第一節 エンドロールは流れない


 身体がひしゃげる音がした。肉が潰れ、骨は砕けて、あらゆる中身が飛び散った。今度という今度こそ、わたしという人間はすべての生命活動を停止させ、暗闇に飲まれて消える──はずだった。

 気付けばそこは見知らぬ場所だった。わたしが生まれ育った町並みでも、狂気に身を委ねた異界の学校でもない。ごくごく普通の一軒家……とまでは流石にいかないようだが、小綺麗なマンションの一部屋ではあった。知らない匂いに首を傾げ、低すぎる視線の高さ──もとい、規格外な大きさの部屋や調度品で眉間にシワが寄る。

 ふと自分の身体を見下ろし、絶句した。ぷくぷくとした小さなもみじの手のひら。ぽてっとまるっこい身体に短い手足。自分の意思の通りに動き、痛覚を感じるそれ。驚きのあまり、思考にとどまらず身体までもが固まった。どういうことだ。転生はしないはずじゃなかったのか。そればかりが頭の中を占め、答えらしい答えが導き出されることはない。

 まあ、よくよく考えてみればそれも当然なのだけど。だって、わたしやアイツで遊んでいたのは邪神様モドキだ。転生だのなんだの、普通の神様の管理仕事っぽいものは彼の管轄外というか、そもそも神様のなりそこないには力及ばない領域のはずである。果たしてこの状況は偶然なのか、それとも必然なのか。そんなの、ただびとのわたしには考えるだけ無駄なことだろう。

 窓の向こうに広がるのは、どこまでも青く澄んだ空だった。


 *


 訴訟。

 これはもはや訴訟案件だそうに違いない。訴えてしまえば間違いなく勝てる。賠償金も欲しいけどそれ以上に殴りたい、あの笑顔。だってわたし被害者ですし? 完全に迷惑こうむった側ですし? 裁判も楽勝なんだからそれくらい許されて当然だと思うんですよね!

 いやはや、なんとも根拠のない自信である。というか我ながら何言ってんだ? 訴えるって誰を? エロドさんを? 百歩譲ってそれができたとして、じゃあどこに訴えるんだって話だよちくしょう。あんなマゾ気味の愉快犯をどこに、どうやって訴える気なんですかねわたしさん!

 ……とまあ、えらやっちゃえらやっちゃと内心荒ぶり、ひとしきり荒ぶりまくったところで一息。ようやく状況把握に意識が向いたので、落ち着いて思考することに。

 とはいえ、今のわたしがわかることなんてさほど多くない。幼児体型なわたしis転生者。以上。ベッタベタだけど頬をつねったら痛かったし、夢じゃないのは確か。転生じゃなくて憑依って可能性もあるにはあるけど、そのわりに反発がないので転生なんじゃないかな。たぶん。

 なんだよエロドさん、わたしは転生しないんじゃなかったのか。あの学校と一緒に消えるはずじゃなかったのか。それとも何か、愉快犯の原則に則って『こう言っておけば、もしコイツが転生した時に混乱する様を見て愉悦できるだろ』とでも思ってたのか? だとしたら、やっぱり一度は殴らないと気が済まないかなぁ! マゾ相手には効かないとしても、むしろ喜ばせるだけで不快感が増す一方だとしても、女にはなんとしてでもやらなきゃいけない時があるんだ……!


「……うん、そうだよね、ついてないよね」


 いかんめっちゃ焦った。女には、とか普通に言ってしまったけど、男に生まれてる可能性もあるってこと失念してた。でも大丈夫、今ちゃんと確認したから。ついてなかったから大丈夫、身体的にもちゃんと女だったからね。あーびっくりした。

 性自認と身体的な性の一致に心底ほっとして胸を撫で下ろす。悲しいかな、そこの不一致が起こると何かと生きづらい世の中ですのでね。ああいや、待てよ? 見た感じ生活様式とか、文化水準とか、ものすごい馴染み深くはあるけれど、別世界の可能性もあるのでは? そういう『もしも』の概念がなければ、小説のジャンルに異世界転生なんてものは生まれないのである。完全にオタクの思考です本当にありがとうございました。

