Scheherazade
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- I'll stay with you
- Close your eyes
- Magic dawn
- Don't stop
- In my arms
- Never ending story
Hitch our love to the star.*(Xの続き)
Velvet Bed
「ジンさんのおかげだよなあ」と彼は空を仰いで言った。電気の通っていない土地、夜に見える星の数はわたしの生まれ育った島よりも遥かに多い。「海の砂を零したみたい」初めてこの夜空を見たとき、わたしの口から漏れた言葉に彼はほう、と頷いた。その日から一週間が経とうとしているが、見飽きることはない。
「何が、ジンさんのおかげなの?」
「こういう景色が見れたこととか」
カイトは視線をわたしへとずらして、それからまた星へと戻した。「とか?」他に何かあるのだろうか、と聞き返すと彼はぐっと身を屈めた。急に目の前に顔が現れたので、驚きのあまり瞬きを数回。
「お前が隣りにいること、とか」
耳元で囁かれた言葉は、これでもかってくらい甘いものだった。少し掠れたような低い声が、鼓膜から侵入してわたしを捕らえて離さない。「なに、なんかあったの」上擦ったわたしの情けない発言に、クツクツと喉を鳴らすと、カイトは背筋を伸ばしてからぽん、と手を置いた。頭から伝わる温度が心地よくて、眠気を誘う。
「いいや、別に」
「カイト、そんなこと言わないじゃない」
「たまにはいいだろう、こういうのも」
なに、なに、なんなの。例えばわたしの誕生日とか、付き合った日とか、そんな記念日でさえもそっけないカイトが。わたしの「好き」に「ああ」とかで返してくる仏頂面の男が。さらには「ねえ、わたしのこと好き?」と問えば、「まあまあだな」とか言い残して、仕事に行ってしばらく帰ってこなかったりとか! あれ、思い出したらむしゃくしゃしてきた。
「わたしのことまあまあすきって! 昔!」
頭上よりもはるかに高い位置にある彼の顔をきっと睨むと、頭から手が離れる。「言ったか?」こてん、と首を倒して悪気もなく言うのである意味呆れてしまう。ふう、溜息をついて。すう、息を吸って。
「今は?」
「今?」
「すき」
「なんだ、急に」
すき、って言ってほしいの。誰よりもあいしてる、って。かわいいね。きれいだね。お前だけだよ。そんなありきたりな台詞しか思いつかないけど、そう囁いて、抱き締めて、キスしてほしい。だって時には不安になるんだよ。カイトのお仕事が危険なことも、隣にいるわたしが一番良く知ってる。わたしは何にも出来ないから、いつか置いてかれるんじゃないかって思ったりする日もあるんだよ。
「……そうか。悪いことをしたな」
「だからさっきの嬉しかった。びっくりしたけど」
「急に昔のこと思い出してキレたのか」
「それは謝る。わたしが悪い」
そういうとこだよ、そういう。わたしの脳内どうなってんの、ってくらい唐突に思い出して。言いたいことすぐにぶちまけて、ふてくされて、困らせて、落ち込む。せっかくいい雰囲気だったのに、ぶち壊すところとか。本当に、嫌になる。
「そういうとこ、悪くはない」
「はい?」
「オレみたいなのはそれくらい言われないと気付かないんだ。だからあまり自分を責めるなよ」
それだけの言葉。だけどわたしの胸を熱くするには十分すぎるもので。ついつい頬が緩んで「ありがとう」そう伝えてみる。暗がりの中、わたしたちを照らすのは星の光だけで視界はそれほどいいものではないけれど、カイトが片手で口元を抑えて俯いた。「どうしたの?」「いや、部屋に戻ろう」唐突だなあ、と少し呆れもしたけれど、頷いて足を進める。あれ、カイト来ないんだけど。
「ねえカイト、帰らな……」
わたしの3歩、あなたの1歩。視界が真っ暗になって、振り向きかけたわたしを抱きすくめると、そのままキスを落とす。え、なに、え? 頭の中が整理できずにいる最中、角度を何度も変えながら。それからゆっくり、離れると「腰が痛い」とさすりながら、歩いて行く。
星がいっぱいに散りばめられた空、ひょろりとした彼のシルエット、穏やかな風がカイトの長い髪を揺らす光景は、どんなものよりも柔らかで美しい。そんなことを思いつつ、わたしは彼との距離を縮める。ちゃっかり手を伸ばして握ってみると、何も言わずに握り返してくれる優しさが心地よい。
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Pillow talk
この島の宿泊施設はここだけだと、初めて土地に踏み入れた時に聞いた。いつもはテントを張ったり車中泊が多かったけれど、今回はみんながいないということもあってお部屋を借りることにした。「なんだか、ハネムーンみたい」と笑うと「いつオレ達は結婚したんだ」と、真面目な顔で言われた。少しくらい自惚れたっていいじゃない。ふてくされて、ケンカをした日が遠いことのように思える。
「明日帰るんだよね」
「朝出発する。起きなかったら置いていくからな」
シャワーを浴びて出てきた彼の色気といったら、これ身体に悪影響なんじゃないの? ってくらい刺激的だったりするわけで。あんなに細いのにしっかり筋肉ついてるとことか、わたしよりも長い髪の毛から滴る雫とか。カイトといるようになってしばらく経っているのに、これは本当に慣れない。
「何か用か?」
「別に……」
「シエラ、髪まだ濡れてるな」
「ドライヤーないし、カイトはしばらく乾かないね」
カイトは肩を落として、それに答えた。電気が通っていない不便さは、ある程度我慢もできた。ろうそくの火がゆらゆら揺れるのは幻想的だとも思えたし、何より夜空の壮大さは予想を遥かに越えていた。ただ、携帯は繋がらない。これは最初のうちは堪えたけど。
「そこ、座れ」
「んー、はい」
「風邪を引かれたら困る」
ベッドに腰をかけると、ギシギシと音がしてカイトが後ろに回った。そのまま頭にタオルをかけられ、無造作にガシガシと髪の毛の水分を取る。「激しい」「そうか?」「前見えないよ、カイト」わたしがけらけらと笑うと、手が止まる。ああ、終わりか。カイトの方へと身体を反転させ、頭のタオルをとる。
「はい、次」
