唯香の青ざめた顔が頭から離れない。
「最近あの子来てないみたいね」
彼女が俺の部屋に入った途端、そう言った。確かに最近唯香は来ていない。ずん、と心が重くなるのを感じた。
思えば今まで何人かと付き合ったけれど、何故かみんな唯香の存在を嫌がった。唯香は美晴と変わらない、妹みたいな存在なのに。
今の彼女だってそうだ。唯香と直接喋ったわけでもないのに、とても嫌がる。あの子をこの部屋に入れないで、あの子に構うのをやめて。ヒステリックに叫ばれるのが面倒だった。
唯香と会わないつもりはなかった。別に彼女に会わない時は普通に家に来ればいいと思うし、一緒に出掛けたっていい。どうせこの子ともいつか別れる。
「なんでそんな嫌がる?」
素朴な疑問。唯香はいい子だ。昔から知ってるし、とても可愛い。美晴とは仲良くできるくせになんで唯香は……
「女だから」
ほんと鈍感、と吐き捨てるように言われた。嫌悪感が走った。その彼女と別れたのはそれからすぐだった。別れたくないと泣かれても何も思えなかった。冷めた?……いや、違う。はじめから執着がなかった。
「最近唯香来ないな」
リビングで呟けば、近くに座っていた響が不思議そうに俺を見た。
「昨日来たけど」
「えっ」
昨日?いつ?まさか俺のいないうちに?
「何しに来た?」
「何しにって別に……、いつも通り来て俺の部屋で漫画読んで帰った」
「お前の部屋?なんで?」
「?知らないけど」
「最近来てなかったよな?昨日久しぶりに来たよな?」
「?何をそんなに必死なのかは知らないけど、ほぼ毎日来てるよ」
まさか避けられてる?あの日のことが原因で?サーっと血の気が引く。
いやいや、でもすぐまた元に戻る、きっと。唯香は妹みたいなものだし。大丈夫。二度と会えないなんて、そんなこと絶対ない。大丈夫。
自分に言い聞かせること数年。とうとう唯香は一度も俺に会いに来なかった。
「じゃあ兄貴、元気でな」
「おう」
就職のため地元を離れる日。家族が見送りしてくれる。……当然、その中に唯香の姿はない。唯香の姉の寧々ちゃんの姿はあるのに。
寧々ちゃんを見ていると、寧々ちゃんは察したように口を開いた。
「ごめんね、唯香今日用事あるみたいで」
「……うん、そっか」
とうとうあの日から一度も会えないまま。何度か姿は見かけた。でも声をかけることはできなかった。嫌われたのだろう。当然だ。俺から遠ざけたようなものだ。
元気ならいい。唯香は可愛い妹だから。
「デートだろ」
「えっ。さぁ、どうかな……」
日向の言葉に寧々ちゃんが苦笑する。
デート、か。そう言えば前に見たことがある。男と手を繋いで歩くのを。胸の奥がチリチリと焼ける。俺には会いに来なかったのに、一度も。もう会えなくなるのに、今日だって見送りにすら来てくれない。
「……行くわ」
この体を大きな石で潰されるような感覚はなんだろう。当時の俺は全く気付いていなかった。
***
「……スくん、ヤスくん」
ハッと目を開けると目の前に唯香がいた。心配そうな顔をしている。
「大丈夫?怖い夢見た?うなされてたよ」
怖い夢……、怖い、夢。
「唯香が離れて行く夢見た」
俺はいつだって、唯香を傷付けてばかりだった。あの日も、再会してからも。唯香は妹だと決め付けて、全てから目を逸らして。
今なら当時の彼女に言われた言葉の意味が分かる。
『女だから』
唯香はずっと俺を想ってくれていた。そして俺にとっても何より大事な存在だった。当然、彼女よりも。心の中で思っていた。どうして唯香と会うことを彼女ごときに制限されなければならない?彼女なんていらないから唯香に会いたい。
「ダメだな俺……、かなりクズ」
「どうしたの、急に」
心配そうに顔を覗き込む唯香を抱き締める。随分遠回りをした気がする。また会えてよかった。本当に。唯香が俺を諦めないでいてくれてよかった。
「大事にする、ほんとに……」
「うん?……ふふ、そうだね。私もヤスくんを大事にするね」
唯香を愛しいと思う気持ちがどんどん膨らんでいく。子どもっぽいやきもちも、誰にも触らせたくないと思うドス黒い嫉妬も。全部全部、唯香に対してしかない感情だ。
唯香が俺の妻になる証である結婚指輪をした薬指をなぞる。唐突に昔日向に言われた言葉を思い出した。
「兄貴ってさ、誰にも執着しないんじゃなくて気付かないフリしてるだけでしょ。ほんとは誰よりもドロドロした独占欲持ってるのに」
俺は案外、重いのかもしれない。