素直になれない大人二人

『ヨリちゃん、日向熱出して動けないみたい』

 突然牧瀬からそんな電話がかかってきて、ガタガタと音を立てて椅子を倒してしまった。周りの視線が突き刺さる。誤魔化すように笑いながら受話器を耳に当てた。

「え、ど、ど……?」
『今朝俺に電話かかってきてね、翔助けてーって。とりあえずお粥だけ作ってきたんだけど俺もう仕事なんだ』
「……」
『弱ってるみたいだから仕事終わったら行ってあげてくれる?』
「……私が?」
『うん。日向が一番会いたいのヨリちゃんだと思うよ』

 牧瀬の優しい声に、今朝来たメールを思い出す。今日仕事?と来ていたからうん、と返した。それから返ってこなかったけれど、あれは弱っていたからなのかな……。電話が切れた携帯を握り締めて、しばらくぼんやりしていた。
 そして結局来てしまった私。しばらくエントランスのところでウロウロしていたけれど、住人らしき男性に怪訝な目で見られたから観念して立花に電話をかけた。

『……もしもし』

 うわ、低い声。まだ体調よくなってないんだ、と思いながら慌てて口を開いた。

「あ、あのね、何か食べられそうなもの買ってきたんだけど……」
『……どこに?』
「家に」

 立花はしばらく沈黙した。もしかして迷惑だったかなと暑くもないのに汗をかく。買ってきたものを渡すだけ渡して帰ると言おうとした時、立花が沈黙を破った。

『入って』

 オートロックが開く。少しの不安を覚えながらマンションに入った。 玄関のドアを開けた立花は赤い顔で怠そうにしていた。逆に来ないほうがよかったかな。買ってきたものを差し出し、慌てて口を開いた。

「あの、色々入ってるし、一応食べやすいもの買ってきた。あ、牧瀬がお粥作ってくれたんだよね。薬はある?でも辛そうだしちゃんと病院行ったほうが……」
「ヨリ」

 手を引かれて、ぎゅっと抱き締められた。体温が高くて耳元で聞こえる息も荒い。

「ほんとは、来てほしかった。だから嬉しい」

 弱りすぎでしょ、そんなこと言うなんて。私は支えるように立花の背中に腕を回した。

「お粥温めるね」

 朝から何も食べていないと言う立花にベッドで寝ているように言ってキッチンに入る。牧瀬のお粥は冷えていてもとても美味しそうだった。
 果物やゼリーを冷蔵庫に入れ、焦がさないように慎重にかき混ぜる。残念なことに私は料理が壊滅的に出来ないから、とにかく必死だ。

「ヨリー、俺やろうか?」
「ダメ!寝てて!」
「ヨリ」

 私を後ろからぎゅっと抱き締めて、立花は首筋に顔を埋める。立花は辛いのに、甘えてくるのがちょっと可愛いかも、なんて思ってしまう。

「……ぶち犯したい」

 ……熱があっても立花はブレなかった。
 何とかお粥を焦がさずに温めることが出来て、器を探す。立花は流石に辛かったのかベッドに戻った。勝手に色々開けるのは申し訳ないと思いながらも何となくチェックしてしまう。ペアになってる食器とか、女の人が使いそうなお箸とか、可愛らしいマグカップとか。でも一切そんなものはなく、至ってシンプルなものばかりだった。そして少し安心している私。ため息を吐いて食器にお粥を注いだ。

「立花ー、入るよー?」

 寝室に入るのは初めてだ。寝室のドアは開いていたけれど、一応声をかける。立花の目は開いていてベッドの中から私を見ていた。

「食べて薬飲んで?治らなかったら明日は病院だね」
「うん、いただきます」

 珍しく素直な立花。何だか感動する。

「ヨリが風邪引いたら全身で看病してあげるからね」
「ちょっと何言ってるか分からない」
「ん?だからさ、セッ」
「言わなくていいから」

 風邪を引いても絶対に立花にはバレないようにしようと決めた。
 食欲はないみたいだけど牧瀬のお粥が美味しいからか一応全部食べて、立花は薬を飲みベッドに寝転んだ。きっとこのまま寝るだろうし私は食器だけ片付けてそろそろ帰ろうかな。

「じゃあ立花、」
「はい」
「え?」
「寒いから早く入って」

 立花が捲った布団を、私はそっと直した。でも立花は懲りずにまた捲る。

「うーん、苦しいー、辛いー、ヨリが一緒に寝てくれないと治らないー」

 随分棒読みなおねだりだな。でも立花はこうなると言うことをきいてくれないことは分かっている。それに、今日は流石に何かする元気はないだろう。そう思って私は布団に潜り込んだ。

「ヨリ温かい」
「……」

 立花の体温は高く、立花のベッドは立花の匂いがする。硬い胸に顔を埋めるとドキドキするのに何だかとても安心した。

「ヨリ、俺たち大人だよね」
「んー……」

 立花が何か言っている気がするけれど、突如襲ってきた睡魔に目を開けているのも辛い。

「俺熱あるから理性あんまないよ」
「ん……」
「だからヨリが来てくれたのは嬉しいけど何もしない自信ない」
「……」
「家入れるの迷ったけどヨリが来てくれたならいいのかなって……」
「……」
「だからヨリ。……ヨリ?」

