ハンプティ・ダンプティ | ナノ
第二節 北風と太陽(2)



 灰崎祥吾といえば、言わずと知れた黒バス二大悪役(ヒール)の片割れだ。色素の薄い髪に、瞳孔の小さな瞳。高校に入るとコーンロウに髪型を変えていたけど、個人的には中学までの地毛が好きだった。

 黒子くんの学食からミートボールをかっさらったり、黄瀬くんの彼女を寝取ったりと、人のものを奪うことが好きなとんでもねぇ悪ガキであり、バスケにおけるオンリーワンの才能も『強奪(スナッチ)』という筋金入りのガキ大将という有様。ああいや、メンタルの未熟さを考えると、ガキ大将と称するのはいささか褒めすぎか。やることはともかく小物っぽい中身が色々おじゃんにしているし、コート外では基本、積極的に手を出すことのない花ちゃんたちに比べると……ちょっと、ねぇ?

 まあ、なんにせよ。その灰崎祥吾が、今のわたしの幼馴染である。

 出会いはまだ、齢一桁かつ片手で足りる頃。離婚した灰崎さんが男の子二人を連れ、我が家のお隣に引っ越してきたのがきっかけだった。同姓同名、なんとなく灰崎少年の面影がある顔立ちに『アレ?』と首を傾げ、もしやと親の目を盗んで『帝光』で検索からの公式ホームページヒット、という流れに白目をむいたのも懐かしい。

 とはいえこの出会いがあったからこそ、わたしはあの子たちがいる世界に生まれ変わったのだと気付いたし、同じ学年であることも察したわけだ。情緒はそりゃあ乱れに乱れたけれど、十年近く経てば落ち着くというもの。ハル先輩と出会った時も『マジか』とは思ったが、それ以上の過剰な驚きはなく、ごく普通にそれなりの関係を築くことができたのだった。

 閑話休題。

 男女と言えども、ひとつ違いのお隣さんだったわたしたちは、ごくごく普通に仲が良い幼馴染だ。お互いに名前呼びは当然だし、気安く頼みごとをしたり、遊びに行ったり。思春期になってもまあまあ距離が近いし、手を繋ぐ癖が抜けなかったことに驚く反面、わたしたちはそういう幼馴染なのだと自分に言い聞かせている。

 いやだって、自分のこと慕ってくれる弟分とか普通に可愛いし? バカワイイに留まる程度にやり過ぎは叱ったり諭したりしてきたし、そんだけ目にかけてきたら可愛さひとしおじゃん?? いくら帝光中に進学してバスケ部に入ったからって、今更離れるとか無理に決まってるんだよなっていう。

 あ、ちなみに、灰崎さんやひと回り近く歳が離れた祥吾くんのお兄さん、もとい信吾くんとも仲良くさせてもらってることをここに報告しておきます。今言っておかないと、他に言うタイミングないだろうし。……うーん、我ながらメメタァ。


「なあ、嘉夜」


 繋いだ手をゆらゆら揺らして歩いていると、なんとはなしに、祥吾くんがわたしを呼んだ。


「なんだい祥吾くん」
「今日はウチに泊まんねーの?」


 あれれー、おっかしいぞー?(裏声)祥吾くんには前々から今日の予定を伝えていたはずなのに、なんで訊かれてるんですかね? ……なんつって。拗ねたような、それでいてどこか気遣わしげな顔を見れば、幼馴染の気持ちが察せないはずもない。誰にでも、とは流石に言えないけれど、それでも弟分が優しい子に育ってお姉さんはとても嬉しいです。


「誘ってくれるのは嬉しいけど泊まらないよ。久々に父さんが帰ってくる日なのに、わたしがちゃんと家にいないと怪しまれちゃうでしょ」
「そんなん今更だろ」
「十年来の仮面母娘を舐めたらあかんて」
「仮面母娘とかいうパワーワードはやめろとあれほど」
「えーでも事実だし」
「事実だけど」


 言い出しっぺはわたしとはいえ、祥吾くんの即レスな! でも、仮面母娘って単語、言い得て妙というか、わたしとあの人の関係を言い表すのにピッタリだと思うんだよね。いかに母娘の仲が冷えきっているかがよくわかる造語じゃない? 何気なく使い始めたものだけど、長いこと愛用してる。


(……まあ、事情を知ってる祥吾くんたち相手に限るけど)