カイトは何も言わず、ただ頷いた。座ったままだと頭のてっぺんには届かないので、膝立で。「あ、髪の毛絞ったでしょー」「乾かないからな」「傷むんだからね。こうやって、ぽんぽんするの!」タオルで髪の毛を挟みながら、軽く叩いてやる。
「気にしてないからな」
「それでサラサラなのも腹立つ」
「そついう髪質なんだ」
初めて会った日、カイトを綺麗な人だと評した。ジンさんはそれを聞いて笑って言った「惚れたか?」わたしは首を横に振って声を上げて否定したけれど、あの時既に恋に落ちていたんだと思う。たまたまジンさんとお仕事をする機会があって、たまたまジンさんを探していたカイトに会った。そのたまたまが必然で今があると思うと、この瞬間すらも愛おしい。
「静かになって、どうした?」
「んー、幸せだなあって」
「そうか。それは良かった」
カイトの手がわたしの手に触れた。もういい、の合図だ。手を離すとカイトがタオルを掴んで「寝るか」と問う。「服、きないの?」「どうせ脱ぐしな」その言葉の意味が理解できないほど、わたしも子供ではない。……けれど、わかってるからといって恥ずかしくないわけではなくて。身体は勝手に反応し火照っているけれど。
「なに、え?」
わからないふりのほうが、女の子じゃないかって思うんだよ。カイトはそれに気付いてか気付かないでか、いとも簡単にわたしをベッドに押し倒す。
「なんだ、寝るのか? どうしたい?」
「えっと、お、お話?」
「そうか。じゃあ話をしよう」
こてん、と隣に寝転がるとカイトは癖になっているのか、わたしの頭の下に腕を置いた。それはそれですっごく嬉しい。けど、ほら、なんていうか、その。
「言った割には不服そうだが」
「そ、そんなことない!」
「なんだ、気のせいか」
わざとだ! わざと触れないで焦らすとか性格悪いよ、カイトさん。とは、口が裂けても言えないのでむにゅっと頬を抓るくらいの反撃。「おい」あ、ちょっと不機嫌。「離せ」声が低くなったので慌てて指を離す。
「怒らないでー?」
「怒ってない」
「ほんと?」
「どれだけ心狭い男だと思われてるんだ」
はあ、と溜め息。「いつも優しいよ、カイトは」わたしの言葉に照れたのか、もう片方の腕で顔を隠す。その姿も様になってるとか、自惚れなのかな。ううん、カイトはいつも格好良い。でも顔が見れないのは残念なので、腕を持ってずらすとそのままの勢いで抱き締められる。え、どうしたの急に。
「……早く寝ろ」
「明日車で寝れるもん」
「走って帰りたいのか?」
「やだ」
そんな人間離れしたことわたしがするわけない。「おやすみ、カイト」「ああ」それから少し経つと、寝息が聞こえてくる。今週もお仕事疲れたんだろうな。調査いっぱいだったし。あ、タオル巻いただけだったカイト。風邪引かないのかな。緩んだ腕からこっそり抜け出て、足元に追いやられた掛け布団を引き寄せる。
「お疲れ様」
帰ったらまたすぐお仕事だろうけど。明日の運転、わたしがしようかな。うん、そうしよ。明後日からはまた、スピン達と一緒の仕事だったっけ。それも楽しみだなあ。なんて考えてるうちに意識が遠のいた夜。
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One story One day
サイドブレーキを下げ、右足でアクセルを踏み込めば車は緩やかに発進する。左にウィンカーを出して左折、そのまましばらくは直線を走ることになる。
「疲れる前に言え。すぐ代わる」
「いいよ、気にしないで寝てて」
「寝れる気分でもないが」
カイトはいつもそうだ。わたしの運転中寝ようとしない。その優しさは心に染みる反面、申し訳ないようにも思う。わたしはすぐに寝ちゃうのになあ。
「ジンさんなんか運転してくれなかったよ。丸3日走らされた時は、さすがにキレた」
「あの人らしい……」
「疲れたからもう無事につく保証ない。って言ったらね、事故くらいでオレは死なないとかね」
なんなんだ、その理屈。いいや、屁理屈。そのままいびきをかいて寝てるジンさんを見て、あの時は本当に車突っ込んでやりたくなった。
「国境超えたら、ラジオかかる?」
「ああ。あと2時間も走れば」
「さすがにここんとこの情報ないのはね」
「そうだな」
時折ザーザーとラジオが電波を拾っては、聞き慣れない言語が聞こえてくる。「そういえば、今回の調査は?」わたしはカイトのように頼まれて仕事をしているわけではないので、内容に関しては終了してから結果のみを聞く習慣になっている。生物調査の中でも魔獣や動物系統だと通ずるものがあるけれど、昆虫はダメ。背筋に走るから。虫唾とやらが。
「お前のダメなものばかりだ」
「よし、もう止めていいよ」
「シエラの方はどうだ?」
「フラングラスから抽出したものは、そのまま使えるかも。ここのは品質がよかった。毒系統の強いものはまだ研究対象。どうしてマルリスはあれを食べても平気なんだろう?」
「ああ、ケドの実か」
「そうそう。主食がケドの実だけど、あれ触れるだけで被れるし、他の動物は木にさえ近付かない。ただ、マルリスって寿命が他のリスの仲間の……」
「30倍だと言われているな」
「毒を分解させる組織が体内にあるんだよね、きっと。それがわかったら新しい薬、作れるんだけど」
新薬開発。自然成分抽出。新薬と言ってもそれは多岐に渡る。動物のためだけのものもあれば、魔獣、ヒトとそれぞれにあった最適のものを作る。……能力なんだけれど。動物実験が嫌で仕方ないわたしに一言、「あなたのような甘い人間がハンターになりたいなんて」と溜息をついた師匠の元、切磋琢磨したあの頃はもう随時と前のような気がする。努力の甲斐あって、メディカルハンターの称号を手にしてから数年後、ジンさんに出逢ったわけで。
「懐かしい……」
「何?」
「ハンターなった時のこと思い出したの。わたしは本当に運が良かったんだと思う。運動、苦手だし」
「試験官によって毎回内容が異なるからな」
「知能指数とか運試しばっかよ、わたしの時」
カイトは笑った。「なるべくしてなったのか」わたしは「そうみたい」と大きく頷いてから、「カイトにも会うべくして出会ったの」と付け足した。彼はふう、と大きく息を吐いてから言った。「国境、越えるぞ」ああ、なんてタイミングの悪い! 門番に対する態度が少しばかり悪かったのを、後ほど注意されるハメになった。だって、門番うるさいんだもん。「へえ、こんなお嬢ちゃんもハンターになれるのか」って。悪かったわね!
