初めての感情

 高校生の頃、俺をまっすぐに好きになってくれた子がいた。他の子のことなど気にせず、俺だけを見てくれる子。とてもいい子だった。優しい子で、何より俺のことを優先してくれた。この子なら心から好きになれるかもしれないと思った。
 女の子は好きだ。柔らかいしいい匂いがする。でも、俺を勝手に好きになって最低と罵ってすぐに離れていった。好きと言ってと言われたから言った。キスしてと言われたからした。抱いてと言われたから抱いた。言う通りにしていたのにすぐに離れていった。
 結局、彼女もそうだった。一緒にいて、彼女の笑顔を見ると嬉しくなった。その気持ちは本当だったのに。彼女は俺に言った。

『翔くんは、自分から私と一緒にいたいと思ったことないよね』

 と。確かにそうだったから何も言えなかった。求められるがままに生きてきて、俺は誰かを求めるという気持ちも知らなかった。
 後から聞いた話によると、美花が彼女に嫌がらせをしていたらしい。確かに美花は美人だし、自由で自立した女性でとても魅力的だ。兄貴に悲しい思いをさせられているから、罪悪感もあって美花を突き放せない部分もある。美花は何でも言うことを聞く俺を所有物のように思っていて、俺に近付く女の子に悉く嫌がらせをした。面倒だと思った。でも、美花は俺を必要としてくれた。泣きながら俺にそばにいてと言ってくれた。それに救われていた馬鹿な俺は、拒むことなくズルズルと美花のそばにいた。もちろん、美花は兄貴のことが好きだから体の関係などない。俺も美花のことは本当の姉のように思っていて、そんなことをしたいとは思わなかった。
 と言うより、自分からキスをしたいと女の子に思ったことがない。抱きたいと思ったことも。求められれば体は反応する。でも心だけは遠いどこかに置き忘れたかのようについてこない。俺は、誰かを心の底から求めたことがなかった。
 そんなある日、すずちゃんに出会った。とても可愛い子だ。小さくて小動物のようで、妹が出来たようで嬉しかった。
 すずちゃんは色々な顔を持っていた。頑張り屋さんで一生懸命で、笑うと花が咲いたように周りが明るくなって、かと思うと智輝に強気に言い返したり。面白い子だな、そう思った。
 すずちゃんがお店で嫌がらせされているのは分かっていた。今までのバイトの子にもあったこと。俺が何か言うと、お店だけでなく俺の知らないところで何かされるかもしれない。そう思って見守っていたけれど、すずちゃんは俺に何も言わなかった。今までの子はすぐに「嫌がらせされてるのであの客追い出してください」と言ったのに。すずちゃんは一人で耐えているようだった。その姿が一生懸命でいじらしくて、すずちゃんを守りたいと思った。
 そして、彼女は客に向かって言った。俺のファンだと。本当に可愛いと思った。こんなに可愛い子がこの世界にいるのかと。キスしたいと思った。この子が俺の腕の中でどんな顔をするのか、見てみたいと思った。俺は初めて、女の子に欲情した。
 初めて抱えた思いを処理する方法など知らない。キスしたいと思ったからした。抱きたいと思ったから抱いた。好きだと思ったから好きだと言った。でもすずちゃんは俺に振り向いてくれなかった。俺が触れると真っ赤な顔をするのに、キスするともっとしてほしいと潤んだ瞳を見せるのに。簡単に逃げようとした。俺の腕の中にいるのに絶対に触れられない空気のようだと思っていた。
 初めてすずちゃんに好きだと言われた日。俺はこれが幸せなのかと思った。すずちゃんに出会って初めて恋は苦しいものだと知った。何度捕まえたと思っても、すずちゃんは簡単に離れていく。今まで俺を最低と罵った女の子たちはもしかしてこんな気持ちだったのではないかとようやく気付いた。
 そしてまた、こんな状況。美花について話しておきたいと思った。すずちゃんが彼女だとバレたらきっと美花がすずちゃんに嫉妬して酷いことをされる。美花が日本にいるのは少し、すぐに兄貴のいる外国に戻る。美花がいる間は二人の関係を隠しておいたほうがいい。そう言おうとしても、すずちゃんは逃げた。智輝と一緒に店を出て行くすずちゃんを見て、嫉妬で気が狂いそうだった。持っていた皿が手から滑り落ちて、ガシャンと割れた。そのまま全部壊したい気分。

「お前さぁ、そんなに気になるならちゃんと言えば」

 悠介の呆れた声に俺は自嘲気味に笑った。
 それからすずちゃんがバイトに来なくなった。この前も喧嘩をした後、バイトに来なくなったから。きっと俺と会うのを怖がっているんだろうなと思う。そう思うんだけど、このまま二度と会えなくなるんじゃないかって不安もあって。電話を何度しても電源が入っていなかった。家に行っても留守だった。どこにいるんだろう。今何をしているんだろう。気になって眠れなくて、ご飯も喉を通らない。……ああ、それは前からか。悠介が怒って俺に無理やり何かを食べさせた。何かは分からない。味も感触も何も感じなかったから。
 ある日、開店前に色々準備をしていたら智輝が来た。こんな時間にどうした?と聞けば、智輝は気まずそうに袋を差し出した。何だろう、そう思いながら開けて固まる。

「……アイツ、体調崩してたみたいで」
「えっ」
「やっと大学に来たと思ったらこれ渡されました」

 袋の中に入っていたのは、すずちゃんの制服だった。そして、その下に。俺が誕生日プレゼントで渡したアクセサリー。すずちゃんが俺を拒絶したということだとすぐに分かった。でも頭が混乱してそれ以上考えられない。すずちゃんが離れていってしまった。俺の前から、消えてしまう。
 空気や水。そんなんじゃない。すずちゃんはまるで花火のように、俺の心を焦がすだけ焦がして余韻もなく消えてしまった。

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