 小さい頃から一緒にいる時間が多いからか、祥吾くんは母娘関係の異常性に気付いている。確か、そう、三・四年くらい前だったかな? なんとなく察していたものの確たる証拠がなく、モヤモヤしていたところで、わたしが母親に頬を打たれた現場を見て確信したそうだ。『小学生男子に何見せてんだ!』って話になるけど、祥吾くんが気付いてくれたお陰で、灰崎家っていう避難所ができたから正直感謝してる。……灰崎さんや信吾くんも察してくれてるみたいで、何も言わずに迎えてくれるしね。

 ちなみに補足すると、ヨウくんやハル先輩もうちの事情を知っていたりする。あの二人に関しては、うん、メンタルがぐちゃぐちゃになってたタイミングで無理矢理吐かされました。もちろんウチの事情なんて言いたくなかったけど、半分泣き落とし、みたいな? クソ雑魚メンタルの時にマブダチにそんなことされたら、もうどうしようもないよねっていう。……どうせわたしは身内にゲロ甘でよわよわの民だよォ!

 なお、まだあと数人ほど事情を知ってる勢がいるけど、その人たちについてはまたおいおいということで、ひとつ。


「じゃあ明日は?」
「明日はお邪魔する予定。灰崎さんからも頼まれてるし」
「夕飯は肉な、肉。ミートボールじゃなくてもいいけど、とにかく肉」
「はいはい。どうせ買い出し行く予定だったし、もし食べたいの決まったら早めに連絡ちょうだいね。明日の昼までならギリ対応できる」
「ん。……荷物持ちは?」
「いいよ、平気。それより部活に参加してきな。こわーい先輩がいるんでしょ?」


 にやりと笑いながら言えば、祥吾くんは嫌そうに顔を歪めた。

 我々黒バスファンからすれば、祥吾くんにとってのこわーい先輩、なんて言わずもがな。虹村修造その人である。とはいえ、他校生のわたしは虹村さんと面識なんてないのだけど、祥吾くんがよく話題に出すからね。存在だけはちゃんと知ってるんですよ、という話。

 まあ、祥吾くんも嫌そうな顔こそしてるけど、なんだかんだ面倒見てもらえるのは嬉しいんじゃないかな。末っ子の甘えた気質で構ってちゃんだし、灰崎さんは女手一つで男兄弟を育て上げるために仕事で家を空けがち。そんなだから、小さい頃なんて特に信吾くんやわたしにべったりだったもん。ぐちぐち文句を垂れつつ、虹村さんのこと慕ってるのは間違いないと思う。

 ま、虹村さんのことはさておくとして。


(明日のお夕飯は何にしようかなぁ)








「ただいま」
「おかえりなさい」
「おかえり、父さん。荷物持つよ」
「ありがとう、嘉夜」


 珍しく母娘で肩を並べて、単身赴任中の父を出迎える。二、三ほど言葉を交わしたら、久方ぶりの夫婦の逢瀬を邪魔しないよう、父の荷物を預かって早々に奥へと引っ込んだ。こちとら好き好んで仲睦まじい夫婦に茶々入れして馬に蹴られに行く趣味がなければ、進んで母親の地雷を踏み抜きに行く趣味もないのである。

 ──基本的にわたしたち母娘は冷戦状態というか、母親側がよほどメンタル不安定でもない限り不可侵条約を結んでいるような関係だけど、父が絡む時だけは別だ。彼の前でだけはあの人は良き母であり、わたしは良き娘であるよう振る舞っている。普段であれば同じ家にいたって言葉を交わすことも同じ食卓を囲むこともなく、なんならほとんど顔を合わせることすらないのに、父がいる時だけはまあまあ仲のいい母娘のフリをして、それっぽい家族を演じているのだ。

 何故そんなことをするのかといえば、当然、この家族ごっこを破綻させないために決まっている。彼女は父を愛しているし、父も彼女を愛している。そんな二人が不妊治療を進め、ようやく授かった一人娘。傍から見れば愛と幸せに満ち満ちた家庭だし、事実、父の目にはそのように映っていることだろう。つまり、母娘の内情はどうあれ、父にとってわたしたちは愛する妻であり娘というわけ。だからこそ父を愛するあの人は父の理想を叶えようとするし、どれほどわたしが疎ましくても秘密の協定を組むという妥協を見せている。