「もう少し走ったら休憩するね」
先ほどよりは随分と栄えた国になった。国境を挟んでこれほど違うのも、なんだか珍しいような気がする。来た道を帰るだけだけれど、1週間も電気のない所から昼間から大きな電光掲示板がチカチカ煌めく国はまるで違うので、ある意味新鮮だ。10分程度走ると、サービスエリアの看板が見えてくる。進路を変更して、それから到着。
「お腹空いた……」
「何か食べたいものはあるか」
「甘いの」
カイトは肩を落として「まあ、いいだろう」と車から出た。わたしも慌ててそれに続く。腕に抱き着くことももちろん忘れずに。ピクッと筋が動いたのは無視しておく。嫌々ながらも、振りほどくことはしないだろうし。結論、彼は優しい。
「恥ずかしくないか」
「え、どこが?」
「……そうか。お前には年相応の恥じらいというものがないんだな」
「えっと、褒めてる? 侮辱してる?」
そんなやりとりをしつつ、これからまだまだ長い道のりを走ることも考えて、飲料や少しのお菓子を購入。「あ、トイレ行ってくる」と鍵を渡して、するり腕から離れると彼は黙ってソレを受け取り車へ向かった。トイレから出て、車に戻る途中にうっかり出くわしてしまったアイスの販売機。……あ、お財布持ってない。ライセンスしか持ってない。え、使えない。今はライセンスより小銭の方が大事なのに。くっ。
重い足取りで車へ向かう途中、運転席にカイトが座っているのが見えて「あれ?」と首を傾げつつ助手席に乗り込む。「運転す……あ!」1口齧られた形跡のあるピンク色は、わたしが食べたかったストロベリー味、果肉入りに違いない。カイトがわたしを見て笑った。それからわたしの口にアイスを持ってきて、「溢すなよ」と忠告する。慌ててコーンの部分を持つと「行くか」とサイドブレーキを下げた。
「カイトのじゃなかったの?」
「まさか。望み通りの甘いものだ。オレは1口で十分だしな」
そう簡単に、恰好良いことを恰好つけずに颯爽とやってしまうカイトが好き。車ももうわたしが運転することはないんだろうなあ。とわかってしまう。ああ、駄目だ格好良い。わたしの惚れた男はすこぶる心臓に悪い。「カイトってさ……」思わず漏れた言葉。前方を見たままのカイトが「なんだ?」と言葉だけで返してくる。
「薬だったら相当質悪いよね」
「よくわからないが、薬はシエラの専門だろう」
ああ、そうだった。「そのうち解明して、抗体も作らないとね」「抗体?」「わたし以外にハマられたら困るからね」「……冗談でも恐ろしい」そんな話をぐだぐだしながら、私たちは帰路を辿る。こんな幸せが永遠に続けばいい。窓越し、移り変わる風景をみてなんとなくそう思った。
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Conflict
しまった! と思った時には既に遅いというのが現実である。ふつふつと湧き上がる後悔と、それでもわたしは悪くないという自信。「ならもういい」カイトは、いつもより乾いた声でそう言うと踵を返す。あ、待って。そう言いたかった。それなのに出た言葉は異なる。
「カイトなんて、だいっきらい!」
見慣れた大きな背中に投げかけた。振り向いてはくれなかった。何事もなかったかのように調査の準備にとりかかる。スピンがちらり、呆れたような困ったような、そんな表情でわたしを見た。曖昧な笑顔を返しておく。「行くか」カイトの声がした。みんなの姿が森林に溶け込むのを見届けてから、わたしはテントに戻ることにした。
人がいないということは、肯定も否定もされることがないということ。大きな溜息が無意識に出た。「きらい」だと言ったことはわたしが悪い。だけど、その発端になることはどうだろう。ああ、駄目だ。謝ることを優先に考えたいのに、脳内はどっちが悪いかで埋め尽くされる。
ただでさえ調査中はカイトと顔を合わせる機会がめっきり減る。夜行性の生物が多いというのは仕方ないことだ。わたしはといえば、研究で外に出ていなかった。ハンター協会と医大薬学部に提出する論文をひたすら書いている。ふと、ペンを止める度、カイトは何をしてるのだろう。とまるで片想いのようだった。早く終わらせて顔を見たい。そんな気持ちを打ち消すように、1つ1つ丁寧に書き上げ、一通り終えた時には4日目の夕方。運が良ければ話ができるかもしれない。そうして外に出た直後、浮かれた思考がフリーズした。
「な、にしてんの?」
カイトは一瞬、罰の悪そうなそんな顔でわたしを見てから「離れてくれない」と簡潔に述べた。見知らぬ女性だった。平均よりも背が高くすらりとした後ろ姿。細い腕がカイトの首に絡まっている。何、どういうこと。
「意識が朦朧としていて、声が届かない」
「力付くでもよくない?」
「液体が……」
そう言った所で「シエラ!」と声を上げたのはスティックだった。振り向けば額から大量の汗を流しながら、バケツ一杯の水を運んでくる。「なに、なにがどうなってるの?」寝ないで論文を書き上げたということもあって、いつもより思考回路がうまくはたらかない。
「で、液体?」
「触れている部分だけ液体のような粘着性のあるものがあって、離れられない」
カイトの後ろに周りこんで少し屈んでもらうと、たしかに首もとに蜜色の粘り気のある液体が付着していた。少し顔を近付けて、ああこの甘い香りは覚えがある。そう思った。「スティック、バケツ」あわあわとしながら彼はわたしにバケツを手渡した。「まさか」その、まさかでしょうよ。ザバーンと大きな音を立ててカイトと女性が水を盛大に被る。
「ジュリクラーの蜜。主成分はベンジルアセテート。フェロモンの一種」
女性は「はい?」と数回瞬きして首を傾げた。「私、何してたの?」あわてて絡ませた腕を解くとカイトをちらり、見て顔を赤らめる。「カイト、それどこでつけてきたの? 首のとこ」水に弱いこの蜜は、すぐに分解され流れてしまう。それ故に、こんな水辺では絶対に生息しないジュリクラー。砂漠地帯の花だもの。催淫効果の高いベンジルアセテートを多量に含んだ貴重な蜜。とても高価で、そうそう手の出せる値段ではない。
「私、販売していたの。お試しで付けた量が多かったみたいね」
「薬剤師なの?」
「え?」
「それ、薬の一種なの。一般人が販売しちゃいけないやつ。EDや性傷害に処方する薬に含む成分で、薬剤師でも医療関係者でもなければ販売できない規定」
女性の血の気が引くのを見て、ああ知らなかったのか。そうは思った。けれど、メディカルハンターとしては放っておくわけにもいかない。薬は毒にもなりうる。ジュリクラーも使いすぎると副作用がある。
「わたし、メディカルハンターだからそういうの放置しとくわけにはいかない」
「し、知らなかったのよ! 売ってこいといわれて」
「それ、あれ? 麻薬だとしらなくて横流ししてました。と同じことでしょ? その人たちも見つかったら捕まるのに」
水が冷たかったせいなのか、それともわたしが怖いのか。きっと両方なんだろう。彼女の体が震えている。わたしは一息ついて、「着替え、もってる? 貸そうか?」そう尋ねた。女は首を振って、それからカイトをみた。「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」わたしが着替えを持って来る、とその場を離れて数分後「あの人は?」彼女は既にいなかった。
「見逃したの?」
「オレはあれを買ってない。持ってる分には問題ない薬だろう」
「……販売してるっていった!」
「オレは売られてない。お前もそれだけじゃあ注意換気くらいしかできない」
「元を探ることはできるの!」
「第一、ジュリクラーの成分が薬に認定されていることはオレも知らなかった。昔からジュリクラーの生息地域の人々は蜜を扱っている」
「……なに、それ。落ち度はわたし達にあるって? ちゃんと発表してんのよ! あんた達が薬に興味示さないからでしょ? 良いも悪いも知らないで処方されたもの安全だと思って使ってバカみたい」
「医者が処方したものを使うのはごく自然なことだ」
「きれいな人が売る薬を試すことも?」
「……なに?」
「それも首。敵だったら死んでんじゃないの、カイト。ああ、きれいな人の腕の中なら本望?」
いつの間にか駆けつけていたらしいスピン達が「シエラ!」とわたしの名前を呼んで止めようとする。けど止まらなかった。惨めだった。カイトに会いたくてがんばって、そしたら知らない人に抱きつかれてて、さらには逃がされて。カイトは良くも悪くも甘い。薬に対する考えも。犯罪者に対する考えも。
そうして話が戻るわけだけれど、ケンカした事実は変わらない。時間が戻るわけもない。なんとなく顔を合わせるのか億劫で、論文を提出しにいこう。そう思った。しばらく会わない方がいい。わたしはこの土地を離れることにした。移動中、「だいっきらい!」その言葉が脳内を支配して気分は落ち込む一方だった。
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I'll stay with you
ハンター協会の建物は部屋数が無駄に多い。お目当ての会議室はまだまだ先で、正直うんざりだ。結局、そこに辿り着くまでにこうして出会ってしまう。嫌なヤツに。
「シエラさんがここにいるなんて珍しい」
「近付かないで。声かけないで。笑いかけないで」
「あれ? 機嫌がずいぶんと悪いみたいですね」
気付いていて茶化したくせに。盛大に舌打ちをすると、「怖いなあ」と笑った。黙れ、失せろ、パリストン。とは恐れ多くて副会長様には言えるはずもなく、大きな深呼吸で心を落ち着かせる。「ごめんなさい、会議があるの。急いでるので」丁寧に優しく、そんなイメージで発した声は震えていた。「無理しなくていいのに」……パリストンが去れば無理することもないんだけどね?
