大切なこと

 最近翔さんの様子がおかしい。と、言うのも。

「すずちゃんおやすみ」

 そう言ってすぐに眠ってしまう。前は毎日のように体を重ねていたのに、2週間も。いい加減不安で押し潰されそうになってきた。

***

「翔さん、私のこと好きじゃなくなったんですかね……」

 バイト終わり、ぽろっと不安を口にした私に悠介さんは目を瞬かせた。そして。

「ないに決まってんだろ。それは絶対ない。何で?何かあった?」
「実は……」
「ん?」
「に、2週間くらい、その、求められてなくて……」

 少し恥ずかしくて語尾に行くほど声が小さくなってしまった。悠介さんは特に気にする様子もなく「あぁ、」と納得して。

「アイツさ、何か考えてるように見せかけて実は何も考えてねぇから。多分しょうもない理由だよ」
「ほ、他に好きな人ができたとか……」
「ないない。あんま考えすぎんな」

 悠介さんはそう言ってくれたけれど。私の不安は最悪の形で的中することになる。

「すずちゃんごめん、今日は自分の家に帰ってくれる?」
「え……」
「用事あるんだ」

 翔さんはふわりと笑って行ってしまう。ああ、送ってもくれないんだ。これで何もないなんて、思えない。翔さん、私のこと好きじゃなくなっちゃった?私は思わず、翔さんの後を尾けていた。
 翔さんはコンビニに入って行った。深夜のコンビニに人は少なく、翔さんが本を読んでいた美女に話しかけたのがよく見えた。翔さんの顔は見えないけれど美女さんはとても嬉しそうな顔をしていて、翔さんのことが好きだというのがよく分かる。これってもしかして、浮気現場?頭が働かなくて心臓が痛い。
 二人はコンビニを出て夜の闇に消えていった。私はしばらくその場に立ち尽くしていて、けれど無意識のうちに自分の家に帰っていた。
 あの後二人はどこへ行ったのだろう。翔さんの家?それとも……。色々考えたまま眠れない夜を過ごし、寝不足のまま大学に行った。

「なんかお前顔怖い」

 大学で会った滝沢にドン引きされた。まぁ確かに、クマも化粧で隠せなかったし怖いだろうね。でもそんなにドン引きしなくても。

「目据わってる」
「そうかな、普通だよ」
「翔さんと何かあったのか」
「……」

 沈黙は肯定。でも滝沢には頼れない。鈍感な私にも分かる。これは滝沢に頼っちゃいけない悩みだって。

「恋愛って難しいね」
「……。まぁ、そうだな」

 私は一生、こうやって不安になって眠れない夜を過ごしたりするのかな。誰と恋愛しても、心変わりを心配したり他の人に取られるかもしれないって不安はあるのだと思う。翔さんに限ったことじゃない。でも未だに、こんなに綺麗な人がどうして私を好きなのだろうと思ったり、まさかこれは夢なんかじゃないかと思ったりするから。こんなに心が揺れ動くのは翔さんだけだ。

「悩むのはさ」
「え?」
「お前が翔さんのこと好きだからだろ」
「……」
「当たり前のこと忘れんな」
「……うん」
「多分翔さんもさ、実はお前のこと考えすぎて寝れてなかったりすんじゃね」

 頭をぐしゃりと撫でた乱暴な滝沢の手の温度が優しすぎて泣きそうになった。

「今日バイト行くの?」
「うーん、どうしようかな……」
「行こうぜ。翔さんに会ったら不安も……あ」

 滝沢が校門のほうを見て立ち止まる。周りの人も同じ方向を見て色めき立っていて。見なくても何となく理由は分かった。恐る恐るそっちを見ると、やっぱり。翔さんが立っていて、女の子に話しかけられていた。翔さんの目が不意に私を捕らえる。その瞬間、甘く微笑まれて。滝沢にそっと背中を押された。

「すずちゃん、おかえり」

 翔さんが手を伸ばす。その瞬間、昨夜の光景が頭に浮かんで、伸ばしかけた手を引っ込めてしまった。翔さんは不思議そうに私を見ていて。どうしよう。翔さんの考えていることが分からない。

「……すずちゃん、会いたかった」

 切なげにそう言われ、泣きそうになる。私だって、会いたかった。一人でなんてもう眠ることもできない。でも昨日、翔さんはあの人とどこへ行っていたの?一人じゃなかったでしょ?

「っ、わたし、」
「ちょっと来て」

 翔さんは私の手を強引に引くと速足で歩き出した。私は泣きそうなまま翔さんに連れて行かれるしかなかった。

「んっ、翔さ、」

 連れて来られたのは翔さんの家で、部屋に入って玄関が閉まる前に唇を強引に奪われた。腰をしっかりと抱かれ逃げられないように固定されて、されるがまま。目の端から涙がポロリと零れて、私は弱い力で翔さんの胸を押した。

「……嫌だ」
「え……」
「俺を拒絶しないで」

 翔さんの透き通るような瞳が揺れた次の瞬間。抱き上げられて視界が反転した。

***

 異変に気付いたのは二週間前のことだ。また壁に穴が空いている。すずちゃんの体を隠すようにぎゅっと抱き締めると背中に回る小さな手。苛々した心が簡単に癒される。俺ってかなり簡単な男だ。