 既に夢の中だった私は、この後立花が深い深いため息を吐いていたことを知らない。
 微かにインターホンの音が聞こえて目を覚ました。目の前に立花の寝顔があって驚いて叫びかけたけれど、そういえば立花は熱があるのだと思い直して何とか抑えた。インターホンはさっきから何度もうるさく鳴っていて、でも立花はぐっすり眠ってるし。私は立花の腕から抜け出してそろそろとリビングに行った。

「……あ」

 私はどうしてこの人の存在を忘れていたのだろう。インターホンに映っていたのは寧々ちゃんだった。オートロックの解除ボタンを押し、慌てて洗面所に入り髪を整える。しばらくするともう一度インターホンが鳴って、慌ててドアを開けた。寧々ちゃんは一瞬驚いた顔をし、でもすぐに微笑んだ。

「ごめん、邪魔したかな」
「えっ、う、ううん、全然!立花が熱出しちゃって、牧瀬から代わりに看病に行ってって電話かかってきて来ただけだし」
「え、日向風邪なの?」
「うん。あ、私もう帰るから寧々ちゃんが看病してあげて?」

 そう言うと、寧々ちゃんはキョトンとした顔をした。

「どうして?ヨリちゃんが彼女なんだから、ヨリちゃんがいてあげたほうがいいんじゃない?」

 当たり前のように言われて戸惑う。そして、寧々ちゃんに勘違いさせちゃいけないのに勘違いさせている。

「あっ、わ、私彼女とかじゃないの、だから寧々ちゃん、勘違いしないで」
「……寧々、朝からうるさい」

 私の後ろで、低い声が聞こえた。ハッとして振り返ると怠そうに立花がドアを閉めようとしていて、私は慌てて立花に向き直った。

「あの、私帰るから!」
「……なんで。仕事?」
「……っ、い、いや、違うけど……」
「用事?」
「……」

 用事だって、嘘吐かなきゃ。でも、今更。あんな風に立花は寧々ちゃんにも甘えるのかなって思うと、切なくて苦しい。

「私帰るね。日向お大事に」
「えっ、ちょ、ちょっと待って寧々ちゃん!立花のそばにいてあげてよ!」
「……もういいよ。ヨリも帰って」
「え……」

 立花はもう私に背を向けていた。その背中から怒っているのが分かって不安になる。手を伸ばしかけて、やめた。

「ねぇ、ヨリちゃん。拗ねてる大人気ない日向は置いといて二人で女子会しようよ」
「え、拗ねてる?」
「うん、ね、行こう!」

 私は寧々ちゃんに引きずられるように立花の家を出た。寧々ちゃんは立花にも似た強引さで私をカフェに引きずり込む。立花のことを考えて暗くなっている私を見て、寧々ちゃんは微笑んだ。

「日向のこと好きなの?」
「っ、全然!あんな変態で下品な男、全然……」
「え、日向ってそういうことに興味あるの?」

 寧々ちゃんは興味津々に前のめりになってきた。え、と戸惑う私に、寧々ちゃんは目をキラキラと輝かせる。

「日向って何か完璧すぎてさー、多分他人に弱み見せるの嫌なんだろうね」
「……」
「彼女いても全然言わないし、女性関係とかそういう性欲?みたいなのも全然見たことない」
「それは周りが特別酷いからそう見えるんじゃないでしょうか……」

 まさか立花が寧々ちゃんに見せないようにしてるんだろうとは言えないし。それに一条や牧瀬の女性関係が何ていうかもうヤバかったから更にそう思うだけで。

「確かにそうかも。文也とかね」

 そう言って切なげに目を細めた寧々ちゃん。こういう時、自分の彼氏の名前を出すのってどれだけ辛いだろう。寧々ちゃんはふっと笑った。

「私、文也と別れたんだ」
「えっ」
「今までズルズル来てたけどもうキッパリね!今日は日向に言おうと思って来たの。日向、私が泣くとそばにいてくれたからさ。お礼言いに」

 何が最悪かって、吉岡と寧々ちゃんが別れたのなら立花にとっての障害は何もないじゃないって不安になってしまったことだ。

「また恋愛一からやり直しかって思うと面倒だけどさ。もう泣くの嫌だなぁと思ってたから」
「……」
「ヨリちゃん、いい男いたら紹介してね?ヨリちゃんには日向がいるんだしいいよね〜」
「……違うよ」
「え?」

 ああ、私何泣いてるんだろう。こうなってから素直になったんじゃもう遅いのに。いや、こうなってよかったのかもしれない。傷付く前に、私はこの気持ちに蓋をする。ずっと、ずっと前から立花は寧々ちゃんのことが好きなの。私は寧々ちゃんの代わり。だから……

「ごめん、帰るね。立花のそばにいてあげて」

 今度こそ、もう会わない。火傷は火傷のまま。これ以上広がらないように。

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