「彼氏に振られた?」
「死ね」
「ボクのところに来たら、悲しませたりしないのに」
そういう鳥肌の立つセリフが、どうやったら吐き出せるのか。本当に不思議でならない。「遠慮します。では」寒気の引かない体。一瞬、身震いをしてから彼の横を通り過ぎる。はずだった。「な!」左腕が引かれて、そのままパリストンがわたしのお腹に腕を回す。身動き、とれない。気持ち悪い。嫌だ。どうしよう。
「本当なんですよ」
「やだ、離して。耳元で囁かないで」
「傷付くなあ」
「そんなこと、思ってもないくせに」
「あ、バレました?」
ああ殺意が。わたしなんかには到底倒せるような人間じゃないのは十分承知の上で。その気持ちを隠すことはしない。殺気がだだ漏れなのも知っている。そしてパリストンも気付いているのに離そうとしないのは、わたしなんかにヤられるわけがない。そう確信しているから。「離して」そう言うと回された腕に力が入る。
「人が嫌がるのが楽しい?」
「シエラさんがかわいくてつい」
「パリストン、キライ」
キライ──そう言って思い出したのはカイトのことだった。どうしてるだろう。きっと調査でわたしのことなんか考えてもいない。彼だってプロだ。何より優先すべきは仕事。わかっている。……けれど、連絡1つもくれない。カイトは怒っているのか。それともわたしに興味がないのか。両方か。考えるだけ無駄なのに、落ち込むだけなのに、ああ駄目。泣きそう。
「シエラ、」
「止めて。何も言わない、で」
ズビズビと鼻を啜る音。時折、気を抜くと漏れる嗚咽。涙腺を止める方法を誰か教えて欲しい。パリストンなんかに恥さらしたくなかった。どうせなら笑って「バカですね」と蔑んでくれても構わない。それなのに何も言わない。こういうところが一番キライ。考えていることが1つも読めないのは、昔から。
「……協会でお仕事、したらいいじゃないですか」
「なに、急に」
「退屈なんです。シエラさんがいない協会」
どんな顔してそう言ってるのか皆目見当もつかない。「わたしは、外が好き、なの」「ジンさんに着いていく前は、ずっとココにいたのに」「今では、息苦しいよ。頭の固い医療関係者と毎日いるのは」いつの間にか引いた涙。これは、自然に、だ。決してパリストンのおかげだとは思ってはいけない。
「……会議、行く」
「そうですか。残念だなあ。ああ、サンビカさんも来てしまったようですね」
体が解放されて、振り向くとパリストンの後方の通路からひょっこりと顔を出してこちらを見ているサンビカちゃんと目があった。「会議一緒に行こう」わたしが声をかけると、彼女は耳をすまさないと聞こえないんじゃないか。ってほどの声量で返事をした。パリストンはというと「それでは、また」と再会を示唆する言葉を残して歩いて行く。できればもう会わないことを願おう。──調子が、狂うから。
「目……赤くなってる」
「大丈夫」
恋は人を強くするって、そんな言葉があるけどわたしはきっと逆。脆くなった。それは向いていないの一言で片付けられる。──本当に、向いていない。こうして弱っているのはカイトとケンカしてしまったからなのに、どうしてだろう。こんな時こそ側にいて欲しかった。そんな後悔。馬鹿だ。わたしって、本当に馬鹿。自分から去って置いて、何考えてんの。どんだけ都合良い思考回路よ。
会議の最中、手もとにあった資料に書き込まれたのはぐるぐると何の意味もない円と、それに塗りつぶされたある言葉だった。無意識すぎて笑える。ぐしゃり、つい丸めた紙。捨ててしまえば問題ない。書いた言葉など、忘れたと言い聞かせて(あなたといたい)。
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Close your eyes
「D²……?」どうも聞きなれない単語に首を傾げていると、サンビカちゃんは「そう」と小さく頷いた。
「サンビカ、その話はまだ」
「あの、えっと」
「いいんだ。――ハンターがD²で中毒になって、隔離された」
部屋がざわめき始める。「飲むドラッグとして、少しずつ流行している。1年後には大都市にも広まる予測だ。今回、様子がおかしいということで引き渡された男、幻獣ハンターのマートン=スカースレットと、仲間のアマチュア3名を引き取った」これまた聞き覚えのない名前だった。計4人、麻薬中毒ということか。
「現在は投薬で押さえこんでいるものの、禁断症状が著しく悪化。幻覚や幻聴、人と会話もままならず、文字を書くのも困難だ。――ハンターとしての復帰は無理だろう」
「成分、残ってますか? D²があると手っ取り早いんだけど」
「その件に関してはシエラが適任だということはわかっている。後で渡そう」
これはしばらく研究漬けになりそうだ。逆に、いいのかもしれない。暇だから、考えちゃうんだ。カイトのこと。忙しかったら思い出すことも、ないもの。
「できれば公に公表したい所だが、どうやらNGLが深く関わっているとの情報もあり、下手に手を出せない。一部の医療団体はこれを放棄、沈黙の姿勢を貫いている」
NGL……自然保護区だったっけ。新しい国だった気がする。そこが関わって手を出せないのは、流星街みたいなもの? わからない。情報があまりにも少ない。こういうのに詳しいのは、カイトの方だ。本当に、嫌になる。
「中毒になる前のハンターを確保しよう。まだ手を出してる奴はいるだろうからな。阿呆ばかりでキリがないが、騒ぎが大きくなる前に仕留めたい。勿論、任務は内密且つ迅速に、だ。副会長には話が通ってある。協専のハンターに仕事が回るそうだ」
「協専って……ちょっと会長じゃないの? どうしてパリストン?」
「彼は優秀だよ、シエラ。仲が悪いのは知っているが、ここで持ち出す話ではない」
「パリストンは狡猾な男だって知ってるくせに。麻薬中毒のハンターが、じゃなくてライセンスを剥奪できないのが深刻な状況なんでしょうが。それを阻止したいんなら、ハンター集めて、検査した方が手っ取り早い」
どうしてパリストン派が増えていくんだろう。だからといって会長派とか、そういう訳じゃない。ただ、派閥の問題は深刻だ。任務に支障が出る。
