二人きりの夜2

『今日も悠介たちと飲むからヨリも来なよ』

 社員旅行から帰ってきて二週間後、立花からメールが来た。この二週間、立花からの連絡はなかった。会社で何度か会って話したけれど、あの告白の話題は一切出ず、何気ない話をするだけ。もうそろそろ返事をしないといけないかなと思っていた。でも私の心はまだ決まっていなかった。

『今の俺ならヨリを幸せにできる』

 あの言葉を信じたい気持ちはあるのに、また高校生の頃みたいな苦しい恋になるのかと思うと怖くて。臆病な自分を捨てて、ちゃんと立花と本音でぶつかり合いたい。そう思ってはいるけれど……
 とりあえず『行く』と返信して仕事に戻った。
 仕事が終わり携帯を見ると立花からメールが来ていた。仕事で遅くなるから先に行ってて、と。一条や牧瀬はもう来ているらしいから私は先にこの前のバーに向かうことにした。

「ヨリちゃん、こっち」

 お店に着くと牧瀬に呼ばれて、手を振り返すと牧瀬の隣に可愛らしい女の子がいるのが見えた。あ、もしかして彼女かな。

「ヨリちゃん、この子俺の彼女。可愛いでしょ」
「は、はじめまして、藤堂すずです」
「牧瀬たちの高校の同級生の早坂依子です。牧瀬にこんな可愛い彼女ができたなんて私も嬉しいよ」

 すずちゃんは嬉しそうにニッコリと微笑み、そんなすずちゃんの頬に牧瀬はキスをした。人前ではやめてください!と真っ赤になるすずちゃんを見る牧瀬の目は甘くて優しくて。うわあ、こんな顔するんだ、と何だか感動した。

「そういやすずちゃん、日向に会うの初めてだよな」

 一条の言葉にすずちゃんは緊張したように頷く。そんな緊張するような奴じゃないよ、と笑いながら携帯を見たけれど連絡はなかった。

「あ、あの、依子さんは日向さんの彼女さんですか?」

 すずちゃんのまっすぐな視線が突き刺さる。その間もすずちゃんの髪を撫でてキスしようとしている牧瀬はとりあえず落ち着け。

「いや、ううん、違うよ」
「えっ、違うの。この前温泉一緒に入ったって言ってたからそうなったのかと思ってた」

 立花、そんなこと一条たちに言ったのか。でも告白とか肝心なことは言ってないっぽい。よく分からない男だ。

「違う違う、あれは立花が勝手に入ってきただけ」
「でもあれは完全に前戯だったね」

 後ろから聞こえてきた声にどくんと心臓が高鳴る。タイミングがいいのか悪いのか、やってきた立花は空いていた私の隣に座った。

「は、はじめまして!藤堂すずです!」
「ああ、翔の彼女だよね。いつも翔がお世話になってます」
「いえ、お世話になっているのは私の方で……」

 緊張した様子のすずちゃんの手を牧瀬が握る。どんだけイチャイチャすんだよ。呆れながらも少し羨ましかった。
 立花ってどうだったかな。そもそも手を繋ぐ以上に進んでいない私が知るわけないか。立花は、彼女や好きな子にどんな顔を見せるんだろう。さすがに牧瀬みたいに甘々じゃないだろうけど、甘く微笑んだりするのだろうか……。

「ヨリ、飲まないの?」

 すずちゃんの自己紹介が一段落したところで立花が私を見た。何となく気まずくて、目を逸らしながら「飲んでるよ」と返す。

「今日も酔い潰れたらまたうちに連行するからね」
「酔い潰れません」
「残念だな、何も考えられないくらい気持ちよくしてあげるのに」
「馬鹿じゃないの」
「俺に抱かれないなんてヨリのほうが馬鹿だよ」
「だから、ゴリラに抱かれたほうが……」

 そこまで言って、三人の視線に気付いた。

「な、なに……」
「いや、なんか……」
「夫婦みたい」

 牧瀬がニッコリと笑って言った。
 夫婦?!ありえない!でもその時気付いた。軽口を叩きながら立花が脱いだコートを自然と受け取りハンガーにかけ。そして置いてあったおしぼりを立花に渡し。その後メニューを一緒に見ていたことに。無意識のうちにやっていたこの流れるような共同作業。気付いて愕然とした。

「ヨリ、いい奥さんでしょ」
「この悪魔と結婚するくらいならゴリラのほうがマシ!」
「ゴリラ好きだね。何なら俺ゴリラになろうか」
「真似とかし始めないでね恥ずかしいから」
「ゴリラの真似なら悠介が得意だよ」
「ウホ……て、やらすな」