「翔さん、すき」
「うん、俺も」

 可愛いすずちゃんに触れている時だけ嫌なことも全部忘れられる。そんな時間を邪魔されるのは、我慢ならない。すずちゃんの体を綺麗にして抱き締めて。すずちゃんが眠った後、俺は一人起き上がった。そして隣の部屋へ向かう。インターホンを鳴らすと、夜中にも関わらず隣人はすぐに玄関を開けた。

「こんばんは」
「っ、私に会いに来てくれたのね……」

 感極まったように抱き付いてくる彼女をそっと制して、俺は微笑んだまま彼女に言った。

「穴、閉じて。動画も消して」

 別に俺だけならいいよ。どうせ一人なら寝室で寝るだけだし。それに見られることだって慣れてる。でもすずちゃんは違う。すずちゃんを傷付けるようなことは俺が排除しないとね。彼女は一瞬顔を歪めて、けれどすぐに笑った。

「あの子と別れて私と付き合ってくれたら全部あなたの言う通りにする」

 面倒だな、としか思わなかった。もし本当に彼女の言う通りにしたとしても、俺はずっとすずちゃんのことが好きなのに。そんなやり方で手に入れても、空しくなるだけだ。そう思ったけれど、確実に彼女の息の根を止めるには準備が必要だ。

「……いいよ。でもいきなり別れるって言っても納得してくれないからさ、ちょっとだけ待ってて」

 彼女は嬉しそうに笑った。
 それから俺は彼女に別れる意志があることを信じさせるためにすずちゃんを抱かないようにした。すずちゃんが隣にいるのに触れられないのは地獄だったけれど、彼女の目は完全に狂っていて、説得の余地もないと思ったから。
 そして、我慢すること二週間。すずちゃんを自分の家に帰して、俺は彼女とコンビニで待ち合わせした。

「君の部屋に行きたい」

 そう甘く微笑めば彼女は簡単に俺を部屋に入れてくれた。この二週間、すずちゃんに触れていなかったことで俺が彼女と付き合うと信じ込んでいるらしい。彼女が手料理を準備するとキッチンに行っている隙にパソコン、携帯、ほぼ全ての動画を削除した。証拠のために一つだけ残して。パスワードが全て俺の誕生日だったから簡単だった。ほんと、こういう子って情報をどこで仕入れてくるのかな。
 俺の寝室の隣の部屋には俺の写真がたくさん飾ってあった。隣にいるすずちゃんの顔はハサミで切ってある。どうしてあんなに可愛いすずちゃんを切っちゃうのかなぁ。そういえばすずちゃんが洗濯して干したはずの俺の下着や服がよくなくなるって言ってたけどここにあったのか。ま、何となく予想はついてたけど。
 穴を確認して、警察を呼ぶ。その数分後、彼女が俺を呼びに来た。リビングに行くと確かに自慢できるほどの手料理が並んでいて、綺麗だし料理もできるのに何で俺なんかに執着するのかなぁと思った。

「翔くんのために作ったの」
「うん、ありがとう。でもごめん、俺お腹空いてないんだ。……それに媚薬でも入ってたら困るし」
「……っ、いいじゃない。だって今から私を抱いてくれるんでしょ?」
「うーん、ごめん、無理。俺やっぱりすずちゃんしか抱けない。だって全然君を抱きたいと思えない」

 微笑むと、彼女は激高して俺に襲い掛かってきた。でもこういう時のために体は鍛えてあるんだよね。彼女の体を上から押さえ付けて耳元で囁く。

「……騙してごめんね。でもお互いさまだよね。俺すっごく嫌な思いしたから」
「……っ」
「君がすずちゃんを傷付ける前にこうなってよかったと思ってよ。だってもしそうなってたら多分俺……この首、折ってたから」

 頭を押さえ付ける手に少し力を込めたら、彼女は引き攣った悲鳴を上げて大人しくなった。

***

 すずちゃんの中は相変わらず気持ちよくて、泣きながら俺を受け入れるすずちゃんにやっぱりこの子以外愛せないと強く思う。どんな顔してても可愛いなんて反則。

「君は俺が守るからね」

 だからすずちゃんは安心して俺のそばにいて。キスを拒絶されるから無理やり唇を奪う。すずちゃんは俺の胸を弱い力で押した。

「っ、やだ、」
「どうして?」
「だって、昨日……」
「え?」
「他の人と、いた……」

 すずちゃんの目から大粒の涙が零れる。まさか見られているとは。でも嫌われたわけじゃないみたいで安心する。俺がすずちゃん以外の女の子を好きになるわけないのに。


「……うん、不安にさせてごめん。昨日一緒にいたのはね、ストーカー。ちょっと面倒な子だったけどもう大丈夫だよ。警察に連れて行かれたから」
「……え……」
「二週間、その子を油断させるためにすずちゃんを抱けなかった。ほんと、地獄だった」

 隣で眠るすずちゃんの寝顔を見て、何度も空しい気持ちになった。家以外でなら触れられたかもしれないけれど、どこで見られているか分からなかったし。こうやってすずちゃんを抱けるのが、本当に幸せ。

「俺にはすずちゃんだけだよ」

 おずおずと俺の頬に手を伸ばして、引き寄せてくれるすずちゃんに。俺は緩む頬を抑えられなくて笑った。俺が守るからね。どんな手を使っても。可愛いすずちゃんを抱き締めながら、俺はそんな決意を改めてしていた。

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