壁と気持ち



「お前最近あの子とどうなの」

 昼飯一緒にどう?としつこく誘ってきた同僚の河合が席に着いた途端嬉々とした様子で聞いてくる。それが目的かとため息を吐き、適当に選んだAランチの唐揚げを頬張った。

「別に。告白されて断ってから連絡ないけど」
「ふーん?」
「つーかさ、まだ二十歳にもなってない子無理。6つ下だぞ?無理だろ」
「え、何それ」
「あ?」
「俺恵ちゃんのこと聞いたんだけど」
「……あ」
「てめ、何だ二十歳って!詳しく教えろ!!」

 そうだよな、誰にも言っていないのだからあの子のことをコイツが知るはずがない。何であの子のこと聞かれたと思ったんだ俺。

「恵とは3ヶ月前に別れたよ」
「あ?そうなの?!いや、つーかそれより!二十歳だろ!!!」

 うるさいんだけど。何でそんな必死なの。
 面倒に思いながらも今までの経緯を話した。突然立ち上がった河合に「羨ましすぎんだよイケメンクソ野郎」と首を絞められたのは本当に納得がいかない。

「イケメン様はいいよなー。女の子に、しかも二十歳の子にラブホ連れ込まれるって。いいよなー」
「……別に。何もしてねーし」
「余裕あって腹立つ!!でももう終わりだな。ラブホに置いてくるって鬼畜だわ」
「……」

 確かにそれは悪いことをしたと思っている。あんな年下の子にムキになった大人気ない自分にも呆れている。
 充電が早く減って困るほど頻繁に来ていた連絡も当然パッタリ途絶えたし、駅や電車で会うこともない。傷付けたのは重々承知している。

「つってもどうやって謝るかも分かんねー」
「え、お前謝るつもりなの?」
「あ?」
「振ったんだろ?そこで謝ったら期待しちゃうんじゃない?もう関わんねーほうがその子のためにいいよ」

 ああ、そうか。確かにそうだ。俺はあの子を振ったのだ。悪いことをしたとはいえ、謝ったら期待させてしまう。もう連絡もしない方がいい。

「その子紹介してよ」
「……は?」

 何言ってんだコイツ。ニヤニヤと笑う河合を嫌悪感丸出しで睨み付ける。河合は「そんな怖い顔すんなよ」とヘラヘラしやがった。

「落ち込んでる今がチャンスだろ」
「二十歳にもなってない子に何言ってんだよ」
「えー、そんなの関係ないじゃん。つーかもう後一ヶ月もしないうちに二十歳でしょ?許容範囲許容範囲」
「ダメに決まってんだろ。お前に紹介したところで傷付けんの目に見えてる」
「俺はラブホに置き去りにしたりしないけど?」
「……」

 いちいち腹立つな、コイツ。

「俺は村瀬みたいに傷付けたりしないけどなー?」
「俺だって……」

 傷付けたくて傷付けた訳じゃない。あのことだって、できたら謝りたいと思ってるし。
 必死なあの子を見て。はじめは慣れてるのかなと思ったけれど、震えながら俺に迫るあの子を見て。自分を大事にしないあの子に腹が立った。必死な気持ちに応えるつもりのない俺に抱かれたって、あの子は傷付くだけだ。
 ちゃんと心の底から好きになって、大事にし合って、覚悟が出来てからするべきだ。特にあんな純粋な子は。

「大事に大事にするよ?」
「会ったこともねーくせに偉そうに言うな」
「だからさ、会わせてよ」
「ダメなもんはダメ」
「会わせたくないの?」

 そりゃあそうだろ!傷付くのが目に見えてる紹介なんて出来るか!
 河合は悪い奴じゃないし、別に女の子を弄んで捨てるような不誠実な奴でもないと思う。でも大人が年下の子と向き合うには相当な覚悟が必要だ。大事に大事に、していかなくちゃいけないんだ。

「何をそんなに頑なになってんの?」
「あ?」
「その子にも意思ってもんがあるだろうに。流されてラブホ行っちゃうような子なの?」

 流されて……。河合の言葉にハッとした。彼女はあの時どんな気持ちだったのだろう。震えていたけれど、必死なのは伝わって来た。こっちにも覚悟がいる。でも、彼女だって覚悟してホテルに行ったのだろう。俺に、ただ気持ちを伝えたくて。