 笑いながら思った。喋ってても一緒にいても楽で楽しいの、やっぱり立花だ、と。
 その日の飲み会は牧瀬とすずちゃんの話で持ちきりだった。牧瀬が彼氏だなんて苦労しそう、と思ったけれどすずちゃんは見かけによらず強い子だった。
 確かに翔さんはモテるから不安になることもあるけど、それ以上に私に気持ちを伝えてくれるから大丈夫です。
 すずちゃんの言葉に感動した。もちろん、そう思えるまでに色々あったんだろうけど。だって牧瀬のモテ方は異常だ。でも牧瀬がすずちゃんに甘々なのは見ていて分かるし、すずちゃんが照れながらも幸せそうなのは見ていて分かる。
 もし私がこの不安を乗り越え立花とちゃんと向き合ったら、私もあんな風に思えるようになるだろうか。立花の気持ちを、信じられるようになるのだろうか。

「ヨリ、俺たちそろそろ帰ろうか」

 考え込んでいたら立花がそう言った。時計を見れば確かにもう遅い時間で、明日も仕事だしまた会う約束をしてお店を出た。

「はい」

 当たり前のように差し出される手に手を重ねる。見上げれば小さな月がぽっかりと暗い空に浮かんで私たちを見下ろしていた。

「うちおいでよ」
「いいよ何されるか分かんないし」
「まあ確かに飲み物にちょっと薬入れるぐらいはするかもね」
「ほんと身の危険感じるから勘弁して」
「大丈夫、気持ちよくなるだけだよ」
「それ全然大丈夫じゃない」

 ねぇ、立花。聞かないの?

「……それは冗談。ね、うち来てよ。何もしないから」
「行かない」

 きっと立花は、何もしないと言ったら何もしないだろう。でもこんな中途半端な状態で家に行くなんてしたらいけないと思うんだ。

「お願いヨリ。話したいだけ」

 少し前を歩いていた立花が振り向く。切なさを滲ませた瞳に息を呑んだ。

「ヨリと一緒にいたいだけ」

 ここで頷いた私は間違っていたのだろうか。でも私には分からなかった。この懇願のような言葉を断る方法が。立花は安心したように微笑んでタクシーを止めた。

「そんなに警戒しなくても何も入れないよ」
「そんなこと言って全てを自分の思い通りにするのが立花日向だ」
「ほんとヨリだけだよね、俺の思い通りにならないの」
「いや結構私もなってると思うよ」
「うーん、あ、確かに流されやすいところはあるかもね」

 はい、と渡された紅茶。立花はやっぱりコーヒーだ。
 この前は酔っ払っていたのと肩に担がれていたので分からなかったけれど、立花のマンションは凄かった。リビングダイニングと寝室、そして書斎、ロフトもある。掃除大変そうと言ったら週に二回業者に掃除を頼んでいると言っていた。さすが一流商社の主任は違うな。

「ヨリがここに来ても平気だよ広いから」
「いや広すぎて落ち着かない」
「子ども産まれたらそんなことないでしょ」
「いやちょっと何の話してるか分からない」

 ソファーに座って紅茶に口を付ける。温かい紅茶は冷えた体に染み渡っていった。

「ヨリ、抱き締めていい?」
「何もしないって言った!」
「ぷぅ」
「それ拗ねてるつもりか28歳の男が!!」
「いいのいいの、ね、怖くない怖くない。ちょっと触ってちょっと挿れるだけ」
「どこの変態親父だよしかもそれ完全にヤッてる」

 ははは、と呑気に笑いながら立花は私の手を握る。紅茶が溢れる、と言う前に立花の手が紅茶を奪ってちゃんとローテーブルに置いた。正面から立花の胸に倒れこむ形で抱き締められる。背中に回った手は優しく包み込むようで、たまらなくなった。はぁ、とどこか安心したようなため息が耳元で聞こえる。どくどくと心臓はうるさいくらいに高鳴るのに私も何故か安心している。立花からは大人の男の香水の匂いがして、服越しに触れる体は温かくて女の私と違って硬い。男の人なんだと嫌でも思ってしまう。

「ヨリいい匂いする」
「嗅がないで」
「ヨリ、好きだよ」

 この状況でそんなことを言う立花は本当にズルい。私も抱き着きたいと思ってしまう。

「待つって言った。待ちたいと本当に思ってる。でもヨリが欲しい」

 胸が詰まって苦しい。この優しい手を、優しい体温を、優しい声を。ずっと私に向けていてほしいと思う。

「何もしない。でもこのまま抱き締めさせて」
「立花、」
「ヨリを離したくない」

 そっと立花の背中に手を回したら、更にキツく抱き締められた。ポロっと一筋涙が溢れた。立花の心音が少しずつ穏やかになるのを聞きながら、私はそっと目を閉じた。

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