「第一協専のハンターに任せて何になるの? 運よく確保できたとして、その後は?」
「ならお前がやれ」
ひゅっと情けない音が出た。数回の瞬き、いやいやこれは聞き間違いか何かだろう。そう思って隣のサンビカちゃんを見ると、ふと視線を外された。――やられた。
「抗体作って、ハンター捕まえて、打って、引き渡せ。お前がやれば解決だ」
「え」
「何より少数で、能力的に誰よりも向いていて、迅速だ」
「はい?」
「――さすが副会長。よくわかっている」
「……どうしてパリストン?」
こう言えば、釣られる人がいるじゃないですか。誰よりも、適任な。
そんな台詞を残して、次々と人が部屋を後にする。やられた。仕組まれた。思うことは多いが、何より自分の考え無しに首を突っ込んだ頭の悪さ。最悪だ。パリストンは知っていたんだ。こうなることをわかっていて、わたしに近づいた。アイツはわたしの上を行く。それだけのことなのに、本当に悔しい。
いつの間にか卓上に置かれていた錠剤。「ああ、仕事」D²に関して、全て投げられた。やってやろうじゃないの。そうして手のひらに収める。「意識が散漫しているな」後ろからの声に体が固まる。肩に置かれた手、指先がぐっと食い込む。なんで、どうして「ここに、いる、の?」
「気付かなかったのか? 相当ヤバイらしい」
どうして笑うの。わたしのこと怒ってない? あきれてない? 嫌いになってないの? 言いたいことが多すぎてまとまらない。「わかってるから、泣くな」そう言って肩に置かれた手が頭を撫でる。「勝手にいなくなるのはいつものことだしな」そのままぐいっとカイトの胸に抑えつけられた。ダメだ、涙、止まらない。
「オレ以外の前で泣くのは許さないが」
はっと顔を上げる。見られてた。っていうかそこから? カイトはわたしを見て笑う。「これでチャラだ。オレもお前も、気を緩めすぎたらいけないってことだろう」それから長く角ばった指で、わたしの頬を撫でる。
「お前が行方を晦ましても、オレは探し当てる自信があるが、それでもまだ逃げるか?」
なに、その格好良い台詞。きゅんってなった。きゅんって。頬が熱くなって、ああ、これは赤くなってるな。とすぐにわかったけれど、恥ずかしいけど、カイトから目を離せない。「わたし追われる方?」「ああ。まあ、それもそれで楽しいが」「えっと、楽しい?」首を傾げ尋ねる。
「狩れたら何をしようがオレの勝手だしな」
何を、と聞き返そうとした所で片手が服の中に侵入してくる。「ちょっと、ま」反撃も虚しく、そのまま壁へと押し付けられたら逃げ場などない。「ここ、会議室!」「そうか」なんて白々しい。お構いなしにぷつん、と外されたブラのホックに小さく悲鳴を上げる。
「カイト!」
わたしより遙かに高い位置にあった頭が、いつの間にか目の前にある。カイトが耳元に口を寄せて、舌を這わせ耳朶を噛むのは、わたしの弱点を知り尽くしているからだ。「ひゃっ」
「折角捕まえたんだ。食べさせろ、シエラ」
食べるって、いや、その、ね? なんてあたふたしてしまった自分を恥じる余裕もなしに、大きな手のひらがわたしの胸を揉みしだく。「ちょっと、いや、ッん……!」黙れ、とでもいうように唇で塞がれた言葉。絡まる舌。足りなくなる酸素。朦朧とする意識。それでも彼の腕の中は、どうしてこうも居心地がいいんだろう。なんて愛おしいんだろう。細く、それなのに筋肉質な腕に手を這わせ、ぎゅっと掴む。「止まる気がしないな」あまり、煽るなよ。その言葉に心底震えてしまう。ああ、幸せってこういうことね。「好き、カイト」そうやって名前を呼べば、彼は笑うのだ。答えるようにして一瞬触れた唇の熱さが、わたしをまた、狂わせる。
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Magic down
「カキン国の調査が3日後?」聞き返すとカイトは「ああ」と頷く。「生物調査だ。来るか?」そりゃあ、カイトといたい。でもD²の仕事が、うーんどうしよう。というか、どこから手をつけていいのかさっぱりな状況だったりする。麻薬中毒になったハンターはD²をどこで手にしたかわからないんだそうだ。まったく、使えない。
「まあ、契約期間が約3ヶ月。早ければ2ヶ月くらいで終わるだろうが……」
「待って、3ヶ月? 長くない?」
「新種発見に生態調査もあってな」
「新種見つからなかったら、契約更新も……」
視野に入れとけってことか。うわー、辛い。遠距離とか無理。カイト無しじゃ生きていける気がしない。思いの丈を次から次へと吐き出すと、「おいおい」とカイトは苦笑いする。
「しかし、D²の話は厄介だな」
「完璧投げてるもんね。抗体は欲しいけど、それ以外はあまり力入れなくていいんだと思う。Dr.の見解だと、原料はビラ。抗体ができるのにあと7日間は必要」
「その間、他の能力使えないだろう。オレと居た方が良くないか?」
「うーん……。じゃあ、カキン行こうかな」
カイトといれるし。ぎゅっと腰に手を回すと、カイトの手がわたしの髪を撫でる。「ゆっくりしたいのは山々だが、準備はした方がいい」「えーカイトのケチー」「置いてくぞ」そう言われ、渋々体から離れる。
「……なあ、シエラ」
「なあに?」
「いや、なんでもない。今度にしよう」
そう、言葉を飲みこむように。切れの悪いカイトはあまり見たことなくて。上目に首を傾げると、「いいんだ」と視線を横へずらす。そんな出来事も、記憶に残っていたのはほんの一瞬で。月日が経てば、どこかへと忘れ去られていた。
カキン国での2ヶ月は、あっという間流れる。時折、協会に顔を出して情報交換したり、そこまでの間で探したり。見つかるのは一般の中毒者で、さらにその多さにぞっとした。飲むドラッグはやはり手軽だったようだ。協会の上層部も首を捻っている。NGLに内密に調査に行くのも、そう遠くはないだろう。
そんな矢先だった。「来たら驚くぞ」そんなカイトの連絡を受け、足早に彼の元へ帰る。火を囲いながら遅めの昼食をとるいつもの姿が見えた。変わりといえば、人数が増えていること。……子供、が2人?
「カイト!」
1週間振りのカイト。その嬉しさに背中から抱き着くと、払う素振りも見せず「来たか」とわたしの腕を掴む。スピンが「ちょっと、他でやってよね」と茶化し、周りが笑う。見慣れない姿の子供が、わたしをみて瞬きをしたのが見て取れて「こんにちは」とあいさつをしてみた。
「シエラさん?」
「うん、そうだよ。えっと……」
「オレ、ゴン=フリークスです!」
フリ……「え、ジンさんのとこの?」ゴンは首を大きく縦に振った。なに、この純粋そうな瞳。嘘だ、ジンさんの子供だなんて。そんな真っ直ぐに……「育て親に感謝するわ。やだ、泣きそう!」涙腺が弱くなってきた。もう年かもしれない。カイトの肩に顔を押し付ける。そういえば、もう1人。銀髪の……ちらり、見ると「キルア。キルア=ゾルディック。よろしく」これまた、関わりの深い人だった。
「シルバさんのとこの、えっとイ、ミ、キ……3番目の子?」
「え、知ってんの? オレ、わからないんだけど」
「ああ、新しい毒が出る度に報告しているの。ほら、えっと」
ゾルディック家の教育方針は、正直簡単に頷けるわけではない。何かいい言葉がないかと探していると、「いいんだ。オレ、もう家出たし。毒に耐性あるの悪くないからさ」あっけらかんと言うので、まだ若いのに大変だな。と同情しかけた。危ない。
「と、まあこういうことだ。しばらく一緒に行動しようと思ってな」
「えっと、聞いてるかもしれないけど。わたしはシエラ。呼び捨てでいいよ。メディカルハンターなの。2人は、その様子だとプロっぽいね。同業者としてもよろしくね」
それと、と付け足してすぐ横にあるカイトの頬にキスをする。「この人は渡さないからね? あんまり引っ張りまわさないでね」と冗談を言ったつもりが、ゴンとキルアの口が開きっ放しで。あれ……これ、やっちゃったかな?
「すまん、こういうヤツなんだ」
「いや、なんか、イメージと違うっていうか」
「……っと、カイトを奪ったりしないよ。シエラのだもんね」
一体、どんなイメージだったんだろう。逆に怖い……。スティックがニヤニヤしてるので「ちょっと、何吹き込んだの?」と、問うと「さあなー」と白を切る。「モン?」「オレ、知らないよ」「リン?」「ワワワタシも」「バナナー」「えっと、あれですよ。シングルハンターだって話したから、きっと」
「ご、ごめんね。わたし、仕事してるよ? こんなんだけどちゃんとしてるからね?」
「シエラ、すっごい人なんだね! 薬いっぱい開発してるって。それにキレイだし」
「ゴン、止めとけ。コイツはすぐ調子に乗るからな」
「カイト!」
「いいなーカイト。彼女がキレイで優秀で」
か、確実に子供たちに気を使われている……。わたしの方が年下なんじゃないかと思ってしまう。一応「ありがとう」とお礼を言ったものの、笑えていたかどうかは不安なとこだったりする。
「――シエラも合流したとこだし、今回の調査結果を明日報告しに行こう」
「あれ、終わってたの?」
「ああ。2人は才能があってな。新種、珍種すぐに見つかったよ」
「そっか。ゴンもキルアもさすがだね。ねえ、わたしの助手やってよ」
ゴンは「オレ、勉強苦手だから」と肩をすぼめる。「ああ、いいのがいるぜ」キルアが人差し指を立てた。「ゴン、レオリオだよ。医者目指してるんだから、そのうちシエラに会わせたいよな」「そんな子いるの? 学生?」「今、受験勉強してるんだ。そうだね、シエラの弟子になればいいんだ!」そんな会話に始まり、カイトとゴンの出会い、ハンター試験、ゲームや生物調査の話。夜な夜な語りつくして笑った。2人がウトウトし始めたのを見て、お開きにする。
「どうだ?」
「いい子たち。ほんと。とりあえず、ジンさんに会ったら殴る。育児放棄サイテーって」
カイトが「あまり言うな」と笑った。どうやら満更でもないらしい。「カイト、寝ないの? 火、わたし見とくから平気だよ」わたしの言葉を無視して、隣に腰をかけた。「カイト?」
「こんなところで言うことじゃないかもしれない」
パチパチと火の粉の音。風が葉を揺らす音。時折、遠くから聞こえる動物の鳴き声。そして、カイトの呼吸。「どうしたの?」カイトの目は、前方にある炎を捉えていた。「カイト?」もう一度、名前を呼ぶ。ふう、息を大きく吐いた音がした。
「落ち着いたらでいいんだが」
「うん」
「結婚、しないか?」
耳を疑った。何か、言わなきゃ。そう思って開いた口から嗚咽が漏れた。嘘だ、そんな、夢みたいな。だけど、痺れるように鼓膜に響いた言葉が脳内で繰り返される。「けっ、こん?」息を呑む。「わ、たしで、いいの?」そう言ったところで、ようやくカイトがこちらを見た。
「お前以外、いないだろう」
少し、眉を顰めて。それから「シエラ」と呼んで、口の端を上げた。感極まったわたしの、瞳から溢れた涙をカイトは拭う。「嫌なのか?」ほら、カイトは意地の悪い表情を浮かべて言うんだ。「バ、カイト!」無意識に抱き着くとカイトの腕が強く、わたしを抱きしめた。触れた体の体温と、ひしめく骨。ああ、夢じゃない。
――ねえ、今、世界中で誰よりも幸せだと思わせて。この一瞬を焼き付ける術を教えてください。
時が止まればいい。夜が明けなければいい。カイトがわたしの手を取って口元に運ぶ。薬指に触れた熱に、これ以上の幸せなどないと、そう思わされた。
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Don't stop
「ムリ」「シエラ」「いや、ほんとムリ」「なんでだよー」「お願いだから、先行して殲滅してきて。ただでさえ昆虫嫌いなのに、ありえないんだけど!」2mの昆虫なんて! ふぁっく! と取り乱すわたしを、ゴンとキルアに宥められる。うう、どっちが保護者なのかわからない。
「だって、NGL行かなきゃいけないんだろ」
「カイト、ついでに調査してきて」
「シエラ、残っていてもいいが、オレはお前の頼みを聞くつもりはない。だいたい、今が絶好のチャンスだろう。ハントだと言って入れば、お前が1人で行くより入りやすいしな」
そんな正論を上から言われたらぐうの音も出ない。開きかけた口を閉じて、唇を噛みしめる。だいたい、キメラアントが2mでNGLにいるなんて最悪だ。D²のことも早めに手を打ちたいのはもちろんのこと。仕方ない、腹を括るか。わたしが小さく頷くと、「決まりだ。急ごう」というカイトの言葉を皮切りに、ミテネ連邦NGL自治国に向かうことになった。
「馬で走った限りは普通だけど、カイト」
面倒な検査等をクリアして6人での入国。移動は馬。辺りを見回せば、農作業に徹底している人影がちらほらと見えるばかりで、D²で中毒になった人間やキメラアントなんてものの姿は見当たらない。少し離れた位置から「交渉役です」なんて体の良いことを言い着いてくる監視役にはうんざりだが、それよりも「自然の生物としての寿命」とは笑わせてくれる。数年前に起きた、伝染病も「手を打てば長らえる命を放棄」しただけであって、寿命というのは可笑しいのに。ダメだ、土地が肌に馴染まない。
「あまり考え込むな。お前はやらなきゃいけないことがあるだろう」
「そうなんだけど、ね」
キルアもどうやら2人が気に食わないのか、小さな声でゴンに語りかけている。「ここの連中には何も期待していない」カイトが2人の元に足を運んだ。「ここにいる」低い声だった。彼の勘がそう告げているなら、大型のキメラアントもそうなんだろう。わたしも、D²に関しては、確実にココの何処かに工場がある。そう思う。それも、純粋にネオグリーンライフを堪能している彼らの意思を踏みにじって、裏で働いている。
変化が起きたのは、それから馬で移動してすぐのことだった。耳障りな音がして、思わず身を屈めると「蜂……?」カイトの口から恐ろしい言葉が出て来た。それは、いわゆる普通のサイズの普通の蜂のようだったが、目を凝らすと白い紙きれを手にしている。「伝書……?」カイトの手に渡された、四つ折りの粗末な紙はペリペリと奇妙な音を立てる。
「血、文字。これ、たすけてって!」
拙い文字だった。わずかに震えた血文字で、キメラアントの巣。ハンター協会に連絡を。と懸命に書かれている。それは状況がいかに深刻かを思わせた。この子は生きているのか。怪我や、致命傷は避けられたのだろうか。カイトの手がわたしの肩に触れた。激しかった鼓動が落ち着いていく。
「かなり危険だが、一緒に来るか?」
「もちろん」
「オレ達もプロだぜ」
馬から降りて、スティックとポドンゴに指示を出す。ぐっと、固まった体を伸ばしてからカイトはわたしを見た。「行く予定だった地帯だろう」それにはっとした。なんだろう、すごく嫌な感じがする。得体の知れない恐怖が全身を硬直させた。「……うん」カイトがわたしの腰を掴んで馬から降ろしてくれる。「それとも2人と戻るか?」首を横に振る。息を吸って、吐いて。既に準備運動をして待っているゴンとキルアを見た。
「どうしたの、シエラ?」
「顔色、悪いけど」
「久しぶりの運動だから、ちょっと気後れしただけ」
「ついてこれなきゃ置いてくぞ?」
慌てて足首をほぐす。何時振りだっけ、本気で走るの。鈍ってないと良いけど。――そう願ったのも束の間、集落に着く頃には息が切れて辛い思いをするのが目に見えているくらい、容赦ないスピードだった。帰ればよかった!
「ッ……はァ、化け物、か、もう」
「研究室に籠っているからだ。それにしても、随分体力が落ちたんじゃないか」
蛻の殻状態の集落を、2人が回っている間、情けないことにわたしは息を整えていた。なに、これ。いつもより、調子が悪い。本当に、年なんじゃないかと自分を疑った。彼らが戻ってくる頃には息も落ち着いて、体に力が入る。ほんとうに、どうしたんだろう。
「シエラ、大丈夫? ……何か、臭うよ。あっちからだ」
心配そうにわたしを覗き込んだ顔が一変して、鼻をひくつかせると眉を寄せる。森林の向こう。指をさされた方に視線を送る。――ああ、本当に嫌な感じ。
慎重に足を進めていくと、なるほど風に乗って腐臭が運ばれてくる。あまりの臭いに吐き気がした。ゴンはわたしより鼻が利くから、こんなもんじゃないのだろう。「早贄だ」俯いていた顔を上げると、木に刺された3頭の馬が見える。「鵙って鳥の習性だ……。捕えた餌を木などに刺しておくんだ」なに、でも、これって大きすぎる。まさか、
「おい」
人、ではなかった。気配を完全に消していた。羽の生えた、言語を操る生物だ。これは、完全に摂食交配があったことを示していたし、何より人間が大型のキメラアントに食べられた証拠だった。――既に、悲惨だ。「近づくな!」とキレて突っ込んでくる速度に驚いた。後方へ下がると、カイトが戦闘態勢に入る。その生物はカイトを見て、止まった。視線を外すと終わりだと悟ったのか、そのまま微動だにしない。わたしが能力を使おうとすると、腰を抱かれそのままさらに後方へ退く。「カイト!」「ゴン、キルア。あいつ、お前達だけで何とかしろ」ああ、そうか。わたし達は彼らの能力を把握していない。
「あいつを倒せないようなら帰れ。ジャマだからな」
淡々としたその発言に、苛立ちを隠せなかった様子。ゴンとキルアのオーラの量が増す。「ガキ扱いするな!」何も情報のない敵に挑める精神が羨ましい。キルアが高く跳び、そこから落ちる雷に驚かされる。電気、変化系か。動きの鈍くなった敵の懐に入ったゴンが「最初はグー!」と体を右手にオーラを溜める。繰り出された拳が敵の腹を捉えて、空に舞い上がった。それを受け止めた、また別の生物。ああ、ここはまだ始まりにすぎないんだ。そう思わされた。
勝っても負けても地獄だぞ。本当にそうだ。最悪だ。早く終わらせて戻りたい。ぎゅっとカイトの服の裾を引っ張ると、いつものように頭に手が触れる。「自分の身は、守れるな? 何かあったら迷わず逃げろ。工場が見つかったら、そのまま報告に戻って構わない」黙って頷くと「いい子だ」とまるで子供のような扱いで。不貞腐れたわたし見て笑った。「ああ、子どもじゃないな。嫁、か」ゴンとキルアに聞こえないように、耳元でそっと囁く。こんな時だからこその、不器用なカイトなりの気遣いだ。わかってるよ、大丈夫。それなのに、どうしてかな。掴んだ服、離したくないの。落ち着かないの。そんな気持ちに蓋をして、そっと手を緩めた。
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In my arms
見つけた。D²の工場だ。鵙の習性を持った敵に会った場所から、血の臭いを辿って進むと、穴を掘って作られた膨大な建築物を発見した。「シエラ」「入ろう。ここで、間違いないはず」慎重を期して足を踏み入れると、血の跡と銃。死体は1つも転がっていない。
「ビンゴ。麻薬工場」
ゴンとキルアが目を見開く。「巷で流行している飲むドラッグ、D²の製造工場」カイトの説明を聞いてキルアがわたしを見た。「シエラの調査ってコレのことか」わたしは大きく頷く。
「抗体はできたんだけど、異常な速さで広まっていくから、お手上げだったの。NGLは手を出しにくい国だし。――ただ、これは殲滅されてるみたいね」
「素人が銃で武装したくらいじゃ太刀打ちできんってことだな」
ビラ畑は焼き払えばいい。D²の製造方法を知る人間は既にいないと仮定して、今、中毒になっている人間の禁断症状に手こずるかもしれない。あってもなくても厄介な仕事だ。
「シッ!」
話を続けていた2人を止める。「何匹かいるぞ」カイトの円だ。わたしも意識を向ける。「2……3……。左右の穴にもいるな」カイトの円は約、半径45m。今回はわたしも応戦だろう。「来るぞ」現れたのは裸の人間だった。2人供、精神崩壊しているように見えた。はめられた首輪に繋がれた鎖の先に、4つ足の敵。「たすけて、たすけてくれ」と必死に訴える男の頭に、その足が向かった。ぐしゃり、嫌な音がした。血溜まりに頭の潰れた死体。目を疑った。ゴンが飛び出そうとするのをカイトが止める。
「迂闊に動くな。敵は一匹じゃない。飛び込めば思うツボだぞ」
左右の穴から出て来たヤツ等は、いかにも昆虫との交配だった。背筋が粟立つ。「シエラ、後方からもう1匹だ。いいな」カイトが円を解いた。続いてわたしが円を使う。能力的に欠かせないが、範囲が狭い。ゴンもキルアもそれぞれに散る。半径、15m。10、7。姿を現したのはカブトムシのような出で立ち。「女はすきだ。柔らかくて、うまい」わたしは嫌い! あ、足が6本生えてる! これ以上見たくないので能力の発動。
わたしの場合、敵が円の中に入ってさえしまえば勝率はぐんと上がる。「アテンド」そうコールすれば、敵をくるりと包んだオーラが薬に変わるから。「なっ!」致死量ギリギリの薬物を投入すると、もがきながら意識を失う。……なんだろ、効き目があまり良くない。「Dr.」呼べば、わたしの横からふらり顔を出す細い男。「研究室、連れて行って」コクコクと小刻みに頷いて、カブトムシと供に床に沈んでいく。
「な、んだソレ」
「カイトのも不思議だけど、シエラのどういうこと?」
既に戦いを終えた2人がわたしの側に寄る。「わたしの円は、わたしが敵意を持って張った場合のみ、毒物に変化したオーラが敵を取り囲むの。致死量ギリギリね」そう説明すると、「じゃあ、さっきの白衣の男は?」と尋ねられる。
「Dr.は医者。カイトの気狂いピエロ(クレイジースロット)見たでしょ。同じように、意志を持つ具現化したお医者さん。新薬の開発は主に彼のおかげなんだ」
へえ。まだまだ聞き足りないのか口を開いたゴンに「また後で説明するからね」と笑う。落ち着いたら、研究室にも招待したいし。
「カイト、わたし協会行ってくる。とりあえず、もう製造は不可能だと思うから。それと、新しい実験体も手に入ったし。いちいち手合せしている暇もないだろうから、即効性の毒薬の開発しようと思う。さっきの効き目が悪かったのが気になる」
ある程度、毒に関しては免疫があるということだ。摂食交配の時に、例えば蠍や蛇のような毒を持つ生物と交わったのか。いや、あれは完璧にカブトムシのようだったけど。
「オレ達は先を急ごう」
「シエラ、1人で大丈夫なの?」
首を傾げる2人に近づいて、背中に手を回す。そのままぎゅっと自分に引き寄せると、驚いたような声が上がった。大して変わらない身長。それでもまだ、幼い。勝っても負けても地獄だという状況で、負担があまりにも重すぎる。触れる死体の数、手を下す敵の数。大丈夫だろうか。本当ならこのまま連れて帰ってしまいたい。「無茶は、しないで」ぎゅっと、力を込めた。
「大丈夫だよ。心配しないで」
「そんな顔すんなって。言ってるだろ、オレ達もプロなんだって」
うん。頷いたわたしに「シエラ、カイトの前でいいのかよ」とキルアが言う。「お前らに嫉妬するほどガキじゃない」カイトと目が合った。そう言った割にはつまらなそうな、そんな顔をしてる。
「無事に帰って来れるように」
そう願って、近い位置の頬に唇を付ける。「わっ!」上がる声につい笑みが漏れた。「うぶってこういうことかな、カイト」「……いい加減にしろ。行くぞ」背を向けるカイト。顔を赤くしている彼らの頭を軽く撫でて、カイトの元へ。
「カイト」
「なんだ」
「待ってるね」
だから、早く終わらせて。そんな思いを込めて。振り向き際、ふわりと揺れた髪。出会った頃より幾分か伸びている。「ああ」いつもの、素気ない返事。いつもの、もう癖になった頭を撫でる手。「帰ってきたら一緒に、わたしの故郷に行こう」カイトは笑った。そうだな。そう言って、笑った。なぜか、目頭が熱くなった。じわり、潤む視界。滲む輪郭。「どうした?」覗き込むカイトの顔がぼやけた。
「……なんだろ。わかんない」
「お前はよく泣く。よく怒る、それからよく笑う。昔から何一つ、変わらない」
「何、急に、どうしたの?」
「そんな姿に目を奪われちまったんだ。不覚にも、な」
カイト……?普段の彼らしくない。空いていた手でハンチング帽をぎゅっと抑え「会えて良かったと、本当に思ってる」そんなことを言った。隠れた表情。下から見えるのは、動く口元だけで。
「ありがとう」
視界が真っ暗になった。顔を隠されるようにして帽子を被されたようだった。慌てて帽子を手で掴むと、その手が固定された。「カイ、」名前を呼び掛けて止まったのは、カイトの腕に包まれたから。それは一瞬だった。触れた彼の体温に熱を帯びる暇もなく、空気が攫っていった。ハッとして帽子を上げた。視界に見慣れた背中。靡く髪。手の甲をわたしに向けて歩いていく。どうしてだろう、こんなに涙が溢れていくのは。どうして、こんなに辛いんだろう。カイトが、ぼやける。「行かない、で……」漏れた声は、届かない。
――これが、わたしとカイトの最期だった。
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