優しい愛情

 春休みのある日。香穂とショッピングの約束をしていた。待ち合わせ場所に現れた香穂は何故かニヤニヤしていた。どうしたんだろう。そう思ったけれど、歩き出した香穂について歩く。

「すずー、行こう」
「うん」

 冬が終わったけれど、まだ少しだけ寒い。4月になったらまた新しいバイト探そう。そんなことを考えながら、香穂と歩いた。
 翔さんと会わなくなって一ヶ月。もう翔さんからの連絡はない。心は穏やかで、またいい人がいたら恋を出来たらなぁ、と思ったりもしている。翔さんのことはまだまだ忘れられないけれど、人生には恋だけじゃないんだ。

「今日どこ行く?」
「んー、ちょっと行きたいお店あるからついてきて」

 不思議に思いながらも、私はただ香穂についていった。けれど、見覚えのある路地に入っていく香穂に、私は固まってしまう。 Cafe fleurの近くに、お店なんてあったかな。そう思いながら恐る恐るついていく。
 暖かい日差しが降り注いでいるのに手足が急速に冷えていく。どうしよう、いや、会わないよね。大丈夫。大丈夫。

「……っ」
「あ……」

 お店の前に座り込んでぼんやりしていた翔さんが、私を見て弾かれたように立ち上がった。相変わらず綺麗な人。もう私には関係ないけど。

「香穂、行こ」
「私が行きたかったお店、ここなの」
「え……」
「ちゃんと話すべきだよ。バイトやめるってことも、ちゃんと言ってないんでしょ?」
「……っ」

 お店から滝沢が出てきた。そして、私を見て「遅ぇよ」と言う。

「智輝、これ……」
「いい加減きのこ生やすのやめてください。いい加減、ちゃんとご飯食べてください」
「……」
「吹っ切るためにも、ちゃんと話すべきです」

 翔さんは滝沢の言葉に苦笑いして、私を見た。香穂が私の背中を押す。

「……おいで」

 翔さんがそう言ったから、私はゆっくりとお店に足を踏み入れた。

「アップルティー飲む?」

 二人きりの店内。頷くと翔さんはカウンターに立ってアップルティーの準備をしてくれた。

「……智輝に呼ばれたんだ。今日休みなんだけど。何だろうと思ったら、香穂ちゃんと相談して俺たちを会わせてくれたんだね」

 そういうことか。香穂の様子がおかしかったことにも、突然ここに連れて来られたことにも納得する。
 翔さんの広い背中を見るのは久しぶりだ。襟足で短く切り揃えられたプラチナブロンドの髪が光る。

「……どうぞ」

 振り向いた翔さんが、アップルティーを差し出す。その匂いに混じって、私があげた香水の匂いがした気がした。……気のせいだよね。

「……あの、何も言わずにやめちゃってすみませんでした」
「……うん」
「ちゃんと会って話すべきだとか、電話だけでも、と思ってたんですけど。勇気がなくて……ごめんなさい」

 翔さんは言葉を選ぶように困惑した顔をしている。翔さんにはどうでもいいことだったかな、と苦笑いして、私はアップルティーを飲んだ。

「美味しい……」
「すずちゃん、結婚しよう」
「……は?」
「俺、色々考えたけどやっぱり、俺たち結婚しよう」

 全然翔さんの言葉の意味が分からない。え、え、とパニックに陥る私の手を翔さんの綺麗な手が握る。翔さんに触れられる度、どうしてこの人は体の隅々に至るまでこんなに完璧なんだろうと思った。

「すずちゃんが俺のこともう好きじゃないなら、離れるべきだって思った。解放してあげるべきだって。でも、嫌だ。俺は君がいないとご飯もちゃんと食べられない。きのこも生やしちゃう。きのこなんて生えたら、更にすずちゃんに嫌われちゃうよね」
「か、翔さん、少し落ち着いて……」
「無理だよ。すずちゃんを目の前にしたら、冷静でなんていられない。俺はすずちゃんが俺を好きじゃなくても、すずちゃんと一緒にいたい。すずちゃんと結婚したいし子どもも作りたい」
「あ、あの、」
「俺はもう、すずちゃん以外の女の子好きになれないよ……」

 嬉しいって。信じたいって心が叫んでる。こんな風に感情を剥き出しにして必死で言葉を紡ぐ翔さんを愛しいと思ってしまう。

「っ、で、でも、関係ないって……」
「もしかして美花に言ったこと?」

 気持ちを持って行かれないように必死で反抗すると、翔さんは悲しそうな顔で話し始めた。美花さんについて、私が彼女だと知られると嫌なことをされると思ったこと、美花さんとお兄さんの問題に私を巻き込みたくないから関係ないと言ったこと。あの日言っていた話は、そのことをちゃんと説明しようと思っていたこと。
 前に悠介さんに言われた。私はネガティブで、自分が傷つかないように全部自分の中で完結させてしまうと。もし私がちゃんと話を聞いていたら、翔さんを傷つけることもなかったのではないか。そう思うと申し訳なくて、涙が溢れた。

「っ、わたし、勝手に思い込んで……、ごめんなさい……」
「すずちゃん」
「ちゃんと、話聞いてれば……」
「すずちゃん、いいよ。俺はすずちゃんのことを愛してるから君の全てを受け入れるし許す」
「……っ」
「だから、俺から離れないで。すずちゃんは俺の隣にいてくれるだけでいい」

 カウンター越しに伸びてきた手が頬を滑る。指先まで熱くなっていて、私は目を閉じた。

「これ、またつけてくれる?」

 翔さんがポケットから取り出したのは、私が返したアクセサリーだった。頷くと、彼はカウンターから出てきて私の隣に来る。そして、ぎゅうっと抱き締めた。

「……愛してる、すずちゃん」
「っ、」
「絶対に他の女の子によそ見したりしないから。安心して俺のそばにいてね」

 久しぶりに触れた唇は、相変わらず柔らかい。優しいキス。翔さんからは私があげた香水の香り。左手の薬指に感じた指輪の感触は、前みたいに締め付けるようなものじゃない。しっとりと私の肌に吸い付く、翔さんの優しい愛情のようだった。

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