 となると、大切なのはこの世界について知ることだ。わたしが生まれ育ったところとおおよそ同じなのか、違うのか。今のところ、可能性としては前者が高そうな印象である。それならそれで構わない。構わないのだけど、その場合、また別の問題が出てくる。すなわちわたしが──狛枝透という人間が生まれて死んだ世界とイコールで繋がるのか、ニアリーイコールのよく似た別世界なのか。

 もしも後者だった場合、なおかつわたしの知っている世界──否、もうまどろっこしい言い方はナシにしよう。ここが彼らを描いた『黒子のバスケ』の世界だとしたら、わたしはどうすれば良いのだろう?

 ……なーんてね。どうするも何も、わたしにできることなんて何もない。彼らは高校生で、今のわたしは幼児そのもの。たとえ中身は変わっていなくとも、生まれ変わってしまった時点で『わたし』は『狛枝透』たりえないのである。この身体の、生まれ変わった自分の名前はまだ知らない。わからない。それでも、わたしが狛枝透として生きることはできないことに変わりはないのだ。狛枝透は死人である。何者にもなれない、行き着く先に行き着いた命の残り滓(かす)。それが何かに成ってしまったのなら、もう、狛枝透という人間ではない。

 まあ、要するに。わたしはわたしとして、今の命をまっとうすべきだということだ。どうせ彼らとの縁は切れてしまった。彼らの記憶にあの学校での出来事は残っていないし、もし仮に残っていたとしても、わたしを狛枝透と認識するのは無理だろう。なにせ、今のわたしはどう足掻いても幼女。わたしが狛枝透だ、なんて言ったって、何言ってんだコイツとズタボロにされるのが目に見えている。……残念ながら、あの子たち全員からそんな扱いされても平気なメンタルはしてないんだよなぁ。


「……ま、さすがにおなじせかいってことはないでしょ」


 あれこれ考えてみたけど、本当に異世界転生していたとして、現代日本を舞台にした作品が一体いくつあるんだって話ですよ。何千、何億とある作品世界の中から、ピンポイントで引き当てるなんて強運をわたしが持ち合わせているとは思えない。人生二週目は悠々自適に、自堕落な生活を獲得できるように人生設計を頑張らねば。……あ、いかん。それよりもっと大事なことがあった。今度こそ天寿をまっとうできればそれこそベストだ。目指せ老衰、眠るような最期!


「そういえば、おやっていないのかな」


 実際の年齢に見当はつかないけど、こんな幼児が一人でマンション暮らしをできるはずがない。父親、ないしは母親が一緒に生活しているはずだ。なのに気配がまったくない。どういうこっちゃ、と首を傾げる。わたしを置いてどこかに出かけてんのかな、なんて考えた時。


──ゾワッ


 突然、背筋に悪寒が走った。全身が総毛立ち、嫌な汗がぶわりと噴き出す。無意識に奥歯がぶつかり合い、ガチガチ音を立てた。純粋で強烈な感情だ。幼い身体は強い恐怖に耐えきれず、勝手に涙があふれ、ぐずぐずと泣き始める。

 この感覚、この恐怖を、わたしは知っている。だけど、一体何故? アイツは確かにわたしが殺したはずだ。この手でナイフを突き立て、心臓を抉り殺した。その時の感覚も、血の香も、まだ鮮明におぼえている。なのにどうして、こんなにも身体が……心が恐怖に打ち震えている?


「……嘉夜ちゃん?」


 キィ、と高い音を立ててドアが開いた。戸惑ったように嘉夜(わたし)を呼び、覗き込んだ女性。おかあさん、と身体が勝手に言葉を紡ぐのを聞いて、内心凍りついた。

 嘉夜(わたし)の母親は、澤部メイの転生体だ。



prev | next

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -