溺れる

 パチッと目を開けると、目の前に翔さんの綺麗な顔があった。昨日と違うのは、翔さんの目がバッチリ開いていたところだ。

「……おはよ」
「おはよ、ございます」

 少し赤くなって返すと、翔さんは嬉しそうに笑って私を抱き寄せた。翔さんの素肌が目の前にあって、私はまた目を逸らす。でもこれは恥ずかしいからだ。逃げたいからじゃない。

「今、何時ですか……?」
「んー、5時くらい?」
「ま、まさかずっと起きてたんですか?」
「うん、だって起きたらまたすずちゃんがいなかったら嫌だから」

 もう、逃げないですってば。そう言いたかったけれど、言えなかった。翔さんの甘い唇に言葉は全て呑み込まれた。

「すずちゃん、好きだよ」
「……はい」
「すずちゃんが俺のものになってくれて、本当に嬉しい」

 翔さんの腕に抱き着いた。服を着ていると細く見えるのに、触れると固くて筋肉質で。本当に、こんなに綺麗な人がどうして私を好きになってしまったのか謎だ。でも、本当に分からないけれど、翔さんは私を好きらしい。だから信じてみたいと思う。きっと不安になることも沢山あるだろうけど。翔さんのことを信じられるよう、頑張ってみよう。だって、どう足掻いても私は翔さんのことが好きだから。

「……好きです」

 声に出す度に気持ちが大きくなっていく気がする。私は自分の中ではもう抑えきれないほどの気持ちを何度も口にした。その度翔さんが嬉しそうに笑うから、また言った。
 翔さんは、ずっと私と一緒にいたいと言った。それはこの先ずっと、という意味なのかと思っていたけれど、そういう意味もあるのかもしれない、でも違った。大学に行くと言えば、送ると言った。翔さんと一緒に歩くのは目立つから少し恥ずかしいけれど、手を繋いで歩くのはやっぱり嬉しかった。翔さんは心の底から私といることを喜んでくれているようだった。いつもの営業スマイルと違い、心からの笑顔を見せてくれている気がする。それがやっぱり嬉しくて、私も笑う。恋愛経験ほぼ0の私に翔さんはレベルが高すぎるのではないかと思ったけれど、翔さんは優しかった。いつだって私を大切にしてくれた。

「最近何か幸せそうだねー」

 香穂がからかうように言ってきた。実は大学の中で、翔さんは既に有名になっている。毎日私を送ってくれるからだ。その影響で私も噂の的になっていて、やっぱり少し恥ずかしい。

「し、幸せ、なのかな……」

 幸せ、なのかもしれない。バイトが終わると毎日翔さんの部屋に行ってお風呂に一緒に入る。そしてベッドに行って、息も出来ないほどの愛に溺れる。優しくて気持ちいい。でも、翔さんはまるで心も体も支配しようとしているようにも思える。私を毎日ドロドロに溶かして、何も考えられなくして、離れられないように。やっぱり翔さんとの関係は、底なし沼のようだと思った。
 しばらくそんな生活を続けていると、翔さんに用事がある夜は寂しくてなかなか寝付けない。今日は悠介さんも含めた高校からの友達数人で飲みに行くらしく、閉店後悠介さんに引きずられるように連れて行かれた。

「すずちゃんも連れてっちゃダメ?」
「ああ?」

 滝沢とメグさんが帰った後、翔さんは子犬のような目で悠介さんを見た。私を抱き締めながら。人前でこんなことをされるのは恥ずかしいはずなのに、翔さんに影響されているからか恥ずかしいとは思わなかった。

「いや別にすずちゃんがいいならいいけど……男ばっかだぞ?」
「勝手に俺のすずちゃんを名前で呼ばないで」
「めんどくせーなお前ぇ」

 げんなりしている悠介さんに苦笑いして、「来るよね?」と微笑む翔さんに向き直る。

「あ……今日は帰ります。邪魔したくないので」
「すずちゃんが邪魔なわけないでしょ?」

 ちょっと悲しそうな顔をする翔さんに心が揺れる。でもやっぱりお友達の中に入るのは申し訳ないと思ったからお断りした。 二人で私の家まで送ってくれたのだけれど、私たちが手を繋いでいるのも悠介さんは全く気にしていなかった。ただ、「よくそんなにベタベタしてられるな」と呆れたようには言われた。

「悠介は淡白だからね」
「その言い方やめろ。お前みたいな整いすぎた顔は見れば見るほど飽きるんだからな。早く飽きられろ」
「最近彼女と別れたから悠介羨ましいんだよ。すずちゃん、見苦しいところ見せてごめんね」
「ふざけんな顔だけ男」
「失礼だなぁ、悠介もそうでしょ」

 二人は普通の会話をするように軽く罵り合っている。でも仲が悪いわけではなくて、むしろとてもいい。面白いなぁと思っていたら、私の家に着いた。

「悠介さんまで付き合わせてすみません。送ってくださってありがとうございます」
「おー。コイツがウザくなってきたら相談に乗るからな」
「悠介、ちょっとあっち向いてて」
「チッ、早くしろよ」

 悠介さんが向こうを向いたので不思議に思っていると、次の瞬間翔さんに抱き寄せられてキスされた。 触れるだけのキスじゃなく、遠慮なく舌が絡まってくる。こんなキスをされると私はいつも蕩けて膝が立たなくなるから、必死で翔さんにしがみついた。

「んっ……」

 甘い声が漏れて、恥ずかしくてぎゅっと目を瞑る。悠介さんがすぐそこにいるのに。翔さんが解放してくれた時にはもう、はしたなく息を乱していた。

「すずちゃん、会いに来るね」

 そう言って、二人は行ってしまった。久しぶりの自分の部屋。自分のベッド。ついこの前まで当たり前だったものが冷たく感じて怖くなる。私はこのまま翔さんに溺れていくのかなって……。でも、ここから出る方法も分からないから。何度も寝返りを打って、早く朝が来てほしいと思った。
 こんなに夜が長いと思ったのは初めてで、何度も翔さんの連絡先を開いた。でももちろん連絡なんて出来ない。意味もなくアプリを開いたりして、何となく携帯を触っていた。明日はお店が休みの日だ。だから今日飲み会をしてるんだろうけど。でも平日だから他の人は仕事なんじゃ……。特に悠介さんは先生なのに大丈夫なのかな。うーん……。
 明日は授業が4限と5限にある。それまでは眠れるから助かった。時刻は深夜3時を指す。そろそろ携帯を見るのをやめて目を瞑ろう。そうしたらきっと眠くなって……
 その時だった。携帯がブルブルと震え、着信を知らせたのは。 驚いて、でも嬉しくて。私はすぐに電話に出た。

「も、もしもし!」

 連絡を待ってたとか、寂しかったとか、取り繕う余裕もなかった。電話の向こうから聞こえる静かな声が愛しくて。訳もなく泣きそうになる。

『……ごめん、寝てた?』
「っ、いえ、寝れなくて……」
『俺も、一回帰ったんだ。でも寝れそうになくて……』
「翔さん」
『すずちゃん』

 言葉が重なる。きっと、同じことを思っている。

「会いたい……」
『うん……開けて』

 ピンポン、とインターホンが鳴る。私は誰かも確認せずドアを開けた。そしてそのまま、腕の中に飛び込む。

「夜中に家行くなよって悠介に言われたけど……いいよね。すずちゃんが喜んでくれたから」

 ブンブンと首を縦に振る。少し冷たい翔さんの服が、熱くなった頬を冷やしてちょうどいい。 家の中に入って、すぐにベッドに潜り込んだ。アルコールの匂いがする翔さんは、少し酔っ払っているようだ。

「すずちゃんは温かくていい匂いがするね……」

 私を後ろから抱き締めながら、クンクンとうなじの匂いを嗅いでくる。くすぐったくて恥ずかしくて身を捩ると、その度に私を抱き締める翔さんの腕の力も強くなって。

「好きだよすずちゃん」

 冷たかった翔さんが、私の体温で温まっていくのが嬉しくて。きゅっと腕に抱き付けば、翔さんは少し起き上がってシーツを頭まで被せた。まるで世界に二人だけになったような、感覚。身体中に降ってくるキスに、私は熱い吐息を漏らした。

「泣かないで、すずちゃん」

 知らない内に涙が溢れていた。その涙を長い指で拭って、頬にキスを落とす。こんなに近くにいて、一つになって。幸せなはずなのに、怖くなる。

「……捨てないで」
「ん?」
「好きになりすぎて、怖い……」

 こんな重いこと言ったら、翔さんは嫌がるんじゃないだろうか。飄々としていて掴み所がなくて。刹那的に生きている、そんな印象は今でもある。そんな彼を縛り付けるようなこと、言っちゃダメだ。そう、思ったのに。

「……すずちゃん、俺はね」

 ふっと翔さんは目の前で嬉しそうに笑う。その顔があまりに綺麗で見惚れてしまう。

「すずちゃんのこと、誰も知らないところに閉じ込めて俺だけが愛してずっとこうして抱いてたいって思ってるよ」

 熱い身体。暗闇の中で、翔さんの甘い声しか聞こえない。

「怖いでしょ?でも、本当なんだ」
「翔さん……」
「もっと溺れていいんだよ。もっともっと俺に夢中になっていいんだよ。その分愛してあげるからね」
「っ、うぅ……」
「好きすぎて苦しいなんて、すずちゃんに出会って初めて知った」

 涙が止まらない。優しい唇が何度も降ってくる。どうにか応えたくて首に腕を回す。……このまま、溺れてしまったら。私はどうなるだろう。怖いし、不安だ。でも、もう戻れないから。後は、堕ちるところまで堕ちるだけ。

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