06.フェイク・マジック
「……」
「…………」
(なんかめっちゃ話し込んでる)
しばらく前から、皇はそわそわし続けていた。
それもこれも、シンジュクの幼馴染が皇の病室前から動かないためである。
扉越しに漏れ聞こえる話の内容を要約すれば、一二三が覚悟を決めたかと思えばやっぱり待って、という具合に、足踏みを繰り返しているようだった。
(そろそろわたしも緊張し続けるのきついのですが!)
男性相手に恐怖心があると言っても、近づかれなければ問題はないし、『推しは推せる時に推す』のが鉄則の皇である。
ファンとしてはぜひとも推しのご尊顔を拝謁したい。
とはいえ三十分もおあずけが続けば、流石に緊張疲れがあらわれる頃合いだ。
来るなら早く来てくれ、と思うし、そこまで躊躇が続くなら無理しないで欲しい、という相反する思いもある。
どちらがより強いかと問われれば、もちろん後者である。
だって推しは笑顔が一番。
などと考えていると、聞き慣れたノックの音がした。
「西条さん、こんばんは」
『こんばんは、観音坂さん』
いつもより控えめにドアが開き、独歩が顔をのぞかせる。
わずかな隙間からチラチラ見える金髪にどき、と心臓が跳ねた。
「一二三を連れて来たんだけど……入っても大丈夫かな?」
独歩の問いにこく、と頷いて了承する。
緊張から少しぎこちない動きになった気がするが、気のせいだと思いたい。
皇が頷いたのを確認し、独歩は扉を大きく開けた。
そのまま入室した彼に続き、びくびく震えながら入ってくる美丈夫。
恐怖からか表情は引きつり、独歩の陰に隠れようと必死だった。
かくいう皇も、ファン心理とはまた別の要因から身を固くしている。
無意識のうちにシーツを掴む手に力がこもった。
「ご、ごめんね西条さん。一二三が会いたいって言い出したのに、こんな有様で……」
問題ない、と伝えるために首を振る。
見ているこちらがいたたまれなくなるほど震え、恐怖心を訴えてくる二十九歳児。
あまりにも気の毒なその姿を見咎めるなんて、たとえファンではなくともできるはずがなかった。
(──そうだ)
どうにかできないか、と少し考えて、皇はあることを思いついた。
もしかすると、一二三は皇相手に怯える必要がなくなるかもしれない、と。
「……? 西条さん?」
思い立ったら即実行だ。
簡単なものでは独歩には見抜かれてしまった経験を踏まえ、念のためもう少し手の込んだものを。
皇は意識を集中し、想像する姿にリアリティを補強していく。
もっと、もっと、もっと──。
(よし)
ここまでできたら十分だろう。
そう判断を下し、今度は想像した姿を身体にまとうイメージをする。
皇の胸元でほんのりと熱が存在を主張した。
あともう少し。
「──え」
独歩が戸惑う声がした。
「……あり?」
続けて、一二三の拍子抜けしたような声も。
「なぁ独歩ちん。この子、ホントに女の子なんだよな……?」
「あ、ああ。そのはず、なんだけど……」
何が起こったのかちっともわからない、と言うように、幼馴染が顔を見合わせている。
そんな二人の様子に、少年の風貌をした皇がいたずらに笑った。
「なになに? 君、マジで何したの?」
『企業秘密です』
「えー、何それっ! ちょー特殊なマジック、みたいな? すっげ、魔法使いみたいじゃん!」
何が一体どうなっているんだ。
独歩の思考はそれに尽きた。
目の前に広がる現実は現実と受け入れがたい。
それでも確かに、ジャケットを着ていない一二三が皇と……女の子と気軽に会話していた。
もちろん、二人に多少の距離はある。
しかしそれも、一二三が皇を気遣って意図的に置いた距離である。
決して一二三が積極的に、女の子から離れるために取ったものではないのだ。
これは夢か幻か、そうでなければ何が起きているんだと独歩は混乱に陥る。
しかも、独歩を混乱させる要因はそれだけではない。
皇も普段と雰囲気が違いすぎるのだ。
不躾と思いつつ、一二三と話す皇を観察する。
今の彼女に少女性を感じさせるものはない。
まるですべて削り取られてしまったようだと感じられた。
女性的な丸みも、膨らみも、何もかも。容姿や髪型、声だけはそのままに、男性になってしまったようだと思う。
声も女性にしては低めということも相まって、少女というより少年に見えた。
それこそ一二三が言うように、魔法でも使ったのだと言われたらすべて納得できるんじゃないかとすら思う。
「あ、そーだそーだ。これお見舞い!」
「!」
「独歩がすーちゃんはゼリーとかしか食べれないって言ってたから、俺っちお手製のムース作ってみましたー。一部はお野菜も使ってっから栄養的にもばっちりだぜ! しっかり食べて、早く元気になれよー」
「!?」
にひひ、と一二三は笑った。……が、ちょっと待て。
「すーちゃんって、お前……! いくらなんでもいきなり馴れ馴れしすぎるだろ!?」
「えー。いーじゃん別に、すーちゃんだって嫌がってないし」
「どこがだ!? 西条さん、めちゃくちゃびっくりしてるじゃないか!」
「びっくりしてるってだけで、嫌がってはないだろー。な、すーちゃん!」
普段と異なるテンションの上げ方の一二三に、独歩の表情筋がこれでもかと引きつった。
テンションが上がるのはわかる。
一二三が相手を女の子と認識してなお、普通に会話ができるのはあの事件が起こる前以来。
これがどういう仕掛けかわからなくても、『女の子と普通に話せる』というだけで嬉しくなるのは納得だ。
納得だが、頼むからもう少し落ち着いてくれ二十九歳児……!
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