 いやまあ、彼女もねぇ……なかなか気の毒な人ではあるんだよ。澤部メイの記憶をまっさらにして生まれ変わってるんだから、本当ならわたしのことなんてわからないはずで。なのにどういうわけか、わたしが自分と因縁のある相手だと本能的に察している。──ああいや、察していると言うより、澤部メイから狛枝透に対する感情だけが色濃く残っちゃってる感じか。

 どっちかといえば、後者に近いんじゃないかな。そして、そのせいであの人の内面には大きな矛盾があるんだと思う。現在と過去。今世と前世。娘を大切にしようとする母親としての理性と、狛枝透に殺された澤部メイとしての狂気。相反する二つ──しかも狂気にいたっては彼女ではなく、彼女の前世に由来するもので、本人にとっては『原因がわからない感情』。それらを持て余してしまうから母娘間で不可侵協定が結ばれているし、時に制御が効かず拒絶が発露する。……世間一般で言うところの、身体的虐待ってかたちで。

 とはいえやっぱり、可哀想な人だなーと思うよ? 衝動的にわたしに手を上げた次の瞬間には絶望した顔するし、誰もが寝静まる丑三つ時にひとりぼっちで泣きじゃくってるし、家の中を嵐が来たかと思うくらいぐちゃぐちゃにしちゃうこともあるしさ。はちゃめちゃに情緒不安定なのよね。澤部メイを殺したことである程度の心の整理がついてるわたしと違って、あっちは完全に振り回されちゃってる。それでも狂気に落ちきらず、理性的でありたいと思ってるところは賞賛すべきだと思うな。

 自分のために倫理とか道徳を投げ捨てた澤部メイと、彼女はまったくの別人だ。大元の魂とか、そのあたりはたぶん同じで。だけど、たまに我慢ができなくなることがあっても、感情に歯止めが効かず振り回されることがあっても、『人』であろうと必死に踏ん張っている。そんな彼女が『化物』に堕ちたアレと同じだなんて言ったら失礼だ。

 母親に対して同情的なのは否定しない。でも、それも仕方ないと思うんだよね。だって、わたしもあの人も、他の人には決して理解してもらえない狂気を抱えて生きている。相手のことが怖くてたまらなくて、その一方で殺したいくらい憎くて恨めしくもある──それは、殺し殺されの関係であるわたしたちだから成り立つモノだ。わたしは異界での出来事を経て狂気を飼い慣らしてしまったけれど、彼女はそうじゃない。そもそも原因さえわからない狂気なんて飼い慣らしようがない。

 だというのに、わたしが知る限り、彼女は抑え込もうとする努力を絶えず続けている。その努力がいかに困難であるか──当事者が抱える苦悩や葛藤は、悲しいかな、わたしにも理解が及んでしまう部分だ。そして、この十数年の間、彼女が狂気と理性の狭間でもがき続ける姿をわたしはずっと見てきた。だからどうしたってあの人に同情的になってしまうというか……まあ、有り体に言うなら情が湧いてしまったのだろう。

 だからわたしはあの人が望むまま、家族ごっこのおままごとに興じている。それがどれほど危うい均衡の上に成り立っているかも、ほんの少しの衝撃で砕ける薄氷のような紛い物の幸福であることも知っていて、その上で彼女たちが求める夢物語に付き合っているのだ。

 ……妻と娘の異変に気付かない、お気楽能天気な父。彼を捨て、わたしも捨ててしまえば、あの人はそれだけで幸せになれるのにね? どうしてそういつまでも父に固執するのか、嘘で塗り固めた箱庭を守ろうとするのか、わたしにはてんでわからない。

 孤独に咽び泣くくらいなら、すがりついて泣き叫べばいい。わたしが嫌いなら嫌いだと伝えればいい。彼は妻を愛しているし、不妊治療が必要だとしても、今の年齢ならまだ子どもを作ることは可能なはずだ。なら、わたしなんてとっとと見限るなり捨てるなりして、今度こそ夫と愛せる子どもと幸せな家庭を築けばいいのになと思う。

 どうせ父はわたしよりも母を愛しているのだから、彼女が本気で泣きつけばなんらかの対応はしてくれるだろう。それに、その方がわたしにとっても、今よりずっと息がしやすくなるはずだから。


(まったく……悲劇的で喜劇的な母娘なんて、エロドさんが好きそうだよな)


 リビングから聞こえる夫婦の楽しげな声に、は、と人知れず嘲笑が漏れた。



prev | next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -