Scheherazade | ナノ

 Dr.の実験が終わってから、みんなの元に戻った。ゴンとキルアが、わたしに謝るのが不思議だった。「でも、必ずカイトを助けるから」そう言われて、辺りを見回した。本当に、カイトはいなかった。2人の強い意志だけが、わたしの希望だった。……それでも、不安が消えることはなかった。

 会長に呼ばれて、強制的に参加させられたのは貧者の薔薇(ミニチュアローズ)の毒を一部、キメラアントに効果がある最適なものにすることだったようだ。ようだ、というのは毒薬の話を会長にした時に、「使える」と言われ、それを科学者に渡した。それが、貧者の薔薇(ミニチュアローズ)に取り込まれていたのを知ったのは、つい先日だった。

 わたしが床に伏せたのは、シュートがカイトを奪還して来た後だった。絶句した。愛した男の無残な姿に。カイトが操られているんじゃない。カイトの体が操られているんだ。そう思った時に、彼の死を悟った。吐き気がした。涙は出なかった。ひたすら、嘔吐した。それを見兼ねたノヴ先生が、わたしを強制的に入院させた。気力が湧かなかった。もう、世界なんてどうにでもなればいい。わたしとカイトを見捨てた世の中に価値など何1つ、残ってないのだから。





「似合わねェな、ソレ」

 わたしを見て笑った。カイトの帽子を、わたしの頭から取り上げる。「ジンさん、返してください」ジンさんは、「元気じゃねえか」と軽く頭を叩いた。

「だから退院させてって言ってるのに。っていうかなんでわたしのとこに来るんですか?――ゴンは、まだ目覚めないって」
「アイツは平気だ。オレのガキだからな」
「なにそれ、ジンさん屁理屈ばっか」

 それが理屈を越えてしまうから、ジンさんなんだけれど。その言葉に妙に安心した。「わたしゴンにお礼、言わなきゃなの。だから、ジンさんを信じる」ジンさんはわたしを見て、「ああ、信じとけ」と大きく頷いた。

「で、どうしたんですか」

 用もないのにふらり、姿を現す人物でないことはよく知っている。わたしの質問に、ふとそっぽを向く。

「これから、どうするんだ」
「退院したら、ゴンのとこに行きます。あと、えっと選挙だっけ?」
「お前が退院するより先にゴンは復活して選挙も終わるっつたら?」
「――えっと……ジンさんが言うと説得力があります」

 あたりまえだ。そう言うようにわたしの髪をぐしゃり、掴む。動物のように撫でられて、ああ髪の毛が。と思いはしたけど、別に嫌ではない。

「……早く、行ってやれ」

 優しい声だった。その頭の温もりに、思わずカイトを重ねた。溢れた涙をジンさんがゴシゴシと拭った。「泣くなよ。オレがカイトに怒られる」つい、頬が緩んだ。その度に零れる雫がベッドのシーツを濡らしていく。

「もう、わからっ、なくて」

 ジンさんが、「ったく」と呆れたような声を発して、頭を胸へと押し付ける。「手のかかるヤツだな。ゴンのがよっぽど利口だ」「……育児放棄、したくせに」「ああ?」くぐもった声を聞き取って、ジンさんが手に力を込めた。「いたい、いたっ!」悲鳴に、緩む。

「行け。んで、伝えろ。いいか、全部だ。何1つ、隠すな。言いたいこと言って、それから悩め。悩んでも答えがでなかったら来い。オレが、面倒見てやる」

 涙が止まらなかった。ただ、バカみたいに「はい」を繰り返した。その度に「おう」と返事が聞こえた。ジンさんはわたしが泣き止むまで、ずっと側に居てくれた。それだけで、十分だった。






 「……遅くなったの、ごめんね」わたしより小さな背中に言葉を投げた。赤い髪が揺れた。振り向いたその子は幼くて、ちょこんとした鼻が可愛らしい。

「シエラか」

 名前を呼ばれただけ。見慣れない顔に彼を見た。「うん」頷いて、手にした帽子を差し出す。「カイト」目が、あった。見上げられているのは、なんだか新鮮で。カイトの手が伸びて、わたしに触れる寸で止まった。「ちゃんと、触って。それから、謝って。約束、守れなくてゴメンって。ちゃんと」小さな手が、わたしの腕をひいた。しがみつくようにして抱き着くカイトが愛おしかった。

「すまなかった」
「うん」
「約束も、守れない」
「……うん」
「もう会ってくれないかと思った」
「…………うん」
「好き、なんだ」
「――わたしも、カイトが好きだよ」

 いつもはカイトがわたしの頭を撫でるけど、今はわたしが撫でる番だと思った。手を塞いでいたハンチング帽を、地面へ落として、それから、触れた。「愛した人が生きてるってだけでもう、いいの。女の子なのはちょっと苦しいけど。最初、聞いてすっごく悩んだ」カイトの手に力が入った。「遅くなって、ごめんなさい。でもカイトといたい。ただ、一緒にいたいの。それだけなの」ゆっくり離れる体。わたしを見つめる瞳。

「ああ」

 いつもの、素気ない返事。「――ありがとう」最後に聞いた、あなたの台詞。ああ、本当にカイトだ。つい、唇を重ねたくなるのを必死に堪えて「あとね」と言葉にした。

「えっと、カイト女の子じゃん? でもカイトはカイトなんだよね? えっとさ」

――パパになるって、どう思う?

 カイトの目が大きくなった。いや、そうだよね。ほんと、そうなんだよ。わたしも驚いたもん。「い、嫌ならいいの。でも、産むね? ジンさんが面倒見てくれるって言ってたし……」ゴツン、額に衝撃。ぎゅっと痛みに目を閉じて、開けるとカイトが額をくっつけている。

「誰がジンさんに渡すか。ふざけるなよ」

 つい、視線を反らしそうになると、カイトの手ががしりと頭を固定した。「オレの子だろうが。父親にしたら情けない姿なのは謝る。ただ、ジンさんの所に行くのは許さない」その真剣な言い分に、思わず笑った。「えっとね、4ヶ月なんだって」カイトの手がぴくり、動く。

「NGLの時、調子悪かったのはソレか」
「メディカルハンター名乗ってるくせに、気付かなかったのが恥」

 カイトは笑った。お前らしい。そう言って、わたしの頬に鼻を摺り寄せた。「シエラ、守れる約束があるんだ」「……なあに?」「お前の故郷に行こう。コイツが、少し大きくなってからな」小さな手だ。でもカイトの手だ。お腹に触れるその体温も、小さな鼻も。

「うん!」



 わたしとカイトを見捨てた世の中だと思ってた。世界に価値はないのだと。それでも、生きていて本当に良かったと思えるのは偶然じゃなくて、必然だった。その分の代償は、愛した人が女の子だという、取り留めもないことだ。生きている、もうそれだけで良かった。……でも、触れるくらいのキスは許して? 神様。

 心の中で懺悔する。そっと触れて、離れた。「……持たないかもしれん」そんな、カイトの言葉に思わず笑って、「気まぐれピエロ(クレイジースロット)に優しくしなかった罰かもね」そう答えた。

 可愛い女の子だ。けれど愛した男だ。そんな複雑な心境を嘲笑うかのように、強く吹いた風が、落ちていた帽子を攫った。声を上げた時には、空高く舞い上がり届かない。青い空だった。赤い髪が良く映える。2人で顔を見合わせた。それから帽子を追いかけるカイトの姿は、まだ幼い女の子だった。


(Fin.)→afterword
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テーマ「人外ファンタジー」
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