「……やっぱり無理」
「えええ?!」
「とにかく無理」

 俺、何してんだろ。
 終業後、引き剥がしても引き剥がしても離れない河合に強引に飲みに行こうと誘われた。紹介は諦めるからとにかく飲もうと。俺ん家の最寄駅までわざわざ来てる辺り絶対諦めてねーだろと思ったが、最近会わないし今日も多分大丈夫。
 そう思ったのに。

「……あ」
「……っ!」

 今日に限って会ってしまった。河合に纏わり付かれながらホームに降りたら、ちょうど隣の車両から降りて来たあの子と目が合う。
 彼女は気まずそうに立ち止まった。

「きゃ!」
「んなとこに突っ立ってんじゃねー、邪魔だな」

 だがそのせいで後ろから降りて来たおっさんに突き飛ばされて転ぶ。俺は無意識のうちに彼女に走り寄っていた。

「大丈夫?」

 彼女がハッとして顔を上げる。そして目を逸らして小さく頷く。差し出した手。でも彼女がその手を取ることはなかった。

「大丈夫ですから」

 自分で立ち上がった彼女は俺に会釈をし歩き出す。膝から血が出ていて歩き方も痛そうだ。腕を取れば、彼女は驚き振り向いた。

「送る。痛いんだろ」
「えっ、へ、平気です」
「ダメ。嫌ならタクシー乗って」
「お金ないし……」
「じゃあ俺が送る」
「大丈夫ー?俺、コイツの同僚なんだけど。タクシー代払ってあげるからおいで」

 河合の存在を忘れていた。河合は持ち前の人懐こい笑顔で彼女の手をさりげなく握る。彼女は俺の知り合いだと聞いて少し安心したのか、河合の言葉に頷いた。

「あの、お金ちゃんとお返ししますから」
「えー、そんなのいいよ」
「そんなわけにいきません!お返しします」
「んー、じゃあ、今度飲みに行こ?それでチャラ。ね?」
「あ、じゃあその時に私が奢ります!」
「え、そしたら今度は俺に借りが出来ちゃうじゃん。あ、でもそれ繰り返してたらずっと会えるね」
「ふふ、確かにそうですね」

 タクシー乗り場はいつもそうだが列が出来ていて、タクシーに乗るまで付き添っていたが俺の蚊帳の外感が半端ない。河合に楽しそうな笑顔を向けている彼女はひょこひょこと脚を引きずっていて、河合はさりげなく彼女の手を握ったまま。俺は河合の隣で黙っているしか出来なかった。

「名前何て言うの?飲みに行くなら連絡先も教えて欲しいな」
「あ、はい」

 バッグから携帯を取り出す彼女。慌ててそれを阻止する。
 突然割り込んで来た俺に二人は驚きを隠さず、キョトンとして見ていた。

「そんなに簡単に連絡先教えちゃダメでしょ」
「えっ、でも聞いとかないとお金返すこともできないし」
「そんなの俺が仲介するから」
「何言ってんの、そんなの手間じゃん!ね、凛ちゃん教えて」
「あ、はい……」

 もう名前で呼んでるし。二人が携帯を近付けて楽しそうにしているのを見ているしか出来ない俺。ああ、もう帰ろうかな。いやでも心配だし。
 ようやく彼女の番が来てタクシーに乗り込む。ありがとうございましたと彼女が礼を言い河合が金を渡そうとした時。俺はそれを制してタクシーに乗り込んだ。

「出してください」
「えっ?え、えええ?!」

 閉まったドアの向こうから河合の声が聞こえる。だけど無視して運転手さんにもう一度出してくださいと言った。隣を見れば、驚きに満ちた表情で彼女が俺を見ていた。

「家どこ?」
「えっ、あ、3丁目の……」

 どうしてこんなことをしたんだろう。自分でも驚いている。でも二人でちゃんと話したかった。
 彼女が運転手さんに行先を伝えた後、しばらく沈黙が走った。どう切り出せばいいのか分からないし、彼女もきっと俺に話しかけるのは怖いだろう。
 何て言おう。まず脚は大丈夫か聞くか。それでこの前のことを謝って、河合には気を付けろと言って……

