファにだらしなく凭れた五条先生は俺の任務報告を聞いているのかいないのか、目元を隠しているせいで余計に分かりにくい。しかし聞いているようで聞いていない、聞いていないようで地獄耳というのがこの男であるから、手応えの無さは気にせず、とにかく原稿を読むようにつらつらと報告を終えた。
その時、戸の向こうの廊下から「悟くーん、いるー?」と女性の呑気な声が聞こえてきて、だらだらとソファに座っていた先生が急に機敏に起き上がって「今行く!」と声を上げた。
そして報告の件は了解したとおざなりに言ってそそくさと部屋を出て行ってしまった。
ひとり残された部屋でまた呆れた。見せたくないってことか、と。
それにしても、五条先生をあんなに親しげに呼ぶ女性は、俺の知る限り初めてだった。中身の軽薄さを知っている高専関係の女性たちは『五条』とか『悟』とか『おい』とか『クズ』と呼ぶし、過去に何度か見た遊び相手と思しき女性等は『五条さぁん』と猫撫で声だった。
だから、家族か親戚が呼ぶような親しみのこもった声で呼ばれた『悟くん』という声が、意外さを持って俺の中に長く残った。五条先生は誰に対しても女性関係を隠そうとしたことがなかったから、あの焦りようも意外だった。

バタバタと過ぎていった京都校との交流戦1日目を終えて医務室で家入さんの治療を受けた時に、ふと気付くとその場には真希さんと俺の2人だった。
それでほんの気まぐれに、頭の隅に引っ掛かっていた例の女性のことを、真希さんに尋ねてみたのだった。
俺の断片的な話を聞いた真希さんは「そりゃお前、」と言いかけてやめた。

「その内分かる」
「…はぁ、そうですか」

つまり説明する気がないと酌んだ。まぁ高専の関係者ならその内関わるだろうし、関わらなければそれまでだろう。

交流戦の2日目も終え、その翌日、真希さんが指をちょいちょいと動かして俺を呼んだ。
その簡易的な呼び出しに応じると真希さんはニィッと企みを含んだ顔で笑った。

「何ですか」
「ちょっと付き合えよ」

全く答えになっていない、つまり今回も答える気が無いようだった。
真希さんの手には交流戦で使った游雲があって、まさか特級呪具を携えて下らない悪戯ということもないだろうと踏んで、大人しく彼女に従って歩き始めた。これで相手が五条先生なら確実に断っていたが。

真希さんは校舎の前を素通りして、俺の立ち入ったことのないエリアへ歩を進めた。進む内にこぢんまりとした小屋が行手に見えてきて、どうやら目指す先はその小屋であるらしかった。真希さんの足には迷いがない。
小屋の前に至ると真希さんが游雲を持っていない方の手で戸を叩いた。「ミズキ、いるか」との呼び掛けに対して、小屋の中から「はぁーい」と女性の声で呑気な返事があった。
そこで一気に記憶が繋がった。その返事の呑気な声は、五条先生を『悟くん』と呼んだあの声に違いなかった。
いや真希さん、その人の話を出したのは俺ですけど、何も紹介しろとは言ってません。

「どうぞ」の声に促されて真希さんが遠慮なく戸を開けると、返事の主は簡素な木のスツールに腰掛けて、手を拭きながら振り返ったところだった。
端的に言うと、美人だった。髪を素っ気なく一纏めにしていて、あちこち油や金属で汚れた作業着で、その装いと華奢な手だとか綺麗な顔立ちが何だかアンバランスだったが、それでもやっぱり美人だった。

「游雲の返却?わざわざありがとうね」
「いーって。ついでに後輩紹介しようと思ったし」

真希さんがその人に遊雲を手渡して親指で背後の俺を指すと、その人の目が俺を見た。

「…伏黒恵です」

…いやこの人が五条先生の関係者だとしたら何か面倒なことになりそうだし、特に紹介なんて求めてなかったんだ、本当に。

「初めまして、高専で呪具師をしてますソウマミズキです」

取り敢えず、差し出された手を握り返した。小さい手だった。
呪具師なんて職業は初めて聞いたが、真希さん曰く、忌庫保管の呪具のメンテナンスと管理と新しい呪具の製作をしているそうだ。

「恵お前、呪具の演習で忌庫から太刀借りたことあったろ」
「はい、まぁ」
「作者」

そう言って真希さんは、人を指す親指を今度はその人に向けた。
…つーか、確かその時真希さん、あの太刀を『売れば8千万』って。

「あーっ!伏黒くんあれ使ってくれたの?嬉しいな、3年がかりで作ったの」

ニコニコ嬉しそうなこの人と、あの濡れたように光る太刀と、8千万という数字が、どうにもすぐには結び付かない。
何にせよ、結構すごい人であるらしい。
あと敢えて言うなら、どこか既視感のある人だった。どこで見たとも思い出せないし、そもそも知り合いにこんな美人もいないが、それでもどこかで見たような気がする、不思議な人だった。
それが、第一印象。


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