「あの、もうこんなことしないでください」
「……は」

 頭の中でゴチャゴチャ考えていたのに、彼女の言葉で全部吹っ飛んだ。思わず彼女を見ると、彼女は俺から目を逸らし前を向いたまま。無表情だった。

「助けてくださったのはありがとうございます。でもこれからは何があっても無視してください」
「……」
「もう関わらないでください」

 静かな拒絶だった。俺から見ると彼女はいつも無邪気に笑っていて、俺の一言一言に喜んだり拗ねたり泣きそうになったり。そんな、コロコロ変わる表情を可愛いと思っていたのに、今目の前にいる彼女は無表情だ。俺が何を言ってももうきっと彼女の心にまで届かない。そんな気がした。

「……ごめん」
「……」
「この前も、酷いことしてごめん。ちゃんと話すべきだった。もっと自分を大事にしたほうが」
「分かってます。もう、分かってますから」

 最後まで、言わせてもくれないか。
 そう言えば今日は驚いた顔で俺を見ただけで、目も合わせてくれないな。すぐに逸らされる。河合には可愛い笑顔見せてたのにな。まぁ、俺のせいか。

「うん、そうだな。ごめん」

 あんなことをしたら嫌われて当たり前か。連絡が来ないのも当たり前。
 謝りたいって、謝ったら彼女がまた前みたいに俺の前で笑って好きだと言って呆れるほどたくさんの連絡をくれると思っていたのだろう。当たり前じゃないのに。いつの間にか彼女が俺に気持ちを向けてくれる心地良さに慣れていたのだ。何をしても彼女は俺を好きでいてくれる。そんな風に、勘違いしていたのだ。
 心の中が空っぽになっていく。彼女が必死に俺を見て、俺に向けてくれた気持ちが、積み上げてきてくれたものが全て無になっていく。そりゃそうだ。彼女が俺を好きじゃなくなったのだから。
 そして、俺の中に残ったのは……。

「この辺でいいですか?」

 運転手さんの言葉に彼女が答える。俺はお金を払って彼女と一緒に降りた。

「あの、もう大丈夫ですから。お金は必ずお返しします」
「うん。部屋まで送る」

 手は嫌がられると思ったから腕を引いた。ひょこひょこと歩く彼女に合わせて、ゆっくりと。
 二階に上がって彼女の部屋の前でバッグから鍵を取り出し開けるのを黙って見守る。静かな住宅街の中のアパート。周りから微かな生活音がする。

「ありがとうございました」
「待って」

 深く頭を下げた後ドアを閉めようとする彼女に、何でか怖くなった俺は思わず声をかけていた。怖い?何が?……きっと、もう会えなくなることが。

「今度、どっか行こう。この前のお詫びに。ちゃんとあの時のこと説明させてほしい」
「……」
「傷付けたの分かってる。でももうあんな風に傷付けるようなことしないって約束するから……」
「もう、やめてください」

 分かっているのだ。もう何を言っても彼女の心には届かないって。俺何でこんな必死になってんだろって思うし。でもきっと、ここで引いたらもう会えない。他人になってしまう。彼女が必死で作ってくれた繋がりが、なくなってしまう。

「傷付けたくないなら関わらないでほしいんです」
「……っ」

 心にグサッと来た。そりゃそうだよな。俺、傷付けることしかしてない。
 また恋愛で傷付くのが怖くて、年齢を理由に彼女の気持ちから逃げ続けて。
 好きじゃない?……本当は、自分の気持ちを抑えつけることでそう思い込もうとしていただけなのに。
 今更だ。分かってる。もう彼女は俺を見てもくれない。でも、もう会えないなんて、嫌だ。

「俺のこと嫌いになった?」
「……っ」
「でもごめん。俺はもう会えないなんて勘弁」

 やっと彼女が俺を見た。うっすらと目に張っていた膜がみるみるうちに溜まっていく。ああ、また泣かせてしまった。でも彼女の気持ちが揺れるのが嬉しいなんて、俺は相当酷い奴らしい。

「年齢とかそんなくだらねーことで悩んでた。でももう飛び越えた」
「……」
「飛び越えさせたの、あんただから」

 もう女なんて信じるか。そんな悲劇のヒーローみたいな気持ちになった別れからたった3ヶ月。全部飛び越えて、欲しいと思わせたの、あんたなんだ。だから。

「今度は俺が追いかける」

 あんたが作ってくれた繋がりを、積み上げてくれたものを、今度は俺が作って行こう。誰にも取られたくない。渡したくない。そう思ってしまうほどハマってしまったのだから。

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